物語る亀

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物語愛好者の雑文

<考察>『ゴジラ-1.0』ネタバレ感想&評価 やりたいことはわかったけれど思想が強いのか弱いのかわからない!

 

えー、今更と言われそうですが『ゴジラマイナスワン』を鑑賞したので、そのレビュー記事となります

 

公開から5ヶ月、アカデミー賞さまさまじゃな

 

 

 

ゴジラ-1.0 [CD盤]オリジナル・サウンドトラック

 

 

カエルくん(以下カエル)

思えば、半年近くまで上映してくれるっていうのも奇跡といえば奇跡だよね

 

亀爺(以下亀)

大作が必ずしもヒットするわけでもないし、ゴジラとはいえプレッシャーは大変じゃったろうな

 

カエル「うちも一応ゴジラファンの端くれではあるので、鑑賞しようと思っていましたが……このタイミングになってしまいました」

 

亀「逆にアカデミー賞で話題になったタイミングだったから、良かったかもしれんの。

 いや、何がいいのかわからんが……

 それでは、早速記事を始めていくかの」

 

 

 

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感想

 

それではXの短評からスタートです!

 

 

 

Xに投稿した感想

#ゴジラマイナスワン

 

めっちゃ遅くなりましたがようやく鑑賞しましたが…

これはなかなか不思議な映画ですね

 
まず映画の”商品”としてとても優れています
 
映像の迫力もあり賛否があった脚本も虚構感はありましたが、感情や物語の流れはとても追いやすいように作られていたので子供から大人まで、さらに言えば映画に興味がある人もない人も多くの人が観て楽しめる娯楽作品です
 
海外で(特にアメリカで)ヒットしたのも納得で帰還兵のトラウマというのは向こうでは現実感を持った話なので受け入れやすそうだな、と感じました
 
一方で作品としては……う〜む、難しい
山崎貴監督は思想としてはノンポリ(あるいは無意識的に右派っぽい?)と思いますが、本作は潜在的に右派っぽい価値観を全面的に描きながら、それを否定していく、だけれどそこに思想性は感じないという不思議な作りでした
 
山崎監督って不思議と思想性が強い作品をとると、映像主体でノンポリだからか、その思想がより際立ちながらも脱臭されるという変な特性を持つ印象が、今作で強くなりました
 
映像面では工夫が多く見られたので、よかったです
 

 

 

 

なんとも言い難い映画じゃったな  

カエル「当然、うちは半年近く過ぎて鑑賞したので、もうあれこれと語られ尽くされた後で鑑賞しているので、ほぼ後出しジャンケンみたいな感想になってしまうんでしょうけれど……

 これ、そんなに論争になるような内容なのかな? っていうのが、正直なところなのかなぁ?」
 
亀「結構攻めているはずの、無難とは言い難い映画なのにも関わらず、なぜか無難に感じてしまうという不思議な体験じゃったな。
 娯楽としての一面を強調しつつ、ゴジラが持つテーマを強調し、歴史を語ったかと思えば、それを全て否定する……
 しかし映像とセリフで語っていることはまるで異なるという、変な体験じゃった。
 それもそれで、山崎貴らしいということなのかもしれんの」
 
 
物語について
 

今作は日本アカデミー賞で脚本賞を受賞して、それも賛否があったけれどうちの評価としては?

 

まあ、こんなものではないかの

 
カエル「うちではいつも”作品””商品”と語っており、作家性重視で挑戦するものを作品、商業的な成功……つまり興行収入などを意識するものを商品と呼んでいます。
 どちらが上か下かという話でもなく個人の作家性を出すのも大事だし、お金を稼ぎにいくのも大事だよね、という観点です」
 
亀「それでいうと、今作は”商品”として非常に優れている印象じゃった。
 全ての状況や心情をセリフで説明してしまうのは、邦画の悪癖ではある。しかし同時に、それは観客に状況や感情の誘導を行なっているとも言えるわけじゃな。
 確かに説明をしなければ考察する余地が生まれて、作品に深みが出るが……しかしそれは、映画を見慣れない人には難しくなる可能性がある。
 今作は誰でもついてこれるような内容になっており、その点では……優れている、という言い方をしてもいいのではないかの
 

