今回は『青春18×2 君へと続く道』の感想記事になります!
大好きな藤井監督の最新作です
カエルくん(以下カエル)
実は藤井作品を語るのは久々かもね
主
観てはいるけれど、語っていない作品も多いからなぁ
カエル「では、早速ですが記事のスタートです!」
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キャスト紹介
- ジミー-シュー・グァンハン
- アミ - 清原果耶
- リュウジ - ジョセフ・チャン
- 幸次 - 道枝駿佑
- 由紀子 - 黒木華
- 中里 - 松重豊
- 裕子 - 黒木瞳
作品紹介・あらすじ
Xの短評
#青春18x2
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2024年5月10日
とても好きな藤井作品でした
もう1本見る予定だったけれど、余韻を大切にしたくてそのまま帰っちゃうほど
人生に羅針盤が欲しい時がある
自分の現在地がどこなのか、何を指針にして欲しいのかわからなくなった時、人はどのように動けばいいのだろうか… pic.twitter.com/7lRTQxo7gF
Xに投稿した感想
#青春18x2
とても好きな藤井作品でした
もう1本見る予定だったけれど、余韻を大切にしたくてそのまま帰っちゃうほど
人生に羅針盤が欲しい時がある
自分の現在地がどこなのか、何を指針にして欲しいのかわからなくなった時、人はどのように動けばいいのだろうか
今作ではその答えを"旅という距離"と"過去という時間"を辿ることで探しました
主人公のジミーくんの気持ち、すごくよくわかってまるで自分ごとのように鑑賞していました
ボクは喜怒哀楽で”哀”の感情を最も大切にしていますが藤井道人作品は人生における哀しみを感じさせる作品が多く、今作もその1本でした
その哀しみは「悲しみ(誰かに傷つけられるとか)」ではなく、ただ生きていくだけで心のあちらこちらに積もっていくものです
台湾パートは物語を中心に魅了し、日本パートは映像を中心に魅了する、その結果として登場人物たちの心情を表現し、同時に「藤井道人」という人間がどのように変化し、生きていくのかを語りかけた作品だと解釈しています
今作はミスチルが多くフューチャーされていましたが、ボクの頭の中にはBUMP OF CHICKENの名盤『ユグドラシル』が流れていました
『レム』『車輪の唄』『スノースマイル』を経て『fire sign』 そして最後に『ロストマン』に至る流れを思い出し、帰り道をこの名盤を聴きながら歩いていました
前作の『パレード』の姉妹編とも言えるテーマの共通性も含めて、語りたいことがとても多い作品ですね
感想
それでは、感想パートから始めていきましょう!
藤井道人監督の1つの集大成であり、新たなステージへの一歩という作品だよね
カエル「うちは『デイアンドナイト』から藤井作品に魅了され、追いかけてきましたが、そのこともあって贔屓にしている監督です。
やはりそれだけの力がある監督だという印象ですし、実写映画の世界で現在37歳は若手〜中堅と称される年齢だと思いますが、その中ではとびきりの注目監督なのではないでしょうか」
人生には”羅針盤”が必要なんだ
主「すこし哲学的というか、抒情的なことをいうと、人生に迷ってしまう時は誰しもある。特に青春18×2=36歳……まあ、30代というのは、人生において難しいときだ。
『1から全てを始めるには遅すぎるけれど、全てを諦めるには早すぎる』
これは余命ものの名作ライトノベルである『半分の月がのぼる空』のセリフだけれど、25歳くらいを想定されていた。だけれど、今はそれが30代になっても同じことが言えるのではないだろうか」
30代って結婚しているとか子供がいればまた変わるだろうけれど、今は独身の人も増えていて、どのように生きるのか迷うのかな
もう少し歳を取れば中年の危機ということになるのだろう
主「人生を諦めにるは早すぎるけれど、何かを始めるには遅い。
今まで来た道が正しいのかわからなくなる。
そんな感情に……ある意味では30代の”遅れてきた思春期”とも言える感情に寄り添い、その羅針盤を与えてくれるような映画だ。
同時に、藤井道人という監督がどのような感情を抱いているのか、というのも、この映画からは伝わってくるね」
新作映画を観る意義
1人の監督を追いかけていくからこそ、気がつくことも多いんじゃないかな
主「最近さ、”新作映画を観る意義”ってことを考えるんだよ」
カエル「新作映画を観る意義?
面白い作品が観たいとかじゃなくて?」
主「面白い作品を観るだけならば、歴史が長く評価が固まった旧作の名作を観るのが1番だろう。ゲームなどは技術が日進月歩だが、映画は映像技術の進化があるけれど、そこまで劇的に変化するものではないし、白黒映画の方が優れている面もある。
新作映画の中で、10年後にも鑑賞される作品は果たしてどれほどだろうか。
もしかしたら今作も5年後にはほとんどの人が忘れているかもしれない」
その中で新作映画を観る意義ってことに、どのような結論をつけたの?
