今回は、いよいよ公開された『ゴジラvsコング』の感想記事になります!
めんどくさいゴジラにわかオタクの、ゴジラ語りになるのかなぁ
カエルくん(以下カエル)
「元々ゴジラ大好きということもあり、ここ最近は色々なゴジラ像が生まれているためにそのために大変だけれど、今作も楽しんでいきたいね」
主
「……さて、お手並み拝見と行きますか」
カエル「それでは、感想記事のスタートです!」
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
#ゴジラVSコング
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年7月2日
ブロックバスター映画の今後に続くための承に徹していることもあり、世界観は大幅に広げることはできた
ただこれはゴジラ映画である必要性が薄く、この作りならばSF的なロボットがでる作品(パシリムとか)でいい
商品としてはバランスよくできているがオタクの咆哮が足りていない pic.twitter.com/5goAhXFmph
これはこれで、評価が難しいんだよなぁ
カエル「一応説明しておきますと、うちは前作の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』と『キングコング 髑髏島の巨神』は絶賛、ギャレゴジはいまいちという評価になっています。
どんなゴジラが好きかによって評価は分かれるでしょうが……うちとしては、そこまで高く評価はしていない、ということになるでしょうか」
主「それこそ、『映画大好きポンポさん2』という漫画の……この間公開されたアニメ映画の2巻だけれど、そこで語れていることが全てな気がする。
つまり『興行収入が高い続編映画が、良い正しい続編映画』という考え方だ。
特異な作家性などを入れず、あくまでプロデューサーなどの意向を汲みながら、前作の物語や世界観を入れて、確実に映画をヒットさせる。
特に本作のような”モンスターユニバース”のような、ユニバース構想の映画ではそれが最も重要だろう。コケることなく、前作から物語をバトンを受け取り、続編へとバトンを渡す。
その意味ではかなりバランスの取れた、優等生の映画だと言える。
よく言えば手堅い、悪く言えば無難なアクション映画、かな」
それを端的に表したのが”ブロックバスター映画の今後に続くための承”という評価なんだね」
少なくとも、コロナ以降でも大ヒットした興行収入が証明しているし、商品としては大成功だろう。
主「世界興行収入が4億ドルを超え、日本でもそれなりにヒットするだろう。
もちろん、それはこの作品単体だけの評価ではなく、過去作の映画の監督をはじめとしたスタッフの功績でもあり、信頼の証でもある。
ギャレス・エドワーズ、ジョーダン・ボート=ロバーツ、マイケル・ドハティを含めた功績であり、レジェンダリー・ピクチャーズの戦略の勝利でもある。
つまり、一連の”モンスターユニバースの1連の流れ”を評価するものであるわけだな」
カエル「……すっごい回りくどい言い方をしているけれど、高い興行収入を狙う作品としてはかなり優等生に作られているという評価だね。
エンタメとしての映画の姿であり、超大作シリーズのあるべき姿であると……」
主「その意味では、きっちりとうまく作られているし、評価すべき作品となっているだろう。
多分、この映画に不満を持つ人はいるだろうけれど、徹底的に唾棄するほど蛇蝎のごとく嫌う人は少ないのではないだろうか。
ボクはあえてこの言い方をさせてもらうけれど……とてもいい”商品”ではあったね」
ゴジラ(怪獣)映画とモンスター映画
……ということは、とても不満は強い作品だと?
だってさ! これ、ゴジラ&怪獣映画だと思えなかったんだもん!
カエル「……だもんって言われていても……
怪獣映画とは何か? というのはとても難しい部分ではありますが……少なくともうちが望むような作品ではなかった、ということなんだね」
主「この映画って自分に言わせてもらえば”モンスター&パニック映画”なんだよ。
怪獣ではなくてモンスター。
そしてパニック映画。
この辺りの説明はとても難しいけれど、映画としての文脈が違う。
怪獣映画の文脈では作られていないという印象だ」
……また、説明が難しいことを言い出したなぁ
ドハティもロバーツも、日本&怪獣オタクだからこそ、その怪獣映画の文脈を理解していたんだよ
カエル「モンスター映画と怪獣映画は、文脈が異なると?」
主「全然違う。スペースオペラとSF映画くらい違う。
SWと『エイリアン』は同じ文脈ではないように。
この映画はそこが理解しきれていない印象だった。だから”オタクの咆哮”が全く足りてないんだよね。
もちろん、色々な映画のオマージュは指摘されているし、SF的な描写もある。物語もガバガバだけれど、それはわりかし怪獣映画ってそういうところもあるから、笑って許せるレベルではある。
だけれど、決定的に、根本的にゴジラ映画に対する解釈が自分と違うという印象だ。
それを説明するのは難しいけれど……とりあえず頑張ってみようかな」
本作を見ながら連想した作品たち
本作を見ながら色々な作品を連想したというけれど、それはどんな作品?
