ちょっと遅くなりましたが『君の名前で僕を呼んで』のレビュー&考察記事になります
GWだからね。色々と動き回って忙しいのなんのって
カエル「映画週間だから、いろいろな人にたくさんの映画を鑑賞して欲しいね」
主「……毎日GWだったらアクセス数などを考えても最高なんだけれどね」
カエル「そんな馬鹿な話は置いておきましょう。
そしてこの記事は色々と変化した後の、初めての映画感想記事になります!」
主「……ただでさえ書く時間が長いのに、さらに長くなってどうするんだ?」
カエル「愚痴が続く前に感想記事を始めましょう!
多分、だいぶ読みやすくなっている……はず!」
アーミー・ハマーが!『君の名前で僕を呼んで』日本語字幕予告編
1 感想
それでは、いつものようにTwitterの短評です!
#君の名前で僕を呼んで
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年4月29日
この手の映画をみると自分の無知が悔しくなる
絶対意味があるのにそれがわからないモヤモヤを抱えながら、終盤でようやく理解する
これは新時代の創世記だ pic.twitter.com/R5rl8yHJcV
とてつもなく深い映画だと……思うよ
主「たださ、どうしてもこの映画の深さがよくわからなかったところもあって……自分の無知が恥ずかしくなってくる、そんな作品でもある。
1つ1つの描写に必ず意味がある。
ぜっっったいに意味があって、製作者たちはそれを理解している。つまり、感覚的に『なんとなくそうしました』という映画ではない。
だけれど、自分にはそれがわからない……それがすごくもどかしい、悔しくなるし、悲しくなってくる作品だった」
カエル「……もっと気楽な感想はないの?」
主「絶賛されるのもわかる作品だよ。
ただし、派手さがそこまで多くなくて……チューニングとでも言おうか、この映画と自分の感覚が途中まで一致しなかったんだよね。
どこに注目するべきなのか、何がやりたいのか、なぜここまで評価されるのか……それがわからなかった。
でも、中盤終えたあたりでようやくその手がかりをつかみ、終盤で意味がわかる……でもチューニングが合うまでは本当に……退屈な映画だったかな」
原作本はこちら
……ライトノベルぽい装丁だなぁ
静かに紡がれていく物語
カエル「派手なアクション映画ではないからねぇ。わかりやすい映画の見せ場があるわけでもないし……」
主「この感覚って何度か味わっていて、それが最近だと『リズと青い鳥』の1回目の鑑賞だったり、あとは昨年だと『パターソン』という映画があって……
ものすごく理知的て、意味が深く、静かな中に大きな計算があるけれど、それが合わずにつまらないと感じてしまう映画……その一つになるところだった。
もう1回見れば評価は大きく変わるだろうけれど、でももう1度見たいか? と言われると少し怯んでしまうような……そんな感覚の映画かな」
カエル「この作品って色々な国の合作だけれど、イタリアやフランスの名前が先に来ることがわかるように、ヨーロッパ映画なんだよね。
特に、イタリアの映画というと……僕がパッと思い浮かぶのが名作古典の『自転車泥棒』とか、あとは昨年公開された『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』などのように、そこまで派手ではなくて、ちょっと退屈に思えるシーンもあるけれど、しっかりと1つ1つに情緒を感じる作品が多い印象かなぁ」
本作の見どころ
じゃあ、この作品の見どころというとどういうところだと思う?
う〜ん……カットとカットの切れ間かなぁ
主「特に本作は本当に細かい所1つ1つまで考えられていて、例えば画面が切り替わる瞬間に急に音楽が切り替わる。
それこそ、不自然なほどに唐突にぶつ切りになる。
この効果によって『これから変なことが起こる』という予感を観客に抱かせることができる」
カエル「変なことと言っても、宇宙人が〜とかではなくて、もっと静かな変化の予感があるんだよね」
主「そんな1つ1つもうまいのだけれど、特にこの映画はセリフで語られていないことの情報量がとても多い。
それこそ今なら『リズと青い鳥』などを連想する。
自分はこの作品がLGBTを扱っていると知ってから鑑賞したけれど、それを踏まえていると……あんまり直接的に語るのもなんなので濁すけれど、初めて男2人が触れ合うシーンがある。
そこでの話しかけ方、触り方などに注目すると、誰がどのような感情抱いているのか、よくわかるようにできている」
カエル「とても細かいよね。そして音楽もとても美しいし、環境などの映像そのものに魅力があって、映画としてもとても評価の高い1作でもあります!」
主「それから、自分は古代ローマや哲学などの難しいことはわからないので、やはり宗教との関連性について考えながら見ていたけれど……その視点でもとても重要なことを描いている作品でもある。
掘れば掘るほど深くなり、底が見えないというとてつもない映画であることは間違いないでしょうね」
以下ネタバレあり
2 細かい描写に散見される感情
序盤から発揮される演技と演出のうまさ
では、ここからは作中に言及しながら語っていくとしますが……まずはどこから語ろうか?
