うまい焼肉屋がある、と風の噂に聴いたから、ボクはバイクを走らせた。
たかが焼肉のために冬の北風が体を強く煽る中、バイクで片道2時間の距離を走り抜け、名前も聞いたことがないような片田舎に来るのはさすがに酔狂が過ぎると自分でも思う。だけれど、それでもこの店の焼肉は一度食べたら忘れられないという評判があちらこちらから流れていたとあっては、寒空の下でも行くのが筋というものだろう。ただ、不思議なことにグルメブログ仲間やライターの友人に聞いても、誰からも実際に食べたという話は聞けなかった。
幻の焼肉屋……きっとこの店を紹介するときは、そんな煽り文句が週刊誌のグルメ特集でデカデカと表記されるのだろう。だが、実際に食べてみれば田舎にしては品質がいいレベルとか、あるいは老夫婦が営んでいて不定期な営業で品質がバラつく、なんてことになってしまい、肩透かしなことも多い。それでも不発に終わるとしても、うまい肉があると聞けば即座に向かうのが、我々の性分というものだ。
町にたどり着いて適当にバイクを走らせていくと、やがて商店街に出くわした。今回の噂は不思議なことに、誰も食べたことがないはずなのに店の目撃情報はとても多くて詳細だった。なんでも、商店街にある中央ステージの真ん前にあり、見た目は古ぼけて一見すると終戦直後からあるかのように錯覚するほどらしく、デートに使うには全く向いていない。それでも我々のような人間であれば、すぐに旨いものセンサーが反応するに違いない建物だという。
バイクを置いて商店街を歩いて行くと、やがて中央ステージと呼ぶには荷が重い、錆の目立つ鉄製の踏み台と、申し訳程度に置かれている長椅子が目に入った。
あれか。
その前にある店が、噂の焼肉屋だろう。確かに店構えは古く、さすがに終戦直後は話を盛りすぎだが、どう見ても昭和に建てられているのがわかる。引き戸には知らない2人組のアイドルのポスターが貼られ、長年貼られているのだろうか、太陽で焼けてしまい色が落ちていた。ただ、名店特有の風格というものも感じられ、これは仮に食べずとも期待で胸が膨らむのも当然、といった趣だった。
暖簾がかかっていたので引き戸を開けて中に入ると、夜の食事時にはまだ早い時間だからだろうか、店内には客が1人もいなかった。テーブル席が3つ、座敷が3つ、さらに今ならば少なくないのかもしれないが、カウンターには1人用のロースターも置かれていた。
店主と思われる、大柄で太った男がこちらを見やる。店に入ってきた見たことのない男に向けて、新聞を置きながら蔓延の笑みを浮かべ「いらっしゃい!」と商店街中に響き渡るような大声を発した。でっぷりとした体型、白いシャツに小汚いエプロン、誰が見ても肉屋の親父とわかる、イメージ通りの親父だった。
とりあえず1人用のカウンターの席に着くと、少し油でベトベトしたメニューを触る。なるほど、確かに衛生面を気にするのもわかる。だが、チェーン店やルックばかりに気を使うような店にはない”美味い気配”がこの店からは漂っていた。
「坊主、1人か?」
自分は軽く首を縦にふる。正直、どこの店だろうと店主とやり取りをするのは苦手な方だが、この親父さんはこちらの反応を気にもせずに話を続ける。
「ここはお肉が美味しいという話を聞きましたので」
「あー……そりゃ、残念だが1日早かったな」
「1日?」
小首を傾げると、親父さんは店の壁に貼ってあるポスターを指差した。そこには10代半ばくらいの女の子2人がポーズを決めて”ミュー&スター、本格始動!”の文字が並んでいた。
「明日デビューなんだよ。それでこの店でパーティを開くんでな、明日は特別な肉をそのために仕入れるんだよ。だから今日は、いつもの肉しかない。そっちを期待したなら残念だったな」
もっとも、身内のパーティだから外のお客さんには出さないけれどな、と続ける。
なるほど、噂の真相はそういうことか。確かに美味い肉を出す店かもしれないが、それはあくまでも特別な日だけで、しかも仲間内で処理されてしまう。だから噂ばかりが広まるが、実際に食べたことがある人はいない。このパターンもままにある話で、店に行っていたら一見さんお断りだったり、1年先まで埋まって予約が取れない、などに近い。