それは1人のクリエイターがどのように変化していくのかを、観測することだよね
主「旧作は……特に時代の古い作品は、クリエイターも亡くなっている場合もある。その時はすでに評価のあらかた確定した作品を鑑賞することになる。もちろん、時代が経て再評価される可能性は残っているけれど、作品そのものは変わることはない。
一方で新作はクリエイターが時代と共に変化していく。
その過程を楽しむことができるし、未来にどのような変化を遂げるのかを想像することは現在進行形の新作の強みだろう」
藤井道人の”到達点”
それが今作の評価とどのように繋がるの?
つまり、今作は藤井道人という監督の、1つの”到達点”であり”変換点”になる可能性があるんだ
カエル「到達点であり、変換点……それは集大成って意味?」
主「自分の感覚では少し違うかなぁ。
藤井監督は政治映画なども撮っているから、今作が集大成という語るには要素が足りないとも言える。でも、今作からは過去作からのつながり……つまり思いを感じることが多いんだよね。
だからこそ、今作は”到達点”であり、”変換点”という言葉を使っていきたい」
1つだけ苦言
今回は褒め重視の記事になるので、1つだけ苦言を最初に語っておきましょう
字幕は要らなかったんじゃないかな?
カエル「今作は台湾と日本を交互に映す形式をとっており、青年期を台湾、社会人時代である現在を日本を舞台にしています。
そのため、台湾パートは中国語・台湾華語を用いており、日本パートは日本語が中心となりますが、この2つの言語を使い分けながら会話をしていく人間模様も魅力の1つです」
主「今作においては”言語が違う”というのは、とても大きなことなんだ。
2人を含めた人々のバックボーンが異なることを直接的に表す。日本と台湾は文化・人種なども含めて近いから、この言葉というのが最大の違いになるだろう。
その”言語が違うけれど伝わり合う”という感覚、あるいは”言語が違うから伝わらない”というのが、極めて重要になる。だけれど、それを字幕で観客に伝えてしまうと、意味が薄くなるのではないか?」
もちろん、すべてのシーンで字幕がいらないというわけではないんだよね?
今回は明らかに言語が通じる、通じないが決定的な感情の違いになるシーンだけに限定している
カエル「つまり、すべてのシーンで言葉の意味を観客に伝える必要があるのか否か、という問題だね」
主「何を伝えることを重要視するかという問題だけれど、自分は”物語という情報”ではないと感じた。重要なのは、その時の登場人物が何を感じ、何を思いその行動を取ったのかということだよね。
それを考えると、実はここで字幕を出してしまうと”物語の情報”は補完されるけれど、逆に感情を語り過ぎているような気がした。
もちろん大規模上映の商業映画で字幕をつけないのは挑戦だと思うけれど、そこは語りすぎな印象があったので、思い切って欲しかったかな」
以下ネタバレあり
作品解説
物語で語る台湾・映像で語る日本
今作を語る際に台湾と日本パートの違いについて考えたいということだけれど……
あくまでも比率の問題だとは思うけれど、台湾パートは”物語性”を重視し、日本パートは”映像”を重視した印象だ
カエル「どちらが0と100という話ではなく、あくまでも比重の問題なんだよね」
主「そうだね。
今作は脚本も藤井監督が行なっているけれど、台湾パートは主人公のジミーが高校生〜大学生の若かりし時を描いている。そこでは物語性を重視して、時にはコミカルな描写も入れながら物語を紡いで、そこで魅了していく。
一方で日本パートはその逆に、映像表現で魅了するような表現が多かった。
その象徴が雪のシーンだよね」
あのシーンはこの映画を象徴するシーンの1つだもんね
カエル「パンフレットでも触れられていますが『トンネルを抜ける瞬間が1日に2回しかなくて「何秒後にトンネルが来ます」となってから「よーいスタート!」までの練習をしました』と語っています」
主「おそらく映像を主体にしていると感じるのは、日本パートが『ドキュメンタリースタイルで撮影できました』というパンフレットでの発言もあるからだろう。
登場人物たちが感じたことを映像で語る、その感動をこちらも味わうことができる。それは映像表現において当たり前のようで、全く当たり前じゃない。それができるのが藤井道人のチームということだろう」
今作を語る時のアルバム
今作ではMr.Childrenが主題歌に起用されていて、そこを主体に語る人もいるよね
う〜ん……でも、自分が見ている最中に感じたのは、別のアーティストのアルバムなんだよね
カエル「それがBUMP OF CHICKENの名盤『ユグドラシル』なんだよね」
