物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』ネタバレ感想&評価! 若手女性監督が描く、アメリカの女性像の更新に期待!

 

今回は日本では最後のアカデミー作品賞ノミネート作品である『ストーリーオブマイライフ 私の若草物語』の感想記事です

 

 

……アカデミー賞関連作品とは、相性が悪いからなぁ

 

 

カエルくん(以下カエル)

「えっと……確かワンアポとか一部の作品以外は鑑賞していて、評価はするけれど好きではないって作品ばかりなんだっけ?」

 

「クソ長い作品は今から見る気もないしなぁ……」

 

カエル「あんまり洋画、特にハリウッドとの相性が良くないという、映画好きとしては変わった部類に入るのかもね」

主「まあ、でもどの作品も評価されるのはわかるよ。
 うまいと思う、ただ自分の好みとは合わないだけで。

 今作はそうなるのかなぁ……前作の『レディバード』は好きな作品だから、期待したいけれどね。

 じゃあ、記事をスタートしていきますか」

 

 

 

 

 

「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」オリジナル・サウンドトラック

 

作品紹介・あらすじ

 

 ハリウッドが注目するグレタ・ガーウィグ監督が脚本も務め、本人も大きな影響を受けたと公言する若草物語を描く。前作の『レディバード』でも主演を務めたシアーシャ・ローナンを主人公に起用している。

 アカデミー作品賞など6作でノミネートし、衣装デザイン部門で受賞を果たしている。

 長女のメグ役にエマ・ワトソン、四女のエミリー役にフローレンス・ビューなどが起用されているほか、隣に暮らす幼馴染のローリーはティモシー・シャロメが演じる。

 

 メグ・ジョー・ベス・エイミーの4姉妹は、父が南北戦争に出兵してしまい、裕福ではないものの母と5人で暮らしていた。時代は女性に参政権を認めておらず、また黒人奴隷の是非について論争が起きていた頃であり、女性が夢を追いかけるのは難しい頃に作家として大成したいジョー。そんな中、過去の家族の姿を思い返していく……

 

 


『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』6月12日(金)全国順次ロードショー

 

 

 

 

 

 

感想

 

それでは、ツイッターの短評からスタートです!

 

 

アカデミー作品賞ノミネートも納得かな

 

カエル「アカデミー作品賞ノミネート作品では、日本公開順で最後の作品になりましたが、おそらく多くの映画ファンを中心に高い評価を得る作品になるんじゃないでしょうか?

 個人的な憶測ですが……映画としての完成度は確かに『パラサイト 半地下の家族』などの方が上かもしれませんが、どちらがより好きか? と問われると、もしかしたら今作が上回るかもしれません」

主「たぶん、多くの人に届きやすいんだと思う。

 特に序盤は本当に良かった。

 特に映像技術や美術、衣装が素晴らしい。

 当時のお召し物としては少し綺麗すぎるだろう、オシャレすぎるだろうって思いもなくはないけれど、映画としてとても魅了される作品となっているし、現代的な物語になっている。

 これからまあ、色々とグダグダ語るんだけれどさ、たぶん自分の意見って少数派になるんじゃないかなって予感がある。

 特に近年は女性の映画となると、アメリカ民主党的な価値観、ポリコレに配慮された作品が多くて、逆に押し付けがましく思えてしまったり、物語の多様性を奪ってしまっている印象もあるけれど、その面で見てもそこまで政治的なようには見えないかもしれない」

 

ちなみに、若草物語を知らない人は観に行って大丈夫?

 

そこはねぇ……ちょっと、予習は必要かもしれない

 

主「基本となる登場人物も4人姉妹をはじめとして、それなりの数がいるんだよ。元々が4部作の長編小説だから、うまくカバーはしているんけれど……それでも映画でボーッと観る分には、少しこんがらがるかもしれない。

 そもそも4姉妹の名前と特徴、誰が何番目の子供なのか? といったことを頭に入れた上での作品となっている印象だ。

 簡単に語ると……

 

  • メグ……長女。しっかり者でおしとやかな、この時代の理想の女性像
  • ジョー……主人公。次女。おてんばで小説家を志す
  • ベス……三女。体が弱いが、ピアノの腕前は1番
  • エイミー……末っ子。わがままを言ったりするがみんなに愛されやすい性格

 