本作はとても演技、演出のレベルが高いという話がまずしたいので、序盤からそれが分かるシーンを紐解こうか。
主「注目して欲しいのはバレーボールで遊んでいるシーンなんだよね」
カエル「大学生のオリヴァーがやってきて、かっこいいからと女の子たちの注目の的になっているのを、主人公のエリオが見つめているシーンだね」
主「そのシーンで初めてオリヴァーは上半身裸のエリオに触れるのだけれど、この触り方に注目して欲しい。
普通、男性が男性に触れるときはもっと……フランクというか、さっぱりと触れる。だけれど、このシーンでオリヴァーはベタベタと気持ち悪い触り方をするんだ。
一言で表すと、セクハラ親父の触り方。1番気持ち悪いとされる触り方だね」
後に『あの時、君を狙っていたんだよね』という会話があるけれど、そんなこと言われなくてもはっきりと分かるよ。それくらい露骨に性的対象に触る方法だったから」
カエル「……17歳の未成年に性的な接触を迫るというと、なんかタイムリーな話だね」
主「いや、でも本当にヤバイんですよ。
この映画って、そういうヤバさに溢れていて、どこの描写を見てもこの2人が惹かれあっていくのがわかる。
『人と人が惹かれる美しい映画』という意見もあるけれど、それだけじゃない。『人が人に欲情する瞬間』もしっかりと捉えている映画に仕上がっているんだ」
美しさの中に宿る、野獣のような欲情も描いた作品
(C)Frenesy, La Cinefacture
徐々に惹かれていくエリオ
カエル「エリオがオリヴァーに興味を惹かれていくのが、ちょっと唐突な気はしたかな?
もちろんドキっとするような仕草はあるし、男性が見ても惚れてしまいそう! という意見も散見されるように、それもわかることはわかるけれど……
でもさ、これは性差別にようにも聞こえてしまうだろうけれど、同性愛に走るきっかけって何かあるようにも思ってしまうんだよね」
主「それを描かなかった、単純に人間として惹かれていたことを表しているのかもしれないけれどさ、でも女性の恋人がいるノーマルなエリオがバイセクシャルになっていく描写というのは、確かにちょっと違和感があったかな。
ただ、その過程もうまく見せてはいるよ。
象徴的なのはやはりダンスシーンだよね」
カエル「みんなでダンスパーティに言って、オリヴァーは女性にモテモテ、エリオも彼女がいて、2人は一緒には踊れないってシーンだよね」
主「そこでは明らかにオリヴァーはエリオを待っているのがわかるし、エリオは飛び込んでいけない葛藤を抱えている。その後、車の席でオリヴァーに隣に座って欲しくてさりげなく説得するところとか、17歳の恋愛を覗き見るようでとても可愛らしい部分もある。
だけれど、オリヴァーはエリオに惹かれながらも、一線を画すように距離を保っているのも感じられて……
なんかさ、何度もあげるけれど『リズと青い鳥』を思い出すんだよなぁ」
カエル「この映画を見てリズも見ている人はそんなに多くないのかな?
でもさ、本作はそれだけ繊細に1つ1つ描かれていき、それをセリフではなくて、映像や仕草で表現した作品だということができるんだね」
シーンとシーンの間
カエル「それが表れているシーンの1つがあるという話だけれど……」
主「本作の注目ポイントの1つに『カットとカットの切り替わり』があると述べたでしょ?
