百田尚樹ってこんな現代の若者向けの恋愛小説も書いているんだね……
どうしても戦争ものの印象が強いの
カエルくん(以下カエル)
「ちなみに、うちは恋愛映画音痴なところがありますので、あしからず……」
亀爺(以下亀)
「といっても好きな作品ももちろんあるがの。
『ローマの休日』などは見なければいけない大名作じゃよ」
カエル「うん、映画好きならば誰もが知っているし、そうじゃない人には古すぎてハードルが高い作品を挙げていくと老害感も出てくるから気をつけたほうがいいよ?
もちろん名作なのは誰もが認めるだろうけれど。
ちなみに三木監督は『坂道のアポロン』以来だよね……毎年にコンスタントに撮っているなぁ」
亀「恋愛映画を中心にある種の安定感がある監督じゃな。
では、その最新作がどうなっているか……記事を始めるとするかの」
作品紹介・あらすじ
人気作家、百田尚樹の同名原作小説を実写映画化した作品。
監督は『僕は明日、昨日の君とデートする』などの若者向け青春、恋愛映画を多く手掛ける三木孝浩が勤め『かぐや姫』などの坂口理子が脚本を担当する。
主演は神木隆之介と有村架純。
時任三郎、斉藤由貴、北村有起哉、志尊淳、DAIGO、松井愛莉らが脇を固める。
幼い頃に飛行機事故に遭い、家族が亡くなった中1人だけ生き残った主人公、木山慎一郎は体が透けてしまう人を目撃する。不審に思いその後を追うと、その人物は交通事故によって亡くなってしまった。
他人の死を予見することができる不思議な能力『フォルトゥナの瞳』を得た慎一郎だったが、恋人である葵の体も透けてしまう……
映画『フォルトゥナの瞳』×主題歌・挿入歌 ONE OK ROCK [予告2]
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#フォルトゥナの瞳
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年2月15日
うーむ…あの予告が完全に失敗している…
劇場内では鼻をすする音がするものの個人的には凡作の域を出ず
意外性が欠片もないのが気になった上にお話自体は普通の恋愛なので飽きてきた面も
神木隆之介は演技が上手い役者だと思っているけれど今作は平凡に見えたなぁ pic.twitter.com/Qv14Okj6Wn
予告で煽りすぎたこともあるかの
カエル「どうしても『ラストについては秘密にしてください』と言われると、それだけのものがあるのか〜……と身構えてしまうところがあるからね。
それだけハードルが上がってしまうと、どんな作品であっても乗り越えることはできないんじゃないかな?」
亀「この辺りは難しい話じゃが、展開に驚くどんでん返し系の作品というのはそのラストが予想すらしていなかったから響くものであるのに”どんでん返しがあるよ”と言ってしまった段階で、すでにその試みは失敗していると言える。
かといって今の時代にビリー・ワイルダーのある映画のように『このお話のラストはバラさないでください』とエンドロール後に書くのも、それはそれで余韻がなくなってしまうし……難しい問題じゃな」
カエル「じゃあ、そういう点は抜きとして物語としてどうだった?
結構美しい恋愛ドラマのようでもあるけれど……」
亀「凡作、というところではないかの?」
カエル「……たった一言で切り捨てるのね」
亀「ここまで美しい映画になっておることは評価するが、しかし映画としての魅力がわしには全く伝わってこなかった。
恋愛映画としても凡庸であり、ツッコミどころも多数あった。
映像演出の面でも色々と工夫はしているようであるが、訴えかけてくるものがあまりなく……もちろん、一部シーン、特にデートシーンに関しては面白いことをしておったが、そこくらいかの。
それに……今作に限った話ではないが、すでにこのような物語に飽きてしまったこともある」
余命もの、難病ものの増加によって
今年だけでもすでに何作の余命ものや、好きな人が死の可能性を迎える作品が公開されたんだろうね?