 となっている。この性格付けなどは、今の物語のテンプレートに近いし、しっかりと個性付けがされているものの、映画で一見さんが理解するには、少し多すぎる印象もある

 

カエル「これはネタバレになるかもしれませんが、一応事前情報として知っておいた方がいいと思いますので語りますが、今作は時系列が非常にバラバラです。また、各キャラクターを演じる役者が変わるわけでもないので、人物がこんがらがることはないでしょうが、時系列がこんがらがる可能性はあります」

 

主「世界的な名著だから既に常識として基本の物語は知っていることが前提なのだろう。

 何度も映像化しているし、テレビアニメ化もされているけれど……今ではそれこそ読書感想文のネタくらいしか触れる機会がないかも?

 しかもかなりのボリュームを2時間にまとめているから、やっぱり予習はしたほうがいい。

 自分は特に1994年版の『若草物語』をお勧めする。

 本作と構成が似ているし、この映画を基にした部分もあるのでは? と思うし、また姉妹の見た目や年齢の差を原作よりも少し変えることで、初見さんにもわかりやすい物語になっています」

 

 

若草物語 (字幕版)

 

若草物語について

 

じゃあ、次に『若草物語』について軽く説明しましょう

 

古典的な名作だよね

 

カエル「1868年、南北戦争などの時代に書かれたアメリカの文学作品です。作者のオルコットの自伝的な要素が多く含まれており、宗教的、道徳的な面も兼ね備えていて、今でも子供達の読書感想文の課題に出されるなど、時代や国を超えて愛されてきた作品でもあります。

 またアメリカの女性像を描いた作品としても……もしかしたら、今作が初めてアメリカの女性のあり方を描いた文学作品になるのかな?

 多くの意味を持ったまさに歴史的な名作といえるでしょう」

主「自分の感覚としては……”南北戦争時代の女性の日常系作品”ってところかな」

 

カエル「……日常系?」

主「物語としては、特別作り込まれているわけではない。

 時代が時代ということもあるけれど、きっちりかっちりと物語を作り込むタイプではなくて、4姉妹を中心とするキャラクターたちの活気あふれる生き方などを中心に、愛らしい生活を描いている。そこに恋愛とか、家族愛や道徳的な部分が入ってくるわけだ。

 正直言えば、自分が好きなタイプではないし、キャラクター小説としての側面がある作品ではないだろうか

 

現代に若草物語が蘇る意味ってあると思う?

 

むしろ、その時代ごとに若草物語が作られるべきだろう

 

カエル「1933年の映画版などが有名だけれど、映像化だけならば……もしかしたら日本の作品も含めると2桁くらい描かれているのかもしれないね」

主「自分がさっき言った部分は悪口のようにも聞こえるかもしれないけれど、物語的に作り込み過ぎないというのは利点でもある。

 それは”その時代の女性を描く”という点において、とても優れているんだ。物語をきっちりと作り込むと、そこを描くだけに終始してしまいかねない。だけど、若草物語は日常の様子を描き、そこまで作り込み過ぎていないからこそ、脚色をする余地が多く残されている。

 だからこそ、若草物語は20年、30年ごとに製作され、その時代、その国の女性像を描く作品としてあるべきだ。だから今後も20年後、30年後にまた製作されるだろうし、その度に大胆なアレンジがされるだろう。もしかしたら2018年にあったドラマ版は現代劇になったという話だけれど、もっともっと発達して、未来の話になるかもしれない。4人がヴァーチャルな存在になったりね。

 それだけの度量や懐の深さもあるし、また各年代の作品を見比べてみることで、様々な気づきがあるはずだよ」

 

レディ・バード (字幕版)

 

役者について

 

少しだけですが役者について語りましょうか

 

主演のシアーシャ・ローナンがとても良かったね

 

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カエル「前作の『レディバード』でも印象深い演技を披露していましたが、今作でも彼女がグイグイと物語を引っ張ってくれていました。

 あとは……主の個人的な話になりますが、シアーシャ・ローナンの顔立ちが色々とあった知り合いに似ていて、とても複雑な気分になるとい……」

主「プライペートな話はいいんだよ!