事の真相がわかるとがっかりしてしまったが、とりあえず肉を数種類頼んだ。親父は小躍りするかのように軽やかに動き始め、すぐに肉を持ってきた。意外や意外、親父は普通と言いつつも、上等な肉を筋も残らぬように丁寧な仕事をしたあとに出しており、東京だったらボクも通うだろうし、十分話題になるレベルだった。これほどの技と目利きを持つ親父が”特別” と語るほどの肉に対して、誰もが夢想し語りたくなるのは肉好きとしては当然のことなのかもしれない。
ふと、外から歌声が聞こえてきた。明らかなラジカセとわかる音割れもした楽曲をバックに、音程を外した女の子の歌声が聞こえる。親父さんは寒風が吹き込むこともお構いなしに、引き戸を開けて店内から外をじっと眺めていた。その大きな背中の後ろから覗き見ると、先ほどのボロステージに引き戸に貼られたポスターの女の子が2人立っていた。
あまり満足にクリーニングもできていないのか、白地に汚れも見えるフリフリの衣装を着て、手や足を一生懸命振りながら、小さな手でマイクを握り締めている。だが、残念ながらそれはダンスと呼べるレベルにもなく、2人の動きが一致するどころかリズムも取れておらず、そもそも振り付けが決まっているのかも怪しくなるほどバラバラに動き、歌も音程を外してしまっている。
その2人の目の前の長椅子にはスマホを弄ったまま、そちらを見ようともしない金髪のチャラ男しかいない上に、男は曲が終わると立ち上がり、次のテープをラジカセに入れて再生した。今時ラジカセというのもなんだが、きっと男は彼女たちのマネージャーか何かなのだろう。人っ子1人も通らない中で、ただ親父さんだけがその様子をじっと眺めているだけだった。
それでも、ボクは彼女たちから目を離すことができなかった。
その声が、表情が、全身が躍動し、全力で誰かを楽しませようという気概にあふれていたからだ。青く晴れた空と、燦々と輝く太陽の下で、彼女たちはその青春を謳歌するように全力で声を張り上げ、高らかに歌う。確かに技術は低く、笑い者になるかもしれない。だが、あの全力な姿を見て、誰が馬鹿に出来ようものか。
「……今日、あの子たちが引退なんだよ」
親父さんがポツリと呟く。それはボクにいうのでもなく、ただの独り言のようだった。
そうか、あれが引退ライブなのか。
おそらく、明日に行われるデビューライブと入れ替わりで、人気がなさすぎて引退する女の子たちなのだろう。それを聞くとなんともやるせない気持ちにもなるが、確かにこの歌と、どこのクラスにもいるような、そこそこ可愛いレベルのルックスではご当地アイドルとしても厳しいものがあるのは素人の自分でもわかる。それでも、彼女たちから溢れ出る魅力からは目を離すことができない。
「この瞬間を永遠にとどめること、それが青春なんだろうな」
結局、観客は最後までボクと親父さんと、そしてあのチャラ男だけだった。それでも彼女たちは1曲が終わるたびに欠かさず礼をして、MCを時におちゃらけ、時に思いの丈を込めて語り尽くす。その姿から目を逸らすことができなかった。
「……あいつらを笑うような奴が隣にいなくて、良かったよ」
親父はそう言って、 ボクの背中を叩いた。
食事を終えて帰ろうとも思ったのだが、もしかしたら明日少しだけでもご相伴にあずかることもできるかもしれないと思い、帰るのにもしんどい時間だったために町に1泊していくことにした。あまりにも寂れた町だからか、ホテルとは名ばかりの3階建てのマンションのような宿泊施設しかなかった。漫画喫茶もなく、カラオケも夜10時には閉店するような健全経営ばかり、さらに夜は氷点下にも下がる寒空では、この名ばかりのホテルに泊まるしか選択肢はない。
客が来るのが珍しいのだろうか、責任者と思われる老婆はこちらを訝しげに一瞥すると、客を放っておいて一度裏に入ってしまった。どこかに電話しているようで、ちょいちょい「泊まらせてもいいの?」という声が聞こえる。もしかしたら明日行われるパーティとやらで客室がないのだろうか? と思いきや、鍵を握りしめながら老婆が再び姿を現した。
「お兄ちゃん、泊まるのはわかった。だが、悪いけれど0時以降は部屋を出ないでくれ。この町にはコンビニすらないし、深夜には玄関の扉も閉めてうちらも寝てしまう。それに、廊下でうるさくされると他のお客さんに迷惑だからね。それが無理ならば、帰っとくれ」
