物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル長編小説『白泉光』 4/14

オリジナル長編小説 『白泉光』の4回目になります。

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 幸いなことに学校はむしろ以前より近くなり、定期券も使える範囲内だった。半年分買っていたから、まだ三ヶ月は残っているのを心配していたが、杞憂に終わった。若干の問題は家から駅まで多少遠いことだが、それも歩いていけない距離ではないし、その時間を足しても前の家から出る時間とそう変わらない。
 だが、それがわたしにはとても気の重いものだった。
 あの家には居場所がない。
 いや、今まで自宅以外で、母の元以外で居場所などというものがあったためしがない。
 だからこそ帰宅部で学校が終わると一目散に帰り、家事を全てこなし、母が疲れて帰ってくるのをじっと待っていたあの日々が、わたしにとっての一番の安らぎだった。
 ふっくらと炊けたご飯に、特売品や底値で買った食材で作った料理を前にし、仕事に疲れながらもふたりで囲んだ食卓。
 そこ以外にどこに居場所があるのだろう。
 学校へつくと、いつもより早かった。始業二十分前にはついていたが、きょうはまだ八時にもなっていない。まだ誰もいない教室の、廊下側の一番前の席に座る。
 そこが、昔からの指定席だった。
 目が悪いことを理由に一番前の席にしてもらう。窓際だと太陽が当たるが、中学時代に一度、先輩を彼氏に持つ娘が、体育時間で運動神経抜群の彼を見たかったのだろう、いつもずるいと文句をいった後から、わたしは日の当たらない廊下側の席になった。 
 中学時代は冬場になると目の前にストーブが置かれ、暖かいというよりも暑いときもあったが、わたしが我慢すれば他のみんなが暖をとれると、誰も褒めもしない、気がつきもしない苦労をひとりでしていた。それも高校生となった今となってはエアコンが入り、部屋全体が完全に空調管理されており、生徒には設定を変えられない為、寒いときはみんな寒い。
 だからもう、何も我慢する事が無い。
 今はそこが楽な席だ。
 席替えの際、一番前なんてみんな嫌がって誰も文句をいわない。教室の移動のときも、誰もがいないものだとして扱っている。わたしはそう、いつも黙って教科書を見つめるか、じっと教師の話をきくか、図書室で借りた本を読んでいるだけで、学校生活が終わる。
 俳優の話にも、恋愛の話にも、アイドルの話にも、ファッションの話にも、アニメの話についていけない。そういう人間はどうしたって隔離するしかない。
 これはいじめではない。
 ただ無視されているだけ。
 隔離されているだけ。
 やがて八時十分にもなれば、学級委員の女の子がやってくる。誰にでも優しく、分け隔てなく、どのグループにも対応できる社交力の高いまとめ役。そんな子もわたしを一瞥すると、いつも通り何もいわずに自分の席に座り、携帯をいじり始めた。
 続いて男子が入ってきた。バカやっているように見えて、実はあらゆるひとたちを観察していて、誰とでも適切な距離を取り、うまくバランスを取る男子。そいつはこちらを見ることもなく、鞄を置くと隣のクラスへといってしまう。
 やがて次々と生徒が入ってくるが、誰もわたしのことは気にしない。まるで存在しないかのごとく扱っている。
 そして担任が入ってきた。若い、男の担任は母の葬儀でしばらく欠席していたわたしをちらりと見ると、何の言葉もなく出席を取り始めた。
 そう、いつも通りの光景。
 母が死んだ程度では、何も変わらない。