もうすでに飽きておるの
カエル「これもいつも語るけれど、やっぱり日本の恋愛における障害がほとんど無い、ということに由来するのかなぁ」
亀「詳しくはこちらの記事を読んでほしい」
カエル「2016年に書いた記事なのに、未だに引き合いに出せるということがショックというか……これだけたくさんの映画があるのに、未だに恋愛ものは死が絡まないと書けないのかなぁ」
亀「このあたりは様々な理由が考えられるので、いかに列挙するとしよう」
- 恋愛における障害が少なくなりドラマが作りづらくなった
- 興行収入を上げるために保守的な作品が増えた
- 批判意見を回避するために挑戦することができなくなった
- タレントのイメージ先行の作品も多いため、突っ込んだ物語は作れなくなった
亀「まず1つ目に上がるのが恋愛における障害のなさじゃな。
かつてはお家問題などがあったが……今でも皇族ならば未だに恋愛相手や結婚相手に対して様々な意見が飛び交うが、一般人ではそんなことはほぼありえんからの。『ロミオとジュリエット』などはお家問題を扱っておるが、それも時代遅れじゃ。
それ以外の恋愛に対する障害……同性愛、身体的なハンデ、精神的ハンデ、親や家族などもあるにはあるが、それは”恋愛映画”とはまた別のジャンルになってしまいかねん」
カエル「近年も障害を扱った恋愛映画があったけれど、カテゴリーとしては恋愛映画ではない印象かなぁ。やっぱり同性愛や障害が絡んでしまうと、特に実写は社会派映画になってしまう印象があるなぁ……」
亀「その中で2人が別れる理由として最も便利なのが死や病気ということじゃな。
そしてそれは、今の物語創作者が病気や死がなければ魅力的な恋愛作品を作ることができないということでもあるかの。
まあ、需要があるから書いているだけ、という話も多く、創作者側も嘆いていそうじゃがな」
カエル「……そんなことを言いながらも市川拓司の恋愛小説では泣いたんですけれどね」
保守的な映画ばかりが作られていく懸念
これはどういうことなの?
結局のところ、今の邦画業界……特に大作が似たような作品ばかりになってしまっているのが1番の悪いポイントじゃな
亀「これは上記の理由のうち、下の3つが該当するが、簡単に言えば”余計なことしたら怒られたり炎上するから、ほどほどにやればいいよ”という精神じゃな。
『なんだかんだ言っても日本の若者や女性はイケメンと美女の恋愛が好きだし、死んだら泣いてくれるんだよ』という話じゃな」
カエル「え〜……どこぞの業界人の話でもなく、単なる憶測ですよ?」
亀「下手に挑戦して失敗して赤字になるならば、恋愛ものもよくある話にしてほどほどにヒットさせよう、という魂胆じゃの。
まあ確かに、映画は興行のために作られているから仕方ない部分もあるが……その結果、同じような映画ばかりが作られてしまう。
確かに本作を見に行くのも神木隆之介や有村架純のファンが多いじゃろう。恋愛映画の多くは若者向けに作られており、若手の登竜門のような要素もあるのは理解する。しかし、これでいいのか、という思いは拭えないの」
カエル「……でもさ、中には素晴らしい作品だってあるんじゃないの?」
亀「そうかもしれんが……少なくとも本作に限って語れば、この設定や今作でないとできない面白さというものは一切見つからなかった。
後々書くが、本作が描いたことなど映画や漫画、アニメで何回もやられていることであり、もっと素晴らしい作品もいくらでもある。
このような形で描くことで、新たな地平線を目指す試みがあったのか?
まずそこから疑問があるの」
役者について
役者について語りましょうか
……語ることもないかの
カエル「えっと……神木隆之介と有村架純のコンビとなると、うちでも大絶賛した『3月のライオン』があったじゃない? あれは姉弟の関係であり、恋愛関係とはまた違うけれど、でも見ごたえがあったよね。
今作ではそれはないの?」
亀「残念ながら、演技がうまいとは全く思えんかった。
というのも、わしは神木隆之介は今の20代の若手男性俳優の中ではトップクラスに演技がうまい役者だと考えておる」
カエル「このあたりは難しい部分があるけれど、どうしても若手男性俳優ってアイドル活動や歌手をやりながら演技もやります! という人も多くて、役者一本という俳優は少ないかもしれないね」
亀「しかし、その神木隆之介の演技も予定調和なものに見えてしまい、うまさを感じることができなかったの。
有村架純とは学年こそ違うものの同い年であり、見た目からしたらピッタリのカップルでもあるが……本作ではどうだったんじゃろうな」
カエル「えっと、じゃあ有村架純は?」
亀「……ネタバレができんので変な物言いになるが、彼女は見た目も中身も真っ直ぐすぎる印象があるかの。
あまり悪女の役に向かないタイプであり、どうしても誠実さが出てしまう。それは人間としては魅力かもしれんが、役者としては色々と勘繰りやすいものになっておる」
カエル「つまり、演技がわかりやすいってこと?」
亀「一言で語ればそうじゃな。
この映画のラストも想像の範囲内であったが、その理由の1つが有村架純の演技じゃな」
カエル「可愛いからオール OK! というわけには……いかないんだろうなぁ。
他の役者は?