宿泊客に対する態度かと一瞬気を悪くしたが、他に行く場所もないので渋々了承すると、3階の部屋の鍵を渡された。
部屋に向かおうと荷物を手に取り階段を上がろうとしたとき、ロビーのソファーに先ほどのベンチに座っていたチャラいマネージャーの姿があった。ベンチに腰掛けながら、禁煙の文字が目に入らないのかタバコを吹かしながら電話している。
「はい、すべて終わりましたよ。女どもはちゃんと部屋にいるんで、煮るなり焼くなり好きにしてください……ええ、大丈夫です、もうあいつらも諦めてますんで、あとはそちらさんの好きに……」
そこで自分が男をじっと見つめていることに気がつき、眉を潜めてチッと舌打ちを打ち、手の甲を振ってあっち行けというジェスチャーをされた。
なるほど、そういうことか……だからあんなにやる気がない衣装とセットだったのか。欲しいのは彼女たちの”アイドル”という付加価値だけで、そうすることで得する誰かがいる、と。胸糞悪い話ではあるものの、ボクの知らないだけで、きっとそういうことがいくらでもある世界なのだろう。だからといって何かしてやることもできるわけもなく、見なかったことにして、3階に上がり部屋に入った。
このホテルはハズレを引いたかな、と思いきや、意外と値段も良心的で部屋も古くはあるが掃除も行き届いており、トイレやお風呂も綺麗に殺菌済みのテープも巻かれていた。荷物を置いて窓の外を眺めると、商店には明かりはどこも点いておらず、確かにこれならば老婆の言う通り部屋にいるのが1番だろうと思い、ベットに横になると着替えるのも忘れて眠りについてしまった。
物音が聞こえて目が覚めたのは、まだ陽が昇る気配も見せていない深夜だった。充電を忘れて電源が落ちてしまったスマホを見るが、今の時間は全くわからない。 体を起こして少し頭を掻くと、ドン、と何かが激しくぶつかる音が聞こえた。
はて、何だろうか? と思い、恐る恐るドアをゆっくりと開けた。廊下の電気はすでに消灯され、真っ暗になった中には非常誘導灯すらも消えている。灯りと呼べるものは窓に差し込む外からの光と、廊下の端にある、階段近くの用具室から漏れる明かりしかない。
何かわめく声が聞こえる。恐る恐るそちらへと近づいていくと、声の主は先ほどのマネージャーだった。
「俺は聞いてない! こんなことになるなんて聞いてなかった!」
そう叫んだかと思いきや、ボフ、という音とともに激しく何かとぶつかる音がする。その声には口に水を含んでいるようで聞きづらく、呼吸音も変に大きい。それでも何かを話そう、言葉を発しようとすると、またもや激しい音が何度も鳴り響いていた。
怖くなってゆっくりと部屋に戻り、扉を閉めたのだが、その際に思ったよりも大きな音が鳴り響いてしまった。その音を聞きつけたのだろう、何個もの足音が廊下を行き来する。こちらに気づかれないように祈りながら扉にもたれかかるように座っていると、ドアノブがカチカチと外から回される音が聞こえた。ああ、そうか、もしも相手が老婆とグルで、合鍵を持っていたら……自分の運命を呪った。やはりこのホテルには泊まるべきではなかったのだ。
それからどれくらいの時間が過ぎたのか、よくわからない。もう何日も過ごしたような気の遠くなる時間が去ったようにも思えるが、そんなことがないのは自分が誰よりも知っていた。廊下を行き交う足音はしなくなり、ホテル内は静寂に包まれている。
彼はどうなったのだろうと、気になり、ゆっくりとドアを開ける。すっかり暗闇に目が慣れており、周囲には誰もいないことを確認する。先ほどと変わらず、激しい音がしていた用具室にだけ灯りがついていた。
よせばいい、と思いつつ足はその場へ向かう。時折背中を気にしながら、誰の目もないことを確認し、廊下を静かな足取りでゆっくりと進み、部屋の中を覗いた。
声を上げなかったり、気を失わなかったのは奇跡だと思う。
