物語る亀

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物語愛好者の雑文

オリジナル長編小説『白泉光』 3/14

 

オリジナル長編小説 『白泉光』の3回目になります。

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 朝。
 太陽の光が差し込み、目を開く。見たこと無い染みのついた木目の古い天井が視界に飛び込み、一瞬まだ夢の中にいるのかとおもった。
 起き上がり周囲を見渡すと三つ並んだ蒲団のひとつはすでにもぬけの殻になっており、すでに掛け蒲団は折り畳まれている。
 隣で眠る今日子さんは大口を開けていびきをかいていた。掛け蒲団が半分めくれており、子供を産んだとは思えないほど綺麗なくびれと、おへそがおはようと挨拶する。
 台所から味噌の香りが漂ってくる。流し台から聞こえる、包丁で何かを切る音。
 起き抜けに台所へと足を向けると、青い水玉のパジャマの上から小さなエプロンをつけた景虎が、踏み台の上に乗り多少ぎこちないながらも、ゆっくりとネギを切っている。
「おはよう」
 包丁を置いた瞬間を見計らって、後ろから話しかける。ゆっくりと振り返ると、売れてないビジュアル系のような寝癖をつけ、朝から眠気の抜けない眼で若干目元がとろんとしながらも、毒っけの全くない笑顔を浮かべて「おはよう」と返す。
「……朝食は景虎くんが作ってるの?」
「毎日ってわけではないよ。うちは当番制なんだ。昨日の夜と今日の朝はボク、今日の夜と明日の朝は今日子さん。もちろん、その次は暁になるね」
 台所に向き直り、包丁を再び手に取る。ころころとざく切りにしたネギを、大雑把に鍋に入れていく。跳ねたお湯が周囲に飛び散るが、気にした様子はなく、炊飯ジャーを確認しにいく。
「暁は昼、お弁当? 給食?」
 目元はとろんとしているのにも関わらず、てきぱきと動く姿に気を取られて、思わずその言葉を聞き逃した。
「暁」
「あ、はい」
「昼はお弁当なの? 給食なの? あ、高校は学食なんだっけ」
「うちは学食もあるけど、わたしはいつもお弁当」
 そうか、と納得して、食器棚からお弁当箱をふたつ用意する。男性が使うような四角く、真っ白なものと、ひよこが描かれており、小さなお弁当箱が二段重ねになっているものだ。
 白いお弁当にしきりをつけて、白米を敷き詰めていく。ぎゅっと固めた後、敷き詰めていない方にスクランブルエッグを無造作に詰めていく。白と黄色が七対三であまり綺麗とはいえないコントラストをしていた。
「今日はさすがに暁専用のお弁当箱は用意していないから、ボクので我慢してもらっていい? ボクが使うにも子供っぽいから、暁は余計に嫌だろうけれど」
 そういいながら一段目にご飯を詰めていく。これでもか、というほど詰め込んだ後、しっかりと蓋をして二段目に同じようにスクランブルエッグを詰めていく。そちらの段も目一杯詰め込んで、蓋をする。
 ケロケロケロッピが印刷されたゴムバンドで括ると、プロレスラーだろうか、上半身裸の男が印刷された袋に入れて、はい、と手渡す。その手渡し方も紐を握りしめて渡すので、中身のお弁当箱が早くもひっくり返ってしまった。
 その様子に呆然としている最中も、無理矢理手に紐をかけられると、再び台所に戻った。
 お弁当箱から溢れていないことを袋の口を開けて確認し、仕方なしに通学カバンの中に突っ込んだ。
 その物音で目が覚めたのだろうか、のそりのそりと蒲団が起き上がり、髪の毛を寝癖でパンクバンドのように爆発させた今日子さんが、うーうーと唸りながら起き上がった。
「すみません、起こしましたか」
 その言葉に手で答えると、目元をこすりしばらく頭を揺らして舟を漕ぐ。
「おはよう今日子さん」
 台所から現れた景虎は笑いながら挨拶を交わす。
「気にすることないよ。今日子さんを目覚めさせるには、それこそシャイニングウィザードでも食らわさないと」
「……そんなことしたら痛いよ」
「またまた。今日子さんなら武藤どころか、ホーガンにだって勝てるさ。保証する」
 そういいながら掛け蒲団を手際よく畳み、片付ける。まだぼーっと頭を掻いている今日子さんの手を引いて蒲団から下ろすと、シーツをひっぺがして蒲団を全てタンスの中へと畳み、ちゃぶ台を持ってくる。
 ちゃぶ台を置くと、その上に次々と料理や食器が並んでいく。その手際の良さに思わず目を丸くしていると、景虎は最後にこんもりとご飯を盛った茶碗を置いて座り、テレビをつけた。
「さあ、食べようか。暁も早く座って。ほら、今日子さんも」
 促されるままにちゃぶ台の前に座る。しかし、今日子さんはその言葉を半ば無視すると、そそくさと流しへと行く。水のながれる音が響く。
 景虎は肩をすくめると、先に食べようと両手を合わせた。
「目覚めるまで時間がかかるからね。気にしないで先に食べないと、こっちが遅刻しちゃう」

