最近、日本でもインド映画の勢いが増しているように感じるね
2018年の『バーフバリ』旋風も応援上映もあって、象徴的な出来事だったな
カエルくん(以下カエル)
「今回はインド映画ながらお隣のパキスタンでも大ヒットを記録した『バジュランギおじさんと小さな迷子』のお話です」
主
「先に言っておきますが、今回の記事は長いです。
ということはどういうことか……お分かりですね?」
カエル「お! これは評価に期待ができるなぁ。
では、早速記事のスタートです!」
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映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』予告編/『バーフバリ』に次ぐインド映画世界興収歴代No.3
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#バジュランギおじさんと小さな迷子
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年1月19日
今最も求められている映画でしょ!
これを観ないで何を観るの!
基本は女の子を家に帰すというロードムービーながらも印パ関係など社会性の強い描写が多い
でも本作って難しい作品ではなく楽しい映画なんです!
おじさんの奮闘とバカ真面目に笑い最後は泣きます pic.twitter.com/mqUykFe4Lx
これは今の世界情勢で見るべき、歴史的な傑作ではないでしょうか!
カエル「おお! そこまで言い切るんだね」
主「今作は今の世界情勢を考えても、そして印パ関係を考えても、最も重要な作品かもしれない。
それだけの膨大で重大なメッセージ性が込められていることは間違いない。
だけれど、決して堅苦しいような作品ではないです。
むしろその逆で、本作はとても”楽しいエンタメ”映画なんです!
なにせインド映画ですから、歌って踊って魅力的に画面を彩ります!」
カエル「最近思ったけれど、うちってなんだかんだいってミュージカル要素のある映画は大好きだよねぇ。
ちなみにインド映画らしく長いけれど、そこはどうだった?」
主「全くダレない……とは残念ながら言わない。やっぱり、長さを感じる部分はあるけれど、でもそれは今作を魅力的に見せるミュージカルが多いこともあるし、物語の構成も見事だから、そこまで気にならないかな。
あと、映像も見事なんです!
インドからパキスタンへ行くロードムービーの要素があるけれど、風景を含めた映像がとてつもなく綺麗!
だからこそ、飽きることなくずっと見ていられる。
それに登場人物たちもすごく魅力的で……もう見ている最中、ずっと笑っていたような感じかな」
インド映画らしい歌って踊ってハッピーなシーンも盛りだくさん!
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本作の魅力的な要素
じゃあ、この作品の何がそこまで素晴らしいのか、ということを簡単にネタバレなしで上げていきましょう
まず、目的が単純明快でわかりやすいよね
カエル「今作はとてもわかりやすくて”迷子の少女を家に帰してあげる”という、万人に説明のいらない理由のために、バジュランギおじさんが奮闘するお話です」
主「これって、なぜおじさんが家に送ってあげるのか? という理由の説明がいらないじゃない?
もちろんここまで出来るか? という疑問はあるけれど、誰だって迷子がいたら親御さんの元へ帰して上げたいという思いがある。それを実行するだけだから、逐一説明する必要がないよね」
カエル「特にバジュランギおじさんは信仰心の篤い方であり、少し真面目すぎるほどだけれど、だからこそ少女を家に送ってあげようという強い信念を感じさせてくれるし」
主「このおじさんは、言うなれば”ちょっとダメだけれど愛される主人公”なんです。
ドラえもんでいうのび太くんや、ピーナッツのチャーリー・ブラウンと同じようなものでさ、ドジでちょっと間抜けだけれど弱い者には本当に優しい主人公というのは、国を問わずに人気を集める存在である。
一方の少女……ムンニちゃんは少し癖のある女の子なんだけれど、そこも可愛らしくてさ。多分、一般的に賢いというか、強かな女の子なんだけれど、バカ真面目なバジュランギと対になって憎めないコンビとなっている。
そして道中で巻き起こるドタバタ騒ぎと、さらに出会う人々の魅力……そういった”人間の魅力”の上に成り立つ作品なんだ」
カエル「よく言えば王道、悪く言えばベタでありきたりにも思えるけれど……」
主「インド映画の底抜けな強さも感じるよね。
だけれど、今作が持つ超骨太なメッセージ性があるからこそ、本作は稀有な作品となっている。
そのあたりはネタバレありで語っていこうか」
印パ関係について
元々は同じ国だった2カ国
