カエルくん(以下カエル)
「いよいよ楽しみにしている『メッセージ』の公開だね!」
ブログ主(以下主)
「それに向けて少しばかりヴィルヌーヴの記事について厚くしようと思っていたんだけど……」
カエル「今週は『灼熱の魂』『複製された男』『ブリズナーズ』について語ってヴィルヌーヴ週間にしよう! と息巻いていたはずだけど……どうして公開日になって1つ目の記事を書いているのかな?
やっぱり忙しいとか?」
主「いや、単なる怠惰。
別に仕事が忙しいとか、プライベートが充実しているとか一切ないよ」
カエル「……え? なんか、小説を書いていたとか、映画をたくさん見ていたとか勉強していたとか……」
主「一切ない。元々5月ってやる気がないんだよね。4月で締め切りの小説新人賞も多くて、ブログもGWを終えるとしばらくの間アクセス数が稼げない時期だし、そもそも最近アクセス数が減っていく一方だし(笑)
しかもFEヒーローズってスマホゲーがさ、めちゃくちゃ面白くて……元々FEシリーズ大好きなんだけれど、今回イベントで30分に1回しかできない戦闘のイベントが始まったんだよ! それをやるじゃん? そのままTwitterやゲームをやるじゃん? 30分すぎるじゃん? でまたイベント消化して……ってやっていたら、ブログなんて手につかないよね(笑)」
カエル「(笑) じゃねーんだよ!!
なんだよ怠惰って! 今月2日に1本も記事を書けていないんじゃないの!? ネタはあるんだろうが! さっさと書けよ!
そんなところだけ押井守かお前は!?」
主「いや、でもこの文量の記事を2日に1回あげているだけで十分な気も……」
カエル「それが3日に1回になり、一週間に1回になり、やがて書かなくなるんでしょうが! それが1番わかっているんだから、さっさと書く!」
主「……はいはい。
じゃあ、今回はヴィルヌーヴ作品ということで最も意味が分かりづらい作品であろう『複製された男』について解説と共に書いていくよ」
1 評価の芳しくない作品
カエル「じゃあ、ここからはちゃんとした感想記事を書くけれど、日本で簡単に観られるヴィルヌーヴ作品の中では最も評価が悪い作品じゃないかな?
よくわからない、という意見もあるみたいだけど……」
主「そりゃそうだよなぁ。自分も初見時にはあのラストで『は?』ってなって目が丸くなって、そこで終わり!? と叫んでしまったから。
そのあと色々と調べて……主にいつも通りにキリスト教のモチーフについてなんだけれど、それで意味がわかってきた。そのあとは何回か見直しているけれど、その度に『あー、なるほど』とこの作品にばら撒かれたモチーフについて理解した。
だけど、この映画は多くの人に……とりわけ日本人には響かないと思う」
カエル「それって、あれ? 日本人はキリスト教のモチーフに弱いってやつ?」
主「そう。例えば『レヴェナント』って単なるサヴァイバル映画ではなくて、キリストの復活とユダとの対決を描いた映画なんだけど、そのモチーフもどれだけの人に響いたかわからない。
自分だって特別詳しいわけではないけれどね。
この宗教的モチーフであったり、それからキリスト教に限らず……例えば蝶が出てくると世界各国で『死者の魂』の象徴であるとか、そういうことを知ると見えてくるものがまた違うものになる」
カエル「記号論で演出を見る、ということだね」
主「この手法を得意としたのがヒッチコックであって、例えばヒッチコックの『鳥』ってなぜ鳥なのかというと、鳥というのは『この世とあの世の境目にいる動物』だからとされている。ほら、天使や悪魔って鳥の羽が生えているでしょ?
押井守はそれを知っているから、重要なカットの際には鳥を出す。だからそれを知っていると押井作品とかは『ここからは現実とは少し違う世界に入るよ』という意味になるわけだ」
カエル「ヒッチコック自体は『意味はない』と答えているようだけど……」
主「当たり前じゃん。『答えを出さないこと、観客の想像に委ねること』を重要視したヒッチコックが答えを出すわけがない。
これは映画に限らず、例えば『鳩は平和の象徴』なんて言うけれど、これもキリスト教のモチーフ論から来ている。日本でいうと『月が綺麗=君が好きだ』みたいなことでさ、これは暗喩として機能するんだよ。
そういうことを読み解くことが大事な時もある」
全く同じ2人の男が出会う時何が起こる?
