物語る亀

物語る亀

物語愛好者の雑文

映画『ブラッククランズマン』ネタバレ解説&考察! 本作が描いた現代アメリカ社会への強烈な継承と映画の罪とは?

 

それでは『ブラック・クランズマン』の解説&考察記事になります!

 

 

 

 

ネタバレなしの感想&評価が読みたい方はこちらの記事へどうぞ

 

blog.monogatarukame.net

 

 

カエルくん(以下カエル)

「やっぱり調べ始めるといろいろと語りたいことや、この作品に込められた思いの強さがすごく伝わって来るよね……」

 

「次から次へと語りたいことが出てきてしまって大変ですよ……」

 

 

カエル「こちらだけでも1万文字超える大ボリュームになりますので、かなりの熱量がある記事になります。

 それだけ頑張って語っているので……是非とも楽しんでいってください!」

主「あとは、いろいろな評価になる映画だと思うのであくまでも1個人の受け止め方によるものと考えてほしいかな。

 というわけで……記事を始めましょう!」

 

 

 

 

 


スパイク・リー監督、アカデミー賞脚色賞受賞!黒人刑事×白人刑事二人一役でKKKに潜入捜査開始!映画『ブラック・クランズマン』特報

 

作中に関しての重要な部分の解説

 

KKK(クー・クラックス・クラン)とは何か?

 

まずはこの作品では重要なKKKについて考えていきましょう!

 

 

映画を語る上では、絶対に避けられない組織だね

 

 

カエル「まず、KKKは先にあげたように白人至上主義であり、暴力的な差別主義の極右勢力として有名だよね。

 そこに黒人が潜入調査を行うというのが、1つの面白いポイントになるけれど……その特徴としては白いシーツを被る独特の風貌ということになるのかな?」

主「KKKは1866年、テネシー州のブラスキという町で6人の若者たちによって結成された。当初はいたずらを繰り返すなどのどうということはない秘密結社だったようだが、その後政治活動を開始、人を集めていき、南北戦争で敗北したアメリカ南部の保守派白人が集まっていったと言われている

 

カエル「それがなんで黒人を攻撃するようになるの?」

主「KKKは政治的な思惑を持つけれど、南北戦争で勝った北部の共和党は黒人を教育し、『ユニオンリーグ』と呼ばれる黒人結社と結んでいった。これが戦争に負けた南部の白人は面白くないから、迫害を始めて共和党へ選挙で投票しない、あるいは力を弱めようとするために攻撃を開始したものの、この時は黒人も白人も関係なく政敵を攻撃するようになっていた。

 簡単に言えば”ユニオンリーグ””KKK”の政治的な抗争の結果、暴走しリンチをした。

 そしてアメリカ連邦軍に壊滅させられ、クラン対策法などが施行されて一度は力を落とした。そして1920年代に『国民の創生』の影響もあり復活を果たし、その後衰退と増加を繰り返しながらも現代に続いている」

 

詳しく知りたい方はこちらの書籍がオススメです

 

1900年以降のKKK

 

……長い歴史があるんだね

 

『国民の創生』の上映以降、さらに会員数を増やす

 

カエル「当時は第一次世界大戦などの世界情勢の変化などもあって、不安定な時代となる。そのような時代では禁酒法が生まれたように、潔癖となる傾向があり、白人やプロテスタントの……いわゆる宗教的にも人種的にも道徳とモラルを持ったとされるアメリカ人が求められた。

 そのため、KKKはWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント=標準的なアメリカ白人)を集めて力を伸ばしていく

 

カエル「当時は社会主義の台頭や優生思想などもあって、ユダヤ人や移民、他の価値観に対して敵意を持ちやすい時期だったんだね……」

主「この時は決して差別主義というよりは”伝統的なアメリカ白人の価値観を大切にしよう”という集団であり、それに賛同した普通の人たちが多かった。

 それもアメリカ社会の移民法の成立によって、アングロ・サクソン系の移民の優遇と日系移民の禁止が実現し、KKKの主張が受け入れられると徐々に衰退していった。そんな排他的な時代なんですよ。

 そして一時期は900万人とも呼ばれるほどの会員が1930年代には数千人まで落ちたのだけれど……1960年代の公民権運動によって、再び大きな力を持つようになっていった」

 

 

blog.monogatarukame.net

白人と黒人を兄弟のように描いたテレビアニメがこちら

今思うと、相当な覚悟がある表現だったな……

 