 でも、まあ、実際彼女はすごく好きな女優さんかなぁ。

 これも現代版の特徴だろうけれど、ジョーのおてんば感は過去作よりも強かった。多分、ここまでおてんばな女性像はさすがに初版の時はもちろん、戦後すぐの時でも苦笑では終わらなかったのではないだろうか。

 だけれど、それが却って現代的な印象を与えることになっている。それでいながらも、ガサツな感じは受けないという、絶妙な演技だったのではないか?」

 

 

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このシーンの足の長さが……

 

カエル「その相手役のティモシー・シャロメはさすがのセクシーな王子様だよね……」

主「あの足の長さ、見た?

 僕と同じ人類とは思えないよ

カエル「……単なる嫉妬だね」

主「やっぱり色気がある人だし、どこか情けない印象を受ける演技を披露しているけれど、これも現代的な男性像としてアリだろう。シアーシャ・ローナンの相手役として見事に彼女を受け止めている。

 特に序盤のダンスシーンは圧巻。

 あそこだけでも映画館で見るべき価値があった。

 他の4姉妹やキャストも悪くはないけれど、この2人が全てを持って行ったかなぁ……特にシアーシャ・ローナンという人は、グレタ監督と相性がバリバリにいいのか、彼女の魅力が何倍にもなっているように感じられた。

 この先も組むのかはしらないけれど、黒澤明と三船敏郎のような関係になったら面白いかな」

 

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

作品考察

 

完璧な序盤について

 

ここからは、ネタバレありで語っていきましょう!

 

序盤に関しては、本当に文句なしだったね

 

カエル「スタートからバリバリに際立っていたもんね。

 開始5分くらいの出来で、この映画は一定以上のクオリティを保証されていると確信したレベルで……さすがにキレッキレだなぁ……と感心したね」

主「この映画のスタートで真っ暗な中にいるジョーが、出版社のドアの前にいる。そこからは光が溢れている……この段階でこの映画が”物語について語る”ということを意識していることが伝わって来る」

 

カエル「で、その後に予告にもあるように走り出すんだけれど、ここも圧巻だよね……

 周りは黒い服装で、しかも男性が多い中であえて人混みを逆らうように走り出すわけじゃない? ここでもう、この映画に漂う女性賛歌の様子と快感を、そのまんまに描くことができているよね」

主「スタートで出てきた『悩みが多いからこそ、私は楽しい物語を描く』というのは、まさしくこの映画で表現していることだろう。しかも、日常的な動作などを繰り返すことによってそれがあまり説教臭くならないようにする意図も感じられる。

 『女性を描くときは結婚か死だ』というのは、確かに旧来の価値観ではその通りなんだよ。この女性の描き方は別に1800年代だけではない。むしろ、その意識が薄くなったのは2000年代になってからかもしれない。そこに序盤で言及するということは、女性映画としての若草物語の更新を試みという決意表明でもあるんだよ。

 この時点で参った。

 本当にすごい作品が生まれてくるという、確信があったし、それは見事なものであった。

 ちょっとだけ愚痴を言うと、近年は『人間失格』を原作とした作品が多いけれど、太宰治のガワというか、特殊な行動を再現するだけの作品が多くて、その精神性を宿した作品はほとんどない。

 その意味では、若草物語という作品の精神性を現代に蘇らせようという意図が感じられて、この点は正直羨ましいとすら思ったよ

 

君の名前で僕を呼んで(字幕版)

 

blog.monogatarukame.net

 

 

2つの欠点

 

それだけ褒めたいんだけれど、それでもケチがつくと?

 

その理由は以下の2点だ

 

  • 時系列シャッフルの有効性
  • 物語構成の問題

 

カエル「まずは、時系列シャッフルの有効性から語ろうか……」

主「う〜ん……これは難しいポイントなんだけれど、古典的名作の現代版って、その物語を知っていることが前提の場合も多いんだよ。

 例えば、最も顕著なのは『レ・ミゼラブル』でさ、物語はダイジェストであまり説明してくれない。だけれど、この映画を見に行く人の多くはあらすじくらいは知っているから、それでも問題ない。

 で、若草物語もそういう部分がある」

 

カエル「多くの若草物語の作品は原作通りのクリスマスの場面からスタートして、子供時代の話を一通り行ってから、大人時代の話に入る印象があるかな。

 その点、今作は大人時代からスタートしているんだよね

主「そこでエイミーがローリーと再会するけれど、そこで子供達が出てくるのも”子供の頃からのつながり”を意識しているようで、この工夫はとても良かった。

 一方で、ごく当たり前のように時系列が入れ替わるから……これってさ、単純に物語の理解が難しくなるんだよね。しかも役者も変わらないし、特に際立った変化もないから、今がどっちなのか一瞬混乱する。

 これが大丈夫な人は物語を理解していることが前提なんじゃないかなぁ……。ここはちょっとノイズになった印象がある

 

そして物語構成の問題ということだけれど……

 

これってさ、レディバードの時も思ったんだよね

 

主「単純にさ……後半の物語が、ぬるくない?

