物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル長編小説 『白泉光』 6/14

オリジナル長編小説 『白泉光』の6回目になります。

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 今日子さんは風呂から上がるとすぐに蒲団を引くとごろりと横になった。先ほどまで景虎が読んでいたワンピースはその下敷きなってしまう。だから早く片付けろと言っているのに、一向に直る気配がない。
 その横のちゃぶ台で宿題だろうか、国語のノートを広げる景虎。どんな宿題をしているのだろうと覗き込むと、ひたすら『景虎』の二文字を書き込んでいた。
「何しているの?」
 そう尋ねると顔をあげて答えた。
「これからちゃんと自分の名前を漢字で書けるようにっていう練習。今までは習っていない漢字はひらがなでいいよっていわれていたけど、もう間違えないで書けるようになりなさいって」
 なるほど、それは道理だ。確かに景はともかく虎は小学生で習わないかもしれない。それほど難しい漢字とも思わないが、覚えなければいけないものが沢山ある小学生にとって、名前の漢字一つでも間違えないように覚えるのは大変なのだろう。そういえば、わたしも暁という字を習ったのはいつだろうかと考え込んでしまった。
 景虎が続ける。
「こんなことなら一とか簡単な名前にしてほしかったな」
 そんな適当な、と思いながらふと疑問に思ったことを訊いてみる。
「そういえば、なんで景虎っていうか訊いたことある?」
「じいちゃんが新潟出身なんだって。で、直人も歴史好きだったし、上杉謙信が好きだからだって」
 ……上杉謙信?
「謙信がなんで景虎になるの?」
 そう尋ねると知らないことが信じられないというような表情を浮かべた。あれ、もしかしてこれはそんなに常識的なことなのだろうか?
「上杉謙信の昔の名前が長尾景虎なんだよ」
「へえ、初めて知った。詳しいね」
 そういうと景虎はそっと指をテレビ台の方へと向ける。一体何を指差しているのだろうとじっと見つめると、どうやらその下にボックスに入れて置いてあるゲームソフトの束を差しているようだった。その一番前にあるゲームは信長の野望だった。
「まあ、なんで長尾の方にしたのか知らないけど、大方謙信だとそのまんま過ぎて歴史好きとしたら嫌だったのかな?」
 そういいながら首を捻る。そしてその横で寝たまま一言も話さない今日子さんを見た。
「今日子さんはわかりやすいよね。どうせ今日を生きる、今日子さんでしょ。そのまんまだ」
 けらけらと笑う。ひとの名前で笑うなんて、今日子さんが起きていたら一番怒りそうだが、やはり全く動き出さない。
「暁は?」
 ニコニコと笑いながら当然の流れのようにこちらに話が回ってきた。
「直接聞いたことはないけれど、暁だから、夜明けだね」
 自分で言っていてなんと名前負けしているのだろうかと思う。夜が明ける、明るくなるなんて名前をしながら、自分でも暗い性格しているという自覚もある。
 結局のところ、わたしは母の想いの何一つも叶えられていないのではないかと不安にかられた。
 時間はまだ八時にもなっていないが、そのままゆっくりと寝入ってしまったようで小さな寝息が聞こえ始めた。その姿を見た景虎がふう、とひとつため息をつくと、その体に掛け布団を掛けてあげる。
「きょうはえらい早いご就寝で」
 やれやれとため息を吐く。
「いつもこんなに寝るのが早いの?」
 うーんと少し考え込みながら話す。
「というよりも、昨日が遅かったのもあるかもね。最近色々あったし……じゃあ、暁もお風呂にいってきなよ」
「先に景虎君が入ったら?」
「ボクは洗い物があるから」
 もう洗ってあるよ、という前に台所へと向かう。そして流しに何もないことを確認すると、ゆっくりと戻ってきた。
「何だ、やってくれたんだ」
「まあ、手が空いていたからね」
 やることがひとつなくなり喜ぶかと思ったら、腕を組んでうーんと唸り始める。そして真っ白な紙を取り出してくると、そこに月曜日から日曜日まで書いた。
「暁、これから役割分担を決めよう」
 頭に疑問符が浮かんでいると、ゴミ捨てや掃除、料理といった項目が書かれていく。
「うちは家事分担制だからね。ところで、都合の悪い曜日とかある?」
「いや、別にないけれど……」
 口ごもってしまうのも気にせず表を完成させると、壁から今までの当番表を剥がして持ってきた。
 平日は景虎が若干多めに組み込まれており、仕事のない休日には今日子さんが多く担当している。しかしこの程度ならば全てわたしでも、無理はない。
「わたしが全部やるけれど……」
 そういうと、ひとつため息をつく景虎。そのままこちらを濡れた瞳でじっと見つめると、首を何度も横に振った。
「また朝のやり取りをするかい?」
「でもね、居候の人間が……」
 その言葉を手で制されてしまう。
「いいかい。居候なんて考え方は捨てるんだ。何回もいうようだけど、暁はもうボクたちの家族なんだ。家族ならばその苦労は分担するのが当たり前だろう?」
「でも……」
「それにね」
 ちらりと寝入っている今日子さんに視線を向ける。
「そんなことを勝手に決めてごらん。また機嫌が悪くなる」
「でも当番は勝手に決めるの?」
「仕事があるから曜日をずらすことはしないよ。ただ当番が減るだけだよ。それならば問題ないでしょ」
「なら、今日子さんの当番は全てわたしが……」
「何も分かってない」
 一つ大きくため息を吐き、そのかわいらしい顔をクシャリと歪めて腕を組む。
「それはね、確かに今日子さんの負担を減らすことになるかもしれないよ。だけど、それはのけ者にするのと一緒なんだよ。もちろん今日子さんが仕事だというときは、暁やボクが代わりでやってもいいさ。だけど、始めから全て家事を取り上げることは外れることになる」
 矢継ぎ早に言葉を進める。
「何よりもね、そんなことをしてもらうために君を呼んだわけじゃない。そりゃあ、急に家族なんていわれても違和感はあるかもしれない。だけどね、少しずつ慣れていくしかないんだよ。そうでしょ?」
 弾丸のような言葉になにも言葉を返すことができなかった。
 今までは家事はそこまできっちりと分担して決めていたわけではない。だからこそ母よりは多くこなしていた。だけど、どれほど忙しくても週に一日は食事を作ってくれた、
 それが、家族だから。
 わたしは小さく頷くことしかできなかった。すると景虎も納得したのか、ゆっくりとうなずいてペンを手に紙へと向かう。そしてああでもないといいながらかき込まれていくことになった。
 完成した表にはわたしと景虎の名前が五分の二ずつ、今日子さんは残りという形になった。