本作は不思議なことに、ダラダラとカットが変わらない。もっとすっぱりとカットを切ればいいのに、なぜだか続くシーンがある。それが効果的に発揮されたシーンはたくさんあるけれど、特に注目して欲しいのが冷蔵庫から氷を取り出すシーンだ」
カエル「エリオが鼻血を出して、氷を当てるために探し回る。そして冷蔵庫を開けて氷を出して、そのままどっかに行ってしまうシーンだね」
主「普通ならば氷を出してどっか行っておしまいになる。
だけれど、本作では中途半端に開いた冷蔵庫がアップになり、それを別の人が閉めるんだ。
このシーンにもとても重要な意味がある。
つまりさ……『他の人も知っている』のだよ」
カエル「……え?」
主「本人たちは隠れて楽しんでいるし、バレていないと思っているかもしれない。だけれど、必ずどこかに爪の甘さがあって、本人たちが気がつかないところで他の人たちにバレている、ということをあのシーンで描いているのではないか? ということだ」
カエル「えっと……それだけの描写で?」
主「それだけの描写で。
カットや音楽の急な切り替わりにも意味がある。
だから本作は気が抜けない作品でもあって、セリフが語ることが真実だとも限らないし、解釈はいくらでもできる作品でもあるんだよね」
3 注目した重要なポイント
本作は『遡る映画』
さらに注目したポイントはどこなの?
これから話すところが、今回の考察の肝になります
主「いつも語るのが『序盤のシーンはとても重要だよ』ということで……印象に残る決めるシーンというのがある。それがその映画を読み解く鍵を握っている可能性が高い。
自分が注目したのが『アプリコットの語源を話すシーン』だ」
カエル「えっと……詳しくは覚えていないけれど、エリオのお父さんである教授がオリヴァーを試すシーンだよね?」
主「そこで様々な言語を経て今の名前に行き着くこと、そしてラテン語やアラビア語の関連性について語っている、語学の雑学が好きな自分にはとても興味があるけれど、退屈に思われるかもしれない場面だ。
ここで大事なのは『遡ること』なんだよ」
カエル「……どういうこと?」
主「自分は全く詳しくないので調べながらになるけれど……本作は古代の偉人の名前や、彫刻がたくさん登場する。つまり、古いものを発掘する=遡る映画なんだよね。
特にギリシア文化が多く登場しており、とても重要な役割を果たしていることは間違いない。
このギリシア文化というのは、現代にも大きな影響を残す、とても重要な時代でもある」
カエル「ルネサンスで復興させた文化でもあるし、その流れを受けて現代の文化があるから、無視できない時代だよね」
お父さんの語る言葉は今作を読み解くヒントに溢れている
(C)Frenesy, La Cinefacture
同性愛の時代による変化
カエル「確か、ギリシア文化や古代ローマでは同性愛ってそこまでタブーなものではなかったんだよね。
普通に文化の1つとして存在していて、バイセクシャルなんて当然のことだったという話だけれど……」
主「むしろ、同性愛って変な文化ではないんだよ。
それこそ日本だってかつては衆道があって、戦国武将などが若い男にうつつを抜かすことなんて普通だった。
女人禁制の寺院では、お稚児と呼ばれる男児の子供の僧侶見習いが女性の役割を果たしている。そんなことが普通にある社会だった。
歌舞伎だってそうでさ、出雲阿国という女性が始めたのに、なぜ女性が踊れなくなったのか? と言うと、色っぽすぎて江戸幕府が風紀を気にしたから。では、女性の代わりに踊ったのかが若衆歌舞伎と呼ばれる、少年たちの歌舞伎が人気になり、やはり風紀の問題で禁止になる。
このように少年というのは時代、場所を問わず性の対象であったし、そのことは別におかしな行為ではないんだよね」
カエル「え? じゃあなんで今はタブーみたいな扱いになったの?」
主「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の影響です」
宗教を描いた傑作の1つ、コクソン
本作は『ユダヤ』の映画である
ここで宗教論が登場するんだね
本作は明確に『ユダヤ教』の映画なんだよ
主「ものすごく単純に言えばさ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のヤハウェを単一神として崇める文化って快楽による性交を禁止している。子供を作る以外で性交はダメなんだから、当然同性愛もダメ。子供できないし。
キリスト教やイスラム教の普及によってその考えは普遍的なものになっていき、また宗教が大きな力を持った時代もあって、同性愛は禁忌とされていた」
カエル「古代のギリシア文化の神様はギリシャ神話の神々だったわけだし、同性愛もそこまでタブーになる前の時代なんだね」
主「そして本作は明確にユダヤ人の映画である。
もちろんそれはエリオとオリヴァーがユダヤ人であることも明かされているけれど、他にも原作者のアンドレ・アシマンもユダヤ人だ。