「目覚めるまで時間がかかるからね。気にしないで先に食べないと、こっちが遅刻しちゃう」
 手を合わせて小さくいただきます、と呟くと、小さな指で交差させるように箸を掴み、ご飯を口へと運んでいく。景虎のせかせかと食べる姿を、お米は逃げないよ、と母なら笑っていうだろうか。
 ふと視線をテレビへと向けた。この年頃ならばおはスタか、もしくは比較的軽いニュースでも見るのかなと思ったが、意外と回したチャンネルはNHKだった。
 ニュースは昨日起きた政治家の失言問題を扱っていた。景虎はとろんとした瞳でガマガエルのような顔の大物政治家をじっと見つめているが、やがて興味をなくしたかのようにご飯を大口に掻き込んだ。この政治家もマスコミや有権者の大人の視線は気にしても、景虎のような子供がどんな風に自分を見ているか、気にしたことはないのだろうか。
 そっと箸を取り一口ご飯を口に入れたところで、ニュースは女性アシスタントを交えて次の話題に移った。
 その時、ああ、そうだと景虎はランドセルに手を突っ込んで一枚のプリントを取り出す。
「前も言ったと思うけれど今日子さん、これよろしくね」
 そう言われて渡されたプリントに目を通し、はいよ、と呟くとそれを他の紙が積まれた束の一番上に置いた。
 箸を取り、一口ご飯を食べる。いつもよりも硬いご飯。
 やがてそれを二口、三口食べた時点でゆっくりと箸を置く。
「もういいの?」
 口にご飯をいっぱいにほおばり、まるでリスのように頬を膨らませながら口を開ける。大人っぽいとは思っていたが、やはりまだまだマナーは子供だ。
「お腹いっぱいなの」
 にっこりと笑いながら返すと、景虎はゆっくりと壁の方へ振り返り、一枚の紙を指差した。ゴミ捨て、朝食、夕食、お風呂掃除、洗濯等々、そこには一週間の家事が表で書かれている。昨夜と今朝の食事当番は景虎、洗濯やゴミ捨ては今日子さんになっている。
「食べといた方がいいよ。今日の朝までは食事当番はボクだけど、夜からは今日子さんになる。そして明日のお昼のお弁当まで今日子さんだ。今ここで食べておかないと、思わぬ外れを引く可能性がある」
「……それって、今日子さんは料理が下手ってこと?」
「いや、単純に下手というわけじゃないんだ。ただ、何というんだろうか、今日子さんってあの通りのひとだから……」
「何、ひとの悪口をいってんのさ」
 景虎の頭を軽く叩き、どかっと座るとあぐらを組む。
「ほら、しっかり食べな」
 今日子さんは箸を持つと、ご飯をかっこむ。そしてこちらに視線を向けると、じっと見つめられてしまった。仕方なく箸を持ち一口口に運ぶが、しかし飲み込むことができない。
 ゆっくりと立ち上がるとティッシュに包んで生ゴミの中に捨てた。
「……ごめんなさい」
 それを一瞥するものの、何もいうことなく米を口に入れる。
「景虎、ちょっと固いんじゃないの?」
「今日子さんよりはましでしょ?」
 そういいながらこちらを全く気にすることもないように、茶碗を手にご飯をかっ込む。それにつられたのか、今日子さんも同じようにかっ込んだ。こうしてふたりが同じような姿でいると、身長こそ違うものの、合わせ鏡のようにそっくりに見えて思わず笑みが浮かぶ。量こそ違うもののご飯をこぼしているところまでそっくりだ。
「あの、今日子さん」