 ふと目が覚める。
 今は何時だろうか。外は若干明るくなってきたものの、まだ朝とはいい難い暗さだ。
 あの後、わたしたちはお風呂に入ってすぐに寝た。たぶん十時も過ぎていなかったかもしれない。それだけ早い時間に寝たためだろう、目が覚めたものの二度寝をするほど眠くもない。
 暗闇に目が慣れず、しばらくぼーっと座っている。隣からは小さな寝息がひとつ聞こえる。
 ……ひとつ?
 まだ動き出さない頭を振りながら蒲団をみると、掛け布団をほとんどはだけてお腹を出しながらぐーぐーと涎を若干垂らしながら眠る景虎の姿がある。しかし、その隣で寝ていたはずの今日子さんの蒲団はすでにもぬけの殻になっており畳まれていた。
 トイレだろうかと視線を向けるが、電気がついている様子はない。どこへ行ったのだろうと立ち上がり、ゆっくりと歩き回る。ようやく目が暗闇に慣れてきたのか、おぼろげに視界が開けてきたが、それでも今日子さんの姿はない。
 ふと窓の前に立ってみると、誰かが縁側に座りながらガラスに背中をくっつけている影が目に入った。なんだろうかとおそるおそる近づく。
 今日子さんだった。
 今日子さんは左手に煙草をはさみ、右手の写真を俯きながらじっと見つめていた。煙草の灰は長く、今にも地面にこぼれ落ちてしまいそうな程だった。
 なんの写真だろうと目を凝らすが、まだ周囲がほの暗いのとその体で隠されてしまいよく見ることができない。体を伸ばしすぎてガラスに当たってしまい、コツン、と音が響く。
 その音に振り向き、ゆっくりとこちらに振り向くと、おはようといって手にしていた煙草を携帯灰皿にもみ消し、写真をそっと胸ポケットにしまうと窓をゆっくりと開けていった。
「起きるの早いね。どうした?」
「目が覚めてしまったので……」
 朝のぬるい空気が部屋に入り込む。まだ寒いという程でもないが、家の中から小さないびきが聞こえてきたので、さっさと外に出るとゆっくりとガラスを閉めた。
 縁側に腰掛ける。申し訳程度に作られた小さな庭に息吹く名も知らぬ雑草が静かに揺れていた。空にはぽっかりと半分の月が登っていた。
「さすがに昨日は早く寝すぎたね。目が覚めたはいいものの、これだけ暗いと何もできやしない」
「お疲れだったんですね」
 みたいね、と小さく頷く。
「でも、暁ほどではないだろうけど」
「そんな、わたしなんて疲れるようなことは……」
 手をぶんぶんと横に振る。しかしそんな様子を見ることもなく、その視線は空へと向いていた。
 思わずその月明かりが照らす表情に見入ってしまう。決して若いとはいえないし、整ってはいるものの化粧などで飾り立てられていないその表情には、目の前の庭に咲く名もなき花の美しさと同じものを感じた。
「色々大変だったろう。この十日くらいの間にあまりに多くのことが変わったから」
 そんなことないです、と否定の言葉を口に出そうとするが、言葉が詰まってしまう。そのせいでさぞかし口を半開きにした、間の抜けた顔になっていることだろう。
「無理しないでいいよ。親が亡くなったってだけでも大変なのに、ましてやその若さで、しかも片親が、ときたもんだ。それで大変じゃないなんていわれたら、わたしなんてどれだけ苦労知らずだ」

