物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル長編小説『白泉光』 10/14

オリジナル長編小説 『白泉光』の10回目になります。

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 すっかり木々も色とりどりに染まり、長袖を来ていても少し肌寒い季節になった。こうして縁側に座わるのも、春までは今日でおしまいかもしれない。 

 前のアパートならば目の前が大家さんの家庭菜園だったから、少なからず虫の声もしていたが、この家の周囲のようにいくら小さな庭があるとはいえ、コンクリートで固められた環境では虫も生きてはいけないのだろう。それほど虫が好きなわけでもなく、むしろ家に出ると気持ち悪いと思っていたが、もうあの声を家で聞けないかと思うとそれはそれで感傷的な気持ちになる。
 あの後、景虎から解説されたのは白泉光の歴史だった。
 白井さんが果物の掛け合わせで白泉光を開発し、地域振興も兼ねて周辺農家の協力を経て栽培を始めたのがおよそ二十年前。そこからじわりじわりと出荷数が増え、さらに市場でも認知されて売り上げも伸び始めると、名産物がなかった市が注目してキャンペーンを展開した。今では地域活性化の一環として、それなりの注目度を浴びているらしい。 今では市のゆるキャラも白泉光を基にしされているくらいだ。
 わたしがそのことを知らなかったのは、そもそも住んでいる市が違うことと、市内でも農村部の多い地域と住宅街が多い地域ではその熱が全く違うこともあるだろう。地域に密着した教育を受けている小学生だからこそ知っていることなのかもしれない。
 お風呂からあがった景虎が手に自分で剥いた白泉光を持ちながら縁側に座る。つい十分前に入ったばかりだと思ったが、五分もせずにあがると、食後だというのに小腹が空いたのか一目散に台所へいってむき始めた。さすがは男の子といったところか。カラスの行水、なんていいながら今日子さんがお風呂へ入っていった。
「暁も食べる?」
 切り方が雑だから形もバラバラで、皮もだいぶ残った白泉光をこちらに向ける。この剥き方からして皮には所々に実がどっしりとついているのだろう。もったいないな、と思いつつも、じゃあ、と一つだけ手に取って食べた。
「今日子さんの分も残しておきなよ」
「流しのボールの中に入れといたから大丈夫」
 それは変色防止用のリンゴにやることじゃなかったかな? と思いながらも、悪くなるわけでもないし、そもそも今更どうしようもないのでまあいいかと聞き流した。
 火照った体に冷たく実は美味しいのだろう、次々と口の中に放り込んでいく。わたしが小さな実を貰ってひとつ食べる間に、倍はありそうな大きく切った実をすでに三個食べている。やはり小さくても男の子は恐ろしいもので、すでに食事の量も三人の中の誰よりも食べているし、このままだと女ふたり分の食事量を食べてもお腹空いたという日もそう遠くないのではないだろうか。
 一体この子ひとりの食事にどれだけかかるのか、戦々恐々としている今日子さんの気持ちもよくわかる。
「で、どうするの?」
 うーん、と星の見えない空を眺めながら考える。このまま冬になっても地上の光が強過ぎて星なんてほとんど見えないのだろう。それは前のアパートとほとんど同じだった。
「どうしよっか」
 隠されていた写真、白泉光。住んでいる地域もほとんど同じようなものだし、全ての点が線でつながった。相手の居場所もわかるし、勤務先もわかっている。
 だけど、どうしたらいいのかわからない。
「まあ、多分だけど、あの人がお父さんってことなんだろうね。わたしも何も聞かされてなかったけれど、ここまで状況が揃っていて、認めない程子供じゃないよ」
「じゃあ、会いに行くの?」
 簡単に言う景虎。なぜだろうか、同じことを大家さんに訊かれたらワイドショーみたいで嫌なのに、嫌悪感が一切なかった。うーんと顎に手を当てて考える。
「そんな単純な話でもないんだよね。今更お父さんです、なんていわれても、ああそうですかとしかいえないよ。それにさ、あれだけ必死に隠されたってことは、何かあるんだよ」
「何かって?」
「何かっていったら、何か。一緒に暮らせない理由とか、さ」
 それがわからない程子供じゃないし、その理由もありきたりなものならばいくつか想像できる。
 その理由によってはわたしが出てきたら困ることも。
 だけど、ちょっとばかし心が落ち着いたことも事実だった。
 昔、母が父親について何も語ってくれないことを気にしたことがある。その人がどういう人だったかとか、一緒に暮らせない理由とか、そういうことではない。
 もしかしたら、母はわたしという存在を望んでいなかったのではないだろうか。
 きっとわたしという存在がいなければ、母の人生は大きく変わっていただろう。それこそ他の誰かと幸せな家庭を築けたかもしれないし、バリバリのキャリアウーマンとして働けたかもしれない。
 疲労で事故に遭うなんてこともなかったかもしれない。
 一度も母はわたしをいらない子だなんていわなかったし、疎ましそうに扱われたこともない。嫌いより、好きという言葉を多く投げかけられる人生が幸せなのだとしたら、わたしは十分幸せな娘だった。
 でも、それは本当に?