 

ブラックパンサー党

 

ふむふむ……その後、1960年代に登場するのがブラックパンサー党なんだね 

 

 

ここから白人と黒人の激しい対立が浮き彫りとなる

  

 

主「まず、この映画でも出てきた『ブラウン判決』が重要だ。

 これは1954年に最高裁判所が出した『ブラウン対教育委員会事件』の判決として”教育の場において白人と黒人などの有色人種との分離を行えば不平等”という結論を下した。その結果、黒人たちの公民権運動が盛んとなる一方で、白人との対立が続き、多くの問題が発生する。

 その中でもKKKは非常に差別的な行動を繰り返し、中には……爆破などを行い、黒人活動家や少女などを殺害する自体も発生した

 

カエル「……勢いを復活させたKKKの暴走による被害者だね」

主「最初は黒人側もキング牧師をはじめとして非暴力を推し進めていたのだが、この暴力に対して武装するべきではないか? という意見が起こり始める。

 そして1966年にブラックパンサー党が設立、キング牧師などの非暴力の説得も及ばずに、武力を振るう警察などの白人に対抗するために武装の道を選ぶ。

 さらにめんどくさいことに……日本も学生運動があったけれど、この時代の若者は共産党に傾倒している傾向があったが、このブラックパンサー党もその1つであり、マルクス=レーニン主義や毛沢東に傾倒し暴力革命を訴えた。

 キング牧師の暗殺などもあり平和的な公民権運動に閉塞感が見え始めた結果、ビル爆破未遂のテロ事件など多くの問題を起こし、エドガー・フーバーなどの政府側の手によって徹底的に弾圧されて一時は壊滅する」

 

カエル「……ということは、この映画って政治的に見ると極左と極右の対立なの?」

主「まあ、そこまで簡単な話ではないんですが……ブラックパンサー党は貧困に苦しむ黒人を救済する役割も果たしていたしね。マルクス主義者だから、貧しい者に施しを与えるという行為もあった。

 その影響は今でもあって、新ブラックパンサー党を名乗る集団が黒人差別に対して憤り表明している。2016年7月には抗議デモ中の警察官5人を殺害、7人を負傷させた犯人がその一員だったと思わせるようなBPというメッセージを残している」

 

カエル「……なんか、もうめちゃくちゃだね……」

主「ちょっと他の方の感想を読んだけれど……もちろん、この映画の感想は自由だけれど『KKKは差別主義者だからクソ! ブラックパンサー党はなんかいいやつ!』という思いを抱いているとしたら、それはちょっと待ってほしい。

 ブラックパンサー党を正義の味方のように思っているとしたら……確かに当時の弱者である黒人たちの組織であるけれど、それを正しいというのは、自分には違和感がある。

 この映画は差別主義者VS過激な集団の対立を描いているんだ

 

 

以下ネタバレあり 

 

 

 

 

作品考察

 

序盤の警察との関連について

 

それを象徴するのが序盤の描写ということだけれど……

 

 

ここはスパイク・リーの覚悟が見受けられたよ

 

カエル「ロンがブラックパンサー党に潜入した時は、過激なことを言っていても『あれは口から思わず出ただけで問題ないだろう』と擁護したのにも関わらず、KKKの場合は『あいつらはやばい、絶対やる』という風に態度を変えています」

主「この映画のうまさでさ……フリップなどの白人警察官たちはどちらにもフェアな態度を見せるんだよ。つまり『どっちも口は過激だけれど、そこまで危険ではないかもしれない』というような態度。

 この視点がとても大切!

 

カエル「……つまり、黒人であるロンはすでにKKKの面々を敵視してしまう一方で、仲間である黒人たちのブラックパンサー党は好意的に見てしまうんだね。

 ブラックパンサー党に潜入した時、ちょっと影響を受けて半分入りそうになっていたけれど……」

主「当たり前だけれど、ロンは普段から白人の差別意識に苛まれていて参っているわけだ。そこであの潜入捜査を行い、刺激的な体験をしてしまったために、そちらに傾倒するような形になってしまった。

 だけれど……ここでKKKとブラックパンサー党が語っていることは、大差ないのではないか?

 どちらも暴力的であり、相手の人種を敵視するだけで、対決の姿勢を一切崩していないわけじゃない?