 

 
山崎貴監督は映像作家
 

あくまでも作家性やゴジラらしさを追求する作品ではなく、娯楽作であることを徹底したということだね

 

特に山崎貴監督作品は、どれもこの視点が重視されている印象じゃ

 
カエル「色々と毀誉褒貶があって、評価が分かれる印象だけれど……」
 
亀「徹底的にエンタメに徹した、娯楽監督という見方ができるじゃろうな。
 山崎貴という監督は、色々な作品を制作しているが不思議なほどに作家性がない。
 少ないでも、癖がないでもなく、空っぽという表現をしてしまうかの」
 

空っぽっていうのは、褒め言葉なの?

 

目的がはっきりとしている脚本だという意味では褒め言葉とも言える

 
カエル「目的……つまり、山崎監督の場合は白組のVFXを最大に活かすための物語ってことだね」
 
亀「わしの憶測になるが、今作が昭和の物語になったのは、ゴジラを最大限に魅せるためのものじゃろう。
 その辺りはこの後に語るとするが、ゴジラを上手く見せるためのシュチュエーションを決めて、そこにドラマを当てはめていったという印象じゃ。
 だからこそ、作家性は薄いが……しかしやりたいことはおそらくできているので、これはこれいいのではないかの
 
 
 

 

 

映像面について

 
なぜ本作が昭和の物語なのか?
 

じゃあ、映像面について語っていきましょうか

 

さすが、素晴らしい映像じゃったの

 
カエル「アメリカのアカデミー賞で視覚効果賞を受賞したということもあるけれど、やっぱりそれだけ素晴らしかったね!」
 
亀「わしが面白いと思ったのが、今作が昭和の戦後直後の東京を舞台にしたことじゃ。
 『シン・ゴジラ』の場合も思ったが、今の東京はあまり巨大な怪獣が動くのに適していない。
 それは建物そのものが大きすぎるのじゃな。
 『シン・ゴジラ』の場合はゴジラを成長することによって、体を小さい→大きくすることによって、人間視点の縮尺がよりリアルに感じられるようになっていた」
 
 
 

それは東京の建物が大きいとどんな弊害があるの?

 

単純に比較対象が大き過ぎて、恐怖がよくわからなくなってしまうわけじゃな

 
亀「例えば……よく大きさをタバコと比較することがあるじゃろう?
 それが……そうじゃな、タバコのカートンと比較したらどうなるか?」
 
カエル「えっと……よくわからない?」
 
亀「そうじゃな。
 今ではゴジラの身長をはるかに超える建物が大きくなり過ぎて、画面で比較したときに恐怖感が出てこなくなってしまう。
 マイゴジは50.1メートルということじゃが……東京でいえばサンシャイン60が240メートルということで、ゴジラよりもはるかに大きい。50メートルはビルで言うと15階くらいということじゃから、まあ地方都市ならばそこそこ大きいビル、というレベルかもしれんの」
 

それだと、確かにゴジラの大きさがわかりづらいよね……

 

だからこそ昭和の建物なんじゃな

 
カエル「調べたら、当時の銀座のビルはだいたい31メートルが多いということなので、ゴジラよりも小さいんだね」
 
 

では、大きくしすぎると、今度は縮尺が合わせづらかったり、迫力を出すのに難儀したりとさまざまな弊害があるわけじゃな

 
カエル「だからゴジラのサイズを抑えてもしょぼく見えない、昭和だと」
 
亀「まあ、わしの憶測じゃが……それも1つあるのではないかの」
 
 
海のシーンの多用
 

あとは海のシーンも多かったけれど、これも同じ理由なの?

