今回は邦画のみならず、日本の映像産業が注目する若手カメラマン、今村圭佑のデビュー作のお話です!
実は結構楽しみにしていました
カエルくん(以下カエル)
「コロナ騒動もあって、一時は公開がどうなるかとも言われていたけれど……緊急事態宣言も解除されて、予定通り公開されたね!」
主
「興行面では辛い部分も多いだろうけれど、ぜひ頑張ってほしいな」
カエル「それでは、早速ですが感想記事のスタートです!」
(C)2019「燕 Yan」製作委員会
作品紹介・あらすじ
『新聞記者』『帝一の国』など多くの作品で撮影監督を務めてきた今村圭佑の長編監督デビュー作品。日本と台湾の2つのルーツを持つ青年、燕の葛藤と人間ドラマを描く。今村は監督の他に撮影も担当している。
主演は自身も中国とのミックスである水間ロンが台湾と日本、そして家族関係に悩む燕を演じるほか、兄の龍心役に山中崇、母親役には歌手の一青窈が中国語で演技を行う。
28歳の早川燕は幼い頃、台湾出身の母が兄を連れて家を出て行ったことを、未だに複雑な思いを抱いていた。ある日、父から相続放棄の書類のために台湾・高雄に行くことをお願いされる。母や兄と、そして自分の過去と向き合うために台湾へと旅たつ燕を待ち受けていたものとは……
感想
それでは、Twitterの短評です!
#燕Yan
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年6月8日
新進気鋭の注目カメラマン今村圭介の初監督作品
台湾人の母を持つ青年が自らのルーツを探る
バリバリに際立った撮影は見事というほかなしも、物語が多少メリハリにかける感じもあるか
ただ台湾という特殊な国と合わせてルーツを探る試みが面白い pic.twitter.com/V2AdrLKT66
新進気鋭のカメラマンの初監督らしい作品に!
カエル「さすが、近年の話題作を多く手掛けるカメラマン、今村圭佑の初監督作品らしく、映像表現がズバ抜けた作品だったね」
主「小規模作品ということもあるだろうけれど、元々多くの作品に携わっていたとはいえ、商業映画初監督作品でこれほどの作品を生み出してくるということは、さすがの一言だろう。
今後も監督業を続けるのかはわからないけれど、大いに期待できる出来だったのではないだろうか」
カエル「ふむふむ……ただ、短評では少し苦言もあるようだけれど……」
主「物語そのものは、決して派手なものではない。
今作の場合は撮影・映像表現の方に重きを置いている印象であり、脚本や物語で映画を引っ張っていくようなものではないと感じられた。だから、あえてセリフなどが少なめになっており、もしかしたらスカスカに感じられてしまうかもしれない。
ただし、撮影出身の監督の味わいをうまく活かすために、映像表現を主体にするためにあえてセリフなどの濃度を薄めにしたような印象がある。
それはそれで正解だし、監督の味わいというのが発揮できたのではないだろうか?」
今作は主演の水間ロンが中国とのミックスであったり、台湾を舞台にするなどの中国などに注目をした作品です
この辺りもテーマ性があってよかったかな
カエル「現代らしい、批評性のある内容だったんじゃないかな?」
主「MVなどを多く手がけた監督の場合、映像表現や演出能力が際立っているものの、肝心の物語のテーマ性が薄いと感じる作品もある。実際、テレビCMやMVはテーマ性が濃すぎると、その商品や歌手のイメージを左右するであろうし、そもそも単純に時間が短いからそこまで入れられないというのもあるのだろう。
今作の場合は、セリフなどの濃度は薄いものの物語としての濃度が薄いわけではない。
このあたりは”映画”を作ろうという気概を感じたかな」
今村圭佑について
では、何度か言及したこともあるかな? 今村圭佑監督について語っていきましょう
これからの邦画を語る上では、絶対に欠かせない人だろうな
カエル「どうしても撮影・カメラマンというのは監督などに比べると語りづらい・語られづらいもないものではあるけれど、昔から映画が好きな人は『監督よりもカメラマンが大事』ということも語るよね。
今村撮影監督作品としては……もう列挙するのもなんだけれど、近年の映画では『新聞記者』『デイアンドナイト』などの藤井道人作品や『ホットギミック ガールミーツボーイ』『ユリゴコロ』『帝一の国』などの作品、あるいは米津玄師の『remon』のPVなどでも注目を集めている存在です。
いやー……ここ近年の邦画で映画好きが話題にした作品ばかりだね」
主「作品のレベルを一段上げる、魅力1,5倍増しにできるカメラマンだよね。
……このあたりはすごく難しいけれど、自分が藤井道人監督が好きなのか、あるいは今村圭介撮影が好きなのか、迷う時があるよ。山田尚子が好きなのか、脚本の吉田玲子が好きなのか……あるいは坂本真綾が好きなのか、作曲の菅野よう子が好きなのか……みたいな話でさ。
まあ、結論としてはどっちも好きってことになるんだけれど」
カエル「単独・小規模で作り出す小説や漫画とは違う総合芸術の面白さだよね」
それで、今村撮影の特徴ってどんなところにあると思うの?