カエル「それに思わずのってしまう警察官というのも怖い話なのかなぁ」

 

主「今作はコメディだけれど毒がものすごく強い上に、隠すつもりも一切ない。

 コメディとは政治思想をどのように語るのか? というのが自分の信条の1つだけれど……本作はその毒がものすごく強すぎて、もはや笑うことができないレベルになっている。

 その対比は『ホワイトパワー』VS『ブラックパワー』でも現れていて、自分は決してどちらにも肩入れしないようにバランスを取りながら、お互いの問題点を描いている映画だと受け取った」

 

 

 

自分を縛るもの〜民族と宗教〜

 

そして、フリップはKKKに潜入しますが、白人種でもユダヤ人には容赦がありません

 

根本に優生思想がある組織だから、黒人のみならずユダヤ人も敵視している

  

カエル「つまり、伝統的なプロテスタントの価値観を尊重することから、黒人のみならず同性愛者やユダヤ人なども差別されてしまったということだね……」

主「アメリカって言ってしまえば神の国なんだけれど、それはプロテスタントの国という意味でもある。

 だからクリスチャンが多いイタリア系だったり、あるいはユダヤ人なども差別されてきた部分もあるし、神の存在を否定する共産主義には厳しい対応をしてきたところがある。

 優生思想のために民族主義に走った国や組織が多くあり、それによって多くの悲劇が巻き起こる……これはナチスなどの敗戦国ばかりが注目されるけれど、ユダヤ人差別なんてものは戦勝国など、世界中でどこでも見られたものでもあったわけだ。

 優生思想は本当にタチが悪い

 

カエル「だけれど、アメリカで暮らしているうちに自分がユダヤ系であると思わなくなっていき、あまり宗教的に熱心ではないフリップみたいな存在も現れるわけだよね?」

主「ここで彼は自分のルーツに向き合うことになる。

 そして、ユダヤ人であることを再確認するわけだ。

 人間のルーツってそんなものであってさ、普段は特に意識しないかもしれないけれど、でもふとした瞬間に思い出すもの。特にアメリカのようにルーツがはっきりとしてしまう移民ばかりの国だと、余計にそれを感じるのかもしれないね」

 

カエル「……ルーツかぁ。確かに、そこにこだわりをもつ人だって多くいるわけだし、すごく細かいことで言えば日本人だって東京出身、地方出身などの県民性などでルーツを感じる瞬間もあるわけだもんね。

 そこをうまく描いた邦画が『翔んで埼玉』なわけだし」

主「KKKやブラックパンサー党が自分のルーツや肌の色にこだわることというのは、移民の国ではもしかしたら当然なのかもしれない。だけれど、それが差別となってしまったために、ここまで大きな悲劇が起こってしまう……

 自分だって日本から離れたらそのルーツを強く意識するだろうし、そういった数々の思いを象徴したシーンだったんじゃないかな。

 もしかしたら……島国ということもあるけれど”日本人とは何か?”という自らのルーツやアイデンティティ……命題を考えていないのは、世界中でも日本人だけかもね

 

 

 

銃と標的〜黒人差別の本質とは?〜

 

ここはとても印象に残ったけれど『グリーンブック』に対する批判でもあります

 

 

 

なぜ黒人たちは差別に怒っているのか?

 

カエル「グリーンブックはとても評価が高いけれど、でも差別の描写があまり攻めていないことが気になったかなぁ」

主「黒人の方々はなぜ差別に怒っているんですか?

 レストランに入れないから?

 トイレを分けられているから?

 まあ、それももちろんあるでしょうが……違うでしょ?

 白人たちに面白半分で銃で撃たれていると受け止められるような、黒人だったら撃ってもいい、それでも過剰防衛にならない現状、命の軽視に対して憤りを抱いているんじゃないですか?

 

カエル「法の番人である警察官が差別的な視点を行い、さらに司法の場でもそれを擁護されて無罪になってしまうと、その怒りは相当なものだよね……」

主「あのシーンはとてもマイルドに表現されているけれど、実態はKKKをはじめとした差別的な白人たちによって、半ば弄ばれるように亡くなっていた黒人たちを連想させる描写ですよ。

 白人がゲラゲラ笑いながら……実際にそれが的だとしてもバンバン銃を撃って黒人を傷つけるような想像をしている。それに怒りを込めて、おかしいだろうと大きな声をあげた名シーンです!

 覚悟が違うよ

 

f:id:monogatarukam:20190323144332j:plain

(C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED.