 

かなり海を用いるのはハリウッドでも使われる常套手段じゃからな

 
カエル「今回、陸地に上がっている描写って結構少なかった印象だよね」
 
亀「もちろん物語的な……つまり昭和でゴジラを倒すということを意識したこともあるのじゃろうが、それだけではない。
 海や水は、もともと水飛沫などで重量感を出すことができるため、怪獣映画ではよく使われるシュチュエーションじゃ。
 だからこそハリウッド版のゴジラ作品でも、海や水を使ったシーンは多い。
 さらに先ほどの話を引用すれば、海にはゴジラの身長と合わせる建物は遮蔽物は少ない。
 せいぜい戦艦くらいのもんじゃが、それも近づく前に大破しているシーンが多い。
 だからこそ、ゴジラの凶悪さを、よりアピールできているわけじゃな」
 

そう考えると、かなりゴジラを撮ることに考えられたシュチュエーションなんだね……

 

わしはそこまで踏み込んで考えれば、脚本賞を受賞するのも選択肢としてありじゃと思う

 
カエル「つまり物語の流れだけではなく……それこそ映像作品の設計図としての脚本だと」
 
亀「物語の流れの上手い下手ばかりが脚本のうまさと語られがちじゃし、うちもそういう見方をすることも多いが、あくまでも映像を作るための設計図である。
 いや、むしろ映像で描くということを考えれば、物語をどうするかよりも、その映像設計を上手くできる方が重要かもしれん。
 その意味では、今作が視覚効果賞を受賞したこと……そのための脚本を用意したこと、それがこの作品の脚本の上手さの証明ということもできるかもしれんな」
 
 

以下ネタバレあり

 
 

 

 

世界的なヒットの考察

 
アメリカでなぜヒットした?
 

では、ここからはネタバレありで語っていきましょう!

 
 

まあ、亀爺はああいうふうに語っていたけれど、自分は今作の物語は普通にダメだと思うけれどね

 
カエル「……あ、やっぱりあなたが出てくるんですね」
 
主「亀爺が言っていたこともよくわかるけれどさ……でも、やっぱり物語の繋ぎ方とか、全部説明してしまうのって、どうなの? って気持ちもある。
 ただそこまで丁寧な動線を引いたから、海外……特にアメリカでもヒットしたってのもわかるから、その意味ではとてもよくできているっているのは、まあ確かにね」
 

ちなみに、超後出しジャンケンにはなるけれど、なんでアメリカでヒットしたと思う?

 

レジェンダリーのモンスターバースがヒットしていたからでしょ

 

そこの意見は変わらないんだね

 

というかさ、元も子もない話をすると、どんな名作でもIPに魅力がない作品はヒットしないよ

 
主「これは『VIVANT』はなぜ世界でヒットしなかった? というのと同じ話なんだけれど……いや、IPが知られていない作品がなんでヒットするって思ったの? って話。
 じゃあなんでネトフリは『ONE PIECE』とか『幽☆遊☆白書』とか、コケたけれど『カウボーイビバップ』を実写化したのか?
 それは漫画の知名度があるからでしょ?
 基本的に作品の評価と売り上げはほぼ関係がない。だからうちも作品と商品、というふうに分けて説明しているわけでさ」
 
 

その意味ではゴジラというIPを世界……特にアメリカで売れるものにしたという意味では、東宝の勝利

 
カエル「お、そこは認めるんだね!
 つい最近まではそこすら認めなかったのに……!」
 
主「いや、それを邦画の勝利みたいなふうに言い出したら、自分は反感を持つよ
 だってレジェンダリーのモンスターバースは洋画じゃねぇかって。
 それはマリオがそうだったように、邦画の勝利というよりはIPの勝利なんじゃないの?
 まあ、そこを分ける必要があるのかって話はありそうだけれど」
 
 
初めから海外に向けて作られていた?
 

これも完全に後出しだけれど、なんか海外向け感が強かったんだよねぇ

 

多分、アメリカの方向を見ながら作ったのはあるだろう

 
カエル「ということは、このヒットも予想の範囲内だと?」
 
主「アカデミー賞までは予想していないと思うけれど、ある程度は狙い通り……というか、行けたらいいなが当たってびっくり、ってところじゃないかな。
 今作がアメリカに向けられていると思う点は以下の3点」

 

  • ゴジラというIPのパワー
  • 帰還兵のPTSDの物語
  • アメリカ軍不在

 

 

 

ゴジラのIPについては、先ほどの話をしたよね

 
カエル「で、帰還兵のPTSD問題だね」
 
主「ここは日本よりもアメリカの方が感じるものが多い問題なのは間違いない。
 そりゃヒットするよねっていう印象があった。
 戦争中のトラウマだったら、間違いなくアメリカの方が社会問題化しているしね。
 そして3つ目のアメリカ軍の不在は、ここからが肝になるから、しっかりと話をしていこう」
 
 

 

 

不思議な山崎貴ワールド

 
ノンポリ? 保守? リベラル?
 

