それでは、大好きな橋本愛ちゃん主演映画の感想といきましょう
いやー、めっちゃ楽しみにしていたんだよね!
カエルくん(以下カエル)
「主演の映画となると……昨年の『PARKS』以来になるのかな」
主
「コンスタントに活躍しているけれど、実は今年初の映画出演なんだよね」
カエル「……そう遠くないうちに『橋本愛が出演した映画作品全作レビュー』でもやる?
役者縛りでレビューするなら、出演作品もそこまで多すぎなくてちょうどいいんじゃない?」
主「あ〜、それはそれでアリかも……
まあ、案として受け止めておきましょう。
それでは感想記事を始めるよ!」
カエル「……なんかいつもよりテンション高い?」
感想
それではTwitterの短評からスタートです
#ここは退屈迎えに来て
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年10月20日
オススメはしません
不親切だし、退屈だし、合わない人が多そう
でも自分は好きです
田舎の風景、寂れたゲーセン、高校時代の雰囲気…その多くに見覚えがあら、まるで「お前の話だぞ」と言われているかのようだった
橋本愛と門脇麦の制服姿が可愛かった pic.twitter.com/MQkB8Lwuhu
まあ、人は選ぶし退屈な映画ですよ
カエル「えっと、今作もスタッフやキャストで少し贔屓目なところもあって、うちは廣木隆一監督が結構好きというか、面白いことをする監督だなぁ、と注目しています。
あとは何と言っても橋本愛ちゃんの大ファンなので、その補正は込みの評価になります」
主「いやー、来週公開の映画で『オズランド』ってあるんだけれど、それも橋本愛ちゃんが出ているんだよね。見る気は無かったんだけれど、愛ちゃん目当てで行こうかな」
カエル「はい、話を戻しますよ。
で、映画の出来自体はそこまで良くないの?」
主「良くないというか、独特な映画だよね。
廣木隆一監督って自分も好きだと言っているけれど、決して人生ベストとか、年間TOP10クラスの映画を量産しているわけではないんですよ。むしろ、作品の出来からしたら……60~70点くらいの評価を受ける作品が多いかもね」
カエル「Yahoo!映画などの星取りで言うところの星3つから3.5個くらいの評価だね」
主「そうそう。中にはとんでもない駄作もあるけれどね。
本作もその例には漏れず、つまんないとか、理解できないという意見はよくわかるんだよ。
でも、その演出も意図はあると思う。
ただし、かなり不親切な設計であることも事実。
時系列はコロコロ変わるし、しかも行ったり来たりを繰り返す、さらにいえば誰が誰だかわからない……本作が群像劇なんだけれど、登場人物が多い割にその整理をする気すらない。
だからオススメはしません。
ただ、自分は好きと言う……ただそれだけが伝えたいかな」
登場人物が多いことによって
なんかさ、登場人物が多いことが色々と理解できないことにつながっていない?
自分は誰が誰だか、理解できませんでした
カエル「もともと女優に限らず人の顔を覚えるのが苦手な上に、今回は時系列も入れ替わるから服装などもコロコロ変わるもんね。
時系列が変わるということは、年齢が違うから演者が変わっていてもおかしくないわけで……誰がどの役なのか、まるでわからなくなってしまったり」
主「ちょいちょい名前を呼ばれるシーンで『あ、この役者はあの役と違うんだ』って気がつくというね。
連作小説集を1つの作品として映画化しているから、その分難しくなってしまったり、乱雑になってしまった部分は否めないかな」
カエル「それってマイナスポイントだけれど、それでも褒めるの?」
主「……なんていうかさ、今作って役者もそうだけれど、基本的には1990年を少し過ぎたくらいに生まれた俳優陣を使っている。だいたいアラサーくらいの役者が多いわけですよ。で、舞台の作中の設定も2004年に高校生ということは、現在30歳くらいなんだよね。作中時間は2013年だから、今より5年前、だから橋本愛の演じるわたしが27歳なんだけれど。
あの2000年を少し過ぎた時代の雰囲気を見事に捉えていたし、田舎の窮屈感や年代の閉塞性などもうまく描いていたわけ。
だからこそ、この映画を自分は否定できない。
だって、あのどうしようもない閉塞感は嫌という程知っているから」
カエル「そのあたりはネタバレありで語っていきましょうか」
橋本愛の魅力が詰まったリトルフォレスト
監督でのリメイク版も上映間近
キャストについて
出演陣について語っていきますが……
まずは橋本愛ちゃんからでしょう!
