物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル長編小説『白泉光』 13/14

 オリジナル長編小説『白泉光』の13話目です。

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 子供たちの引率をしながら、バスに揺られて見学先の研究所あるバス停に着いたのは約束の午後三時まであと十五分といったころだった。
 担任の先生に今日の引率ですと頭を下げると、高校生が来るとはきいていなかったのか目を丸くし、少しだけうろたえていた。それでももう時間がないのと、今から大人を誰か呼ぶわけにもいかなく、半ばごり押しのような形で子供たちを連れて出て行った。来る途中に景虎にわたしが来ることを言っていなかったのかと訊いたら、「代わりに就職活動中のお姉ちゃんが来ますといったよ」と答えた。その言葉で大学生を想像したのだろう。確かに企業見学も兼ねてとはいったし、嘘とまではいわないが、どことなく罪悪感を覚えた。
 子供たちはバスの中でもぎゃあぎゃあと騒がしくて、どれほど注意してもいうことをきかない。
 幸いなことに通勤時間とも通学時間とも被らない真っ昼間だからか、他のお客さんはおらず、運転手も黙認している。そんな中で女子は男子の話に文句をいい、男子もそれに反応して小競り合いになる。そんな姿はわたしが子供だったころと何も変わらない。
 研究所といってもその周囲は畑ばかりで民家もぽつぽつとしかなく、延々と土が続いていた。目を凝らせば遠くに道路があり、車が流れているのがわかるが、その道路がなければ地平線すら見えるだろう。バスでいける距離にこれほどの畑があるとは知らなかった。きっと夏には、この畑一杯に何かの野菜や植物が青々とした光景を広げるのだろう。
 景虎にここに来たことがあるかと尋ねたが、さすがにないと答えた。他の子供たちも同じようなもので、遊び場もなければ民家も少ないここに来る用事は全くないようだ。
 バス停から地図とにらめっこしながら歩いていく。始めは時間がギリギリでもしかしたら遅刻してしまうのではと焦ったが、この畑にそれらしい建物は一つしかなく、迷う方が難しい。
 広い敷地の中にある事務所の前まで来ると、わたしたちが来るのを待ち構えていたのだろう、守衛のおじさんがニコニコとしながらこちらに顔を向けた。子供の中のひとりが代表して小学校から来ました、といって名簿に名前を書くと、守衛所の中にいたおばさんが出てきて小さな会議室に案内をしてくれた。
「普段は見学者なんて来ないから、こんな狭苦しい場所に通してごめんね」
 そういいながらお茶のペットボトルをひとりひとりに手渡して、部屋を出て行った。
 子供たちはここに来るまでの喧噪とは打って変わって大人しいもので、守衛所から会議室までほとんど口をきかずにきょろきょろと周囲を見渡していた。お行儀がいいのはきっと学校で先生からしこたま注意され、練習させられてきたのだろう。ただ景虎だけは緊張から来るものではなく、先ほどからじっと質問事項を書いた紙を穴があく程見つめていた。
 やがてドアが開くと、子供たちが一斉にそちらへ向いた。
「今日はよく来てくれました。皆さんの案内をする白井です」
 紺のスーツの上から白衣に身を包んだ、あの写真通りの白井さんと、先ほどのおばさんが姿を現した。写真にあった切れ長の目は眼鏡で若干柔和になっているものの、その180はありそうな高い身長でこちらを圧倒する。その白髪まじりの髪も相まって、威厳を感じさせた。
 白井さんはなんとか怖がれないように口角をあげて笑顔を作ろうとするが、その大げさな笑顔が獲物を見つけた肉食獣のようにも見えて余計に震えさせるだけのように思えた。
「そんなに固くならなくていいのよ、このおじさんね、ぶっきらぼうで怖く見えるけど、皆を食べたりはしないから」
 ケラケラとおばさんは笑うが、それが場の空気を和ませる結果にはなっていない。子供たちはどうすればいいのかわからず、より固まってしまっているように見える。
 その中でも景虎はさっと立ち上がると、よろしくお願いします、と頭を一度下げた。それに続くように他の子供たちも一斉に頭を下げると、白井さんも「よろしくおねがいします」と頭を下げた。
「本日はこちらのお願いに応えていただきまして、ありがとうございます」
 わたしがそういいながらひとつ頭を下げると、改めてこちらに向き直り、こちらこそと返す。
 白井さんはその言葉でわたしの存在にはじめて気がついたように視線をこちらに向けた。すると、それまではなんとか能面のように無理矢理はりつけた笑顔を保ち続けていたが、その面が落ち、一瞬凍り付いた。
「どうかなさいましたか?」
 そう尋ねると我に帰ったように、ああ、と呟く。
「いや、何でもないよ。高校生が来るとは聞いていなかったから、ちょっと驚いただけで」
「ああ、そうですね。保護者さんが来られると聞いていたけれど、まさか高校生なんて……」
 ちょっと母が急な仕事で来れなくなりまして……と適当な嘘を吐いてごまかす。多分、学校を通して生徒が何人と今日子さんが行く、という連絡はあったのだろうが、それを無視するように嘘をついた誰かさんのせいだと、こころの奥底で呪ってやった。
「まあ、高校生でも構いませんよ。さて、じゃあ皆さん席に着いて下さい。今資料をお渡ししますね」
 生徒たちと白井さんが向かい合うように座り、パンフレットなどを机の上に並べて企業見学は始まった。
 その説明の間中、わたしはじっと白井さんを見つめていたが、彼がその視線に気がついてこちらを見ることは、一切なかった。