ここはXでの短評でも語っていたことだよね

 

山崎貴って、本当に不思議な人なんだよね

 
カエル「さっき、亀爺はからっぽって言っていたけれど、主も似た印象?」
 
主「う〜ん……からっぽ、は確かに近いのかなぁ。
 普通はさ、思考の癖っていうのものが出てくると思うんだよ。たとえば今回は明確に歴史と政治という問題が絡んでくるから、そこに対して監督・脚本であれば確実に思考の方向性が出てくる。
 でも、山崎貴はそれが薄い……いや、映像面では確かにあるんだけれど、セリフは180度違うことを語っていて、なんじゃそれってなる。
 ここは本当に不思議なんだよね」
 

非常に失礼な言い方をすれば、AIが書いた脚本って感じ

 
カエル「AIって、そんな……」
 
主「ゴジラというテーマがあって、映像的にやりたいことがあって、アメリカでもヒットして、でも当然日本でもヒットする要素を入れて、ゴジラらしさを入れて、観客にわかりやすくして……という、色々なものをスプリプトとして入力して、生成されたって印象。
 だから、この作品を通して監督が何を伝えたいのかっていう、思想的なテーマを一切感じない……
 まあ、それはいつものことなんだけれどね。
 だから、この作品で論争になったっていうのを聞いていたけれど……何を語ることがあるのか、自分には謎。
 思想や歴史観やポリシーなんて、この映画にはないんじゃないかなぁ」
 
本質的には保守? 言動はリベラル?
 

その辺りをより掘り下げると、どういうことになるの?

 

う〜ん……不思議な監督だけれど、保守のテーマが入ると途端に感動的な評価が高くなる印象がある

 
それこそ『永遠の0』とか『海賊と呼ばれた男』だね
 

blog.monogatarukame.net

 

実は潜在的には保守っぽい思想があるのかなぁ…なんて思いがある

 

カエル「原作者の印象かもしれないけれど、そういう作品になると途端に力を発揮するってこと?」

 

主「いやーどうだろう。

 単純に昭和が好きだったり、この時代の価値観が好きなだけで、それが保守っぽく見えているような気もする。

 だからこの映画もさ、映像ややっていることは割と保守気味なんだよ。

 だけれど、セリフで完全に保守を否定して、戦前を否定している。

 でもさ……いや、これでマジで? ってなる。

 だから不思議なんだよね……ノンポリだからどーでもいいや、っていう感じじゃないと、この映画って撮れない気がするんだけれど、どう思う?」

 

カエル「いや、ボクに聞かれても……」

 
今回のゴジラは何を意味していたのか
 

じゃあ、そこを掘り下げる意味では今回のゴジラって何を意味していたのかを考えていきましょうか

 

個人的には以下の3つだと感じている

 

 

  • 戦争の象徴
  • 核兵器の象徴
  • 米軍

 

 

 

上2つはゴジラの典型だよね

 

カエル「うちはいつもゴジラ映画、あるいは怪獣映画の時に語っていますが『怪獣を通して何を描きたいのか』ということを重要視しています」

 

主「怪獣映画っていうのは、ディザスタームービーなんだ。天災と同じように、人間の力では制御することのできない存在。

 それでいうと、今作は新海誠作品とかなり似ていて……新海誠もディザスタームービーで、特に近年の大作はその傾向がある。それが天災なのか、怪獣という明確な存在なのか、という違いだけ、なんならば人間の行動で運命が変わるというのも同じ」

 

敷島は何に怒っていたのか?

 

敷島は何に怒っていたって……ゴジラにじゃない?

 

だから、そのゴジラは何を意味していたのかってこと

 

カエル「それは……戦争だったり、核だったり?」

 

主「ゴジラに部隊を全滅させられたけれど、あれは明らかに米軍のメタファーじゃない?