ここで、軽くではありますが印パ関係についておさらいしておきましょう
核武装をするほどに大きな確執を抱える両国だな
カエル「そもそも、なんでそんなに仲が悪いの?」
主「元々はイギリス領時代……第二次世界大戦以前は植民地ながらも一定の支配権は認められている、一つの国みたいなものだったんだよね。
それが別れた形になったのが、この2ヶ国だ」
カエル「え、元々が同じならば仲良くできそうなものじゃない」
主「ところがどっこい、そんな簡単なものじゃない。
独立するにあたって、じゃあ国をどのように統治するのか? と考えた時、宗教的な対立が発生した。
それが、ヒンドゥー教とイスラム教だ。
宗教などを問わない、統一した国家を作ろうとした統一インド論(インド国民会議派)と、ヒンドゥー教の国とイスラム教の2つの国を作ろうと主張した二国家論(インド・ムスリム連盟)が出てきた。
数としてはヒンドゥー教徒の方が多かったから、民主主義だとイスラム教徒は不利になってしまうことを懸念した形だな。
結果的には二国化論がイギリスの承認もあって採用されてしまい、パキスタンに住むヒンドゥー教徒はインドに、インドに住むイスラム教徒はパキスタンに移動する。
それを嘆いて国を分けることに反対したのがガンジーだけれど、残念ながら暗殺されてしまう事態にまで発展している」
カエル「う〜ん……元々は一緒に暮らしていたのに、分けてしまったんだ」
主「そして大きな問題となるのがカシミール地方だ。
カシミールは領主がヒンドゥー教徒、住民の8割がイスラム教徒という地域で、分けられる際にどちらにつくか問題となった。結果的には色々あって領主がインド側に帰属するように決めたけれど、パキスタン側が反発、その結果第1次印パ戦争となる。
その後も幾度にもわたる戦争の他に、テロ組織やら核武装まで発展し泥沼化、もはや収拾がつかない事態になっている。
核戦争が発生するとしたら、アメリカやロシア、中国、北朝鮮が原因ではなくて、この2カ国のどちらかが発射するかもしれない。それぐらい、感情的になっている問題でもある」
楽しいシーンが多いですが、描いていることは相当ハード
でもそう感じないのが素晴らしい!
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両国に共通する文化
じゃあさ、逆にこの2カ国で共通することって何かないの?
文化的には非常に近いよ
主「例えば言葉に関してもインドはヒンディー語、パキスタンはウルドゥー語が公用語とされている。だけれど、この2つの言語は文法や発音が近く、お互いに通じやすいとされている。
どれだけ近いかと言えば、話し言葉に関して言えばほぼ同じで、会話による意思疎通に関しては一切問題ない。
ただし、書き言葉となると左から右に書くヒンディー語、右から左に書くウルドゥー語のように別れる。どうやら詩などを書くにはウルドゥー語の方が向いているらしいね」
カエル「違う言葉だけれど、話し言葉では同じというのは面白いね。だから本作もパキスタンで大ヒットしたんだ」
主「他にも重要なのはクリケット。
日本でいう野球に似た競技であり、世界競技人口で言えばサッカーに次ぐ2位とも言われており、印パを中心に人気を集める競技だね。
日本では元広島・西武などで活躍した木村昇吾がプロ野球引退後にクリケット転身を果たして話題になった」
カエル「……キムショーってごく一部の間で話題になっただけじゃ?」
主「話題になったの!
少なくとも西武ファンの間では!
インドを中心としたパキスタンなどの周辺地域の人気スポーツであり、W杯だとインドでは視聴率は70%、80%を超える上に、印パの直接対決では両国ともに視聴率100%になるという話もあるほどの盛り上がりを見せている」
カエル「日本でいう野球みたいなものだし、WBCの決勝に日本が行くと考えたらそれに近い盛り上がりはあるよね」
主「やはり元々同じ国だったからこそ近いものがあって……だからこそ気になるところが多い関係であり、感情的になってしまうのだろうね」
以下ネタバレあり
作品考察
風景描写の美しさ
では、ここからはネタバレありで語りましょう!
どこから語ろうか迷うくらい、語りたいことはたくさんあります!
カエル「じゃあ、まず冒頭の描写から考えていこうか」
主「当然のことながら冒頭の描写が後半に繋がって行くこともあるので語りづらいこともあるけれど……まずさ、スタートの山の映像がとても美しいじゃない!」
カエル「物語の中盤あたりでムンニが家に似ている絵葉書を指差して、その場所を探すけれど『これはスイスです』と子供に指摘されるシーンがあるよね。
でもさ、本当に映画を見ているとき、特に冒頭はヤギと豊かな自然と山の風景から『え、これは本当にパキスタンなの?』という驚きもあったかな」
主「どうしてもパキスタンやインドのイメージは砂漠までは行かないけれど、乾燥した地域でそこまで緑が少ないような姿を連想する人も多いんじゃないかな?
