今回は2019年公開のホラー映画『ゴーストランドの惨劇』の記事になります!
ちょっと、前の映画になるね
カエルくん(以下カエル)
「今回、この映画を見た理由は、参加しているネット番組『おれなら』にて年間ランキング1位に選ばれたためです!」
主
「レギュラー陣4人のうち、1人しか見ていない映画が1位になるとは……」
カエル「正直、ホラー映画は苦手ですが半分義務感もあって映画を鑑賞してきました!
それでは、今回レビューを軽く仕上げようとしましたが……」
主「今回は特濃の記事になりますので、覚悟して読んでください。
こんなに長く書くつもりはなかったんだけれどなぁ」
カエル「では、記事のスタートです!」
感想
それでは、ツイッターの短評からスタートです!
#ゴーストランドの惨劇
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年2月11日
恐怖よりも恍惚のため息がもれる
バイオレンス描写の中の美学
何重にも連なった語り方のうまさ
映像表現に見惚れ、思わず膝を打つ場面も多々
ただ、自分がこの映画とどう向き合えばいいのか悩む部分もある
他人事ではいられない感情を突きつけるホラー映画の良作 pic.twitter.com/L5iFXmbJfL
この映画は自分の解釈が絶対的な正解だね
カエル「……は? 何を急に言い出しているの?」
主「正直、自分の解釈以上に正解していることは、ないだろうよ。
それだけは自信を持って断言できる」
カエル「……いや、映画の感想とか解釈って正解不正解とかいうものでもないし、それだけ自信があるのかもしれないけれど、もうちょっと言い方ってものが……」
主「文句があるならさ、これから説明するんだから最後まで読んでもらってからにしてもらえる?」
カエル「……うわ、超ムカつく!
じゃあ、解釈論争は置いておくとして、どんな印象の映画だった?」
主「正直、全く怖くなかった。
元々ホラー映画が苦手でさ、普段だったら絶対見ないタイプの映画なんだよね。だけれど、自分がやっているネット番組の『おれなら』の2019年ベスト1位に選ばれたし、これは見ないといけないなぁ……と思って観たわけですよ。
普通の人……という言い方はあれだけれど、”トラウマになる”なんて話もあるから、怖いと思う人が多いと思う。
だけれど、自分は一切怖くなかった」
え、なんで結構グロテスクな描写や、ホラーとしても優れていたと思うけれど怖くないの?
その描写の意味がわかると、不思議と怖くないんだよ
主「昔にさ『無垢の祈り』という映画を観にいった時に、監督のトークショーがあったのね。で、主人公が小学生の幼い子供なんだけれど……なんというかな、かなりホラーのような描写もある映画なんだよ。
で、女の子に不気味な人形を見せるシーンがあるんだけれど、そこは女の子のトラウマにならないように配慮していたんだって。
その方法が制作工程を見せること。
『怖いように見える人形でも1から作る過程を見せると、怖くなくなる』と語っていたけれど、そういうことなんだよ」
カエル「……どういうこと?」
主「つまり、恐怖というのは”わからないから怖い”わけ。
本来あるべき形から外れている時、そこに恐怖を感じる。
だけれど、その恐怖描写の意味や、製造工程がわかると、全く怖くなる。それどころか『よくできてるなぁ……』となるんだよ」
よくできたゾンビメイクの完成形を見ると驚くけれど、メイクしている様子を眺めていると完成形を観ても怖くないってことかなぁ
で、この作品って1つ1つの描写にすごく意味があるのね
主「だから、その意味が読み取れると全く怖くなくなる。なぜそんなことが起きているのか、わかるわけだからね。
それと……この映画のホラー要素は確かに辛いシーンも多いけれど、でも美学もある。
また役者陣も美しく撮られている。その辺りが徹底しているから、艶もあって芸術品のようだった。
その点を考えても、自分はそんなに怖くなかったんだよね」
以下ネタバレあり
作品考察
本作を語る際に参考にする作品たち
では、早速ですがネタバレありで話していきます!
