物語る亀

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物語愛好者の雑文

絶賛!映画『洗骨』ネタバレ感想&評価! ガレッジセールのゴリが監督した本作は、今の沖縄問題を考える上でも大切な1作!

 

今回はガレッジセールのゴリでも活躍する照屋年之監督作品のレビュー記事です!

 

 

 

 

芸能人監督が続々と増えているな

 

カエルくん(以下カエル)

「昔からたくさんいたけれど、大成功した北野武以外はパッとしないかなぁ……

 一応『火花』などの板尾創路がずっと監督し続けているけれど、いまいちパッとしない印象もあるかな」

 

「そんな状況だったのが『blank13』の斎藤工監督、あとはプロデューサー業ではあるけれど『デイアンドナイト』の山田孝之も素晴らしい作品を作り上げている。

 海外だったらクリント・イーストウッドは別格として『アリー・スター誕生』のブラットリー・クーパーもいるし、別に特別なことではないはずなんだけれどね」

 

カエル「当然のことながら撮影現場くらいしか知らないであろう役者という仕事では映画全体をコントロールをするのは難しいというのもあるんだろうけれど……

 特にお笑い芸人は何人も挑戦しては、失敗しての歴史があるからねぇ

主「舞台やテレビのお笑いと映画の笑いはまったく違うし、そもそも、いきなり大きい作品を作ろうとしすぎというのもあるかもね。

 小さい作品を幾つか作ってからステップアップするのが妥当だし、もしくは誰か師匠格の人の下について勉強するとか……イーストウッドとドン・シーゲルがその師匠格にあたるわけじゃない?

 そういう目標とする明確な人物がいるかいないかというのも、大きいのかな。

 では、そろそろ記事に入りましょう!」

 

 

 

 

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作品紹介・あらすじ

 

 お笑いコンビ、ガレッジセールのゴリとして活躍する照屋年之が、本名で監督を務めた映画作品。今作では監督のほか、脚本も担当している。

 主人公の信綱役にはこちらも役者出身ながら、何作もの映画を監督した奥田瑛二が務めるほか、長女の優子役に水崎綾女、長男の剛役に筒井道隆を起用。

 その他、筒井真理子、大島蓉子、坂本あきら、鈴木Q太郎などが脇を固める。

 

 

 沖縄県・粟国島に伝わる風習『洗骨』のために島へ帰ってきた新城一家。一家を支え続けていた母が亡くなり、悲しみのあまりに荒れ果ててしまった信綱の家に久々に戻ってきた優子の変化に、家族全員が驚くことに。

 さらに剛は変わり果てて父の姿に反発し大切な儀式を数日後に控えた中、家族はバラバラになりかけていた……

 


『洗骨』予告編

 

 

 

 

感想

 

それでは、Twitterの短評からスタートです!

 

 

本当にオススメしたい、2019年屈指の邦画になること間違いなしの1作!

 

 

カエル「お! そこまで言い切るんだね!」

主「もちろん、お笑い芸人が作ったことでの不安もある方もいるかもしれませんが、本作はそんなことは関係ないくらいしっかりとした映画になっています!

カエル「泣いた! という意見も多くありますが、基本的にはお涙頂戴の作品になっていません」

 

主「何がすごいって、演出がしっかりしているんだよ。

 これは後述するけれど、映像面でいろいろな状況を語っている。カメラの焦点の変化……つまり人物に対してボカシを入れることで、感情を表現していたり、あとは立ち位置などで誰と誰が対立し、それがどのように変化していくのか? という映像面で重要な演出がはっきりとされている。

 もちろん、これはカメラマンの腕がいいのもあるだろうけれど……スタッフとの意思疎通が出来ていることが伺える。

 また脚本も今作は監督自ら担当しているけれど、序盤の掴みから構成などもしっかりと出来ているので、映画としての完成度の高さが伺える。

 何よりも……きっちりとエンタメ性の中にメッセージ性だったり、沖縄である理由なども含まれているんだ

 