 そのことを疑う気持ちは、歳をとるにつれて大きくなっていった。知識として望まない子供を授かってしまうこともあると、しかもそれが、場合によっては最悪の状況で生まれてしまうということを知れば知る程、その思いは強くなっていった。
 だけど、あの写真を見てほっとした。
 少なくとも母にとってあの人はとても大切な人だったし、その思い出は忘れたいものではなかったのだろう。
 それがわかっただけでも十分だった。
「景虎はさ、何で今日子さんて呼ぶの?」
 白泉光を食べ終えてもまだ小腹が減ったのか、おつまみとして買ってあったお徳用の柿ピーの小袋を手にしていた景虎に問う。こうやって勝手に食べるとあとで怒られるけど、とりあえずは知らんぷりしておく。
 小袋を開けて中身を一気に口の中に放り込むと、五回くらいしか咀嚼しないで飲み込んでしまう。
「何でって、今日子さんは今日子さんじゃない」
「そうじゃなくて、ほら、お母さんとか、ママとか、呼び方はあるでしょ?」
「うーん……まあ、お母さんとかいうと、今日子さんが怒るってのはあるよね。わたしはあんたの母親じゃないってさ。何だろうね、あれ」
「本当のお母さん会いたいとか思わない?」
 そう言葉がついてから、自分がいかにひどい質問をしているか思い至ったが、もうすでに口にしてしまった言葉を戻す言い方も思いつかず、慌てふためくしかない。
 一つじゃ飽きたらず、二つ目の小袋に手を伸ばした景虎の動きが止まる。やがて、ゆっくりと袋を開けてピーナッツを口に一つ放り込むと、うん、と大きく頷いた。
「本当の、何ていってもどこの誰だかわからないしね。それにね、暁」
 大きく歯を見せるように笑う。
「僕の母親は今日子さん。本物も偽物もいないんだよ」
 そして柿の種を口に放り込んだところで、お風呂からあがったばかりの今日子さんの怒号が響く。やば、と慌てて流しに走り、ご機嫌取りの為の白泉光を用意し始めが、甘い蜜が全て水に流れてしまっていて火に油を注ぐ結果になってしまった。
 わたしの本当の、か。
 その言葉で決心がついた。

「わたしは反対だよ」
 ひとしきり怒鳴った後、ひとつだけ実を口に入れて残りを全て景虎に譲った……というよりは半ば無理矢理食べさせた今日子さんがそっと隣に座ったとき、白井さんに会いたいと告げるとそっと呟いた。
 足の爪を爪切りで切りながら、今日子さんはゆっくりと答える。
「常識で考えてごらんよ。高校生と付き合って、妊娠させて自分だけさっさと逃げる男だよ。しかもそれなりの社会的地位もあって歳も相当上ときた。どこに賛成する要素がある」
 お詫びとばかりに景虎に入れさせた熱い緑茶をすすりながら話す。いつも以上にその表情は険しいのは、楽しみしていた白泉光を食べられたからだ信じたいほどだった。
「でもお話くらいはしておくべきだと思います。その……母とそういう関係だったことは間違いないようですし」
「そういう関係だったからこそこじれることだって沢山ある。今の暁にわからないかもしれないけど」
 そんなことない、と言いたかったが、否定する言葉が見つからなかった。人生経験の差もさることながら、男女の機微など経験のない身には全くわからないことと言われても仕方がない。
「大体ね、それを話したところでどうなるって話でもないでしょ。暁がお父さんに会って、保護者になってもらいたいとか、養育費を貰いたいとかならともかく、そんな気があるわけじゃないでしょ?」
 その通りだ。わたしはお金が欲しいわけでもなければ、お父さんに会ってそちらの子になりたいわけではない。
 じゃあどうして会いに行きたいの?