実が自分もそうでさ、これだけ美しい自然があるとは思っていなかった。
考えてみればあって当然ではあるけれど、ドローンかヘリかはわからないけれど、美しい山々を空撮した映像を見てテンションが上がった。
同時に、ここが”カシミール”であることがとても大きいよね」
カエル「そうか、さっき言ったように紛争の原因になる地域だもんね……」
主「あの高い山はこの土地を欲しがる2カ国(中国もカシミール地方の領土権を争っていますが、この記事ではインドとパキスタンにのみ注目します)の視点でもあり、そしてある種の壁のようにも見えた。
そして目的地であるこの土地がどれほど美しいのか、ということを示すことにより、ロードムービーとして映像表現の美しさをアピールしているようにも感じたね」
カエル「その後の都会に行くシーンともいい対比になっていたよね」
宗教色の強いミュージカルシーンにも意味がある
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バジュランギの登場
紆余曲折があり、インドに迷い込んだ少女はバジュランギおじさんと出会います
このシーンがすごくエモーショナルな快感があるんですよ!
カエル「まさしくこれぞインド映画の魅力だね!
歌って踊ってド派手に決めるぜ! という意気込みすら伝わってきたもんね!
ここで一気に惹きこまれたなぁ……ミュージカルシーンだけなら、あと10回は見たい」
主「実は自分の知り合いにバジュランギおじさんに似ている人がいるんだよね……あと、日本の価値観では決してイケメンとは言い難いけれど、あのがっしりした肉体などは男を感じて面白いよね。ああいう俳優、日本でももっと流行らないかなぁ……
インドに生まれていたら自分もモテモテになれたかもしれない……
この少し先にシーンだけれど、売り子のお姉さんが超美人だったなぁ……」
カエル「そんな馬鹿話は置いておくとして!
ここでのバジュランギおじさんの登場方法が大事なんだよね?」
主「ここでは明らかに宗教を意識した登場をしている。
猿を信仰する宗派のようだけれど、もはやあのミュージカルシーンの中心にいたのがバジュランギだった。もちろん、この映画の主人公ということを考えたら当然なんだけれど、それにしても物語としては若干の違和感もあるくらいだった。
まあ、それを言い出したら突然のミュージカルシーン自体が違和感の塊なんですが……」
カエル「それはもうそういうものと割り切るしかないよね」
主「ここで重要なのは、バジュランギは明らかに敬虔なヒンドゥー教徒であるということ。
このあと、食事シーンも含めて多くの場面で彼が宗教上の戒律を必死に守ろうとするシーンが出てくる。
そして、それがこの後の感動へと繋がるわけだ」
チキンの歌のシーンの重要性
その宗教性の重要な場面の1つがチキンのミュージカルです
ここは笑う部分でもあるよね
カエル「ムン二がチキンを食べているのを見て、それならばとチキンをだすお店に連れて行き、ご飯を食べさせます。
だけれど、バジュランギは殺生を嫌うこともあるのでしょう、ベジタリアンであるためにこのチキンには手を出しません」
主「そこでチキンの歌が流れるけれど、ここは笑うシーンである。
だけれど、同時にとても偉大なシーンでもある。
親とはぐれて寂しい思いをする少女を元気づけようと、自分が戒律上、信念もあって食べないものを、子供は食べるという姿勢に対して最大の理解を示し、そこを面白おかしく楽しく描いている。
”僕とは考えや宗派、宗教が違うけれど、君がそれを食べることには理解を示すし、元気付けよう”という描写の最大のポイントだよね」
カエル「また美味しそうに食べるんだよねぇ……この映画を見終わった後、タンドリーチキンが食べたくなっちゃった」
主「別に牛や豚を食べているわけではないとはいえ、そういった自分とは異なるものに対する理解がある。
特に本作ではバジュランギが登場した時のミュージカル描写後に『思わず神様への気持ちが溢れてしまって』と語っている。
つまり、計算などではなくて溢れ出ている気持ちをミュージカルとして表現している。
そう考えると、このチキンダンスがいかに重要な場面かというのが理解できるのではないかな?」
少女に対するひどい仕打ちがあり、救出したあとのシーン
注目してほしいの周囲の人々のバジュランギを見る目です
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少女に対する酷い仕打ち……
ここは語らないといけないでしょう。ムンニはパキスタンに帰してあげると語った旅行代理店の男に騙されて、酷い仕打ちを受けます
ここはアクションとしても見事ながらも、とても複雑なシーンでもある
カエル「まだ6歳ほどの少女をあんな場所に売り飛ばそうとすることは、決して許してはいけないし、だからこそバジュランギの思いが観客にも伝わってくる場面だったね」
主「う〜ん……だけれどさ、あの旅行代理店の男の顔が結構印象的なんだよね。
その時、彼は『え? 何が悪いの?』と言いたいような呆然とした顔をしていた。もちろん、本来ならばここで現れるはずのないバジュランギが登場したことへの呆然とした表情かもしれないけれど……でも、彼からすると当然の行動なんじゃないかな?」
カエル「え〜? まだ幼い少女に対してのあの仕打ちが?