まずは、この作品を語る際に参考にする作品たちを紹介しよう
カエル「うちの特性は”映画よりもアニメに詳しい”という部分です。なので、この映画を見る層とは違う見方をしていることを、ご了承ください。
また……参考作品の直接のネタバレは当然ありませんが、ちょっとだけ察せれてしまう部分があるかもしれませんが、こちらも合わせてご了承いただきますとありがたいです」
まず、1つ目の作品は『ジョジョ・ラビット』
2作目は『ぼくらの七日間戦争』
3作目は『少女革命ウテナ』
4作目が『千年女優』
カエル「というわけで、最新洋画から過去のアニメ作品まで揃い踏みですね」
主「この映画が素晴らしく、また創作として恐ろしいのは、その幾重にも意味を持つ物語。
例えば1人のキャラクターが何重にも意味がある存在として描かれているんだ。
だから、語り方はいくらでもあるし、解釈もたくさんできるように作られている。
今回はこれらの作品の要素に共通するものを順を追って語ることで、ゴーストランドの惨劇の解釈に迫るとしようかな」
美人姉妹に訪れてしまう惨劇とは……
本作の読み取り方①〜曖昧な境界線〜
では、まずはどのように読み取っていくの?
ここで『ジョジョ・ラビット』を参考にします
カエル「アカデミー作品賞にもノミネートされて、大きな話題を呼んでいる作品だよね。うちも鑑賞はしましたが、あまりピンと来なかったこともあり記事にはしていません」
主「『ゴーストランドの惨劇』は自分が最初に予想していた『ジョジョラビット』の姿にかなり近い。
ジョジョは、ヒトラーがイマジナリーフレンドなんだよ。そして、この作品もまたそのような構図がある。
つまり、かなり現実(真実)と虚構があやふやで、その境界が曖昧な映画であるってこと。
これが第1のポイント。
ちょっと話がずれるけれど、自分がジョジョラビットがいまいちだったのは、何が本当で何が嘘かを見極めることができなかったんだよね。色々と見方を間違えていたけれど、ゴーストランドの惨劇の場合は、それがピタリとハマった印象だ。
あとは、家を中心に物語が展開されるというのも似ているポイントではある」
本作の読み取り方② 少女から女性へ
〜ホラー映画の語り口〜
次に語るのが”ホラー映画の語り口”ということだけれど……
ここで参考になるのが『ぼくらの七日間戦争』なのね
カエル「1980年代に邦画も作られたジュブナイル作品を、2019年にアニメ映画化した作品です。
こちらは”大人VS子供”というテーマを現代的にアレンジして語られています」
主「じゃあさ、大人って何? 子供ってなんなの?」
カエル「……え、何その思春期みたいな問いかけ」
主「なぜ本作の主人公たちが14、15歳くらいの姉妹なのか?
それは彼女たちが”大人でもなく、子供でもない”という曖昧な年齢だからだ。
ホラー映画の語り口であるのが”少女の成長を寓話的に描く”ということだ。例えば『エクソシスト』は不安定な思春期の少女の心のあり方を、悪魔憑きに喩えて語る寓話でもある。
近年では『RAW 少女のめざめ』というホラー映画も、少女の成長をホラー風味に描いている」
ホラーとコメディは語り方が大事なんだ
主「たまに勘違いされているような気もするけれど、コメディはただ笑えればいい、ホラーはただ怖がらせればいいものではない。
その笑いや恐怖の中で、何を表現して何を語るのかが重要となる」
今作の描き出した”成長”
ふむふむ……じゃあ、今作の場合は?
序盤で描かれたように”少女が大人になる瞬間”を描いている
主「……よくさ、『男はいつまでも子供だ』『男は社会に甘やかされている』なんて言われるじゃない? それに対しては個々に言いたいこともあるけれど、でもその意見にも賛成する部分があるんだよ。
だけれど、それは社会の問題などではない。
男女の体の問題だと自分は考えている」
男女の体が違うから、男は子供のままなの?
女性は成長の過程で”痛み”や”出血”などの変化を強いられるんだ
主「この映画でも序盤で生理が描かれているけれど、それは”少女から大人の女性への変化”と受け取ることができる。その血が出る姿などをホラーで描くこともあるんだよ。
一方で、男性はもちろんヒゲが生えたりするけれど、肉体的に痛みを伴うような急激な変化は少ない。そのために、成人式や元服などの外部や環境からのアプローチで大人になる儀式が必要なんだ。ほら、外国ではわざと危険を犯すことで、一人前の男と認められることもあるでしょ?