 そんないつもの日常に変化が起きたのは、昼休みも半ばに入ったころだった。いつも通り教室でひとりでお弁当を食べようと思ったが、そのお弁当カバーがあまりにも恥ずかしいものだったので、鞄ごと廊下へと飛び出した。教室から出たのはいいものの、図書室は飲食禁止だし、他の人目につかない場所というと、どこも思いつかなかった。一瞬トイレも頭をよぎったが、さすがにそれはないと思い直すと、うろうろと廊下をうろつき回る。
 歩き回り、食堂の前に立った時、ふと気がついた。カバーが恥ずかしいならば鞄の中で外せばいい。たしかにお弁当箱も若干恥ずかしいものだが、それも蓋に描いてある絵が子供向けなだけで、蓋をひっくり返してしまえば問題ない。そんな簡単なことに気がつくと、ゆっくりと教室に帰ろうとしたが、しかし食堂はすでに混雑時も過ぎてひとはまばらにいるだけ、空席も目立った。
 戻るのも面倒くさくなり、席に着くとお弁当を開ける。中身が偏り、ご飯は片側に圧縮され、暖かいうちに蓋をしたからだろう、水分で蓋はべちゃべちゃなのに、ご飯は固くなっていた。スクランブルエッグは元々がぐちゃぐちゃだから大した違いはないが、それでも汚らしく蓋や側面を汚していた。
 それでも仕方なく食べようと口に入れる。食堂でお弁当を広げるのは教師、生徒を問わずそう珍しくないが、ひとりで食べていると時折視線を感じてしまう。いや、きっと気のせいだろう。誰もがわたしのことを気にしてないし、たぶんいることにも気がついていない。
 やはり昼食もあまり入らない。五分の一ほどを食べ終えるとそっと席を立つ。やはりここは慣れない場所だと、もう二度とこないと思っていたところでふと外に目がいった。
 窓から外を見ると、校門が真っ先に目に入る。外に買い物に行っていた生徒たちが続々と戻ってきたり、教師が校門の外で煙草を吸っている中、颯爽と進む人影があった。真っ黒な女性もののスーツに身を包み、ハイヒールを鳴らしながら、背を伸ばし歩いていく。
 今日子さんだった。
 今日子さんは一度こちらをちらりと見やると、軽く手を挙げて笑う。周囲の生徒は見慣れない明らかに元ヤンな女性に目を向けている。その視線が気になり、軽く頭を下げるとさっさと背を向けて駆け出していく。
 教室につくと、いつも通り机に突っ伏した。
 周囲の喧噪が大きくなればなるほど、わたしの孤独は増す一方だ。


 終業を告げるチャイムが鳴り響くと、一目散にみんなどこかへと駆け出していく。部活動、委員会、アルバイト、帰宅部。どこかしら行くところがある人たち。
 しかし、わたしにはそんなものは一切なかった。
 昔の家に帰ったところで、まだ若干の荷物は置かれているが、そう遠くないうちにあの家にも他の人が入るだろう。もしかした水道や電気はすでに止まっているのかもしれない。
 なにより、そこにはもう誰もいないのだ。
 食事を作り、洗濯物を取り込み、風呂釜を磨き、部屋を掃除したところで、帰るひとは誰もいない。
 もう、わたしには行く場所がないのだ。
 とりあえず席をたつと、何となしに図書室へと足を向ける。しかし、司書の先生が会議中のためだろう、その扉は固く閉められ、誰の侵入も拒んでいた。
 もう、ここにすら居場所はないのか。
 人混みで賑わう廊下を抜け、玄関へと向かう。体操服姿のクラスメートたちがあわてて外へと駆け出していた。肩がぶつかってもこちらを見ることもなく、何事もなかったかのように走り去ってしまう。
 別にいいけど。
 外はすでに家路へつく生徒たちで溢れていた。この中に帰る場所がない生徒がどれほどいるのだろう。
 とりあえず駅まで向かう。
 急な坂道を登る途中、後ろに小さな女の子を乗せたお母さんとすれ違う。手すりに買い物袋をぶら下げながら、ゆっくりと危なくないように下る。後ろの女の子はきゃっきゃと騒ぎながら、足をばたつかせる。その度にバランスを崩しかけ、それを軽く叱るものの女の子の足は止まらない。
 すれ違った後も振り返って親子を眺めてみる。坂を下りきったら、今度はまた登り坂。高校生でも楽ではないこの道を、毎日のように自転車で行くのならばとても大変な道のりだろう。
 やがて女の子は降りたいと駄々をこね始める。だけど、きっと歩き出すとふらふらとしてしまうだろうし、まだこの坂を登れるとは到底思えない。その箸も満足に握れないであろう小さな手が車輪に巻き込まれでもしたら大惨事だ。だからこそ、お母さんは黙って駄々を聞き流し、息を切らせながら登っていく。
 やがて坂を登りきると、ゆっくりとサドルに股がりペダルを漕ぎだした。その横をふたり乗りした高校生の男子たちが猛スピードですれ違う。じろりと睨みつけるお母さんの視線も感じずに、下り坂を滑っていく。
 わたしは再び駅の方面へと振り返り歩を進める。隣を坂を登りきれなかったのだろう、自転車から降りて、何が面白いのかバカみたいに笑いこけながら、ふたりの男子が走り抜けていった

 

 

 

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