正直、反吐が出るほどの最悪な行いだと思うけれど……」
主「もちろん、それは同感だ。
だけれど、インド人からしたらパキスタン人は”血も涙もない憎き敵”なんですよ。
またインド国内ではカースト制も依然として影響を残しているし、孤児になった子供たちを食い物にするような悪い大人もたくさんいる。子供たちの目を潰してしまい、物乞いをさせて金を稼ぐ悪人だっているんだ。
あの状況ではムン二は”親のいない、帰るあてもない憎き敵のパキスタン人の少女”なんですよ。
バジュランギだって半分困り果てていたから彼女を代理店に私たところもある。
多くのインド人からしたら『厄介な存在がいなくなり、これでせいせいしたぜ』と思うものじゃないかな。
もしかしたら……インドでパキスタン人の幼い少女が生きていくことを考えると、あの場所に行くことの方が安全である可能性すらある」
カエル「……それはインド人だからというわけではなくて、それだけ感情的になってしまう相手だからだもんね……」
主「バジュランギの婚約者であるラスィーカみたいな人の方が少数派であり、代理人ほど酷くはなくても、ラスィーカのお父さんみたいな反応が一般的なんじゃないかな?
だから、あのシーンは爽快感もあるけれど、出て行くバジュランギに決して周囲の人々は英雄のように扱っていない。
むしろ、奇人を見るかのような視線を向けている。
これがインドとパキスタンの関係性を示すシーンだったのではないだろうか?」
パキスタン国内にて
インドの描き方、パキスタンの描き方
パキスタンに入った後はとてもいい人に巡り合っているよね
今作はそのバランス感覚が見事!
カエル「あのモスクの先生なんて、あまりにも立派な人だから胡散臭さを感じてしまった自分が恥ずかしくなるほどだったなぁ」
主「この先生と別れる時にバジュランギは手の平を向けて少しあげるけれど、話に寄ればこれは尊敬する人に対する最大の敬意の仕草ということだ。
この素晴らしさ!
バジュランギって確かに信仰心の篤い立派な男だけれど、だからと言ってイスリムに理解があるわけではない。
むしろ、信仰心が篤いからこそ、少し穿った見方をしてしまう。
だけれどバジュランギはその宗教という壁を超えて、最大の敬意を指し示すわけだ。この描写は感動するよね」
カエル「そう考えると、この映画のバランス感覚は見事だよねぇ。
バジュランギの嘘をつかないなどは美徳ではあるけれど、それが却って問題を引き起こしたり、一方で手癖が悪いところもあるムン二だからこそ、機転の効かせることができたり……」
主「一方的な善と悪の物語に一切なっていない。
むしろ、インドの旅行代理店の描写を見たらインドの方が悪者かもしれない。
だけれど、当然インドにもいい人はいて、パキスタンにも悪い人……というか、この物語の障壁となる人はいる。
それって当たり前のようだけれど、実は難しい描写なんだよ。なにせ積年の恨みのある相手を描く時に、このような描き方を果たしてできますか?」
カエル「パキスタンでもインド映画は人気ですが、一方でインドの一流監督がパキスタン人を起用しないことを誓ったというニュースもあります。国籍差別のようですが、こんなことが発生してしまうような関係性でもあります」
主「自分が”歴史的作品だ!”と語るのはここにある。
これだけ深い恩讐を超えて、ただ子供を助けるために懸命に努力すること……これは否定の仕様が無いくらいの善だ。
本当に素晴らしい描写であり、自分も最大の敬意を示したい」
この映像の美しさを堪能してください!
