小さい頃に亡くなった父が僕に遺してくれたのは、映画のソフトが詰まった背が高い棚だけだった。
父は自分が死ぬということを予想もしていなかったに違いない。僕が4歳の誕生日を迎える日に走って帰っている最中に、老朽化した高架下を通っていると上からコンクリートブロックが落下し、それが運悪く頭に直撃してそのまま亡くなってしまった。
その一報が家に飛び込んできた時のことはよく覚えていて、目の前に置かれていたケーキと誕生日を祝うハンバーグやエビフライなどのいかにも子供が好きそうな食べ物が並ぶ食卓と、母の絶句した表情と祖父母の狼狽する様を僕はじっと見つめていた。その時、考えていたことはこの状況に対する戸惑いでも、これからの生活に対する不安でもなく、目の前の食卓に好物の塩辛がないことと、プレゼントが早く欲しいな、ということだけだった。
まだ、死を理解するにも幼すぎたのだ。
買ったばかりの家のローンもすぐに完済してしまい、保険金が降りて、さらに慰謝料もあってかなりの金額が入ってきても、母も祖父母も生活は特に変わらなかった。贅沢することもなく、そのお金を少しずつ使いながら僕を育てていき、ある程度の年齢になったら母は外に働きに手始めた。
祖父母も地元で商売をやっていたこともあって、こちらに来ることはできても一緒に暮らすことは難しい人だったので、母が自分の面倒を見られない時は一人で家にいる必要があった。元々一人っ子ということもあったのだろう、一人遊びに何の抵抗もなかった僕は、ある日必然的に父の遺した映画の棚に目をつけた。
とは言っても、その時は体も小さくて棚の手に届く範囲なんてほんの少し、下段しかなかった。そこには、機関車トーマスや働く車、アンパンマンやドラえもんなどの幼児教育ビデオだったり、アニメが並んでいた。
子供の頃というのは不思議なもので、同じものを何度も観て楽しめるものだ。当時は何が面白かったのかわからないが、とにかく擦り切れそうなほど何度も何度も繰り返してビデオを再生していた。この時期はちょうどビデオとDVDが切り替わり始めたくらいの頃で、父の棚にもビデオもDVDも両方共に並んでいたし、そのどちらの再生機も家に置いてあったのだ。
今にして思い返すと、子供向けの作品はビデオが多かったことから、おそらく会社の同僚などからいらなくなったソフトをもらっていたのだろう。だから、戦隊モノや仮面ライダーにしてもその当時流行っていた作品よりも2、3世代は古いものが並んでいたことに若干の不満も抱えながらも、見始めたらカラッと忘れてお構いなしにずっとビデオを見ていた。
僕はいつの間にかテレビのつけ方とビデオの再生方法、巻き戻し方、そしてそのコードの配線までも覚えてしまっていた。
今にして思い返すと、父の映画の棚に収められた作品の数は膨大なものだった。一般家庭であれば映画のソフトなんて……おそらく30から50もあれば多い方なのではないか? この当時でもレンタルショップはあったし、わざわざ購入するほど好きな作品なんてそこまで多くはないだろう。
しかし父の大きな背の高い棚にはびっしりとソフトが並んでいた。その並び方も不規則で、あいうえお順でも年代順でもなかった。白雪姫の隣にライオンキングが置かれており、さらにその隣にはパンダコパンダ、ゴジラVSスペースゴジラ、長靴を履いた猫、トイストーリーが並んでいた。そして初代ゴジラは棚のずっと上の方にあり、一時期ゴジラ少年だった僕は手が届かなくて歯がゆい思いをしたことがある。
母はそんな僕を見て、目が悪くなるからあんまり観るんじゃないよと、あまり快くは思っていなかったようだが、しかし背に腹は変えられない場合はおとなしくさせるために渋々認めていたような状況だった。毎月魅力的なタイトルがでるゲームだったり、新作おもちゃを欲しがらないだけ、経済的だと思ったのかもしれない。
ただ、そんな母だから上段の作品を取って! とお願いしても『ダメ!』と断れるのが常だった。自分で手が届かないものは自分で片付けられないと、母は手を貸すつもりはなかった。仕方なく、僕は自分の手の届く範囲で映画を鑑賞することにした。出しっ放しにした日には容赦なく捨てていくような母でもあったので、何度抗議したものか覚えていないほどだ。
それでも捨てたはずのソフトがいつの間にか棚の中に戻っているから、さすがに父の遺品を捨てるのは忍びなくて、一時だけ隠しておいてほとぼりが冷めたら元の場所に戻していたのだろう。その影響もあってか、映画のソフトだけはある程度片付ける子供ではあった。