カエル「最近アンパンマンなどの短い映画に慣れすぎた弊害かもしれないし、原作もあるからそこまで大きく変化させることができないというのもあるんだろうけれど……」

主「結局は、ベスに関する問題を物語の大きな谷場にする構造になってしまうんだよね……若草物語って。そこに向かって物語が推進するんだけれど、中盤から後半が自分には結構退屈な面があった。

 物語に1本筋が通った何かがあるわけではなくて、当初からの目的があるわけではない。

 それぞれの姉妹のそれぞれの日常を群像劇として描くから、どうしても散漫になりがちな印象なんだけれど……この辺りを日常的に描くからこそ、推進力が乏しい印象を受けた」

 

カエル「いろいろな意見がありますね」

主「レディバードはまだ比較的短い作品だったから同じ思いをしても乗り切れたんだけれど、今作は2時間を少し超えるんだよね。

 そうなると、中盤の辺りがグダッとしたなぁ……という印象がある。

 序盤がキレキレだったからこそ、後半がイマイチに感じたのかもね」

カエル「この辺りは色々な評価もあるでしょうし、むしろそれがいいという意見もあるとは思いますので、まあ、人によるところなのかもしれません」

 

 

 

 

ラストについて〜表現者論としての本作〜

 

で……割と評価がいいのにもかかわらず、大きく引っかかるのがあのラストってことなんだろうけれど……

 

……現代的といえばそうだけれど、このラストかぁ……と思ったね

 

カエル「直接的なネタバレはしませんが、なんというか……当時の時代性と今を比べて、問題視されがちな部分を現代的に改変したラストと言っておきましょう」

主「『若草物語を現代化するならばどうする?』という問いに、1番最初に出てくる答えだろう。

 それくらい、予想通りの内容で……その意味では拍子抜けしたというのも、まああるけれど、その分納得のいく落とし所のように見えて、自分は違和感バリバリなんだよね

 

カエル「この手の”表現者論”って、むしろうちが1番好きなもののように思えるけれど……」

主「う〜ん……まあ、いっちゃうけれどさ、女性の幸せが結婚だけではないというのはその通り。ここには何の問題もない。

 だけれど、じゃあグレタ監督はどうなんですか? って話だよ

カエル「結婚こそはしていないようだけれど、パートナーの男性がいて、今は子供も出産されているよね」

主「大好きな人と恋愛してんじゃん。結婚なんてたかが家族制度の問題だからどうでもよくて、この場合は事実婚の関係にあるわけじゃん。しかも、『レディバード』もそうだけれど、本作も高い評価を受けて世界中で受け入れられている。

 結婚が全てではないし、表現の道に進むのも全然あり。

 だけれど、監督が恋愛と表現の両立を果たしているわけじゃん。

 この描き方を納得できる?

 いいじゃん、両取りして。

 『私がやっているから、みんなできるわよ』くらい言って欲しいね」

 

でもさ、物語のメッセージと作者・監督の状況はまた違うものですから

 

しかもさ、あのラストって表現者としてどうなのよ?

 

主「結局は『自分の小説のラストの改変は気に入らないけれど、お金と出版のために妥協しました』ってことじゃない。それが”私の”という、邦題の部分に絡んでくる。

 なに、その覚悟のなさ?

 時代が時代とはいえ、著作権がうんたらなんて話もするんだったら、自費出版なりなんなりで自分の意地を通せよ!

 なんでそこだけ譲歩しているんだよ!