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カシミール地方へ向かうインド人
そしてバジュランギは警察の追っ手を巻きながらも、ムン二の家を目指します
ここで少しこの状況を日本で例えようか
カエル「ちょっとわかりづらいかもしれないから、日本で例えるとどうなるの?」
主「そうだなぁ……ちょっと意味合いは違うけれど、尖閣諸島に日本側から向かう中国人がいたらどう思う?
竹島に日本側から向かう韓国人がいたらどう思う?」
カエル「……それは大問題になりそう」
主「なんども述べているように、カシミール地方は何度も戦争に発展し、今でも印パ関係で最大といっても過言ではないほどの問題である。
どちらも引くに引けないしね。
そしてカシミール地方へ向かうインド人がいたらどうだろう?
今の日韓、日中なんて比じゃない、それこそ核戦争の危機すらもありうるような間柄だよ?」
カエル「……そりゃ、血眼で警察も探すよね。しかもビザもパスポートもなく、わけのわからない男なんだから……」
主「それくらい重いことなんです、この映画が描いてることは。
だけれど、そんなことはつゆとも思わなかった人もいたんじゃない?
それだけ”楽しく、明るく描く”ということを大事にしたからだろう。少しでも憎しみなどの感情をこの映画で出してしまったら、本作が描くことは一切の意味がなくなってしまう。
だから冒頭で述べた”楽しい映画”というのは非常に大事なことなんだ」
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インターネットの力
テレビはあまりあてにならず、インターネットを使用するよね?
あれはこの映画の核心の1つなんじゃないかな?
カエル「記者の言葉が印象に残ったなぁ。
『憎しみは誰でも伝わるが、愛は求められていない』みたいな台詞で、これは本当にそうだよね。日本でも悲惨なニュースはたくさん報道されるけれど、ほっこりするようなお話はほとんどニュースにならなくて……
昔、直木賞作家である辻村深月の著書で『スロウハイツの神様』という作品があるけれど、この中の『死んでしまわなければニュースになりませんか。ただ生きているだけではニュースになりませんか』という言葉を思い出したなぁ」
主「旧来のメディアであるテレビは、例え記者であっても報道してくれない。
でも、新しい手段であるインターネットはこのお話を拡散してくれる。
先に述べたけれどさ、両国は話し言葉はほぼ同じなんです。意思の疎通は簡単なんです。
だけれど、それは通じない。
何故ならば、感情的な対立が続いてしまい、相手国の情報を伝える駐在員すらいないと言われているから。
そういった対立を超えるかもしれない新しい手段、それがインターネットだ」
カエル「旧来の価値観を変えるかもしれない新しい手段……」
主「1つ1つの力は弱いかもしれない。でも文化は近いものはある両国だ。
もちろん簡単な話ではないよ。宗教的な問題もあれば、ここまでの恩讐はある。なにせ、1947年の大移動の際ですら百万人規模とも言われる虐殺と、大量の女性や子供の誘拐が相次いだ。積年の恨みは間違いなく深い。
でもその先の……新しい技術による、未来志向の発信はできるのではないか?
そういうことを描いているようにも感じたな」
終盤のバジュランギ
そして物語は感動のラストへと向かいます
ここは本当に素晴らしいシーンだ
カエル「何度も語るように、色々な問題を抱えたカシミール地方のインドとパキスタンの国境のお話だもんね。
あの軍人の対応や、壁に向かっていく人々を見ると、トランプ政権に対するメッセージ性も内包しているように思えてきたね」
主「……ここで注目したいのが、終盤のバジュランギの衣装だ。
このとき、ボロボロになった彼は布を纏い、杖をついて歩いている。
これはまるで……流石にムハンマドというと問題がありそうだけれど、ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教に出てくる聖人のようでもあった」
カエル「モーゼとかもああいう服装で絵画などで描かれるいることも多いよね」
主「そして、バジュランギが登場した時の描写を思い出してほしい。
彼はヒンドゥーの、猿の神様を崇める宗教を体現するような存在のように描かれていた。
つまり、バジュランギは2つの宗教……ヒンドゥーとイスラム、両方の聖人となったようにも受け取れる描写だ」
カエル「……宗教の壁を超えたんだ」
主「彼がやったことは特別なことではない。ただ、迷子の女の子を家に帰す……それだけなんだよ。
でも、それがどれほどまでに難しいことか!
ここまで読んでもらった方にはわかるだろう。
誰にでもできることだけれど、その行いは2つの宗教の神の使徒のようでもある。
それを描いた見事なワンシーンだ」
ラブコメディとしても秀逸な作品!