自分に言わせて貰えば……タバコ、お酒、セックス、それに仕事や戦争(軍人)なども男が大人になるための儀式としての性質があると思っている」
”女の子はほっといても女になるが、男の子は男にしなければいけない”って考え方だね
この映画でもビールを母親が飲んでいるように、お酒は大人の象徴だ
主「太っちょに無理やり飲まされた時に吐き出しているのは、まだ大人になり切れていないとも言える。
だけれど、後半で大人になった時にはシャンパンを普通に飲んでいるんだよね。
また、母親がタバコを吸うように、大人としての側面を強調して描いている。
このように”子供から大人への変化”を描いている作品なんだ」
カエル「ふむふむ……じゃあ、お姉ちゃんは?」
主「一足先に大人になった女性だよね。
あの太った男は人形遊びをする、子供のように描かれている。
つまり、あいつは幼児性の象徴なんだよ。
だから人形があれだけ家の中にあるのも、不気味さを増すためでもあるけれど、同時にベスがいかに子供っぽい部分を持つ女の子なのか、ということを示している。
まとめると
- ベス……少女から大人の女性に変化し始めた者
- 姉のヴェラ……先に大人になった者
- 母ポリーン……完全に大人になった者
- 太っちょ……子供のままの自分(大人になり切れない部分、心)
- 魔女……大人であることを強要する自分(肉体の変化)
という風に解釈できる」
……つまり、太っちょのような子供の心と、魔女のように大人になれと強要する体に悩む思春期の少女を描いた作品という解釈だね
そう考えると、ヴェラの「私は壊れた」「次はあなたの番」の解釈もできる
主「つまり、ヴェラはすでにその身は思春期の変化に悩まされた。しかも、理解者もいない中で必死に耐えたけれど、あまりの辛さに負けてしまった。もしくは少女の時代は終わった。
次は妹が変化を迎えたからこそ”次”という言葉が出てきたわけだ。
助けてくれる母は大人の女性、理解者の象徴。
ベスも大人だと襲ってくる相手が見えなくて安定しているような描写もあった。
だけれど、導き手である大人の母がいなくなったことを境に、また子供の自分へと戻ってしまうわけだ」
”子供”と”男性”の2つの意味を持つキャラクターに
本作の読み取り方③ 現代の女性の戦いの物語へ
次に、女性のあるべき姿の模索ということですが……
この映画ってちょうど中盤で明確に物語が変わるんだよ
カエル「それまで大人だったのに、急に子供に戻ったりしているよね」
主「ここでテーマが明確に変わっているんだよね。
ここからは『少女革命ウテナ』と同じテーマ……つまり”女性の解放運動”だ」
カエル「今、もっともハリウッドを中心に世界中で語られているテーマの1つだよね」
主「なんでウテナを連想したのかっていうと、当然のことながら姉妹で草むら……であってるかな? そこを歩くシーンが『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』も被ったからなんだよね。
でも、そんな偶然だけじゃない。本作は明確に”女性の開放運動”の物語だ」
今作で注目して欲しいのは、男性がほとんどいないということなんだ
カエル「今作で出てくる男性は……大人になったベスの家族、太っちょ、あとはラブクラフトと、警察官くらいだね……」
主「主要登場人物はほぼ女性だし、家の中にいる人も女性ばかり。
そこは意図的に”女性について語ります”ということを宣言しているからだとも言える。
じゃあ、このパートにおけるキャラクターの役割を一気に説明すると」
- ベス&ヴェラ……翻弄される女性たちの姿
- 母、ボリーン……ベスの理想とする女性像
- 太っちょ……女性を抑圧する男性の象徴
- 魔女……女性を抑圧するモノの象徴
ちょっと言葉に困ったけれど、魔女は”女性を抑圧する風習”と言ってもいいかもしれません
例えば”お化粧して綺麗でいろ”とかね
カエル「ヴェラに『上にいったら黙って従え』というのは、男にどのように弄ばれてもじっと耐えろという、旧来の男性優位の価値観の否定なのかなぁ」
主「それと同時に、魔女は化粧を強制しているけれど、あれは”女性は化粧をして美しくあらねばならない”などのような、女性を縛る旧来の価値観なんだよ。
じゃあ、母親は? というと、それに立ち向かう現代の模索する女性像。
結局は旧来の価値観に負けてしまうわけだけれど、その思いを胸に新しい女性像を目指して外に出ていく映画でもあると解釈できる。
つまり、本作は”少女から大人への変化”と”旧来の女性像からの脱却”の2つをテーマとして、ホラー調に語っていると解釈できる」
カエル「ふむふむ……だからそんなに評価するんだ!」
主「……いや、ここまでだったら、ホラー映画では語られていることとも言える。
本当のこの映画の恐ろしさはこのあとなんだよ……
長くなりましたが、ここからが本番です!」
ここから本題へ
本作の読み取り方④ 物語と現実
えっと……本当の恐ろしさって何?