カエル「吉本ももっと大々的に宣伝したらいいのに……という思いもあるよね。

 やっぱり題材が売れづらいものだからかなぁ?」

主「それもあるかもね。

 だけれど、その吉本のバックがつかないからこそ、こういう作家性に溢れた作品が撮れたこともあるでしょう。

 もちろん、本作はシリアスな面もたくさんあるけれど、そこを笑いで外して過度に緊張感を高めたりしないように工夫されている。その外し方が本当に見事でバランスも適切。

 はっきりと言うけれど、本作の登場によってゴリ=照屋年之監督は邦画界でも注目すべき逸材になりました

 

 

 

芸能人が作った作品

 

芸能人……特にお笑い芸人が監督した作品にはいろいろな思いがある方も多いのではないでしょうか?

 

笑いを過剰に入れ過ぎてしまい、結果的に崩壊する映画も多かったね

 

カエル「こればっかりはお笑い芸人さんだ監督をしているし、自分がやるならば爆笑映画にしよう! と思うのも理解できるからしょうがない面もあるけれどさ……

 近年もお笑い界の重鎮たちがたくさん映画を作っては、失敗していった歴史があるからなぁ」

主「当然のことながら映画の笑いとテレビや舞台の笑いというものは違う。

 テレビなどのコントなどは、安くてもいいんです。

 セットや設定が明らかに現実離れしていても笑えたりする。だけれど、映画はその安さを見せてしまうと途端に冷めてしまう部分がある。

 あとは……おふざけをしない、というのが映画では求められるのかな

 

カエル「おふざけをしない?」

主「みんな各キャラクターが真面目な行動をした結果、笑いが発生するという現象が映画には求められる。

 テレビのバラエティとかだと、明らかに悪ノリしてふざけている場面でもゲラゲラ笑えているけれど、劇場ではそうもいかなくて……そもそも、日本の映画館は文化的に笑うことをためらうようなところがあるし。

 映画の場合は『面白いことをしよう!』とするのではなく、みんな大真面目なんだけれど笑えてくる、という方が物語の邪魔にもならずにいいのかもしれない

 

カエル「それと、冒頭でも書いたように斎藤工監督や山田孝之プロデューサーのように、芸能人監督映画=駄作にはなっていないよね」

主「このあたりは小さい映画というのもあるかもしれない。

 照屋年之監督も長編に挑戦した後、何作もの短編映画の製作に取り組んでいてそこで力をつけてきて、ようやく長編に挑戦した。そりゃ、誰だっていきなり大きな映画を撮ったら失敗するよ

 それから『Blank13』との共通点はどちらも”家族の死”をテーマにしていながらも、決して重くなりすぎないようにコメディ要素も含めていること。

 この辺りのバランス感覚もバラエティに接しているからなのかな」

 

 

 

 

キャストについて

 

それでは、役者について語りましょう!

 

もちろん、今作の役者陣もとてもいい演技を披露しています!

 

カエル「沖縄出身の人ではない俳優さんを固めてきたけれど、方言などに違和感がなかったね!

 まあ、僕たちよりも沖縄在住の方々が見てどう思うか? という問題かもしれないけれど……」

主「正直言えば、本作の序盤の演技には疑問があったんだよ。

 というのは……自分はいい演技というのは”丸”だと思っている。角がなく、なめらかで引っかからない演技。だけれど、本作の場合は角が感じられて”四角”のように思った」

 

カエル「……えらい感覚的なお話だけれど、それは演技が硬いってこと?」

主「そうだね。

 本作はほぼ冒頭からラストまで順番にとっていく、いわゆる順撮りで撮影されているようだけれど、冒頭の硬さはその影響かもしれない。

 だけれど、途中から本作の硬さがほとんどなくなっていったんだよ

 