 おもむろに話しかけると、茶碗をゆっくりと置きながら、こちらを横目で見る。目つきが悪いからだろう、若干睨みつけているように見える視線に怯みながらも、ひとつ大きく息を吐くと、意を決して話しかけた。
「これから家事はわたしがやります」
 そういうとじっと見つめ返すが、じっと睨みつけるような視線には勝てずに目をそらしてしまう。それでも今日子さんは視線を逸らすことはなく、じっとその鷹のような孤高で鋭い視線をじっとぶつける。
 やがて先ほどよりも箸や食器をガチガチとぶつけ、大きな音を立てながら朝食を食べ終えると、次にわたしが残したご飯に手を付け、本当に噛んでいるのだろうかと疑ってしまいそうな早さで食べ尽くして、御馳走さま、と手を合わせた。
 そっと空いた皿に手を伸ばし片付けようとすると、その手を払いのけ、自分でお皿をひとまとめにして台所へと運んでいってしまった。せめて洗い物だけでもしようかとその後をくっついていくと、シンクに水を張りフライパンなどと一緒に浸け置き、適当に洗剤を流すとざばざばとかき混ぜると、手を台拭きで拭き、そのまま立ち去ってしまったので、洗おうと手を伸ばすと、「それは景虎の仕事だよ」と静かな、それでいて有無を言わせぬ声でいわれた。
 その後ろから食器類をまとめて手にした景虎がシンクに浸けると、踏み台に乗りながら洗い始めた。手伝おうとスポンジを探すが、見渡してもひとつしかない。
「きょうの当番はボクだからね。大丈夫、ゆっくりしてていいよ」
「でも……」
「今日子さんの機嫌がこれ以上悪くなる前にできれば退散して欲しいな。大丈夫、きょうは時間も余裕あるし、それよりも早く着替えて学校いく準備した方がいいんじゃない? この家からは初めての登校だから、余裕をもって出た方がいい」
 そういわれてこちらを振り向く。顔には笑顔が浮かんでいたが、それが意味することはすぐに察知できた。
 明確な拒絶。
 あの今日子さんの鷹のような視線と同じだ。確かに攻撃力は違う。今日子さんが鷹なら、景虎のそれはフクロウだ。愛らしい、ふくよかな体をふわりと膨らませながらも、一度獲物を見つけると一気に狩る。
 ああ、そうか。
 やはりわたしはよそ者なのだ。
 オムライスの味どころか、ご飯の固さひとつ違う。せっかく与えられた食事をすぐに吐いてしまう。体が受け付けない。そんな姿を見せつけられて、気分のいい人間なんてどこにもいないだろう。
 そんな人間に、洗い物といえども台所には立って欲しくないと思うのも当然のことだ。
 そっと台所から離れると、小さな三畳ほどの部屋へと入る。普段はタンスなどが置かれ、物置のように扱われていたのだろう。さすがにきのうのきょうでわたしの荷物が整理できるはずもなく、制服や教科書などはその部屋に置かれていた。教科書を鞄に詰め、制服へと着替える。
 部屋から出ると、コタツの上に置かれた弁当箱が目に入った。今日子さんは洗面所にいっているらしく、部屋には誰もいない。すでに今日子さんの分のお弁当はコタツの上になく、おそらく鞄の中にすでに放り込まれたのだろう。
 そっとお弁当を手に取る。誰がか知らないレスラーの印刷された、お弁当カバー。まだほんのりと暖かい。
 それをそっとコタツに置くと、黙って家を出て行った。

 

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