冒頭で今作を”羅針盤”と称したのも、このアルバムを連想したことが大きいかもしれない
カエル「ユグドラシルはBUMP OF CHICKENの中でも変化が大きいアルバムとされており、ここから数年かけて曲調なども変化していきました。
Apple musicの紹介でも『別れや旅立ちをテーマにした楽曲が多く、過去を手放し、傷つきながらも生きる人間の姿が力強く描かれている』と紹介されています」
色々な楽曲を経ているんだよね
主「自分はミスチルはほとんど通ってきていないので、そこについては一切語れない。だけれど、やっぱり好きだったBUMPはすごく感じるんだよね。
それこそ電車を含めた別れのシーンは『車輪の唄』だし、雪は『スノースマイル』で、孤独感については『レム』だし、その後に『fire sign』を経て『ロストマン』へと至る。
自分が最も聴き込んだアルバムの1つだというのもあるけれど、過去の自分と出会い、ここまでの旅路を肯定し、そしてさらに歩き始める……そこが今作と共通するのではないか」
他にも似ている楽曲があるのでは? ということだけれど
amazarashiの『ひろ』だ
カエル「『ひろ』はamazarashiのボーカルである秋田ひろむが、亡くなった友人に向けて作られた楽曲だと言われています。同時に、秋田"ひろ"む が、過去の自分に向けて語っているのでは? という楽曲という解釈もできます」
主「『ユグドラシル』も『ひろ』も、共通するのは過去の自分への思い、そして歩いてきた旅路の肯定なんだよね。
それは本作も同じで、まさに”どのように歩んでいくのか”ということを模索する話となっている。この二曲は自分も大好きな楽曲ということもあるけれど、その精神性が自分の中でリンクしていったよ」
あの監督との共通点?
ここでいうあの監督とは新海誠です
これはうちがアニメ映画を中心に鑑賞しているからかもしれないけれど、なぜだか不思議なリンクを感じるんだよね
カエル「それは発表順で言えば前作に当たる、Netflixの『パレード』から共通するテーマだということだよね?」
主「この後に語るけれど、死者とどのように向き合うのかというテーマだったり、あるいはロードムービー要素は『すずめの戸締り』の要素も感じる。
また今作が描き出した主人公の感情は『秒速5センチメートル』的とも言えるし、恋愛関係に関しては『言の葉の庭』とも言える。1つ1つの要素は確かにそこまで酷似しているとも言えないけれど、それが『パレード』も含めて若干似ているような気がするのは、考えすぎなのかな?」
作中でも語れているように、参考とされた作品が岩井俊二の作品だから、大元が同じだけかもしれないけれどね
藤井道人論
近年の藤井道人作品の共通するあるテーマ
そういった他の作品やアーティストとの関連を除いて、藤井道人論を語っていきましょう
ここ最近、藤井作品に頻発するテーマの1つが”死”なんだよね
カエル「それこそ顕著なのは『余命10年』ですが、他にも『パレード』や今作も死が重要なテーマとなっているよね。
もちろんヤクザ系の作品だったり、社会を撮ってきた監督でもあるんだけれど、ここ最近は死について考える作品が多くなっているような印象があります」
主「自分は小説については割と厳しめなので『余命10年』に関しては、原作に対して技量不足を感じていた。藤井監督が感銘を受けた、みたいな発言をしていたと記憶しているけれど、それはリップサービスだと思っていたほど。映画は原作を映像化するにあたって、力を入れて制作されていたけれどね。
だけれど、もしかしたら……というか、多分本当に『余命10年』を含めて、命を失うということについて考えていたのかもしれない」
それこそ、藤井監督の身近な存在である河村光庸さんが2022年に亡くなられたということも、あるのかもしれません
まだ30代と若い監督が、これだけ死を意識しているのは珍しいような気もするんだよね
カエル「もちろん余命ものなどは今の流行りですが……今作は原作がありますが『パレード』のようなオリジナル企画でもそれを描くというのが、気になるということだね」
主「ベテランの巨匠がキャリアの最後に死を意識する作品を撮るというのは、よくあることだ。
それこそチャップリンの『ライムライト』だったり、黒澤明の『まあだだよ』や、最近だと宮崎駿の『君たちはどう生きるか』なども、死や終焉を意識するようなシーンがある。ただ一般的には30代といえばキャリアで言えば全盛期を迎える頃で、1番エネルギッシュで脂が乗り切っている頃だろう。
その頃に、終焉について考える作品を撮っているというのが、なんというか……特徴的だよね」
そこで思い出したのが、かつてテレビのインタビューで(確か情熱大陸)語っていた「あと2、3年で撮れなくなるかもしれない」という言葉ですね