カエル「……そもそもさ、なんでそんなに橋本愛ちゃん好きなの?」
主「え? なんだろう……あの独特の雰囲気というか、18歳になってピンク映画見たり、少し前までミニシアター系の劇場で出会う確率No.1の芸能人とか言われると、それだけでファンにならない?」
カエル「……う~ん、どうなんだろ?」
主「真面目な話をすると、橋本愛はもっとキャピキャピした役をやってもおかしくないポジションなのに、恋愛スイーツ映画や若者向けの映画にはほとんど出演せず、あくまでもマイペースを崩さない。独特のプロデュースをしている役者よね。
その透明な雰囲気もそうだけれど、彼女は美しさの中にどことない儚さというか、寂しさを感じさせるんだよね」
カエル「今作も東京から田舎に帰ってきたフリーライターという設定だけれど、似たような設定では『リトルフォレスト』を思い出したかなぁ」
主「なんかそういうのが似合うんだよ。別に悲壮感が強いというわけではないんだけれどね。これがもっと派手な女優だと、一気に都会の女になってしまって田舎に帰る女じゃなくなってしまう。
都会に行ったことのある垢抜けた雰囲気と、田舎に帰ってきそうな素朴な雰囲気を抱えながら、華やか過ぎず地味過ぎない若手女優というと、実は結構限られるんじゃないかな? という印象」
カエル「それで、本作の橋本愛はどうだったの?」
主「う~ん……思ったよりも出番は少なかったな。
廣木監督って役者を綺麗に撮るんだけれど、それは今作も健在。
橋本愛だけではなくて、門脇麦などの多くの役者が綺麗だった。
むしろ、作品全体を通して見れば門脇麦の方が印象に強く残るね。
それは成田凌もそうだし、渡辺大知も柳ゆり菜もそう。それだけ役者の魅力は出ている作品に仕上がっているんじゃないかな?」
以下ネタバレあり
作品考察
退屈な日々を描く意味
では、ここからは作品考察です
まあ、退屈な映画ですよ
カエル「エンタメ性もあまりなく、静かに進行していく作品だもんね」
主「だけれど、ここで派手に面白くしてしまうと、それはまた違うんだよ。
この映画が描くのは”退屈な日常”なんだ。
退屈であることが重要であり、そこからサヨナラをすることが目的になるわけで、面白おかしいものを描いてしまったら、それはまた違うものになってしまう。
その意味では、れっきとした日常系作品ですよ。
それもアニメにおける楽しい日常系作品とは違って、何も特別なことが起きない、退屈でどうしようもない日常を描いた作品」
カエル「……それって映画としてどうなんだろうね?」
主「それはそれでありだと思うけれどね。
で、そのために廣木監督は長回しをしているわけ。
廣木監督は結構長回しを多用する監督でもあって、近年でも『マーマレードボーイ』や『彼女の人生は間違いじゃない』などで長回しを多用している」
カエル「一部では批判の声も聞こえるけれど……」
主「自分は成功だと思うけれどね。
というのも、ここで重要なのは登場人物たちのなんてことのない日常を捉えることであって、作為的なものを捉えることではない。
そして、結構引きの絵も多いけれど、これは背景描写も含めた様々な”ここ”……つまり田舎の様子を捉えようとしているわけだ。
自分はあのゲームセンターの外観で涙が出そうになったよ……あんな場所を知っているような気がしてきた」
寂れた雰囲気のよく出ているゲームセンター
このシーンでも2人と新保の間に境界線があり、区別されている
スクールカーストか、あるいは椎名の現状を知る者と知らない者の差か
(C)2018「ここは退屈迎えに来て」製作委員会
車のシーンが多い理由
本作は長回しもそうだけれど、ほとんど車のシーンだったんじゃない?