つまり、この映画で描かれたことは全て虚構なんだよね
カエル「……え? 全部夢だったということ?」
主「いや、夢というよりは空想とも言える。
誰かの物語上のことなんだ。もしかしたら……スタートからすでにこの映画は作中作の世界に入っていたのかもしれないな。
上記の女性に対する2つテーマというのは、優れたホラー作品では触れられていることでもある。
だから……この物語の大半は”よくできたホラー作品”なんだよ。
上のメッセージ性も全てその通り。非現実的なのも、本当に物語としてよくできている。
それがすごく大事なんだ」
え、この映画が作中作だったとして、その作者は誰なのさ?
紛れもない、パスカル・ロジェですよ
カエル「……え、監督?」
主「まあ、それもまた1つの解釈だけれどね。
この映画はちょうど半分で物語が切り替わる、と言った。
そして最後の約10分でまた切り替わる。
そのテーマこそが、本作が非常に優れている部分だ。
だけれど、この映画の内容が妄想・あるいは物語によるものだということは間違いない。あやふやな世界、巻き戻ったり飛んだりする時間軸、そして鏡に写ったhelpの文字……あれは、外の世界にいる自分からのメッセージだということもできる」
カエル「……なんか、すごくゴチャゴチャしてきた」
主「だから『千年女優』だって言っているんだよね。詳しくは記事を読んで欲しいので割愛します。
この解釈の場合、ヴェラは”現実の象徴”だと思う。彼女が何回も『いい加減諦めれば?』みたいなことを言っているし『私は妹が欲しい』というのは、もっと一緒に遊べる相手が欲しい、現実に振り向いて欲しいという意味でもある。
最後の方で『でも姉なの』というのは、妄想の世界よりも現実の世界をとった、と解釈もできる。でも、自分の解釈は違うんだけれどね。
だから空想・あるいは創作寄りのベスと、現実よりのヴェラの間を行き来するお話でもあるわけだ」
誰が誰に助けを出しているのか?
あの家はベスの自意識の塊だったのか?
なぜ”ラブクラフト”なのか?
そういえば、この作品で重要な意味を持つのはラブクラフトだよね……なんで彼なんだろう?
ロジェが好きな作家であろうこともあるだろうけれど……後半のパーティのシーンは、正直すっっっごく感情移入したんだよ
カエル「ラブクラフトに『芸術品だ。一言一句でも変えたら僕が承知しない』と言われたシーンだよね……」
主「もちろん、ラブクラフトはホラー好きには説明不要な偉大なる作家だ。クトゥルフ神話は近年、アニメ・漫画好きにもしっかりと認知されており、日本でも知名度も高くなっている印象がある。
だけれど……その名声と裏腹に、ラブクラフトという人は生前あまり売れなかった。
日本で言えば、宮沢賢治みたいな人でもあるんだよ」
カエル「ふむふむ……じゃあ、あのパーティは?」
主「僕は、あのシーンが本当にガツンときてさ……
人はなんで創作するの?」
カエル「え? 面白いからとか、あるいは有名になりたいとか、お金のタメとか色々な理由があると思うけれど……」
この映画は”ラブクラフト”じゃなければ、意味がブレるんだ
主「あのパーティのシーンはベスが辿り着いた栄光の瞬間だ。名誉もお金も手に入れた、家族もいて、憧れの人もいて、すごく楽しい時間。
しかも、そこで憧れのラブクラフトが登場して『君の作品を気に入った』なんていってくれる、すごく夢のような時間。
だけれど……それが本当に創作者の理想郷なのか? というと……必ずしもそうじゃない。
少なくとも、ベスやロジェのような人にとっては」
カエル「え? じゃあベスにとっての理想郷ってなんなの?」
主「あのホラーのような空間こそが理想郷だよ。
彼女は、本当に芯の芯から創作が、ホラーが、あの陰鬱で誰もが忌避するような世界が大好きなんだ!