カエル「それは具体的にどのあたりから?」

主「鈴木Q太郎が出てきたあたりかな。

 今作ではもちろん主演の奥田瑛二、水崎綾女などの自分も好きな役者さんが多く登場しているけれど、自分はMVPはQ太郎だと思う。

 というのもさ……この作品では唯一芸人畑の人間なんだよね。

 それが俳優畑の人たちが多い中で、若干浮いているんだけれどいいアクセントになっていた。

 笑いという意味でもそうだけれど、その浮いている感覚がいわゆる本土の……”内地”の人間代表にも繋がってくる。

 だけれど、決して馬鹿にしているわけではないんだ

 これがとてもうまいバランスであり、自分は褒め称えたい」

 

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ドキュメンタリーのような演出がもたらす緊張感とリアリティ

 

あとはドキュメンタリーのような演出もあったよね

 

本作の洗骨のシーンのリハーサル段階では骨を役者陣には見せなかったんだって

 

主「だから、作中で”大好きな母が骨になる”という緊張感は、実際に初めて骨を見る役者たちの演技に現れている。

 おそらく骨自体は作り物だとは思うけれど、相当念密な取材を重ねておりリアルに作られている。

 その緊張感がしっかりと映画の中に捉えらていた。

 だけれど、決してそれは”気持ち悪いものを見る”というオカルトやホラーではなくて……愛しい母親との再会という意味合いを持っている

 

カエル「そこで恐ろしい行為のように描いたらこの映画の全てが崩壊するもんね……」

主「同時に、序盤では島に暮らすお年寄りや子供たちの様子も描いているんだよ。

 そこは演技ではなくて、ドキュメンタリータッチなんだ。

 おそらく、本当に島に暮らす人々をそのままの姿で撮影している。

 このような描写が1つ入ることによって、物語の嘘の壁が少なくなる。

 もちろん、この物語自体はフィクションです。

 だけれど、この風習やこの島に暮らす人々はちゃんとあって、そこには嘘がない……そのことが観客にも伝わって来る

 

カエル「この風習を嘘くさく描いてしまったら、そこでおしまいだもんね……」

主「だから、これは役者というよりも演出の勝利と言えるかもしれないけれど……本作には嘘がとても少ないように感じられた。

 それが大きなメッセージ性となって、観客に伝わって来るんだ」

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

作品考察

 

演出の見どころ

 

それでは、ここからはネタバレありで語っていきましょう

 

まずは演出面の見どころについて話そうか

 

カエル「ネタバレなしのパートでは濁したけれど、どのような部分がうまいの?」

主「まず、序盤の優子が少し外を歩いてから帰ってきた時のシーンから話そう。

 そこでは実家に親戚一同がいるんだけれど、お母さんの仏壇の前には兄の剛が座っている。そして家長である奥田瑛二演じる信綱が中央にいて、外につながる下座に信綱の姉である信子などの高安家の面々が座っている。

 そこに優子が外から帰ってくるんだけれど、ベランダにずっといて、家の中へは一切入らないで外でじっと話している。

 これだけで映像としては完成しているんだ」

 

カエル「えっと……どういうこと?」

主「この映画で最大の対立をするのが剛と優子だけれど、机を挟んで優子から最も遠いところにいるのが剛である。つまり、机という大きな壁があるということだね。

 そして高安家の面々は決して優子と対立はしないから、一番外に近いところにいる。信綱はこの時家長ではあるものの、優柔不断なところがあるから、その剛と優子の間で板挟みになっている。

 優子は決して家に入ることはない……これは新城家に入ることができない、後ろめたいことがあるという演出でもあるんだ

 

カエル「つまり、家族の一員ではない、ということなんだ……」

主「それを補完する演出があって、優子が島をブラブラとしていると三線を弾いているおじいさん達がいるけれど、彼らにはカメラの焦点が途中から合わなくなるわけだ。

 これは”島の一員になりきれていない、後ろめたさがある”という心情表現でもあり、それをカメラだけで説明している。

 このような映像表現を比較的序盤でキッチリと行うことで”映画としても見所がある作品だよ”という、ある種の技術面でのアピールにもなっている

 

カエル「あのスタートも思わず笑ってしまったし、引き込まれたし相当考えられた上手いものだったよね」

主「それから、この映画では大事な役割を果たすブランコに朝日が昇るシーンもよかったなぁ……その前後ではシリアスな展開が続いていたけれど”ここからこの家族の再生の物語が始まりますよ”という合図にもなっていたよ」

 

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この構図がとても映画的!