 

カエル「その譲歩も表現のためには必要な時だってあるよ、うん」

主「確かに自分は創作論に触れた作品を高く評価するけれど、それは『社会がなんと言おうが好きなものは好きだし、それを貫き通す!』という覚悟がある場合だよ。美少女ゲームや萌えアニメ、グログロなホラー映画なんて、社会的には少し眉をひそめられる表現だけれど、それが好きで貫き通すという宣言が尊いと思う。

 だけれど、今作はその真逆。

 女性の描き方もよく言えば現代的だけれど、悪く言えば大衆や世間に迎合しているんだよ。しかも誰もが認める古典的名作を真面目に描くヒューマンドラマで、批評家受けもいい。

 物語のラストでは自分の意地も通さず、監督の意見はわかるけれど自身の境遇とは違う理念を描くって……それが怠惰と言わずになんというのか」

 

若草物語って、当時の社会状況を考えると、とても攻めた作品なんですよ

 

カエル「うちも1800年代の出版事情に詳しいわけではないけれど、女性を描く作品というだけでもそんなに多くないかもね……」

主「1994年版では描写されていたけれど、黒人奴隷の是非であったり、あるいは女性の権利の問題などが議論されている時代だった。今からすれば人権的に問題があっただろうけれど、当時は議論の余地がある、当然の行いだった。

 だけれど、そこに異を唱えたんだよ。

 若草物語が150年の時を超えて愛されるのは、その先進的なメッセージが時代とともに尊いとされたからである

 

カエル「それこそ、最近では『風と共に去りぬ』の差別的描写についても語られていたように、時代の変化とともに作品の示す価値観の評価は変わってしまうものだよね」

主「それこそ、今の時代からすると黒人や女性の扱いが酷い作品も山ほどあっただろう。中には忘れされた・葬り去られた名作があったかもしれない。

 その中で若草物語が現代に残ったのって、その喧々諤々の議論の中でも『私は女性を描き、黒人奴隷に反対する』という、意欲的なものを描いたからだ。それが社会の成熟とともに、広く受け入れられた。

 だけれど、今作はやっぱり今の時代に迎合しているようにしか見えない。

 もしかしたら100年後に『本作は美男美女しか出ていない、ルックス重視の差別的な描写がある』と言われるかもしれない。100年後のことなんて、誰もわからない。それでも突き通す意地があるのか? 非難されても貫き通す哲学が、戦う姿勢があるのか?

 その点も含めて、とても安易に今の時代に迎合しているように見えるんだよね……

 迎合する相手が大衆なのか、世間なのか、権威なのかは難しいところだけれどさ」

 

カエル「ちなみにベア教授については?」

主「意図的に出番を減らされたよね…今度飲みに行こうか、教授」

 

 

 

 

グレタ・ガーウィグの描く女性像

 

そこまで文句を言いながらも、それでもグレタ監督をそこまで悪くは思ってないんだよね?

 

今後の洋画界で重要な監督だと思うよ

 

カエル「そういえば、こんなTweetもしているよね」

 

 

主「ここ最近、30代の若手女性監督による女性像、少女像の更新を行おうという共通した試みがあるように感じられる。アニメ界では当然山田尚子であり、実写邦画界では山戸結希だろう。

 そして『レディ・バード』もそうだけれど、この作品でもやっていることは全く同じでさ。それは”少女から大人になる姿を等身大に描き、更新する”という試みだ。

 それまでの男性が作り上げてきた感もある女性(少女像)をぶち壊し、等身大の姿を描きつつ、恋愛などがゴールではない新たな地平を生み出す。

 そういったことが、日本のみならず海外でも行われている。このムーブメントというのはしばらく続くんじゃないかな?」

 

カエル「じゃあ、あれだけ文句は言ったけれど、やっぱり評価する監督なんだね」

主「もちろん。

 女性の描き方とは、政治的や男を悪として描くことだけではない。むしろ、そんな描き方をすると抜け落ちてしまいそうなものをしっかりと拾い上げている。

 ただ、問題は当の10代の少女達がどう受け止めているかだよね……結局は、権威的な人たちや大人のオジサン、オバサンが評価しているようにも見えかねない。

 その意味において、この3者の……もしかしたらもっといるかもしれないけれど、単なるLGBTとか、そういうことにとどまらない新たなる女性像の更新を期待したいし、どのような位置付けになるのか注目していきたいね

 

 

 

 

まとめ

 

では、この記事のまとめです!

 

  • 序盤は文句なしの作品に!
  • 衣装や演技は特に見所!
  • 一方で中盤からラストの展開に疑問も……
  • 今後のグレタ監督の作品に期待です!

 

いろいろ語りましたが、高く評価される作品だと思います!

 

 

 

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