オリジナル長編小説『白泉光』の11回目です。
前回の話はこちら。
ふと、寒気を感じて目が覚めると、横で眠っていたのはこの寒さでも掛け布団を吹き飛ばし、お腹を半分出しながら寝ている景虎の姿だけだった。よだれを垂らしたかわいい寝顔を少し突いてやり、掛け布団をかけ直してあげる。そしてその奥で寝ているはずの布団を見ると、またもぬけの殻となっていた。
今日子さんは縁側でガラスに背中を預けながら、一人でタバコをくゆらせていた。夜にもなるとすっかり外は冷えているにも関わらず、特に上着に何かをはおるでもなく、スウェットにTシャツ姿で外をじっと眺めている。
「おはようございます、今日子さん」
ガラス戸をゆっくりと開けながらそう声をかけると、うん? という声と共にこちらを見やり、ああ、と一言答える。
縁側に腰をかけてガラス戸を閉めると、街頭に照らされた歩道ではイチョウの葉が黄色く色づいていたのが目に入った。銀杏の匂いが少し気になるな、と思っていたけれど、こうやって見ると思いのほか風情を感じて悪くない。目の前に置かれrた花壇にも、何か植えておけば良かったと、ちょっとばかし後悔したくらいだった。
冬が過ぎたら何かを植えよう、食べられるものがいいな、なんて思いながらじっと眺めていると、今日子さんがゆっくりと煙を吐きながら話しかけた。
「まあ、もう行くって決めたんだもんな」
わたしはゆっくりと頷いた。今日子さんの心配はもっともなことだし、何も間違ってはいない。大人の意見としては、そういうものなのだろう。だけれど、わたしにはどうしても……どうしても、あの写真が示すことの意味を知りたかった。
知らなければいけない気がした。
今日子さんは手にした灰皿でタバコを消すと、大きく息を一つ吐いた。そして目を瞑りゆっくりと首を下げると、何か意を決したように、わたしに向き直る。
「暁、あんたに言っておくことがある」
その真っ直ぐに瞳に吸い込まれそうになりながら、今日子さんの語る言葉を受け止めていた。
「あんたの母親が死んだのは、わたしのせいだ」
「あんたの母親が死んだのは、わたしのせいだ。
いや、もちろん、わたしが直接何かしたわけじゃない。だけれど……あんたが今、うちでこうしていること、そしてここまで苦しい生活を強いられてきた原因の1つはわたしにもある。
あんたの母親が学校を退学した原因は、わたしだからだ。
わたしは……わたしたちは、あの子は友達だと思っていたさ。性格も、それから……なんというか、属性も異なるけれど、それでも仲のいい友達だってな。だけれど、あんたの母さんはどこか一線を引いているような気がしていて、だからこそ、どこか気になってしまった……いや、当時はわたしのような不良と関わるのが嫌だったのかな? なんて思ったけれど、多分それだけじゃないんだろうな。
あの娘が最後に学校に登校した時、大喧嘩をしたんだよ……いや、まあ、あの娘は引っ込み思案な性格だからさ、一方的にわたしがなじっただけだったけれど。
『何か言いたいことがあるなら、はっきりと言えよ』ってさ。そんなこと言ったら、あの娘が何も言えなくなるのをわかって、それでも構わずに言った。
こっちとしてはいつも通りの普通の喧嘩のつもりだったけれど、相手はこっちの流儀なんて知らない娘だったからさ、多分すごく怖がっていたと思う。
そんで、次の日には学校を辞めたって聞いたんだよ。
わたしたちには、何も言わないでさ。
ふざけんなって怒ったよ。だけど、実は家すらも知らなかったし、もう勝手にしろって、どうでもいいやってなって、そのまま縁を切ったつもりだった。そん時に気がついたんだ、あいつとわたしたちは友達だと思っていた、だけれど、友達では一切なかったってね。
で、そのまま心のどこかでモヤモヤしたものを抱えながら、高校を卒業してさ。そのまま就職して、実家でのうのうと暮らしていて、景虎を引き取ってさ。気ままに生活していた。
あの日……あんたの母親が死んだって聞いた時さ、本当は文句言ってやろうとか思ってたんだよ。まあ、少しくらい家族の様子を見て、どんな生活を送っているのかって、物見湯山な気持ちすらあった。最低だろ?
だけれど、あの日、親戚のところでポツンといる暁を見た時にさ。
ああ、あれはあの娘を虐めていたわたしじゃないかって。
勝手に友達だと思って、勝手に裏切られたと思って、そんで勝手に怒って、幻想の中のあの娘に八つ当たりをしていた、わたしそのものじゃないかって。そう思ったら、もう行動が先に出ていた。あの娘を守らないと、多分このまま一生を後悔するって、そう感じた。
美琴と……覚えてるか? 樋口美琴。あいつに言われたんだよ。
『あんたの行為は自分ためじゃないか』って。偽善的に、自分が救われるために、その対象としてあの娘の子供を引き取って、育てて、宿罪をしているって。
ぐうの音も出なかったよ。
わたしだってさ、社会に出たからわかるよ。高校も卒業していない、子持ちの女が、社会で生きるのがどれだけ大変かって。
じゃあ、その環境にあの娘を追い詰めた原因は誰だって。
それはわたしなんだよ。
あの日、わたしがもう少し優しく聞いていたら……家を探し出してさ、色々と面倒を見てあげたら、少しはどうにかなったかもしれない。でも、そうはしなかった。ただ無視して、勝手に怒って、それでおしまいにしてしまった。もしかしたら、最後に相談とか、もっと色々と話したいことがあったかもしれない相手に対して当たって……頼るべきものがない人間に冷たくしたかもしれない。
高校を辞めなかったら、もっと楽な人生だったかもしれないのにな。
わたしたちがいたら、少しは苦労しないで済んだかもしれないのにな。
あの娘を、あんたの母親を殺した一因は、わたしにもあるんだよ」
そう言葉を吐き出した今日子さんは、ゆっくりと目を瞑ってまた空を見上げた。わたしはそっちの方へと顔を向けることができなかった。
「あんたには、道がいくつもある。うちにいてもいい、父親に会ってそっちに行ってもいい。なんなら、独立したかったら出て行ってもいい。数年間はわたしが保護者がわりになるし、なんならその男を保護者にしたっていいんだ。好きに……好きに選びなさい」
声が、震えていた。
不思議と……不思議と、今の話はストンと胸に落ちていった。なんで今日子さんがわたしを助けてくれたのか、それが謎だったし、わたしには今の話を聞いても何が今日子さんの罪なのか、まるで理解できなかった。
友達と普通に喧嘩して、死んだ友達に会いに行った。
それは、そんなにおかしなことなのだろうか。
わたしはそっとサンダルに足を通して立ち上がる。
空は少しずつ白み始めていた。
この時間が、たまらなく好きだった。それはきっと、母が名付けてくれた暁という名前に関係があるのだろう。全てが明けていき、新しい1日が始まる。昔はそこに希望なんて見出せんかったけれど、今ならば言える。
「今日子さん」
その言葉に今日子さんがゆっくりと目を開けた。
「あなたの後悔が、わたしを救ってくれました」
そういうと今日子さんは一瞬呆けたような顔をこちらに向けながら、ゆっくりと顔を落としていく。そして少し声を上げて笑ったかと思うと「生意気言うな」とわたしのお尻をペチンと叩いた。