かなり多用しているよね
カエル「それも不思議なんだよね。もちろん移動手段として、車社会だからどうしても車を使わなければいけないのはわかるけれど、絵としては全く面白みがないし……」
主「作中のセリフで『何者かになりたい』ってものがあったけれど、この気持ちはよくわかる。
むしろ、自分は今でもその気持ちを抱えている気がする。若い時って何も持たないからこそ、東京やどっか違う場所に何かあるように思えてしまう。だけれど、東京に行ったところで何もないって人生はいくらでもある。実際、東京に来たってどうにもならんもんはならんのですよ。
だから帰ってくるわけだけれど、それでも何者かになりたい、その囚われた気持ちを演出するのが車なんだよね」
カエル「車が?」
主「限定された車という檻の中にいることで、彼女たち登場人物が田舎という場所に閉塞感を抱いているかを演出している。
それに、窓の外の風景はきちんと見せるんだけれど、それだって特に代わり映えのしないものであり、より田舎の閉塞感を強くしている。
車を用いることによって移動というロードムービーの要素と、登場人物たちの閉塞感を同時に演出しているわけだよ」
カエル「あ~、だからあれだけ車が多かったと?」
主「さらに言えば、本作って室内などの場面が多くて、外のシーンってそんなに多くないんだよね。
結構ロケのシーンはあるんだけれどさ。ゲームセンターにしろ、学校の中にしろ室内のシーンばかり。教習所すらも屋根のついた場所でタバコを吸っているけれど、その意味は全部閉塞感を演出するという意味で一緒なんじゃないかな。
そう考えると椎名が車の教習所という”人々に車の乗り方を教える仕事”をしているのも象徴的。
彼が原因で車という限定された空間に乗り込むことになった人がたくさんいるからね。
車は登場人物たちを縛る檻として機能しているわけだ」
過去の栄光を象徴するゲームセンター
ゲームセンターがいい味を出していたという話だね
注目したいのは椎名くんと新保くんの2人ですよ
カエル「クラスの誰もが注目する中心人物の椎名くんは、女子のみんなにも人気がある。一方で新保くんは、オタク寄りの冴えない男の子で男子からもいじめのようなからかいを受けていたりするという、見事なスクールカーストを描いていたよね」
主「なんで椎名くんがゲームセンターの店長になったかと言えば、人生のピークだった高校時代の思い出を引きずっているからだよ。
男子とバカやって、女子とは仲良くしてビリヤードでパンツ覗いたりしてさ。
『椎名くんが作り出す独特の楽しさに溢れていた』と語るシーンもあるけれど、それを新保は指を加えて眺めているだけしかできなかった」
カエル「……あ、なんか身に覚えがあるような話になってきた」
主「この映画の女子の多くは、高校時代の希望の象徴である椎名くんに憧れを抱き、その過去の栄光を追い求めて彼を求める。
でもさ、実際に過去の栄光の象徴を大人になって目にしても、それは虚しくなるだけなんだよ。作中で橋本愛たちが懐かしの高校へ行って、多分ゲリラ撮影というか、普通の従業中に撮影しているんだと思うけれど、すごく自然な様子で楽しそうにはしゃいでいるシーンがある。
でも一息つくと『あ~……こんなもんか』って表情になるんだよね」
カエル「それもわかるかなぁ。大人になって学校に行くと『あれ、こんな場所だったんだ』と思ったり、あるいは卒業アルバムを観ても『あれだけ大人っぽいと思った人が、実はただの子供だったんだ』と思ったり……」
主「その点……これは成田凌を捕まえてこんなことを言うのもなんだけれど、今作ではあんまりカッコよくないよね。どこの学校にも1人はいるような、モテモテだけれど全国的には全く大したことのない男の1人として存在している。
結局、過去のキラキラした象徴と向き合ったところで、それはあくまでも過去のもの。
現在でもそれを追い求める行為の先にあるものは、腐るしかないんですよ。
それが椎名くんの役割」
唯一スクーターに乗り、車というから出ている
囚われる過去の思い出があまりないから?
(C)2018「ここは退屈迎えに来て」製作委員会
新保の役割
そしてもう1人の注目人物が新保であると言う話だけれど……
彼にとっての過去のキラキラした象徴は誰かといえば、橋本愛演じる私だったんだよ
カエル「過去の腐っていたゲームセンターで、約10年の時を経て憧れの女の子に声をかけられたわけだもんね……そりゃ、ドキドキするか」
主「本当に新保の気持ちってすごく、痛いほどわかるんだけれど……普段は陰キャであっても、学校生活のほんの一瞬だけ、スクールカースト上位のキラキラした女子と話をしたり、少しいい雰囲気になる機会ってあると思うんだよ。
でも、その憧れの女子と10年ぶりに会ってうまく行動することができるのか? というと……それは難しいのかな」
カエル「あのプールでの会話のシーンとかも新保を応援していて『お前頑張れば彼女を狙ええるかもしれないぞ!』って言いたくなったなぁ」
主「だけれど、そこで行動できないから陰キャなわけでさ。ちょっとお話ししてそれで終わってしまう。
新保君にとって橋本愛演じるわたしは、柳ゆり菜演じるサツキにとっての椎名くんのような存在だったわけだ。だからこそ、10年後に再び出会って少し話をしただけで『あ~……なんか違うかな』と思ってしまう。