 

黒人への過酷なリンチ

 

最近の調査では1877年から1950年までの私刑(リンチ)で亡くなった方は4000人近いと言われています

 

”公開行事”だった例もある。

 

主「数百人、時には数千人の観客の前で黒人をリンチして、体の一部の切断や、場合によっては生きたまま火にかけられていく姿を娯楽として眺め、遺体の各部をお土産として配られることすらあった。

 『奇妙な果実』の時代であり、そんなことが日常でもあった」

 

カエル「だから『グリーンブック』の差別表現はぬるいってこと……」

主「あの映画は白人と黒人の間で受け止め方が違うけれど、それは当然でしょう。加害者側が描いた差別の映画で、被害が軽く描かれて”融和を大切に!”なんて言われたら、そりゃ怒りますよ。

 これだけの覚悟があるからこそ、スパイク・リーは怒ったし会場を出ようとした。

 黒人を代表する監督して異議を唱えようとした。

 自分はその思いに納得だし、それをやるだけの表現をしてきていると高く評価する。この映画の差別表現は……本当に覚悟と祈りと願いが感じられる、素晴らしいものです

 

 

 

終盤以降の描写について 

 

終盤の描写〜絵画の前のロン

 

そして終盤の描写についてのお話になっていきます

 

 

映画は佳境を迎え、KKKの主要人物であるデヴィット・デュークの護衛の任務につく

  

カエル「白人至上主義者の護衛に黒人がつくというのは、なかなかの事態だよね……」

主「ここで1枚の絵画の前にロンが立つじゃない?

 そこには王、あるいは主によって祝福を受ける騎士の姿があった。そして下から見上げるようにカメラが捉えていたけれど、おそらくこの場面は”ロンが本物の警察官となった”ことを証明しているのではないだろうか?」

 

カエル「……つまり、自分の主義主張を乗り越えて、警察官としての任務を推敲するということ?」

主「ここで私情によってデュークを見放したとなれば、それは黒人を弄ぶ白人たちと全く同じことになってしまう。

 だけれど、彼は任務のために、人種の壁や思想を乗り越えて警護の任務を果たすことになる。

 それだけ大きな意味を示す変化を、たった1カットで描いてしまった。

 それがこの作品の映画としてのうまい部分でもあるね」

 

f:id:monogatarukam:20190323144342j:plain

(C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED.

 

映画が助長した差別

 

そして、誰もが注目するであろう『國民の創生』を鑑賞している場面になります

 

自分が絶賛したいのはこのシーンだ!

 

 

 

主「急だけれど、KKKの衣装ってどんなものを連想する?」

カエル「え? 映画に出てきたような、白人を意味するような真っ白なシーツを被った姿じゃないの?」

主「実は初期のKKKの衣装はそのようなものではなかったとされている。

 緋色の服が多かったとけれど、当時はまだ衣装が統一されておらず、色も形もマチマチだった」

 

カエル「じゃあ、いつ今のシーツを被った形に統一されたの?」

主「この映画にも登場する『國民の創生』以降だよ。

 この作品の……グリフィスの映画監督としてのうまい部分だけれど、今作では主役たちであるKKK=白人をより強調するためにその衣装を白く統一した。つまり、正義の味方(白人)は白、悪の存在(黒人)を黒とすることで、モノクロでもわかりやすいように演出されているんだ。

 このような映画の演出によってKKKの衣装は白に統一されたとされている。

 同じような例はサンタクロースの服の色だね。昔は緑などもあったけれど、コカコーラ社の宣伝の影響で赤に統一された、ということがある」

 

カエル「映画の影響って大きいんだね……」

主「以前にも述べたように『國民の創生』自体は映画史に残る名作です。だけれど、そのメッセージ性が問題を抱えており、大きな差別意識をさらに巻き起こしてしまった。

 これは映画に限らない表現全般に言えるけれど、ハリウッドはなんども誤まった表現を発信しているんだよ

 

カエル「いつも述べるのは、共産主義者を排斥した『赤狩り』だよね。それで苦しんだ人もたくさんいて……だけれど、ダルトン・トランボはもしかしたら赤狩りにあわなければ『ローマの休日』を作らなかったかもしれないと考えると、また複雑な思いがあるけれど……」

主「また、ウォルト・ディズニーは戦意高揚のためのアニメ作品も製作してきたし、そのような映画はたくさんある。それこそ、本作の冒頭であげられた『風とともに去ぬ』も差別的な描写がある。

 映画文化というのは、時に間違った価値観……あるいは極端な価値観を広めてしまう可能性があるんだ

 

 

 

映画が描く”正義”と”悪”の残酷さ

 

この時代は黒人が差別されていて悪だったこともあるけれど……それにしてもひどいよね……

 

でもさ、本当にこの場面を見て人ごとでいられる映画好きってどれくらいいるんだろうね?