 

本土と沖縄〜鈴木Q太郎が果たした役割〜

 

絶賛した鈴木Q太郎が果たした役割ってなんなの?

 

彼がいないと、この映画は”沖縄県の奇習の映画”になり兼ねなった

 

カエル「奇習というと聞こえが悪いけれど、でも一歩間違えるとただのホラー映画になってしまうよね……それをこのようにホラーにせずに、感動の人間ドラマに仕立て上げたところが本作の最大の意義だと思うけれど」

主「どうしても沖縄県は日本の歴史を考える上でも独特の歴史を歩んでいるところがあるけれど、下手をすれば本土の人間と全く縁のない物語にだってなりかねなかった。

 それは沖縄だから、というよりも、地域振興映画の多くに言えるかもしれないけれど、その地域の良さや文化をアピールするのは大事だけれど、それは他の地域との結び付からないと”僕らには関係のない映画”と受け止められる可能性だってある。

 大事なのは”沖縄に寄り添う物語”なんだ」

 

カエル「沖縄だけで上映するわけではないし、そこで沖縄と本土を分断するようなことは、誰も望んでいないはずだよね……」

主「そこで登場するのが鈴木Q太郎なんだけれど、彼は”沖縄について何も知らない本土側の人間”であると同時に、この家においての異物としての役割もある。

 だから、彼は纏う空気感から何からが全て違う。

 それまでの、どシリアスなシーンから見事に外してきているんだ」

 

カエル「結構コミカルな役だけれど、でもQ太郎の見た目などがいいアクセントになっていたしね。そこには本土の人間をバカにするような意図なんて一切ないことも感じられたし……」

主「そして、この映画は”新しく家族を作る”ということも描いている。

 ウチナーだ、内地だという区別をつけずに沖縄と本土をつなぐ、新しい家族を作りこれまでと同じように生活する……その意図を大いに感じさせてくれたのは、Q太郎を起用したことと演出面の最高の工夫と言える

 

 

 

 

死と生の境界線とは?〜現代における日常と非日常の境界線〜

 

本作では”死と生”について語れているけれど、そこについてはどう考えるの?

 

とても大好きなシーンが多く出てきたよ

 

カエル「そもそも、この洗骨って文化は何のためにあるんだろうね?」

主「多分だけれど、人の死を受け入れるためだろう。

 例えば葬式や通夜というのは、その人が亡くなったことを遺された側が受け止めるための儀式だと考えている。もちろん、それはそれだけで全てを受け入れることなんてできない人がたくさんいて、だからこそ……火葬の後で骨を拾うという文化もある。

 よくよく考えてみると骨を拾うのも残酷な文化でさ、つい数日前まで生きていた大事な家族が亡くなったからって、骨にしてそれを家族や親しい人たちに拾わせるというのは、そこだけを考えると非道な行為にも思える。

 だけれど、やっぱりそこまでしないと人は身内の死を受け入れらないんだよ

 

カエル「そこまでやっても受け入れらない人だってたくさんいて……だからこそ、人が亡くなることを意識する瞬間はとても尊いものでもあるね」

主「洗骨というのは、その死を遺された人が意識するための大事な儀式なのだろう。

 本作も美しい姿とその後を描くことによって、生と死を描いていたけれど……この作品で大好きなのは『あの世の境界線』のシーンだ」

 

カエル「Q太郎演じる神山が『どこからがあの世なの?』としつこいくらいに聞いて、島の中でもあの世とされるラインを越えた瞬間に『あの世って何も変わらないね』という語る場面だよね」

主「この映画がとても好きなのは”生と死”という対立するような事柄をシームレスに描いたことなんだ。

 現代では人は生まれるときも亡くなるときも病院になっている。もちろん、安全や義務手続きを考えれば当然のことでもあるけれど、その結果、生や死が日常から遠く離れたところにあるようになってしまった。