まあ、当然ながらレジェンダリー・ピクチャーズの作品は思い浮かんだよね。具体的な名前を挙げると『パシフィック・リム』『ジュラシック・ワールド』シリーズとか
カエル「SF描写などはパリフィック・リムみたいだったし、あるいは登場するモンスターたちのバトルはジュラシックシリーズの恐竜たちの戦いを見ているようだったね」
主「その時点でちょっと違うじゃない?
ジュラシックシリーズなんかは自分も好きなんだけれど、あれは怪獣映画ではないんだよ。あれは恐竜のモンスター映画だからOK。そのパニックムービーとしての味付けもとても良かった。
その文脈を理解している……というか、アメリカ人をはじめとした洋画ファンには馴染みのある文脈だったりするよね。
パシリムも1は日本のアニメの文脈も理解して、吹き替え版は杉田智和がそれをさらに強め、それでいながらも2では新たなSFの文脈で語り直して……結果的には脱臭されてしまった印象がある」
で、本作もその2作の影響は強いと
まあ、当然なのかもしれないけれどさ……
主「それと同時に感じたのはMCUなどのヒーロー映画な訳だよ。
自分は一応MCUは映画版は全部見ているけれど、まっっっっっっったくハマっていない。
だけれど、MCUもDCもユニバース構想では最もうまくいっている例に当てはまるだろうし、実際シリーズ全体で物語を語り上げる手腕としては非常に優れている。
本来は別の作品を交えるというユニバース構想の難しさを、見事にカバーしているわけだ」
カエル「すべての作品が起承転結でいうところの、承をになっており、次の物語をより面白くするための要素を担っている、という作り方だね」
主「バトンの渡し方などもうまい上に、1作できちんと面白くなるように作られている。
ファンは虜になるのもうなづけるよ。
その意味では本作はその要素をうまく使っており、世界観を広げるとともに、この後にどのような広げ方ができるようにも配慮されている……んだけれど、そのせいで怪獣映画らしさを脱臭されてしまった。
良くも悪くも……今のアメリカの映画の状況に脱臭されてしまった印象かなぁ。
それがうまくはあるのかもしれないけれど、でも自分はゴジラ&怪獣映画らしさを脱臭されてしまった気がして、ほんとにモヤモヤしたものを抱えてしまった」
以下ネタバレあり
今作におけるキングコングとは
ここからはネタバレアリになります……一応致命的なネタバレは避けるようにしていきますね
もうさ、冒頭から違和感バリバリなんだよ
カエル「陽気な音楽が流れながら朝目覚めて、滝のシャワーを浴びて、お尻をポリポリとかいていく……そんなコミカルで人間臭い姿が描かれていました」
主「ただの親父じゃねぇか!