だから進んで戻っていく。今作にはあまりホラー映画を見ないでもボクでもわかるほどのオマージュか散りばめられているけれど、それはベスやロジェが愛した作品たちに他ならない。つまり作中作としても敬意を持ってオマージュを捧げている。先ほど『姉は現実の象徴』って語ったけれど、それすら正しくはない。
彼女は”自分が愛する物語の世界”に戻ることを選択するわけだよ。
あんな名誉もいらない。
優しい家族も、優しい世界も、現実もいらない。
彼女が本当に、本当に欲しいのは……お金や名誉じゃない、あのホラーの世界なんだ」
そう、ラブクラフトのように生涯売れなくても、評価されなくても、誰にも相手されていないように感じられても、それでも延々と愛する世界を紡ぎ、描き続けるという宣言だよ!
とてつもなく、純粋な映画へ
え……なんだろう、それってハッピーエンドと言えるの?
紛れもなくハッピーだけれど、でもそれでいいのかはわからない
主「タイミングの問題だけれどさ……この映画をみた2日前にアメリカアカデミー賞が発表されて、大きな話題を呼んだんだよ。
そこに呼ばれた映画たちは素晴らしい傑作ばかり、自分もそこを揶揄するつもりはない。だけれど……『ゴーストランドの惨劇』は、その中には入れなかった。多分、なかなかノミネートが難しいタイプの作品だろう」
カエル「なんだかんだ言っても、本当の意味で”全ての映画に門が開いている”とは言えないよね。それこそ、アニメーション映画なんかは、無意識に除外されてしまうし……」
主「でもさ……いや、本当にポン・ジュノを揶揄する意図は一切ないんだけれど、アカデミー賞ってゴールなんですかね?
そこをみんな目指さなければいけないんですかね?」
売れること、賞で評価されるには狙わなくてはいけない部分もあるしね……
でもさ、そんなの……アカデミー賞も興行収入ランキングもどうでもいいんですよ
主「ただ作りたい。
ただ物語が好き。
名誉も栄誉もいらない。
金も程々でみんながペイできればそれでいい。
なんならば、自分は不幸でも構わない……そんな人種もいるわけだ。
ボクは多分こっち側。そりゃ、名誉も栄誉ももらえるならば欲しい。でも、それ以上に書くことが大好き。まあ、最近はあんまり小説を書けてないんだけれど、でもどこかでブロガーよりも小説家になりたいって気持ちはあるし、なれなくてもいいから書いていたいって気持ちがある」
カエル「恥ずかしい個人語りのようだけれど、でもそうだよね……
この形式だって色々と癖があるのはわかっているけれど、でも”物語が書きたいんだ”ってことで、少しでも物語性を含めるためにやっていることも、1つの理由だし……」
主「この映画のホラー描写は本当に美しんですよ。
なぜならば、ベスにとって……パスカル・ロジェにとって、ホラーとはそこまで美しいものだから。
だからこそ、過酷で辛くてきついようだけれど、でも美しい。楽しい。作りたい。
変態かもしれないね」
ボクだって、昔は坂口安吾が後ろにいたときもあったんだよ
主「もう何年も前だけれどさ、安吾に傾倒して、全集を本好きの人にもらったりして積極的に読んでいた。何回も何回も何回も繰り返して読んで、頭の中に安吾が住み着いたこともある。
自分の中で安吾が語りかけてきたこともある。
だからさ、ベスがラブクラフトに『何も変えるな、ボクが許さない』って言われるのって、すんごい理解できる。
そしてそれこそが、何よりも自分の幸福」
あんなアカデミー程度の栄誉や、何百億なんてはした金や、笑い合える家族なんて幸福ごときのために自分を変えたら、ラブクラフトは去っていく。それを本気で信じている人間の……物語を、虚構を心の底から愛している人間の切実な叫びのこもった映画なんだよ
最高で最低の物語
え、この解釈が”絶対の正解”でいいの?
”自分”の解釈って最強なんだよ
主「映画の感想とかというのも、受動的な面もあるけれど1つの表現なんだ。
どんな解釈をするのか、そこに意味が生じていく。客観的になろうとしても、どこかで自分を語ることになる。
自分で作った物語ってどんなに拙くても世界で1番最高で変えるポイントもなくて、愛おしくて、本当に世界一なんだよ。
だけれど同時に拙くて、見ていて反省点ばかり浮かんで、オリジナリティに欠けている気がしてくる、世界で1番醜い物語でもある。
矛盾するようなんだけれど、それが創作者の普通だと思う。だから序盤で『傑作だわ』と母親に言われて喜び、でも姉に『何、この話? 彼氏のいない妹の方がホラーだわ』と言われて落ち込み、そして自分でもオリジナリティがないと悩み、まだまだだと思う……それが頭の中で何度も何度も行われている類の人間の物語であり、そういう人のための作品」
……それと映画の解釈がどう繋がるの?