映画としての出来は?
カエル「じゃあ、そのモチーフ論に溢れた作品としてもさ、この映画って面白いの?」
主「多分、ヴィルヌーヴ作品の中では失敗作だと思う」
カエル「え? どういうこと?」
主「自分も全てを見たわけではないけれど、近年のヴィルヌーヴはまるで新海誠のようなことをやっていた。
どういうことかというと『静かなる叫び』という短編の後に『灼熱の魂』という長編を撮る。そして『複製された男』という比較的短い作品の後に『ブリズナーズ』という長編を撮っている。
で、自分に言わせて貰えば『静かなる叫び』『灼熱の魂』はセットで語るべき作品でもある。
そしてそれは『複製された男』と『ブリズナーズ』も同じわけだ」
カエル「う〜んと……確かに新海誠も短編と長編を交互に作っていたアニメ映画館とくだけど……」
主「ヴィルヌーヴの名作『静かなる叫び』と『灼熱の魂』は男女の愛についてすごく深く掘り下げた作品である。単純な恋愛映画もない。
そして『複製された男』と『ブリズナーズ』はキリスト教のモチーフについて深く掘り下げていて、この意味を知ると作品の意味が大きく変わる演出をしている。
このように短編、長編で描きたいテーマは同じなんだけど、その手法を変えるというやり方をしている。自分の中では『ボーダーライン』だけはまだ結論が出せていなくて、語れるレベルではないのが残念だけどね」
カエル「でもこの『複製された男』はそんなに成功していないんでしょ?」
主「『ブリズナーズ』はキリスト教のモチーフがわからなくても面白いんだよ。1つの物語としてある程度成立している。モヤモヤは残るけれどね。
一方、この映画はキリスト教のモチーフがわからないと何を描いた映画なのかわからないようになっていて……それがわかると面白いけれど、わからない人は全く面白くないようになっている。
その意味では人を選ぶと思うし、日本人には理解しづらい作品かもしれないね」
2 作品解説
カエル「じゃあ、ここからはそんな大言壮語を吐いた後の解説だけど……」
主「大言壮語とか言うな!
まあ、でも色々なモチーフがあるから見逃している点もあるかもしれないけれど、ある程度は解説できると思うよ。
まず、この映画を見るのに大事なのはスタートの言葉。
『カオスとは未解読の秩序である』
これこそがこの映画を全て表していると言えるかもね」
カエル「カオス……?」
主「この映画は一見すると意味がわからないようにできているわけだ。それはもちろん、この独特な構造が原因としてある。
2人の全く同じ男が出てくるわけ。
この2人の関係性であったり、この物語の本当の肝とか、重要な情報は一切与えてくれない。これってヴィルヌーヴが与えたくれた『映画の間』であり『隙』であって、いわば想像する余地なんだけれど、それがあまりにも不親切だから多くの観客には伝わらない。
だけどそのカオスには必ず意味があるんだよ。つまり、上記の言葉を言い換えると『理解できない情報(カオス)は解読できていない秩序がある』ということ」
カエル「ふ〜ん……じゃあ、この物語は一見するとアンフェアなようにできているけれど、実は結構計算しているよ、ということなんだ」
主「そう。でもわかりづらいのはその通り。その与えられた『間』も人によってはただの間延びしたシーンでしかないわけだ。だから失敗といえば失敗作。
だけどだからこそ見る人によって意味が変わる物語でもあり……それがこの映画の面白いポイントなんだろうな」
大学の講義が意味するものはすごく大事なことである
講義について
カエル「まずは、この映画の冒頭にある講義の話から色々と読み解いていこうという話だけど……」
主「まず、最初の講義があったわけじゃない?