マネージャーの金髪は彼自身の血肉によって赤黒く染め直されていた。ベトベトにくっついた髪の毛の下の頭皮は破れかけていて、頭蓋骨が露出しており、その下のピンク色をしたものはきっと見えてはいけないものではないだろうか。髪の半分は無理やり抜かれており、体の周囲に散らばっているものの、彼の血ですっかり赤く濡れてしまっていて、元々の金髪だとわかるものはどこにもない。顔は輪郭すらも判断できないほどに膨れ上がり、頬の肉は熊にやられたかのように無理やり引き裂かれている。大きく開いた口からは歯がわずかに残っていることが確認できるが、おそらく歯科医師でも個人を判別することは不可能であろうことは素人でも簡単に判断できるほどの損傷で、足元には真っ赤に染まった歯がいくつも転がっていた。眼窩に収まりきらなかった眼球はかろうじて筋1本分だけ残して飛び出しているが、もう片方の目は原型を留めていないほど潰されてしまっている。
部屋中が彼の血しぶきで真っ赤に染まる。これは一般人ができる所業ではなかった。ネットによる情報化社会で、事故現場や殺人事件の現場などのグロテスクな写真を見たことは一度や二度ではないが、ここまでの損傷は見たことがない。明らかに何らかの悪意を持った人にしかできないものだろう。うっかりケンカでやりすぎたとか、そういうレベルでないのは明らかだった。
吐き気を堪えながらも部屋に戻ろうと回れ右をしたところで、階段と反対側にあるエレベーターが3階に着いた音が聞こえた。もはや部屋に戻るのも不可能になったと判断し、とりあえずここを離れようと階段を急いで下っていく。かといって、このホテルの玄関にはきっとこの所業を起こした連中の車などがある可能性も高く、他に出口も知らないために、どこに行くのが安全なのかわかるはずもなかった。
なんとか逃げ込んだ2階の階段の踊り場で、誰も来ないことをひたすらに祈るしかない。この中のどの部屋から、どんな人が出てくるかもわからない。自分にはここで震えているしかないのだ。
だが、無慈悲にも階段から誰かが降りてくる音が聞こえてきた。同時に1階からは数人の話し声が聞こえる。もはや逃げ場所はないと覚悟を決めかけた時、ある客室の扉が開いていることに気がついた。
この場にいたら全てが終わるのだ。
だったら覚悟を決めるしかない。
そう心に決めて、部屋の中に飛び込んでいき、廊下からは見えない位置に姿を隠すと、数人の足音は部屋の前を通り過ぎて行った。
とりあえず、一息をつく。まだ何も終わってはいないが、最悪2階であれば窓から飛び降りて逃げられるかもしれない。だが、荷物や財布、バイクの鍵も部屋に置きっぱなしで、最悪身元はすぐにバレてしまう。助けを呼ぼうにも携帯も部屋で充電している。警察に連絡しようにも、そもそも電話のある場所まで無事にたどり着けるとも限らない。いや、もしかしたらこのホテルの従業員どころか、近所の人たちすらも助けてくれるとは限らないのだ。自分だったら、あんな所業を行う連中に恨まれるような可能性のあることを何1つしたくはないし、よそ者ならば無視してしまうだろう。
ふと、部屋の中から物音がしたことに気がついた。自分の客室よりも広い室内はさらに奥にもう1部屋あるようで、そこから音がした。もしかしたら誰かいるのかもしれない、もしかしたら助けてくれるかもしれない……そんな一抹の希望抱きながら、奥の部屋へとゆっくりと向かう。
室内の物音の正体はテレビの音だった。テレビの光が夜目には眩しく、思わず目を細める。そしてある程度光に慣れたその時、ゆっくりと周囲を見回した。
女の子が2人、ベットに体を預けるように座りながら眠っていた。
開け放たれた窓によって息が白く凍えるほどの寒さの中、薄手の青と白のワンピースに身を包んだ2人の周囲には静謐な時間が流れていた。陶磁器のような白く細い手足は青い月の光を反射し、絹のように艶やかな髪はカラスの濡れ羽色に輝いている。わずかに膨らみかけた胸元、その上にある鎖骨の小さなホクロが、彼女たちの透明な存在感をより際立たせた。触れれば崩れ落ちそうなほど華奢な腕から伸びる小さな手は、お互いを決して離さないようにと、指を絡ませあっていた。
ワンピースの裾からスラリと伸びる太ももと、未発達なふくらはぎ、そして時折吹き込むそよ風ですら吹き飛びそうな細い足首が蠱惑的に視線を誘う。窓から差し込む月の青い光が部屋の中の埃を反射し、まるで2人を祝福するかのように輝いていている。
ぷっくりと膨らんだ唇には紅が塗られて青白い世界に存在感を放つ。まるでこの世の苦しみから全て解放されたように、あるいは大好きな相手と共にいる安堵のように、赤子が母親に抱かれているかのように笑みを浮かべながら、静かに、静かに眠っていた。