 

 

カエル「え? だって、これは昔の話じゃないの?」

主「……そんな単純な話ならばどれだけよかったか。

 例えば以前も語ったところだと『ロッキー4』は明確なプロパガンダ映画である。アメリカの英雄であるロッキーが、ソ連のドラゴ相手に勝利して『君も変わることができる!』と叫ぶ。

 この描写で熱狂することができるのは、西側諸国の価値観を持つ人達だけだよ。

 仮に東側の……ソ連からしたら、自分の国の代表が負けた上に政治信条も否定されてしまう」

 

カエル「立場によって映画の受け取り方は大きく変わるって話だね」

主「それが単なる娯楽として成立したのは冷戦構造下にあるからだ。

 今だったらどうなるか?

 それは『クリード2』が証明してくれている。

 このように映画に対する価値観というのは、時代や社会情勢とともに変化する。もしかしたら……近年公開したアクションエンタメ作品だったり、あるいは『マッドマックス4』ような明らかな悪者を倒した時に爽快感を覚えて、叫ぶような観客達も100年後には今作のKKKのような差別的な描写に見えるかもしれない

 

カエル「……社会情勢が変われば、誰かを傷つけたりするだけで悪となる時代がくるかもしれないってこと?」

主「あくまでも可能性の問題だ。

 『國民の創生』を見ているKKKのメンバーたちは、それが悪趣味だと全く気が付いていない。

 むしろ、黒人は倒されて当然の悪党だと感じているからこそ、あれだけ熱狂することができ。

 そして、当時はその描写は賛否はあれども一定以上の娯楽要素であったはずなんだ。

 だから……物を作る人間、あるいは表現する人間は試されることになる。その表現は100年後も通用するのか?

 それは何らかの差別や偏見を助長していないかってね。

 ハリウッドの映画人たちに、スパイク・リー自ら問いかけたのがあのシーンだったと思う。

 もちろん、ブラックパンサー党とKKKの対比もあるだろうけれど……自分は両者ともに同じように偏った組織だと思っているので、対比というようには同一視のように感じたかな」

 

 

blog.monogatarukame.net

blog.monogatarukame.net

 

 

物語の1つの結末

 

そして、KKKは大きな1つの結末を迎えます

 

 

……あれに爽快感を覚えた人はいるのかな?

 

 

カエル「映画としてはすごく派手だったけれど、でも何とも言えない複雑な印象になってしまったよねぇ……」

主「描写は派手でも、そこで残されたある人の泣きさけぶ姿だったり、あの丸くなった姿を見て、自分は悲壮感を抱いた。

 だから……先にも述べたけれど”KKKは悪で馬鹿たち、ブラックパンサー党は理知的”みたいな感想を述べる方も多いけれど、自分はそれは違うと思っている。

 本当にそうならば、もっと爽快感があるように撮るよ。

 ここまでコメディに徹して娯楽映画にしているのに、何でそうしないわけ?」

 

カエル「……その理由ってなに?」

主「スパイク・リーは本気でこの人種間の対立、分断を憂いているんだよ。 

 確かにKKKは馬鹿だし、どうしようもない存在だった。だけれど、それを単なる馬鹿たちの自爆で片付けず、爽快感を無くした。

 なぜならば、それをやってしまえば……単純に白人=悪とするのであれば、それは『國民の創生』が行った過ちを繰り返すことになるからではないのか?

 それだけの愚かな行為に走った彼らに悲壮感を与えることで”憎むべきは人種差別、ヘイト表現である”ということを描き、普通の白人たちにも愛を示したと自分は捉えるけれどね」

 

 

 

 

白人と黒人の融和

 

じゃあ、この映画を見て僕たちはどうすればいいの?