独裁者と支配と歴史は繰り返されるという話で……このお話は2度も繰り返されている。じゃあ、なんで2回も同じような授業をしてきたのか? という問題があるわけだけど……それは、この映画の核心がそこにあるからなんだよ」
カエル「支配と独裁者のお話が?」
主「ここは解釈次第なこともあるけれど……自分は独裁者=自分だと思うんだよね。
つまり自分の人生の独裁者であり、自分の家庭の独裁者がいかにして支配をするか? というお話。その独裁の方法に『遊びを与えて享楽させる方法』と『情報を制御して何も教えない方法』があると言っている。では、この言葉の意味とは何なのか?」
カエル「享楽と制御ね……」
主「これは
『自分の心のままに、欲望のままに動く事』と
『何も知らなかったようにして生きる事』
の2択の問題について語っていて、より具体的に作品について語るならば浮気について語っているわけだ。
魅力的な異性が奥さん以外に出てきたらどうするのか? それは『欲望のままに、遊ぶように浮気するのか?』それとも『そんな女性を知らなかったかのように、そして浮気なんて考えたかともないかのように振る舞うのか?』ということでもある」
カエル「見て見ぬ振りをするか、という問題かぁ」
主「これは世の中の男性がみんなやっていることだよ。例えば彼女や奥さんと街を歩いている最中に、すっごい魅力的な女性とすれ違ったとする。その時、その女性に声をかけるのか? その女性の方を振り向いてしまうのか? そんな葛藤があるんだよね。
それをより抽象的に描いているのがこのお話なわけ」
3 二人の男
カエル「でさ、どっちが本物でどっちが偽物なわけ?」
主「どっちも本物だよ。どちらかが本物と偽物ってことはない。
そう考えるとこの映画ってヴィルヌーヴのSFが作りたいって思いが出ているのかもね。だからこんなちょっとしたSFぽい部分が出てきて、こんな作品になったのかも……そりゃ分かりづらいわ」
カエル「いや、1人で納得していないで解説をしてよ」
主「この映画の1人の男は役者だよね? これは『男としての別人格を演じている』という意味がある。つまり演技をしているんだよ。
本当は結婚もしていて妻も妊娠をしているんだけど、他の女性に惹かれてしまった。その中でどのようにすればいいか? ということをずっと考えて、別の名前などを用意したんだよね。その遊び人風の自分に奥さんを押し付けて、本当の自分……大学教授の自分は他の女と楽しんでいたわけ」
カエル「え? じゃあこの2人ってどっちも本物なの?」
主「本物だよ、偽物じゃない。
多分、スタートの段階ですでに入れ替わっていたんだよ。本当の男の人格は気の弱い大学教授の方であり、そちらが奥さんの本当の夫。
だけど実はその妊娠期間中の心ここに在らずという状態でもあって……浮気には最悪のタイミングでもあるけれどさ、その間に二重生活だったり、浮気相手との逢瀬を楽しんでいたわけだ」
カエル「だけど指輪云々でそれは終わるわけだけど……」
主「あそこで相手の女が気がつくんだよ。『この人、実は結婚している!?』って。左手の薬指が示す意味なんて誰でもわかりきっているから。そこから喧嘩になって、浮気相手との関係はそれでおしまい。それを象徴するのが事故であるわけだ。
一方の大学教授の方も気まずさを感じながら、やっぱり奥さんの方へ戻ろうと帰ってくるわけ。それに奥さんも気がついて『大学はどうだった?』って聞くの。実は全部バレているけれど、その時は何とか終わる。
だけど次の日の朝になったらやっぱり怒りがこみ上げてきて……で、最後にはあのような状態になってしまう。いやー、どのように弁解するんだろうね?」
美しくも哀しい女性たち
クモのモチーフ
カエル「え〜? じゃあさ、この映画の中で多く登場するクモのモチーフってなんなのさ?」
主「この映画におけるクモは非常に多くの場面で散見される。世界中にクモが表す意味ってあるわけだけで、実は様々な意味があるわけだ。例えば『幸福の象徴』であった『意志の象徴』であったりもするわけだけど、キリスト教では『罪の衝動の象徴』でもある。