DAIGOとかもちょい役ではあるけれど、いいと思うんだけれどなぁ……キムタクと同じような感じで、何やってもDAIGOになってしまうところがあるけれど、でもそれが却って魅力になるというかさ」
亀「時任三郎などはさすがの安定感じゃった。
しかし、取り立てて罵倒することもなければ、褒めることもないかの」
以下ネタバレあり
作品考察
原作者・百田尚樹の問題
それでは、ここからはネタバレありで語っていきます
わしの偏見もあるが、今作の原作が百田尚樹というのがはっきり出てしまったの
カエル「え〜っと……まあ、いろいろと議論が巻き起こりやすい言動の人ではあるけれどさ、普段『人間性と作品は別問題!』とあれだけ言っているじゃない?
だけれど、原作者であることでいろいろな思いがあるの?」
亀「やはりどうしても保守的な思想の側面が強すぎるて、作品自体もそういう目で見てしまった部分がある。
本作は……直接的なネタバレは避けたいが、結局は自己犠牲精神の尊さを描いているように見えてしまった。命をかけて守りたいものを守る姿こそがすばらしい、というのはわかるが……百田尚樹がそれを描いてしまうと、変な意味を持ってしまいかねん」
カエル「普段の言動が言動だから、それもしょうがないのかなぁ」
亀「わしがこの映画を見ている最中に思ったのは『結局は特攻賛美の物語か』ということじゃった。
多くの人を救うために命をかける姿、そこに感動するというのは……わからなくはないが、その精神はすでに過去のものだと考えておる。
日本企業の悪しき習慣、サービス残業や休日返上で働いて会社を支えよう! 精神と似たようものがあり、そこから脱却する必要性があるとは思うのじゃがな」
カエル「戦争中の特攻を賛美すること自体には違和感がある方もいるだろうけれどね」
亀「さらに言えば本作は……これも非常に難しい部分に入るので詳しい説明はしないが、主人公の木山に対して嫌がらせをしている彼の名前から、そこには俗説を信じていると思われる百田尚樹の差別的な意識を感じてしまった。
『いや、ただの名前だ。お前の考えすぎだ』と言われるかもしれんが……あそこまでわかりやすい悪役に、あのような名前をつけるということに対しては意図が生じてしまうわけじゃな」
カエル「あくまでも個人の感想、考察です。
だけれど、突然良い人になって更生したのは制作サイドがバランスを見たこともあるのかな?」
亀「別に作者が保守的、あるいはリベラルな言動をすることはいい。
その言動が問題だからといって作品を出版停止などに追い込むような、検閲行為は絶対に許されないものであるという主張はする。
しかし、だからといって何を語ってもいいわけではない……むしろ、その作者のイメージや言動が作品に余計な色付けをしてしまうこともありうるわけじゃ。
その意味では、今作の三木監督はその色を払拭しようと工夫しておったように感じるかの」
この映画の問題点
じゃあ、そういったこととはまた別に、映画としての問題点はどこにあるの?
単純に物語としての浅さかの……
カエル「えっと……この映画のラストについては、なんとなく予想がついたの?