 

それは映画が示してくれているじゃない 

 

カエル「……あの差別的な警察官が連行されていくシーンのこと?」

主「あのシーンは決して黒人と白人の対立を描いているわけでも、暴力的な手法によって成り立っているわけでもない。

 正当な手段によって、平和的に差別主義者を法的な理由の元に排除している。

 差別主義者はクソ野郎ですよ。

 だけれど、それに対抗するようなことを表明して戦うことではなく、白人と黒人(有色人種)がともに手を取り合うことで、そのような不適切な差別主義者を排除することができる。

 すごくさりげないかもしれないけれど、この映画が示したメッセージとしてとても大きなものだったのではないかな?」

 

f:id:monogatarukam:20190323144328j:plain

(C)2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED.

 

ラストの描写〜スパイク・リーの本気の願い〜

 

誰もが話題にするだろうけれど、あのラストの描写についてはどう思うの?

 

……以前にも述べたけれど、映画としては余計な描写だったと思っている

 

 

カエル「劇映画としての可能性や、物語の力をもっと信じてほしいという思いはあるよね。

 あの描写が入ったことによって、それまで寓話やメタファーを交えながら発揮されていた物語が完全に別のものになってしまったというか……」

 主「でも……自分はこの決断を高く評価する。

 というか、評価しなくてはいけないとすら思っている。

 ……アカデミー賞の時もさ、スパイク・リーはまるで子供のように大喜びしていたじゃない。盟友であるサミュエル・L・ジャクソンに飛びついて、子供のような笑顔を浮かべて……もういい歳したお爺ちゃんだよ?

 それで『グリーンブック』にはあれだけ怒ってさ……大人げないし、子供っぽいけれど、でもそれだけ本気なんだよ

 

カエル「授賞式全体でも感動的なシーンだったね。まるで監督賞や作品賞をとったかのような大喜びで……」

主「あのシーンがこの映画の印象を大きく左右してしまうことくらい、絶対わかっているよ。

 それでも、あのシーンを入れざるをえなかった。

 差別主義者によって……たとえそのカウンターだとしても、差別主義者への暴力によって、世界中で血が流れている。アメリカでは白人と黒人の対立が続き、その溝は深刻なことになっている。

 それをアメリカの黒人問題を糾弾し続けた監督が本気で憂いて、本気で嘆いて、こんなことはやめようと告げている。

 本当にこの映画が”黒人のための映画”だとしたら、最後に哀悼を表した少女はなんだったのか?

 そうじゃないでしょ?

 差別主義者、偏見による断絶と対立の果てに若い命が散ってしまう……その現状にどうしても抗議を表明しないといけなかった

 

カエル「……だからあのシーンを入れたんだ」

主「もうこの映画は明確なプロパガンダ映画だよ。

 劇映画としての完成度を捨てて、あの描写を入れた時点でチャップリンの『独裁者』と同じような政治的な作品になってしまった。

 でもあの本気で語って、本気で笑って、本気で怒ったスパイク・リーがあの描写を入れたことの意味を考えたら、この主張に対して自分は拍手喝采、賛同します。

 この映画は本物の未来志向の作品であり、そして歴史によって差別されてきた黒人の代表的な存在である監督だからこそできた、最大の祈りと願いがこもった作品だった」

 

 

 

まとめ

 

この記事のまとめになります!

 

  • KKK、ブラックパンサー党による人種差別の対立を深く描く!
  • 黒人が受けてきた差別から逃げずに表現!
  • 映画表現の持つ危うさと可能性を発揮した作品!
  • 賛否はあるでしょうが、ラストシーンに込めた思いが伝わって来る!

 

 

その力強さに心を打たれました

 

 

主「もしかしたら……この映画は”黒人”の監督であるスパイク・リーだからできたものということを考えると、彼の限界を示したものになるかもしれない。

 人種の壁を乗り越えて欲しいと言いながら、黒人であることを最大限に利用した作品でもあるからね。

 でも……自分はアカデミー賞に黒人、白人の壁はいらない、今の白人主義の批判を恐れる姿は異常だとすら思うけれど、そんな人間の魂を動かしたのだから……本物ですよ」

 

カエル「これを対岸の火事としないで、日本人にも見てほしいよね……

 日本でも右派と左派の差別主義に対する対立はあるし、正直外から見たらどっちもどっちだと思うし……」

主「自分は2019年は『バジュランギおじさんと小さな迷子』を絶賛したけれど、これも緊張の続く印パ関係の未来を願うものだった。

 きれいごとでは片付かない、難しい問題だからこそ……今作のような表現が世界を変えてくれることを、痛切に願いながらこの記事を終えることにします

 

 

blog.monogatarukame.net

blog.monogatarukame.net

blog.monogatarukame.net

 

 

blog.monogatarukame.net