この『ユダヤが重要な意味合いを持つ』というのは……同性愛に対する罪って、単なる倫理の問題ではない。
宗教的な問題でもあり、それは神との契約に関する問題でもあるんだよ」
カエル「だから苦悩するんだ……」
主「そう。本作は結構攻めた性描写があるけれど、それもユダヤの考え方を参考にすると少年期のあるあるや可愛らしい物語、という解釈では片つかないことがよくわかる。
ここからはその視点で話をしよう」
ハエの解釈①
カエル「実は、本作を鑑賞する前日に『モンキー的映画のススメ』を運営するモンキーさん達と映画談義をする機会があって、その時にちょっとだけこの映画の感想を聞いていたんだよね。
あまり突っ込んだ話はしなかったけれど『ハエに注目してください』と言われていたので、注目して鑑賞しました」
主「本作では多くの描写でハエが登場する。
最初がエリオが自慰行為をする場面であり、そこでは……精液って栗の花みたいな匂いだという俗説があるし、そんなものに寄ってくるのかな? と思っていたけれど、それは違う。
ハエ=ベルゼブブであり、ユダヤ、キリスト教の世界では悪魔の中でも特に力を持つ悪魔として登場している。
つまりさ、本作が明確にユダヤ教の映画である、ということを考えるとあのシーンは禁忌を犯す場面なんだよね。
先にも述べたように快楽のみの性行為は禁止ということは、厳格にとらえると自慰は罪である、ということになる」
カエル「……確かに本作でハエが登場するシーンって性的に興奮したり、刺激を受けているシーンが多い印象かな。やはり、それはハエ=汚いもの、として描いているのかな?」
主「そういう見方もある
……でも、自分はもう1つの見方を提唱したいけれど、それはまた後ほど」
男性のみならず、女性陣も美しい映画です
(C)Frenesy, La Cinefacture
本作の旅行シーンの意味
……もう1つの意味を語る前に何を話すの?
この映画は『遡る映画』であり、つまりユダヤ教などの一神教の教えから一時的な開放を描いているのでは?
主「2人が同性愛に陥り、そして激しい性描写を見せた後、旅行に行くでしょ?
そのシーンの意味は何かというと、キリストが生まれる前、ユダヤ教が生まれる前の時代に戻る描写であるんだよ」
カエル「……えっと、どういうこと?」
主「つまり、ユダヤ教などの考えである同性愛禁止の時代から、ギリシア文化などの同性愛が正常な時代へと遡る。では、あの2人での旅は?
それこそ、自分が『新時代の創世記である』と称した理由だ」
カエル「……つまり、アダムとイブ?」
主「そう。
あの赤い果実……多分アプリコットがああいうことになる衝撃のシーンがあるけれど、あのアプリコットは『知恵の実』だと思うんだよね。
聖書には知恵の実を食べると途端に裸でいることが恥ずかしくなる、という描写が創世記に書かれている。つまりさ、自意識や性の意識、罪の意識が芽生えたんだよね。
だけれど、本作は遡る物語であるから……『性』の詰まった禁断の実を食べることによって、さらに罪のない時代へと戻っていく。
では、その前にあるのは?」
カエル「……アダムとイブが生まれて、楽園をゆっくりと生活している部分だね」
主「でしょ? だからあのシーンはとても美しく、そして楽園のように何1つ不自由がないように描かれている。
本作が最も偉大なのは、アダムとイブという『男女』ではなくて、アダムとイブという『男男』の始まりを描き出したこと。
この世の始まりを男女ではない、とする創作を行ってしまったこと。
だからなぜアカデミー賞で脚色賞に輝いたのか、その意義がとてもよくわかるでしょう。もちろん、脚本としての作り込みも素晴らしいけれど、本作はその意義が頭1つも2つも抜けています。
だって、聖書の冒頭を改変してしまうんだからね」
鐘に始まり鐘に終わる
カエル「そう言われると本作は『鐘の物語』なんだね。
冒頭で食事の鐘が鳴らされて、終盤で街の鐘が鳴らされる。そして物語は終わりに近づいていく、というね……」
主「鐘は何かといえば……この解釈はユダヤよりもキリスト教になってしまうけれど、多分『終末の刻を告げる鐘』つまりは黙示録なんじゃないかな?
その鐘が鳴り響いた時に、映画の世界は遡り始める。そしてユダヤ教などの一神教の価値観を超えて、さらに古いギリシア文化のような同性愛描写を経て、そして創世記で1番最初の人類にまで遡る。
これが最初の方で説明した『語源を遡る』ことの意味。
でも、そこまで遡ると今度はそれ以上遡りようがないから、世界は終わりを告げる。そして2度目の鐘が鳴り響き、その『終末の世界』は終わってしまうんだ」
カエル「……切ないお話だね」
主「だから最後は2人とも異性愛者に戻るんだよね。
それは敬虔なユダヤ教徒として当然の道でもある。
その一夏の思い出と少年の成長を、宗教上の戒律と創世記の一説と共に語ったことが、この映画の素晴らしさだと言えるね」
宗教論の強い映画というと、レヴェナントも思い出します
ハエの解釈②
あれ? ハエの考察は先にしたよね?