映画の解釈・感想も、また1つの受動的ながらも作品だと思う
主「例えば、この記事が100%物語る亀のオリジナルか? と言われると、それはまた違う。パスカル・ロジェという才能があって、『ゴーストランドの惨劇』という作品があって、その上にゴチャゴチャいうことで成立している。
もしかしたら、オリジナリティは皆無なのかもしれない。
でもさ、映画もなんでも語ることで初めて実態を持つという側面もあるんだよ。
少なくとも、自分は受動的に”楽しかった”で物語を終えることを良しとしていない。
だからブログなんてやっているわけだ。
そしてそこで出てきた自分の感想・解釈って、やっぱりどこかで自分の作品でもあるんだよ」
自分の解釈って、すごく愛おしいでしょ?
主「もちろん、他の人と話すときはそれを最大限尊重する。
和やかに話をして、議論をして、深めていく。
だけれど、好きな作品であればあるほど……好きな作家であればあるほど、他の人の解釈に感心しながらも、心のどこかで『でも自分の解釈・感想が1番だしな』って思うんじゃないかな?
少なくともその作品に触れたときの衝撃、感動、感じたこと……それはオリジナルなものなんだ。
それを言葉や何かの表現にしたとき、それは作品という触媒があるだけでオリジナルなものなんだ。さらに磨けば、それは批評という創作活動になる。
それは歪みでもあるけれど……感想というのは、その何かを作る、伝えようとする愛しさを見つめている“作品“なんだよ。
だから、最初に”自分の解釈が絶対に正解だ”って語ったのは、そういう理由」
この作品をどのように捉えるべきか
……だけれど、ここまで熱く語っておいて、それでも”困惑”って表現が出てくるんだね
難しいんだよ、ボクがこの映画をどう受け止めるかって……
カエル「何度も”現実と虚構”という対立の話をしていて、そこで現実に帰ることを良しとしてきたし、実際に人間が生きることの方が大事だというスタンスでは一応あるんだよね……」
主「……でもさ、同時に”現実ってなんだろうな”って気もするんだよ。
最近、ボクの中では自分の本名での活動……仕事行ったりとか、家でゲームしたりとかっていうよりも、物語る亀を運営する”カメ”としての活動、あるいはライターとしての井中カエルとしての活動の方が、自分の心理の中でウエイトが大きくなってきた。
カメや井中カエルとしての活動って、それはそれで幻想なんだよ。
本業は別。
でも、同時にその活動だって現実になってきて……すごくフワフワしている」
カエル「それも現実と言えば現実なんだけれどね」
主「すんごく受け止め方が難しい。
ここまで物語に傾倒するのが、果たして正常なのだろうか? って思いもある一方で、でもそれが理解できるし羨ましく思う作品でもある。
だからこそ、困惑」
でも『おれなら』で1位になったのは、今となっては誇らしくもあるんだよ
主「ボクのランキングでは1位にはしないし、多分ここまで評価はできない。
でもさ……映画が好きな人が選ぶ自主的なランキングで、色々な思いを受けての1位なんだよね。
その映画という虚構を現実のものとして、愛した人たちが選ぶ1位なんだよ。
これほど物語賛歌として、ふさわしい作品はない。
ランキング選定時は見ていなかったけれど……でも今ならば、自分も1票を入れるね。
『僕たちの1位です』って、心おきなく言えるし、言いたい.そう選んだことを誇りに思う……そんな作品」
ロジェは変態なのかもしれない
主「あんなに女の子に酷い目に合わせて、理解できない物語を作って……不気味なやつかもしれない。
でも、その世界を愛して愛して愛して、救われたんだよ。
そんな人だからこそ作ることができる映画なんだよ!
それはもしかしたら、自分はアニメが好きだけれど……今は一般的な趣味になりつつあるけれど、でも確かに”気持ち悪い趣味””犯罪者予備軍”として見られてこともあった。実際、そう言われたこともあった。
だけれど、だからこそ”そんな物語を愛している!”と言えること……これほど尊い思いはないのではないか? というのがボクの結論です」