”雄弁な闇(黒)”を撮ることができる監督だと思っているかな
カエル「……雄弁な闇?」
主「近年は……例えば青春ドラマが顕著だけれど、スモークを炊いたような強烈な光や薄ぼんやりと明るい印象が持たれる映像が最近、多いんだよ。『龍馬伝』の影響か知らないけれど。でも、それ自体が悪いとは言わなくて、むしろ映像のキラキラ感は増している。
これはアニメも同じでさ、それこそ新海誠監督は撮影の監督として有名で、2個の太陽があるように撮影するという発言もある。自分はよく分からない部分もあるけれど……さらに言えば、京アニ、ufotableなどの人気スタジオはやはり撮影技術が高い印象があるけれど、その影響でより青春のキラキラ感などが増している。
一方で、今村圭佑の場合は、その光の真逆……闇を美しく撮る。
そして、その闇をただの真っ暗とせずに、多くの感情をこちらに語りかけてくる。闇が沈黙をせずに、雄弁に語りかけてくるんだよ」
カエル「……感覚的な話だね」
主「まあ、そりゃしょうがない。
例えばハリウッド映画などを見ると、CGの線や粗を隠すために夜のシーンにする場合が多いけれど、その時にただ暗いなぁ……と思うこともある。あくまでも技術的な理由で夜にしているわけだ。
だけれど、今村撮影はその闇が意味を持つ。
そして何よりも見やすい。
この闇がしっかりと際立つからこそ、光がより際立つ。
それが人間ドラマにも影響を与えるわけであり、より雄弁に登場人物の感情などを伝えるわけだ」
(C)2019「燕 Yan」製作委員会
光の取り入れ方などが特徴的
脚本と撮影、重要なのはどっち?
でもさ、どんなに優れた撮影でも『1ホン 2ヌケ(撮影) 3ヤクシャ』って言われているから、脚本が1番重要なんじゃないの?
あ、それって嘘だから
カエル「……イヤイヤ、嘘って」
主「自分みたいな人間だったら、その順番だと思う。『物語の構成が〜』とかさ、『ここの場面はオマージュが……このセリフはダブルミーニングで〜ここは過去作の何々の影響が〜』とか語るんだったら、脚本が1番大事。
だけれど”映画であること”をこだわり抜くのであれば、まずは何よりも映像表現って考え方はあって当然。
というか……”名作=名脚本”ではないんですよ。それこそ、ゴダールのヌーベルヴァーグって物語面では評価しづらい部分もあるけれど、映像表現が画期的だったわけだし。
日本人なら……あの国民作家のアニメ界の大巨匠がいい例じゃん」
カエル「……こう、言葉に気をつけて語りましょうね」
主「この辺りってプロの批評家でも意見が割れるところではあるんだけれど、ジブリ作品の脚本で褒められる作品ってそんなにないんじゃないかなぁ……構成がおかしかったり、普通ならば意味不明と言われるものも多いんだけれど、観客が勝手に補完してくれるというのもある。まあ、権威だからさ、その特権かもしれないけれど。
あの監督の作品が高く評価されるのは何よりもアニメ表現。
あの人こそ、映像表現で歴史に名前を残す監督の代表格でしょう」
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……まあ、でも脚本ってすごく大事なものだというのを否定することはないんでしょ?