そう考えると判りやすいお話じゃない? 浮気や不倫に対する衝動だったり、自分の中の罪が現れるポイントでクモが出ている」
カエル「この映画のスタートが謎のクラブで女性の裸を見てクモがいたわけだけど……」
主「あの場にはたくさんの男たちがいたでしょ? あれは『この物語はすべての男の物語だよ』という意味がある。
そしてセクシーな女性たちを見て、クモが現れる。これはそのような女性に対する欲が湧いてきた瞬間を意味しており、結構年配の男性が多かったけれど……『奥さんがいるけれどいいんじゃないかな? 浮気しちゃおうかなぁ?』って意味なんだよね。
だから途中の夢の中のシーンにおいて、逆さまのクラブ廊下を歩いているとセクシーな女性がクモの仮面を被っている。
そしてエレベーターの中で『あの夜は楽しかった』なんて言っているけれど、多分これって風俗とかのお話で……『妻がいるけれど風俗また行きたいなぁ』って意味なんだろうな」
カエル「あ、浮気だ」
主「風俗が浮気なのかどうかはちょっと個人的には言及を避けたいところではあるんだけど……でもその意識があるんだよ。だからクモの夢に苛まれる。ラストの衝撃の展開の意味って『あ、バレてる……』って意味だと思うよ」
『1度目は悲劇、2度目は笑劇』
カエル「細かいモチーフが溢れているけれど、この言葉ってどういう意味なの?」
主「この映画をヴィルヌーヴが茶化しているという。結構シリアスな物語なんだけれどさ、すっごく単純に言えば『浮気しようかしないか迷っちゃうわぁ』ってお話だし、しかも最後にはその浮気がバレてしまう物語だから……
最初は確かに悲劇的な結末に見えるかもしれない。だけど、2度目は笑い話なんだよ。
『あ〜あ、バレちまった……バカな男め』という意味で。結局男の浮気はすぐにバレるよ、ってお話でもあるからさ」
カエル「だから『今世紀は前世紀の繰り返しだ』というお話になるんだ」
主「そうだね。これは何度も浮気を繰り返す、男の浮気癖について語っていて、いつまでたっても成長できない男たちにについて語った言葉でもある」
カエル「じゃあさ……ブルーベリーの意味って何?」
主「キリスト教のモチーフとしてのブルーベリーを調べても出てこなかったんだよね。だからここからは独自の解釈になるよ。
途中の講義で記憶に関する話を語っているけれど『記憶はその時の感情に支配される』というもので、結構曖昧なものなんだよね。
ブルベリーも片方は『雑誌で読んだけれど体にいいらしいし……』って話があったけれど、本当は母親がブルーベリーが体にいいということを語っていたということを覚えていたんだよ。この映画において2人の男は実に曖昧な関係にいるけれど、その曖昧な狭間にいる様子を表した言葉であり、2人の記憶っていうのは非常に曖昧であることを表しているんじゃないかな?」
最後に
カエル「ふぅ〜ん……いろいろな意味があるんだね」
主「だけどこの映画が失敗してしまったのは暗喩に満ち満ちてしまったことで、それも映画の楽しみ方の1つではあるけれど、多くの観客は暗喩よりも直接的なストーリーを望んでいるからね。そこは失敗と言えるかもしれない。
でもこの映画を撮った意義というのは大きくて、前作までの『男と女の愛』について語っていながらも『暗喩に満ちた展開』を披露しているからね」
カエル「ちなみにメッセージとの関連性はどう?」
主「結構あると思う。詳しくはメッセージの記事で書くけれど……この映画でヴィルヌーヴがやりたかったことと、メッセージでやりたかったことは少しは似ているんじゃないかな?」
カエル「ふぅ〜ん……じゃあ、メッセージの記事も楽しみにしていてください!
多分明日には上がる……はず!」
主「頑張ってすぐに作るので少々お待ちください」
- 作者: ジョゼサラマーゴ,Jos´e Saramago,阿部孝次
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