成長するにつれて、観る映画も変わっていった。
覚えている中で1番最初に観た実写映画は……おそらくジュラシック・パークだった。棚の下段は大体見終えて、頑張って背伸びをして手を出したのがこの作品だった。
もちろん、すごく面白かったし、同時に怖かった。ゴジラ少年だった身には登場する恐竜たちにも馴染みがあり、同時に憧れの存在だった。それが映画の中でリアルに躍動する姿に、言いようのないドキドキとワクワクを提供してくれた。
その段にはスピルバーグの作品がいくつか並んでいて、ETやインディ・ジョーンズ 最後の聖戦などがあった。ただ、なぜかジョーズや魔宮の伝説はその1段上の棚に置かれていたのだ。
その頃にはすっかり映画少年となっていた僕は、とにかく手に届く範囲の映画をたくさん観た。バック・トゥ・ザ・フューチャーやホームアローン、スターウォーズ、ベイブと映画の世界の友達がたくさん増えていった。その時の僕には邦画や洋画の区別なんてほとんどないから、これらの作品や邦画でいえばジュブナイルやガメラシリーズ、学校の怪談だって全部スピルバーグが撮っていると思ったものだ。
そしてふと思ったのだ。多分、上の方に行けば行くほど、面白い映画があるのだろう、と。そこで少し成長したこともあり、必死に背伸びをして手に取ったインディ・ジョーンズ魔宮の伝説やジョーズを観たとき、それは確信に変わった。それまでにのドキドキやワクワクとまた違った興奮がそこにあった。ちょっと怖くて、でも引き込まれる……そんな衝撃が僕が襲った。
ではもっと高いところにある作品はどれほど面白いのだろうか? その好奇心からかなり上段にある作品に椅子を持ってきて手を伸ばして鑑賞した。
自転車泥棒は……全く面白くなかった。そもそも白黒の映画だし、何が好きでこの棚に入れているのか、全く理解できなかった。死刑台のエレベーターはちょっとだけ面白かったけれど、求めていたものと違った。他にも波止場や浮雲などを少し観たけれど、何も面白くない。多分、古い作品がからダメなのだろうな、と思って新しそうな戦場のメリークリスマスやシャイニングなども観たが、何も面白くなかった。
それからというもの、しばらくはその段に手を出すのはやめた。
白黒映画でも棚の下段であれば面白い作品はいくつかあって第十七地区収容所やお熱いのがお好き、ライムライトなどはかなり笑った。多分、上段にあるものはつまらないのだろう、と自分の中で納得した。
いつしか友達と遊ぶことが増えて、映画を観る機会は少しは減ったものの、それでも1人の時は暇さえあれば映画を鑑賞していた。そしてそれが母の逆鱗に触れた。学校の宿題もサボるようになり、反抗期を迎えて言うことを聞かなくなった息子に対して映画禁止令が発令され、観ていいのは土曜日と水曜日だけというお達しが降る。
そんなことを言ってもどうせ母はいないのだから、と高をくくって関係なく映画を見ていたら、ある日DVDプレーヤーの電源コードが抜かれていた。どこを探しても見つからず、結局母がコードを自分のカバンの中に入れて持ち運んでいたのだ。そこまでするか! と大いに怒ったのだが、それでも母は曲げなかった。有言実行とばかりに、ずっっと電源コードを持ち去られてしまう。
だが、こちらだってそれで引き下がる訳がない。せっせと貯めたお年玉やらお小遣いで新しいコードを買いに行こうと意気揚々と電気屋に行き、その種類の多さに愕然としてしまった。結局、何を買えばいいのかわからずに一度家に引き返したが、しっかりとプレーヤー型番を調べてお店の人に探してもらい、ケーブルを手に入れて映画を楽しむ日々が再開した。
しかし、そんなある日抵抗が少なくなった僕に訝しんだ母は、トラップを仕掛けていた。DVDのディスクを入れるところに、小さな紙の切れっぱしを置いていたのだ。
そんなゴミに気を留めることなくさっさと捨てて映画を鑑賞した翌日、新しく買った電源コードは持ち去られ、古いコードは真っ二つに切断されてしまった。
そして、いよいよあの日がやってくる。
友達と一緒に映画舘にいくという話になり、Mr.ビーンのカンヌで大迷惑!? を観に行くことになった。その当時、僕たちのグループの間ではビーンが大流行していて、あの子供でも理解できる笑いが話題の中心にいたのだ。
それから時々映画を観に行くようになった。そして崖の上のポニョの予告編であの映画に出会ってしまう。
ダークナイトだ。