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ムン二の思い
最後はわかりきっていたけれど、あの展開は泣くよねぇ
ムンニは何度も喋れば危機を脱する状況があったんだ
カエル「冒頭に命の危機があり、迷子になる時も、騙されて売られそうになった時も、そもそもどこから来たのかも、ムンニが話せれば全て解決したお話だもんね……」
主「もちろん、それを物語を活かすための設定ということもできる。
だけれど、ここではさらに大きな意味を考えていきたい。
それは……ムンニは”自分の危機の時は喋らない”んだよ。
だけれど、最後の最後で……危機でもない、喋れなくても問題がない場面で、大きな奇跡を起こす。
それはムンニ自身のためではない。
愛する”おじさん”のためだ。
もうダメだよね、ここは涙腺崩壊だよ」
カエル「愛するおじさんのために声をあげる……」
主「この2人のラストシーンを迎える場所がカシミールの国境沿い、そして最後にとてつもなく美しい場面でカメラは引く。
それはインドでもパキスタンでもなく、そしてその両方でもあるカシミールの美しい大地を描いていた。
これほど意義のあるラストはありますか?
戦争と因縁を乗り越えた、未来志向の素晴らしい大傑作にふさわしいラストじゃないですか!」
余談〜この映画を見る前の状況について〜
実は、この映画を見る前にちょっとした出来事がありました
いい音響の映画館へ行こうと、川崎にあるチネチッタへ向かったんだよ
主「川崎の駅を降りたら、極端な右派の政党が政治演説をしており、警察が周辺を警戒していた。その演説の周りでは、その政党に反対する人たちが、帰れ! とシュプレヒコールの雨をふらせており、反対する声をあげていた」
カエル「特に今は日韓関係が大変な時期に来ているからこそ、とても盛り上がっていたけれど、だからこそ眺めているだけの人たちとは大きな距離感があったようにも感じたかな」
主「自分はどちらの意見に対しても冷めた視線を送っているけれどね。
映画に限らず優れた物語というのは、強いメッセージ性が宿る。
だけれど、そのメッセージ性はコミュニティの価値観によって形成される部分が大きい。
日本人はアメリカの価値観をほぼ無批判に受けいれるから”女性が活躍する社会”や”同性愛に優しい社会”というお題目を受け入れることができる。
でも、例えばイスラム教の教えが強い地域ではどうだろう?
女性の社会進出、同性愛の推進は国をつぶしかねないほどの”悪徳”になる。
優れた物語に宿る強いメッセージは、すなわちプロパガンダなんです。
そのプロパガンダは自分の属するコミュニティの価値観に大きく左右される。先の話ならば過激な右派は日本人を賛美して外国人の排斥運動を行うし、過激な左派はその逆を行う。そして、相手の意見は”全て間違っている”として知ることも、歩み寄ることも、当然受け入れることもない。
だけれど、この映画は”自分とは異なるコミュニティや、文化、宗教を持つ相手を尊重し、人として当たり前のことをしよう”と呼びかけている。
もちろん、そのメッセージも政治的主張が含まれているし、一種のプロパガンダだろう。
しかし、本作が描いたことは先にあげたような川崎駅の騒動とは訴えていることの格も、覚悟も全く違う。
印パ関係と比べたら、日本の右派と左派の対立なんてお遊びですよ。だって爆発物で攻撃される可能性も、暗殺される可能性もほぼないから。向こうは世間からの非難や、場合によってはテロの標的になる可能性もある。それでも大事なメッセージを発しており、しかも明るく楽しい映画に仕上がっている。
いつも語るけれど『物語は願いであり、祈りである』わけです。今作に込められた祈りや願いの総量はとてつもなく多い。
これが映画なんです。
これが表現なんです。
だからこそ、自分は本作を”歴史に残る傑作”だと語っています」
まとめ
では、長くなりましたがこの記事のまとめです!
- 印パ関係に対するメッセージ性が濃いが、エンタメとして一級品の作品!
- ロードムービーとして、バディムービーとしても楽しめる!
- 様々なメッセージ性を含んだ、現代の国際社会に最も重要な1作!
ぜひとも、映画館で見てほしい作品です!
カエル「いろいろ語りましたが、1番大切なのはこの映画は”楽しくて泣ける単純明解なエンタメ作品”ということです!
あまり難しく考えすぎないで、鑑賞してほしいです!」
主「インドの文化なども知ることができるし、勉強にも作品です!
あと、こちらも音楽映画なのでぜひ音響の良い映画館で鑑賞してください!」