ヒントってそんなに多かったっけ?」
亀「というよりも、この作品を物語として成立させるために必要な展開を2つほど予想して、そのどちらでもないことを期待しておった。
A案であれば普通の変哲もない終わり方、B案であれば少しひねった終わり方と思っておったが……まさかのA案だったのでずっこけてしまった部分もあるの」
カエル「あれだけ煽っていたから、相当凄いものがくると思っていたんだね……」
亀「それ以外でも様々なヒントがあって、その1つが役者陣の演技である。
特に有村架純の演技は……彼女は腹芸ができないタイプなのかもしれんが、まっすぐすぎる。
伏線がなんであるか、一目瞭然の演技になってしまっておった。
もっとも、これは監督などの演出の問題もあるじゃろうから、一概に有村架純だけの問題とは言えないがの」
カエル「じゃあ、どんでん返し以外は?
ほら、あのデートシーンでカメラがくるっと回ったら風景が変わる演出とか、あの一連のデートシーンとか美しかったじゃない!」
亀「それはわしも褒めたい部分じゃの。
しかし、それ以外の……特に後半の流れがイマイチすぎたの。
例えば電車を止める描写があるのじゃが、そこではあんなことをせずともボタンを1つ押せばそれだけで解決する。まさか、非常停止ボタンがない駅ということではないじゃろ?
さらに言えば、電車を追ってタクシーを使うが、わしなどはどう考えてもタクシーの方が遅いと考えてしまう。
その前の追いかけっこも特に必要がないからの。
すでに時間の限られた中のサスペンス要素はできているから、追いかけっこの必要性はないのではないかの?」
カエル「そういうのがお約束なんじゃないの?
ほら、恋愛ドラマを盛り上げることができたりさ!」
亀「……まあ、ワシには全く響かなかったの」
結局やりかかったことは……
今作がやりたかったことって何?
自己犠牲精神とトロッコ問題の対比じゃろうな
カエル「有名だけれどトロッコ問題について説明すると、トロッコが暴走して絶対に止められなくなってしまいました。その先には分岐点があって、2つの線路に続いています。
片方(A)には5人の作業員、もう片方(B)には1人の作業員がいて、声は絶対に届かずにどちらかにいる作業員が轢かれてしまうのは確定しています。
その時、あなたの眼の前に線路の切り替えレバーがあり、どちらを生かすか選択できます。今のままでは5人の作業者が轢かれるAの線路にトロッコは行きます。
ではあなたは、1人を諦めて5人を救いますか?
そしてそれは道義的に許されると思いますか? という問題です」
亀「数の論理で言えば5人を助けるほうが正解と言われるかもしれんが……という議論じゃな。
本作に話を戻すと多くの人を救うことを描きたいのじゃろうが……
つまり、自分の命を捨ててでも多くの人の命を救うのが尊いと描きたいのじゃろうが、それが微妙な表現になってしまった印象がある」
カエル「微妙というと?」
あそこに葵が乗ってしまったことによって、彼が助けたいのが電車の乗客なのか葵なのかがブレてしまったんじゃよ
亀「この映画において葵を助けることと、電車の乗客を助けることはイコールになっておるが、本来はその問題はイコールになってはいけないものじゃ。
なぜならば、メッセージ性やテーマがブレてしまう。
自分の命を犠牲にしてでも愛する人を守りたいという感情と
自分の命を犠牲にしてでも多くの人を守りたいという感情
は似ているようでまったく違う」
カエル「セカイ系作品だったら”葵を救うor世界を救う”という対比になって、葵を選んだ結果『世界よりも大事な葵』ということになるよね?
これはトロッコ問題だね」
亀「彼が助けたかったのは子供達を含む電車の乗客なのか、それとも葵というただ1人なのか、という問題は極めて重要じゃ。
それを恋愛映画として成立させたいのであれば、電車云々はいらなかった。
2人の悲しい運命と選択を描けばよかった。
この映画は物語の描きかた、そのものを失敗してしまったという意見じゃな」
まとめ
では、この記事のまとめです
- 余命ものの恋愛映画の飽和状態の中で新鮮味はない印象
- 百田尚樹原作ということで余計な雑味が発生してしまっている
- 描きかたなどに疑問が多数存在
駄作とまでは言わんが、凡作かの
カエル「まあ、うちは恋愛映画が苦手ということもあるので……ね」
亀「それにキャラクター表現の薄さなども気になった。全ておざなりなように見えてしまい、人間の奥深さはまったく描けておらん。
この辺りは尺の問題もあるがの」