 企業見学と質疑応答は何事もなく進んでいく。
 始めに畑を案内してもらいながら、どういう実験をしているか説明してもらう。当然見たことも、使い方の憶測すらできないような機器やら何やらを見せられて、わたしですらも目を丸くしそうなほどだった。
 子供たちはいかにも科学映画に出てくるような機器に目を光らせ、ひとつひとつ使い方や用途などを質問していった。その質問に時に真剣に、時に笑いや茶々を入れながら答えていく。
 白井さんの話はだいぶ噛み砕いているのだろうが、そこはやはり専門家らしく所々に専門用語が出てきて難しいところを、一緒に回っていたおばさんがより噛み砕いて説明してくれた。特に研究に関する部分は専門用語の羅列みたいなものだから、噛み砕いて説明してもらってもわからないところが多々あるのは仕方ないだろう。高校生の私にも理解できないところが所々あるのだ、小学生たちにどれほど理解できたのかは疑問が残る。
 それでも小学生たちは自分たちの方法でこの研究を理解しようとしていることが感じられた。技術的なことを訊いてもわかるわけがないが、苦労した点や白泉光の名前の由来など、わかりやすいエピソードに迫ることで、少しでもわかりやすい話に落とし込むことに必死になっていた。
 その熱意に押されたのか、どんなに下らないような、基本的なことと思える質問であっても、ひとつひとつ丁寧に答えていく。
 一時間ほど畑の周囲を回って事務所の近くに戻ると、小さな花壇があった。これほど緑に囲まれているが、たしかに事務所のある敷地の中は木々一つなく殺風景なもので、申し訳程度に作られたものだった。
 生徒たちがじっとお話を聞いている間、わたしはなんとなくこの花壇を見つめていた。時期によるものなのか、手入れをするひとがいないのか、花壇には花などは植えられておらず、背丈が低い雑草がたくさん生えていた。
 わたしがじっとその花壇を見ていることに気がついたのだろう、白井さんはこちらにゆっくりと近づいてくる。
「畑と併設されているとはいえ、事務所周辺はどうしても殺風景になりがちでね。それなら、花でも植えようかってことで小さいけど花壇が作られたんだよ。畑は職場みたいなものだから癒しにはならないしね」
「何も植えられてないんですね」
「結局面倒を見るひとがいないんだよ。作ったはいいものの、誰がどうやって使っていくのか話し合っているうちに月日ばかりが過ぎていって、結局この有様」
 わたしたちの会話を聞きつけてきたのだろう、子供たちが次々と寄ってきて何もない花壇を見つめる。
 やがてひとりの女の子が意を決したように緊張しながら、白井さんに話しかけた。
「ここには何も生えないんですか?」
 その言葉にあわてて精一杯の、だけど能面のような笑顔を貼付けて答える。
「そうだね……ここにはタンポポとか、シロツメクサとか、そういったような雑草しか咲かないかな。誰かが植えているわけでもないのに、強い花だよね」
「シロツメクサ?
「クローバーだよ。ほら、皆も四葉のクローバーとか探すだろう? あのクローバーの葉っぱはシロツメクサって花の葉っぱなんだ」
 ああ、あの花冠にするやつだ、と女の子が大きな声をあげる。今日ここにきてはじめての自然な声と、話が通じたことが嬉しかったのだろう、面が外れて柔和な顔立ちになった。
 こほん、と大きくひとつ咳払いをして、いいことをおしえてあげようと全員に話しかける。
「いいかい君たち、四葉のクローバーを探す時に三つ葉のクローバーを踏みつけちゃいけないよ。幸せはそんな風に探すものじゃないんだ」
 おお、と子供たちから歓声が上がる。
「まあ、受け売りなんだけどね」
 なんだ、という声も上がる中、子供たちは自然な笑顔を浮かべていた。それにつられるように、笑顔がだんだん柔らかくなっていく。そんな顔の白井さんははじめて見た、と案内のおばちゃんにまで茶々を入れられる始末だ。それでも悪い気はしないのだろう、部下にはナイショにしてね、というとまた子供たちから笑い声が上がった。
 そのまま会議室に戻ると、部屋には切った白泉光の実が切られて置いてあった。子供たちは歓声をあげながら、逃げもしないのに我先にとそのおやつに齧りつく。
 わたしの席にももちろん置いてあり、一口齧ってみる。白泉光を開発した事務所で出されているからといって市販のものと味が違う筈もなく、食べ慣れたいつもの甘みが口の中一杯に広がった。
「美味しいかい?」
 戻ってきたおばさんがそう尋ねると、子供たちは口々に美味しいと答える。中には果汁垂れて服を濡らしている子もいるくらいだ。
 やがて戻ってきた白井さんは少し煙草の匂いを漂わせていた。それに気がついたのだろう、おばさんは少し怪訝な顔を浮かべたが、それに気がついていないのか、そういうふりなのか、しらばっくれるような態度を取った。
 やがて企業見学も終わり、そのまま正門まで見送りに来てくれる。今日はありがとうございました、と景虎が頭を下げると、他の全員も頭を下げた。
 しかし、頭をあげた景虎はわたしのほうをじっとみつめると、口元だけでいいの? と呟いた。
 いわれなくてもわかっている。
 そして、わたしにはもう決心がついていた。
「あの……すみません」
 すっかり終わったと思ったのだろう、わたしの顔を見つめながら首を傾げる白井さん。
 鞄の中に手を入れて写真立てを探し、そこから一枚写真を取り出すと、そっと差し出した。
 初めは訝しげに受け取っていたが、その写真に写っているものを見て、目を丸くしている。
「……これは……?」
 心無しか声が震えながら言葉を返す。そこに、私は一度目を閉じて軽く深呼吸をすると、そっと呟いた。
「その人は私の叔母です」