どうしても観たくなったのだが、公開日は8月の夏休み真っ只中で、プールに行ったりアイスを買ったりして金欠気味だった。そしてポニョを観たことで、一ヶ月も空けないで母に映画代をせびっても多分却下されるだろう。しかし、あの映画を観てみたいという欲求にはどうしても逆らうことができなかった。
そして、その計画は実行された。
母の財布からお金を抜いたのである。
まだありがたかったことに、子供料金であり小学校に来ていた映画館のおじさんが配ってくれる割引券の中にダークナイトが入っており、千円もあれば観ることができた。飲み物もお菓子も買わなければなんとかなる。2時間半も我慢するのは辛いところもあるが、映画館に一目散に向かった。
映画は面白かった……と、思う。
でも楽しむことができなかった。財布からお金を抜いたことによる罪悪感が勝ち、哀れな姿を晒すジョーカーが僕と被って見えた。そのままあのような男になるのだぞ、とジョーカーに話しかけれられているような気もしてきた。バットマンの悩みが、そのまま僕の悩みと直結し、彼を許すのか、許さないのかという物語がシンクロしてきてしまった。
元々難しい話というのもあったのだろうが、そのモヤモヤとした気持ちを抱えながら家に帰ると、母は「おかえり」と一言告げた。僕はその顔も見ることもなく、一目散に自分の部屋へと駆け込んだ。そしてそのまま眠りについた。
夕飯になり、母が呼びに来る。どうしようかと悩んだけれど、お腹が鳴くことに逆らうことができずにリビングへと向かう。そして母は、ポツリと告げた。
「次の小遣いなしと、宿題を来週中に仕上なさいよ」
うん、と小さくうなづくしかなかった。
だから、今でもダークナイトはちょっと苦手だ。
それから僕の身長はグングンと伸びて、棚にある映画も観ることのできる作品も徐々に増えていった。大脱走でのスティーブ・マックイーンのかっこよさにしびれ、ローマの休日ではオードリー・ヘップバーンの可愛らしさに震えた。8 1/2では意味がわからないと匙を投げ出し、2001年宇宙の旅では頭を疑問符でいっぱいにした。
中学、高校はバトミントン部に入り、練習漬けの日々だった。最初は楽な部活と聞いていたのに、顧問の先生が変わってからは1番辛い部活と呼ばれ、長い練習時間としごきの日々に四苦八苦していた。授業に部活に友達と遊んだりと、映画を観る時間は徐々に減っていったが、それでも暇なときは父の棚をあさっていたものだ。
全ての棚に手が届くようになっても、1番上の棚にある作品だけは観ることができないように、そこだけ引き出しになっていて鍵までかかっている。その鍵がどこにあるのか、自分には皆目検討もつかなかった。
そしてある日、母に呼ばれた。
「あんたにこの鍵を渡しておく」
夕日の差し込むリビングで、あの棚の1番上の引き出しを開けるための鍵をそっと差し出した。それは小さな、まるでおもちゃみたいな鍵だった。多分、ある程度以上の年齢になった僕だったら、その気になればすぐに壊すこともできただろうし、こんなにチャチな鍵であれば、工具を使えば簡単に開くだろう。
「母さんは、あの中に何があるか知っているの?」
その言葉に一瞬だけ逡巡すると、母はそっと首を横に振った。
「男と男の約束らしいよ」
それだけポツリと告げて、そのまま読んでいた雑誌へと再び目を落とした。
僕はその鍵をじっと見つめた後、それを母にそっと返した。
パンドラの箱を開けたところで、その奥に残るのは希望である。僕にはこの棚がパンドラの箱だった。
様々な災厄があった。
色々なことを教えてくれた。
時には孤独を癒してくれたし、時には1人の夜に恐怖を植え付けた。トイレに行けなくなり、泣き喚いたこともある。全く意味不明な2時間を過ごさせることもあったし、自分は知らぬ恋に身悶えたこともある。それだけ、多くのことをこの棚にある作品たちは教えてくれた。
だから、最後に残された希望だけはそのまま遺しておきたい。父が、鍵をかけた映画は、知らずにいたい。
それは僕が自分で見つけるものだ。
だからこそ、父はそれを安易に観ることができないように鍵をかけたのだろう。
その鍵を手渡された母は、ポツリとつぶやいた。
「20年前のAVなんて観る気もないか」
中身、知ってんじゃねぇか。
「まあ、何回か鍵がこじ開けられていたこともあるんだけれどね。ご丁寧に鍵をかけ直して、おかげでこの鍵じゃ開かなくなったんだけれど」
さて、今日は何を見ようかな。
終わり
あけましておめでとうございます。
今年の書初めとして、映画をテーマにしたオリジナル小説を1作書き上げました。