彼女たちのコメカミには細い針が刺さり、流れ落ちる血がその白い頬をわずかに朱に染める。白と青が支配する中で、唇とコメカミから流れる朱色が彼女たちの生きた証を表すかのようだった。
僕は動くことができなかった。
今の状況も、時間もただただ忘れて、あまりにも美しい姿を目に焼き付けることしかできなかった。
「瞬間が、永遠に刻まれたな」
その言葉が鼓膜を刺激した瞬間、意識を失った。
目覚めると、自分の客室のベッドで横になっていた。
陽はすっかりと高くなっており、携帯を見ると、すでにチェックアウトしなければいけない時間を過ぎていた。普通のホテルであれば電話連絡が来るはずだが、客室内には電話が置かれていないことに今さら気がついた。
昨日の出来事はなんだったのだろうか。荷物をまとめて廊下に出ると、すでに他の客室は扉が開いており、清掃作業に入っているようだった。用具室を恐る恐ると覗いてみたが、洗濯機や清掃用具が置かれているだけで何一つ変わったところはなかった。もしかしたら、昨日のことは悪い夢だったのではないか……そんな思いすら頭をよぎる。
受付にいた老婆はチェックアウトを遅れたことを責めることも、追加料金も取ることもなく、ほとんど事務的な言葉しか交わさなかった。
商店街に足を踏み入れると、中央のボロステージの上では昨日とは違う少女が2人、笑顔で歌って踊っていた。まだ慣れていないのか、ステップを間違えたりリズムが狂っていたりしていたが、昨日の2人よりも見所はあるように思える。ステージの前にあった長椅子には20人ほどの人が応援しており、路上に置かれたバーベキューセットを前に、多くの人が肉を焼いていた。店からは火事かと思うくらいに窓や入り口から煙が立ち上り、相当賑わっている様子だった。
焼肉屋の親父が店から顔を出した。こちらに気がつくと、ゆっくりと手を振りながら近づいてきた。
「おお、また来たのか坊主!」
坊主と呼ばれるような年齢でもなければ、そこまで仲がいいわけでもないのに馴れ馴れしい親父だ。一度ボクの背中をバシンと叩く。やはり馬鹿みたいに力が強くて、背中の骨が折れるかと思った。
「あれが新しい女の子たちだ。どうだ、いいとこいきそうだろう?」
そうはいっても、ボクの目には田舎町のご当地アイドル以上の存在には見えず、歌も下手でルックスも……まあ、クラスに1人はいる可愛い女の子を超えない。だけれど、この親父はすっかり目を柔和にさせて、そのエプロンには”ミュー♡スター”と書かれた団扇まで刺さっている。そういえば、店の前のポスターも張り替えられていた。仕事が早いことだ。
「そうだ、お前肉を食べに来たんだろ? どうだ、一杯やっていくか?」
外で焼くおじさんたちの前に盛り付けられた肉を指差した。繊細なサシの入った肉は赤々と輝いており、ロースターの上でじっくりと焼き色をつけられている。時折そこかしこでロースターから真っ赤な炎が上がっており、その度にお客さんからは驚愕と笑いの声が響いた。
あれほど望んでいた肉なのに、不思議と食べたいとは思わなかった。むしろ、ニコニコと笑いながらロースターを囲む姿に嫌悪感すら覚えた。
「……いや、もう帰るんでいいですよ」
そう告げると親父はふっとどこか安心したように一息ついた。
「……あんたが、2人をバラしたのか?」
少し意地の悪い思いを込めながらそう尋ねると、親父はう〜ん……と口を歪ませながら頭を掻きながら答えた。
「美味そうに喰うだろう、あいつら」
ボクの人生と、親父の人生のと。
そして彼女たちの輝きと、それを文字通り食い物にするおっさんたち。
それを比べたら確かに彼女たちの生が1番美しいのかもしれない。
そうですか、とだけ答えて、ボクは商店街を後にする。後ろでは女の子たちが笑顔を振りまき、おっさんたちがゲラゲラと笑い声をあげていた。その狂乱はいつまで続くのか、ボクはもう興味をなくしていた。バイクにまたがり、町を出ようとエンジンを吹かしたその時、親父はボクに向かって大きな声を張り上げた
「昨日は、いい満月だったな!」
ボクは、振り返らなかった。
その後、この町の話を聞くことはなかった。
了