 日本兵が全滅させられるってことは、相手は米軍だと思うわけだよ。そう考えるとこの作品ってわかりやすくて、ゴジラ=米軍だったら、東京・銀座に核爆弾を落としたら? というシュミレーションになっている

 

それはなんだか、不謹慎な気が……

 

核はゴジラの象徴だからいいけれどさ、戦争という抽象的なものの具現化だとしたら、出てくるべきものが出てこない

 

カエル「それが米軍だと?」

 

主「そういうこと。

 これがいがみ合っていた米軍と手をとっていきましょう、という物語だったら戦争をゴジラのメタファーとして、それを倒して平和になるという物語だということもできる。

 だけれど、今作は不自然なまでに米軍は出てこない……いや、実は出ているんだよ。それがゴジラとして。

 だから敷島が本来怒るべき相手は、自分の家族を奪い、仲間を奪った米軍であり、そのメタファーとしてゴジラが存在している……としか、思えない。

 だから核を連想させる熱戦で恋人を奪われた時、怒りに燃えているけれど、あれは米軍に対する怒りなんじゃないのか?

 ということは、本作は日本兵が米軍に一矢報いるという物語になっている」

 

ゴジラを倒す時のポーズの不思議

 

ここは目次としてはネタバレ防止のために曖昧にしていますが、要は敬礼ってことだよね

 

あれ、何に敬礼したのかも意味不明だよね

 

カエル「えっと……ゴジラに?」

 

主「いや、今の今までゴジラを害獣の延長線上で駆除していたじゃん。

 あの時のゴジラはなんのメタファーなのか?

 戦争? 米軍? 英霊?

 そこらへんがマジで意味がわからなくて、混乱した。

 あの人たちが敬礼する相手としてわかりやすいのは英霊だけれど、じゃあ英霊を日本人の手でぶっ倒したってこと?

 それはそれで意味がわからんし……」

 

う〜ん……

 

そこまでいく話の流れが、保守の理想のような戦争描写だったんだよね

 

主「船に乗って決死作戦をする、生きるか死ぬかわからんって……それ、戦時中の特攻精神と何が違うのか?

 いや、セリフでは否定しているよ? 

 否定しているけれど、やっていることは完全に特攻。

 しかもそこに多くの船がやってきて……っていうのを美談にしているけれど、それこそ軍隊で増援がきたよって話で、全体主義みたいな話を美談化しているようにしか見えない。

 その意味で鑑賞中にグロテスクな映画だなって思いすらよぎるんだよ」

 

全てを否定していくセリフ

 

だけれど、その行動を全部セリフで否定するんだよね?

 

ここがマジで意味がわかんない

 

カエル「あの野田博士の演説とか、とても感動するシーンだったよね」

 

主「だから、めっちゃ不思議。

 さすがに保守的すぎるってことで、セリフだけはいじってバランスをとったのかなぁ……でもそのバランス感覚がある人が、ここまで保守的な行動ばかりの映画にするか?

 特攻精神を肯定しているのか、否定しているのかもわからない。

 あのとってつけたようなラストに関しても、確かに戦前を否定しているんだよ。

 だから意味がわからない」

 

ここまで行動と言動とラストがチグハグな映画って、あんまり記憶がない。

 

主「そもそも、ノンポリなのかも怪しくなるんだけれど、ノンポリじゃなかったとしたら保守的な行動を描きながらも、セリフやラストは全部リベラルっぽくできるという、それは信念があるのかないのかが、全くわからないというね。

 思想性が超強いのに、それを全部否定できるっていう。

 多分無意識だとは思うけれど……全部計算だとしたら、本当にどうでもいいと思っているノンポリか、あるいは実は用意周到な計算家の、どちらかなんじゃないかね

 

 

最後に

 

それでは、今回の記事はここまでとなります

 

あり得ないけれど、これが意図的な作りだとしたらすごいよね

 

カエル「……どういうこと?」

 

主「大和魂がメリケンに一泡吹かせるぜ! って映画が、アメリカで評価されて最高権威の1部門を獲得しちゃった ってことがさ。

 まあ、そこまでは考えてないと自分も思うけれど……それくらい、へんな映画だったなぁ」

 

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