 自問自答を繰り返すが、明確な答えはまったく浮かばない。強いて言うならばそれは義務感とでもいうのだろうか。母の死を看取り、そして母の思いを知った娘の、我がまま。
 それが正しいことなのか、相手がどう思うかなどはわたしにはわからない。わからないけれど、それでもやらなければいけないことだと思う。
 そう今日子さんに話してみるが、その首を縦に振ることはなかった。
「正直なところ、会って何かをしたいわけではないんです」
「それじゃ、会わない方がいい。向こうの家庭がどうなっているかもわからないし、急に娘が出てきたってどうすればいいのか、普通は戸惑うものさ。仮に暁の存在を知らなかったとしたら余計にね」
「娘だというつもりはありません」
「実際に会ったら気が変わるかもよ。それで突飛な言動で相手を困らせるかもしれない」
 爪を切り終えて縁側の踏み板の上に散った爪を、適当に手で払って地面の上に落とす。
 部屋の中では景虎がちゃぶ台を片つけて、蒲団を敷いている最中だった。乱雑に準備していくものだから、ホコリやプリントが風圧でふわりと飛んでしまう。そんなことはないかのように気にすることもなく、せっかくキレイに折り畳んだシーツをくしゃくしゃに敷いていた。
「そんなに、気に入らないですか?」
「気に入らないね。男の責任を果たさないで逃げて、女に全て押し付けていくようなのを、父親なんて言ってほしくない」
「……景虎のお母さんのことですか?」
 その言葉に今日子さんの手が止まった。言った後に失言だったと気がついたが、その言葉を撤回しようと思った直後には、今日子さんは立ち上がりこちらを振り向くことなく部屋の中に入っていってしまった。
「そろそろ寝るとしようか。もういい時間だ」
 あの、と言葉をかけるがやはり振り返ることはなく、洗面台へと歩き去ってしまった。
 失敗した。
 確かにあまりに否定ばかりされるものだから多少苛立ったところはあるだろう。まだ会ったこともない父親をコケにされることが、間接的に母をこき下ろすような気分になったこともある。
 それでもあの言葉はなかった。
 わたしに言われたくないことがあるように、今日子さんにもそれは当然ある筈だった。景虎に質問して何の支障もなく答えが返ってきたから安心した部分もあるだろう。
 慌ててその後ろ姿を追っていこうと扉に手をかけた瞬間、景虎がわたしのパジャマをぐっと掴んだ。
「今日はもうこれ以上いいよ。もう寝よう」
「でも……」
「とりあえず寝よう。ね?」
 にっこりと笑いかけられる。当然のことながらそれで納得したわけではないが、今の今日子さんにかける言葉が見つかっていないこともまた事実だった。
 確かに今のまま話し合っても平行線なだけかもしれない。
 やがて十分程すると歯を磨き終えた今日子さんが再び入ってきた。そしてこちらを見ても何もいわずに電気に手をかけると、「消すよ」と一言でそっと蛍光灯の紐を引っ張って消す。
 そのままこちらに背をむけたまま蒲団にくるまると、微動だにしなかった。もうこの状態になると朝まで起きないのは知っているので、わたしも横になって眠りについた。
 景虎の小さな寝息が響く。相変わらず寝付きが素晴らしく、電気が消えてからまだ五分もたっていない。悩みがなさそうな寝顔に少しだけ羨ましく思う。
「好きなようにしな」
 そっと今日子さんが一言だけ呟いた。え、とそちらに目を向けるが、一切振り向きもせず、微動だにせずに横になっている。
「……すみません」
「謝ることじゃないよ」
 そう小さな声で返ってきた。