これが本音なんだろうな、とは感じている
主「死というのは観客にとっても強烈で分かりやすいテーマだし、そこをピークにする作品も多い。もちろん、藤井作品にもそのような要素はある。
でも自分としては……キャリアの終焉、確かな終わりとして”死”というモチーフを置いている気がする。
その終焉を迎える前に自分がどうするのか、映画監督として何を描き、何ができるのか。
その自問自答を、映像表現を交えながら語っているような印象がある」
新たなる1ページへ
ここでまたパンフレットに載っていた発言に注目しましょう
『これは18年前に置いてきた青春に、36歳となった主人公がサヨナラを告げる物語です。日本だけではなく、アジア、世界の人びとたちの心にしっかりと残る映画を目指しました。まさに、僕にとって監督人生第二章のはじまりであると自負できる作品になっています。』
藤井監督も現在37歳、撮影時は36歳と考えると、今作はまさに”藤井道人”について語っている作品と解釈もできるだろう
カエル「だからこそ、さっきから『ユグドラシル』や『ひろ』を挙げて、過去の自分との対比やこれからの旅路ということを強調していたんだね」
主「最初に”到達点”であり”変換点”という言葉を用いたのは、まさに36歳の現在にどのような存在を目指すのかを自問自答するような動きをしているからだ。
Netflixとの連携だったり、今作の台湾のように外国との共作も含めて挑戦していく姿勢があり、世界に向けた視野を持った非常に応援したい監督でもある。それと同時に、ここまでの自身の人生をどのように決着をつけるのか、そこを問うような映像表現でもあった」
ふむふむ……だけれど、集大成ではない、と
集大成というには、作品幅が大きすぎるからね
主「今作の主人公であるジミーが働き詰めになるシーンなどは『新聞記者』的だとも言えるかもしれないけれど、明らかに政治的な要素もなければ、社会的な視線もあまりないし、ヤクザ映画のような暴力的な側面も0とは言わないけれど、まあ、注目するレベルでもない。
そういった要素は入っていないので、集大成とは言い難い。
だけれど、藤井道人という監督の作家性は、むしろこのような作品にあるのではないか」
藤井道人の作家性
その作家性って?
簡単に言えば”生きていることの感情を描く”ってことだよね
カエル「生きていることの感情を描く……」
主「最近、自分がこの言葉を連呼し過ぎているけれど、でも多くの創作者は結局、ここに行き着くのだろうと感じている。
藤井作品といえば政治映画・社会性・暴力性などが目につきやすいけれど、重要なのは”どのように生きるか”であり、”その感情・心の動き”なんだ。
政治・社会・暴力というのは映画のスパイスでしかない。
最も重要視しているのは”その状況下でどのように人は生き、その選択をするのか”ということを描いている作家だと解釈している」
だけれど、まるで政治の監督だと誤解されているのでは? と
それもまた1つの側面だから間違いではないけれどね
主「器用な監督であることは間違いないし、ほとんどの企画は撮れるんだろう。なんだかんだで綺麗に丸く収めることができるという意味で、重宝される監督だ。
だけれど……だからこそ、撮りたい作品っていうのが、少し見えづらくなっている印象もある。その中で『宇宙でいちばんあかるい屋根』などのような、ハートフルな作品を生み出しているし、もしかしたら本当はそちらがやりたいのかもしれない。
そういう意味では器用であり、なんでも綺麗にまとめることができるからこそ……”藤井道人でないと絶対出てこない作家性”をさらに磨く必要があり、その1つの現在の到着点が今作だと言えるのだろうな」
最後に
というわけで、この記事はここまでです
少し、器用すぎるのかもしれないね
カエル「なんでも撮れるというのは褒め言葉になるのか? ということなのかな」
主「どのような監督を目指しているんだろう? という話だけれど、職人的な監督でいくならば今のままでもいいかもしれない。ただ唯一無二の作家性と監督としての個性を獲得するならば、どのような方向に切り替えて磨いていくか、ということが課題になるのかもしれない」
ちなみに、主はどんな作品を撮って欲しいの?
超無茶振りをいえば『ゴジラ』を撮ってほしい
カエル「……え、ゴジラ?」
主「特撮アクションが難しいのはわかるし、そこは無茶振りだけれど、本田猪四郎と円谷英二のように、監督と特技監督を分ける形でもいいんじゃないか。
ゴジラという日本を代表するIPに対して、藤井道人がどのようにアプローチするのかを見てみたいし、今のゴジラの高くなったハードルに対して1つの答えを見せてくれる……
そんな気がするんだけれど、まあ、戯言だね」