 そういうと寝癖のついた髪を若干乱暴に撫でまわした。
「暁をみてると、君の母親のことを思い出すよ」
「……母ですか?」
「昨日見た時びっくりしたね。ひとりだけ若いまま時間が止まったのかと思った」
「それは写真をみましたけど、そこまで……」
「姿だけじゃないよ」
 すっと腕を頭の後ろに回し、その胸に抱きしめられる。なんだか恥ずかしくてちょっと体をよじってみるが、全く力が緩められることはなく諦めてしまう。
 起きてからまたお風呂に入ったのだろうか、その胸元からはボディソープの香りが漂う。
 そっと、耳元に息が拭きかかりながら話す。
「きょう、学校で見てびっくりした。昔と全く同じようにひとりで食堂にいるからね。いつだってあの子はひとりで行動して、誰にも頼らずにいた子だから」
「……でも、友達だと……」
「わたしはそう思ってた。でもあの子はどう思ってたんだろうね。結局さ、学校を辞めるときも何も話してくれなかったから。もしかしたら、過干渉してくるうざいクラスメートとして見ていたかも」
 そんなことはない、といおうとして言葉が固まってしまう。たぶん違う、たぶんそんなことは思っていない。そう思いはするものの、たぶん、という文字が消えてくれることはない。
 わたしが生まれて以降、母に友達というものの気配はなかった。ご近所さんや母親仲間との連絡ぐらいはしていたが、ママ友達のひとりもいなかった。
 そう。きっとわたしに母しかいなかったように、母にもわたししかいなかったのだ。
「暁はわたしのことを聞いたことがあるか?」
 若干答えに迷ってから、ゆっくりと首を横に振る。迷った理由が記憶を思い返すためではないことに、罪悪感すら覚えながら。
「……そうだろうな。だからね、暁。ひとつだけ分かって欲しいんだ。わたしはあの子の家族どころか、仲間に、友達にすらなれなかった。だから暁はわたしの家族であって欲しい……頼むよ」
 時折吹き抜ける風が奪っていくほどの囁き声。だけど、抱きしめる手はより強くなっていく。
 わたしはその強さの前に、ただただ頷くことしかできなかった。

 

 

 

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