新保は椎名に対して『あんな風に行動したい』という憧れはあったけれど、落ちぶれた姿を知っていたから、わざわざ会う必要もないわけだ」
カエル「わたしと出会っても、過去は過去なんだって思い知るわけだね」
主「ここでうまいのが名前の下りだよね。
わたしは新保の名前を覚えていてくれて、少なくとも新保という存在をわたしの中に埋め込んでくれていた。
だけれど、椎名はわたしの名前を一切覚えていなかった……
多分、椎名はほとんどの人の名前を覚えていない。ただのその時々の遊び仲間程度でしかないという、絶望的な差すらも見事に描くいているわけだ」
カエル「……その意味では新保の方が幸せだったのかな?」
主「それは一概に言えないけれどね」
ラスト付近の長回しについて
今作でも多くの人が印象に残ったであろう、ラスト付近の長回しのシーンについて語りましょう
もちろん、ラブホテルを出た門脇麦が歌うシーンだよ
カエル「ここは最初、どこにいるかもわからない門脇麦が、徐々にカメラに近づいていくんだよね。
そして歌うんだけれど、これが結構な美声で! あの声に震えた方もいるのでは?」
主「あのシーンがとても強く印象に残っているんだけれど、あそこはある種の『解放のシーン』なんだよ。
それまで車の中やホテルなど、囲まれた場所でずっと会話をしていた門脇麦が、抜けるような広い場所に出る。
あの長回しの最初は、明らかに門脇麦を撮るつもりはない。
あくまでも風景がメインなんだ」
カエル「それだけ広大な風景や朝焼けの抜けるような空を映したかったということなんだ」
主「そこを車を使わずに歩くことによって、彼女の解放を描いている。
つまり、それまで椎名や小さな田舎町のあれこれに縛られていたけれど、誰かが運転するような車ではなく、自分の足で歩き出すことによって、新しい人生を歩むということを描いている。
だからこそどんどん門脇麦が大きくなっていくんだ。
そして後ろをくっついているはずの車はほとんど映さない。
口ずさむのはフジファブリックの『茜色の夕日』なんだけれど、この歌は”東京の夕日”を詫びしそうに歌う。
だけれど、この映画は”田舎の朝日”を映すんだよ。その意味では真逆なんだ」
カエル「茜色の夕日の歌詞を読むと、過去のことを懐かしそうに、肯定的に思い出す歌だよね……」
主「自分はフジファブリックのファンではないから、歌詞の解釈を間違えているかもしれないけれど、どちらかというと過去への憧憬の眼差しの歌だよね。
でも、本作はその真逆なんです。
つまり過去との決別のシーン。
夜明け前は一番暗いなんていうけれど、この後は太陽が登って明るくなるだけ。その時間に一番辛い思い出をここで振り返って、そして思いっきり泣いて、過去を振り切って生きる予感を与えている」
強く印象に残る名シーン
長回しも含め、映像演出が効いたいいシーンだったのではないでしょうか?
(C)2018「ここは退屈迎えに来て」製作委員会
ラストシーンについて~廣木監督の作家性~
じゃあ、最後にラストシーンと廣木監督の作家性について語るということだけれど……
あのラストシーンがまたいいんだよねぇ
カエル「唯一東京に出て行った椎名の妹が、東京を代表するスカイツリーを眺めなるというシーンだよね」
主「田舎や高校時代という閉塞する場所を抜け出して、さらに外の世界に……どこまでも広がる高い空と、何よりも高いスカイツリーを目の前にする。
それこそ、とても広々とした解放を描いたシーンだ。
別に都会を賞賛しているわけではないけれどさ」
カエル「やっぱり、このラストって廣木監督らしいの?」
主「少なくとも自分はそう思う。
例えば廣木監督が小説も書いた『彼女の人生は間違いじゃない』なんかは、女性の解放を描いているんだよ。
『マーマレードボーイ』なんて色々な倫理上の壁があって、かなりぶっ飛んだ内容でもあるんだけれど、その壁を乗り越えて恋愛をする様を描いている。
ものすごく広い言葉を使うと、廣木監督は”縛り付けられる運命や慣習などからの解放”を描いてきた監督なんだよ」
カエル「その意味では本作も”憧憬”などからの解放だと?」
主「自分はそう思う。
田舎の町、退屈な時間、昔の男、高校時代のキラキラ感……そんな色々なしがらみから解放されていく人を、肯定的に描いた作品なのではないか? というのがこの作品に対する自分の結論」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 万人にはオススメしないけれど、個人的にはとても好きな作品!
- 登場人物が多すぎて、散漫な作品になった印象も……
- 長回しなどの映像演出にも意味があるのでは?
100分以下の短い作品なんだけれど、短くは感じなかったかな
カエル「その意味では丁度いい時間だったのかなぁ……これ以上長いと、ただダレるだけだし」
主「あのEDはすごくよかった!
あの手法は映画館では初めて見たかなぁ……あれは退屈しなかったよ。
本作はフジファブリックをメインに使っているけれど、それってやっぱり志村さんのこともあるのかなぁ、なんて思ったり。ほら、どうしても志村さんがいた時代を比べてしまう部分もあるじゃない?
それを過去と比較する、というこの映画のテーマと一致するのかなぁ」
カエル「いろいろと考察できて面白い作品でもあるのかな」