ただ、絶対的な順番をつけることが正しいことだとは思わない
カエル「まあ、脚本を1番としてしまうと、やりたい映像表現ができなくなる可能性もあるのかなぁ」
主「最近は、明確に役者が1番って映画もあるじゃない。それは日本の駄目邦画のようではあるけれど、キャラクタームービーという意味ではアメリカの超大作映画だって似たようなものでさ、あの大人気シリーズは1キャラ2撮影3ホン、みたいな部分だってあるし。
それから、音楽が1番に来てもいいよね。それこそミュージカル映画、例えば『グレイテストショーマン』は1が音楽だろうし。脚本部分はむしろ批判の方が多いかも。
で、本作に話を戻すと映像表現、撮影技術が1番というのは、むしろ正しい。
もちろん脚本がおざなりになっているという意味ではなくね」
以下ネタバレあり
作品考察
違和感のある物語に
さて、では少しだけネタバレをしながら語っていきましょう
……とはいえ、色々と違和感はあるんだけれどね
カエル「この作品では燕という青年が主人公ですが、子供時代に母親が兄を連れて家を出て台湾へ行ってしまいます。燕は父と共に日本に残り、成長していきます」
主「いや、そもそも……なんで燕を連れて行かないのかなぁって。
離婚訴訟とか、色々あったのかもしれないし、自分が見逃している部分もあるかもしれないけれど、そんな急にサヨナラもなく去るってことはある?」
カエル「お父さんのために燕は残していくという約束があったのかもしれないし……」
主「あとは、日本で暮らしている母親なんだけれどさ……あの家庭が、すごく不自然ではあるんだよ。
お兄ちゃんが大体小学校中学年くらい、弟は……ギリ未就学児ってところかな。ということは、日本ではそこそこ、それこそ3、4年は少なくとも暮らしている。それで日本語がほとんど話せない母親ってどうなんだろう?」
カエル「そういう家庭もあるんだよ、きっと」
主「さらにいうとさ、子供と母親が話している言語が違うんだよ。
母親は中国語、子供は日本語で話す。これって不思議だよねぇ。
自分も子どもの頃色々な同級生の家庭を見たけれど、ミックスの子の家庭の場合は日本語で、母親も日本語を話していた。あるいは、海外からやってきた一家の場合は子供は日本語をぺらぺら話しているけれど、家庭では母国の言葉で話していた。
親と子供、家庭で話す言語が違うって、相当特殊な家庭だと思うんだよね。
そういう部分が気になってしまった」
(C)2019「燕 Yan」製作委員会
暗い闇の中が光をさらに強くし、登場人物の気持ちを代弁する
ルーツを探る物語として
そのあたりは、ある種のファンタジー感を出したかったのかなぁ
言語や様々なルーツを超えていく家族関係ということを描きたかったのであろうことはわかるよ
主「だけれど、それがノイズとなってしまった感はあるかなぁ。
ただ、欠点だけではなくて”2つのルーツを持つ”というのはとてもいい設定だと思う。
作中でも印象的だったのは、台湾に暮らすお爺さんが日本語と台湾語は話せても、中国由来の言葉……つまり台湾華語も中国語もできないんだよね。この辺りは元々台湾に暮らしていた内省人と、中国からやってきた外省人の関係性なども思わせてくれた」
カエル「2019年公開の『幸福路のチー』でも、似たような描写はあるんだよね。
お父さんは内省人だから中国語の発音が上手くなくて、外省人のお母さんや新世代の子供であるチーから笑われてしまうという場面があります」
主「日本人であれば方言があるにしろ、日本語ができれば老若男女誰とでも話が通じる。でも、世界を見回してみれば実はそんな国は少数派なのかもしれない。
燕という名前が意図するように、自分のルーツはどこにあるのだろう? というのは、日本人であれば考えにくいものだ。
なぜならば、日本は島国であり、ほぼ単一民族国家に近いところがあり、文化や言語も共通している。
だけれど、世界はそんな国ばかりではない。むしろルーツがわからない国、人も多い。だからこそ、台湾という日本とも縁の多い国を選んでいるのではないだろうか。
このテーマ性、そしてそこから派生する”家族とは何か?”という問いは良かったね」
監督としての作家性の問題
じゃあ、この映画化は大成功だったんだね
……ただし、ここからがすごく大変だと思うんだよ
主「この作品だけだと今村圭佑の顔というのが、なかなか見えてこなかったのも自分は感じた」
カエル「……デビュー作だから、そこまで考える必要があるのかなぁ?」
主「もちろん、そういう意見もあるだろう。
まだまだこれからだろうし、デビュー作でここまで完成できれば、やはり素晴らしいと言える。
だけれど……同時にそれこそ藤井道人、山戸結希、熊澤尚人のような強烈な作家性を発揮できたのか? と言うと、少し疑問が残る。自分としては藤井道人監督作品がやっぱり近い印象かなぁ……相当映像演出面では、頼りにしているんだろうなっていうのが伝わってきた。
上手くできているというのは、言葉を変えれば上手くまとめたとも言える。
そして……それが綺麗に、上手くまとめすぎた可能性もあるわけだ」
カエル「……なんと贅沢な話なんだ」
主「観客ってのはわがままで贅沢な存在ですから。神様ではないけれど、お客さんではあるわけだし。
その意味では、もっと突き抜けても良かったと思う。
それが物語面なのか、それとも映像面なのかは難しいけれど……そして映像面では、その素晴らしさを堪能しているけれど、役者の芝居の取り方や演出には課題があるようにも感じられた。インタビューを読んだけれど、やっぱりカメラマンとしての面が強かったのかもしれない。
だけれど、今後の活躍を期待した作品でもあるし……次にどのように化けてくるのか、そこが楽しみな若手監督がまた誕生したという印象かな」