ハエの意味は1つだけではないんじゃないかな?
主「自分はこの作品を『ユダヤ教が始まる前の状態まで遡る』と言ったでしょ?
確かにハエはベルゼブブなどのように汚れたものの象徴でもある。
だけれど、それと同時にバアル・ゼブルと呼ばれる、ウガリット神話における高貴な神様の一人だったんだよね。
だけれど一神教であるユダヤ、キリスト、イスラム教はヤハウェ以外の神はすべて邪神であるから、高貴であればあるほど強力な『神の名を語る悪魔』ということになってしまい、結局はハエの王=強力な悪魔になってしまった」
カエル「……ISによる遺跡破壊などもそうだけれど、信仰というのは色々な文化を根本的に変えてしまうんだね」
主「その目線で見ると『同性愛や自慰=ユダヤにおける罪』であったとしても、より人間らしい姿という意味では正しい行いと言えるかもしれない。つまり
この行為をベルゼブブが訪れた罪と受け取るか
それともバアル・ゼブルによる祝福と受け取るか
は観客に委ねられている」
カエル「すごく解釈の幅があるお話なんだね……」
主「日本人からしたら同性愛は倫理的な、言ってしまえば『気持ち悪いか否か』だけの問題かもしれない。だけれど、宗教の教えを大事にする国などからしたら、それは信仰の問題にもなってくる。
このどちらでも受け取れるように描いたバランス、それが本作がとても優れたものだという証明だろう」
ちょっと思うこと
カエル「ここまで基本的に絶賛で書いていて、さらに思うことがあるの?」
主「う〜ん……映画的には危ういバランスの上に成り立っているよな、という思いもあってさ。
終盤でお父さんがエリオを説教するけれど、それはあまりにも教育的すぎる面もある。メッセージ性が強すぎるんだよね。
本作はそこまでそれほどメッセージ性が強くないし、結果としてバランスが崩れたわけでもなく、名言にも満ちているけれど、ちょっとだけこのバランスは危ういな、と思う部分もあったかな」
カエル「それまであまり教育的な物語でなかったからこその、違和感かもね」
主「すべてが終わった後でユダヤ世界に戻ってきた後の物語だからさ、釘を刺しておくというのもあるのかもしれないけれどね。
やはり同性愛は結構ナイーブな問題だからさ。
それと……やっぱり、エヴァを連想しない?」
カエル「特にあの性的に興奮してやらかしてしまうシーンとか?」
主「そうそう。あの終わった後に『……やっちまったなぁ』という賢者モードの自己嫌悪や、性の衝動がかなり見覚えがあって、ああやっぱり青少年の性の描き方って時代や洋の東西を問わないんだなって、ちょっと感動したりして」
カエル「……感動ポイントがおかしいけれどね」
まとめ
今回はちゃんとまとめらしいことを書こうか
- 本作はカットとカットの間や役者の演技に説明されていない情報量がすごく多い!
- 現代→ギリシア文化→創世記 と遡る
- 鐘に始まり鐘に終わる、宗教上の戒律から解放されている
- ラストも含めて多くの解釈を観客に委ねている
こんなところになるんじゃないのかなぁ
カエル「……これでもさ、読み解くことができなくて悔しいの?」
主「鑑賞中盤までは本当に意味がわからなかったから。
『え? なんでこんなに意味ありげなのに、その意味がわからないんだろう?』って自分の知識を総動員しても気がつかなかった。
実はユダヤの見方も気がついたのはアプリコットの実でやらかすあたりでさ、そこまでは本当に『ぽか〜ん』だったのよ。だから月間ランキングの記事でもベスト5入りから外した。
(記事を書いた今ならば、評価は変わるかも?)
もう1度見ると評価は大きく変わるかもしれないけれど……でもそこまで観たい作品でもないかなぁ。
そもそも130分は長い!」
カエル「……リズ大絶賛の理由の1つが90分という短さだもんね」
主「ただ、間違いなく見る意義のある、大豊作の4月の中でも特徴的な作品であることは間違いないので、ぜひ鑑賞してください!」