思わず笑っちまったけれどさ、その時点ですでに怪獣ではないんだよ。描き方が。
あれは巨大化した親父であって……まだヒーローに近い。
その点で言えば、今作ってヒーロー映画の文脈でも作られているんだよね。
巨大な親父であり、力自慢だけれど少女には弱い親父のキングコングの物語。なんならば、おっさんと少女のロードムービーでもいいくらいだよ。
そこにSF仕立てのものを入れて、パニック要素を入れて……で完成するんじゃねぇかなぁ」
カエル「その時点で怪獣映画の文脈は放棄していると……」
主「この映画は『ゴジラVSコング』だけれど、実際は『KONG <ゴジラとの邂逅>』くらいのもんでさ、つまり主人公はコングなんだよ。
で、その最大に敵役としてのゴジラが起用されているわけだ。
それでいうと、怪獣映画である必要性がどこまであったのだろうか、という疑問も湧いてくるんだよね。ただでっかくなっているだけで、知性もあるし、意思疎通もできる。人間のいうことにわりかし従順……これって怪獣と言えるのだろうか?」
今作におけるゴジラとは〜怪獣とは何か〜
となると、ゴジラとは何かという点についても語らないといけないと思うけれど……
今作のゴジラはKOMなどであったような、圧倒的な神々しさなどはなかったんだよね
カエル「すんごく大きなことを言えば、ゴジラである必要があったのか? ということなのかな。
例えば、とても強い新種のモンスターでも本作は成り立ったのではないだろうか? という問題があるわけで……」
主「うちは怪獣とは”何らかの脅威に対する祈りのメタファー”だと捉えている。
優れた怪獣映画って、怪獣を通して何を語るのか、だと思うんだよね。
例えばゴジラであれば核・あるいは戦争だ。KOMでは核の取扱などで批判的な意見も聞こえるけれど、日米の核に対する意識の差を炙り出した。
そしてキリスト教・神との対比を行うことによって、ゴジラ映画を新しく規定し直したんだよね。
詳しくは以下の記事を読んでください」
『キングコング 髑髏島の巨神』は明確に反戦映画であるという認識だったよね
戦わない人間には平穏を、戦い続ける人間には死を、という映画だからね
カエル「そうなると、本作がキングコング、あるいはゴジラである必要性が果たしてあったのか? というポイントが……」
主「ただ大きな怪獣のようなもの……モンスターが暴れ回るなら、なんでもいいんだよ。恐竜だろうがなんだろうが、それが成立する。
だけれど、今作の場合はゴジラでなければ、あるいはキングコングでなければダメな理由……それが見つからない。
”あいつ”に関してもそれはそうで、例えば行き過ぎた科学、あるいは倫理的に問題がある(神に逆らう)科学の形としてもいいけれど、そうでもない。ただ暴走して暴れ回るし、あんまりSF感もない。
何を訴えたいのか、そのメッセージ性があまりにも希薄。
その結果、怪獣たちが単なるモンスターとなり、ゴジラのいつものBGMを適当につけただけの作品になる」
大画面いっぱいに暴れ回る怪獣たち〜変わり続ける怪獣映画〜
でもさ、怪獣たちがモンスターだとしても、大画面いっぱいに暴れ回って面白ければそれでいいんじゃないの?
……そこは難しい問題だよね
カエル「だってさ、多くの観客はゴジラとキングコングを観に来ているわけで、そういう細かいことを観たいわけではないんじゃないの?」
主「……だから、最初に言ったように評価が難しい映画でもあるんだよね。
この映画って間口は広いと思うんだよ。多くの人が楽しめるように作っている。
その意味ではやっぱり”商品”なんだと思う。商品が悪いという意味ではなくて……むしろ、作家性などをなるべく廃し、誰もが面白いと思うエンタメを提供して、観客が喜んでお金が入る……だれも傷つかないし、みんな幸せ。
それはそれで、最高だよね」
カエル「じゃあ、いいじゃん。それで。
確かに物語面で弱い部分はあるだろうけれど、コロナ禍で久々にこれだけスカッとできる大作が公開されてくれたおかげで、アメリカでも中国でもメガヒットを記録しているわけだしさ」
怪獣映画らしさとか全部忘れて、多くの人の要請通りに作られて、その需要を満たす。それ以上に何が必要なの?
……何が必要なんだろうなぁ
主「少なくとも自分はこの作品を”怪獣映画”とは認めたくないんだけれど、でもそれは個人の勝手な基準によることも明確で……
この後に続く作品たちが生まれてくると考えれば、これはこれで正解なんだろうなぁ」
カエル「うちでも『ゴジラは変化の歴史だ』と語るように、色々な挑戦と変化があったじゃない。中にはシェーをするゴジラもいたりしてさ。
それもまたゴジラの歴史であるわけだよ。
怪獣映画の……ゴジラの灯火を消さなかっただけでも、今作ってとても大きな意義があるんじゃないかなぁ」
主「……結局、本作の評価ってのは
- アクション映画として→6点
- ユニバース構想の映画として→8点
- 怪獣映画として→2点
くらいなんだけれど……何を望むのか、ってところで評価は割れるだろうし、それでいいのかもしれないね」