 だけれど、本来は生者の暮らす日常の世界と、死者の暮らす世界はつながっている。

 特別な壁やラインがあるわけではないんだよ。

 それをしっかりと描いてくれたのが、本作なんだ」

 

カエル「ふむふむ……」

主「そして生と死はつながっている。そのことをビジュアル面でもはっきりと見せてくれたしね。

 もちろん、終盤の展開について色々と思う人もいるでしょう……自分は正直、ドン引きしていたし、あれでいいの? って思っていた。

 だけれど、それが男と女の感覚の違いであって……その意識の違い見事に描ききったことも含めて、生と死の描き方がとても素晴らしいんだ。

 違いがあるのはしょうがないし、いいんだよ。

 だけれど、その違いを乗り越える、時には笑いに変えることが大事なんだ

カエル「ちなみに、終盤の展開に関しては劇場内の女性陣がゲラゲラ笑い、男性陣はそこまで笑い声が上がらなかったことを報告します」

 

 

 

現代だからこその物語

 

最後に、なぜ本作をそこまで褒め称えるのかというお話をしておきましょう

 

今、沖縄の問題によって大きな分断が生まれつつある

 

カエル「基地問題はもちろんのこと、他にも貧困や賃金格差などの経済関係の問題なども多いという報道があるね。

 特に基地問題はとても難しい問題で、地政学上の問題や歴史、国際関係や防衛mあるいはイデオロギーの問題も含まれてくるから、簡単に答えは絶対にでてこないでしょう」

 

主「今日明日で解決できるものでは絶対にないし、10年、20年単位で考えても解決の難しい問題でもある。そして、それは沖縄だけの問題でもなく、内地や政府の考え方もあるからはっきりと対立してしまうことも多い。

 だけれど、本当に必要とされているのは、今作のような”沖縄に深く寄り添った映画”なのではないかな?

カエル「確かに沖縄の離島の文化かもしれないけれど、そこには知られざる姿があったもんね」

 

主「どんな問題もそうだけれど、まずは”知る”ということが第一歩となる。

 沖縄がどのような思いを抱いているのか、何が特殊で何が内地と変わらないのかを知る。

 そして沖縄の方々は内地を敵とするのではなく、その思いを知る。

 その相互理解の先に、沖縄を知り、本土を知って本当の解決策が見えてくるはずなんだ

カエル「……本当の解決策かぁ。

 確かに、この映画は神山を受け入れようとする新城家の姿と、沖縄を知ろうとする神山の姿が印象的でもあるよね」

 

主「ウチナーと内地、生と死、過去と未来……その様々な思いの融和を描いた本作は、現代日本社会において最も重要な作品の1つになるだろう。

 これほどまでの作品が生まれたことがほとんど話題にもならずに、芸能人監督だからとバカにされてしまったとしたら……それは映画好きとして、とても悲しいことだろう

 

 

 

まとめ

 

では、この記事のまとめになります!

 

  • 芸人監督だからとバカにしないで! 2019年屈指の邦画!
  • シリアスの後には笑いも入れて、だけれどバランスも考えてある1作!
  • 生と死の境界線をシームレスに描いた映像表現に感動!
  • 現在の沖縄問題を考える上でも大切な1作になるはず!

 

本当に万人にオススメしたい作品です!

 

カエル「お年寄りから子供まで、誰もが楽しめること間違いなしの映画だもんね!

 少し重そうだなぁ……と倦厭している方がいたら、それは本当にもったいないです!」

主「2019年に鑑賞した映画だと『バジュランギおじさんと小さな迷子』でも感じたけれど、このような色々な問題を抱える両者の融和を描いた作品というのは、本当に大切で尊いものだ。

 もちろん娯楽映画もいいけれど、このような映画をちゃんと評価してほしいし、注目してくれる映画賞や雑誌などがあればいんだけれどね」