亀爺(以下亀)
「この作品は一部の映画通の中で話題になっていた作品じゃな」
ブログ主(以下主)
「この手の映画はソフト化もされない例があるから、名画座とかでの上映の際に見に行かないと一生見れないかもしれないんだよね」
亀「この作品はR18であり、しかも映倫などを通さない自主制作映画じゃからの。原作者の平山夢明と、様々な映画、ドラマなどを撮ってきた亀井亨の実績や名前があっても映像化が断れてしまった作品じゃの」
主「亀井亨ってホラーを中心に色々と撮ってきた人で、自分はホラーが苦手だからあまり見ていないけれど、結構な多作の監督でさ。業界人とのつながりも相当ありそうな監督だけど……そんな人でも難航するような交渉で……
結局資金繰りから何からと全部自分でやったという作品。
新人監督みたいなことをしないと撮れない作品でもあって……その理由は観て貰えば一発でわかる」
亀「じゃが、あまり劇場で公開されないから観に行く機会もそうそうないの」
主「もしかしたらこの映画を語ったブログってそんなにないかもしれない……といういうとさすがにそんなことはないか。結構映画好きの中では評判の作品だったし。
ちなみにこの日は『イノセント15』という作品も鑑賞したんだけど、これが意外とリンクすることも多くて……なので後半は『イノセント15と無垢の祈り』についても記事にしたいと思います」
亀「本来は2作同時レビューにしたいのじゃが、それだと文字数があまりにも多くなりすぎてしまうからの。
それでは感想記事の始まりじゃ」
作品紹介
平山夢明の短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』に収録された『無垢の祈り』が原作。様々な事情がありスポンサーなどが見つからず、亀井亨が予算を用意して持ち出しで製作した、自主製作映画でありR18指定の作品。
主演を務めるのは当時10歳の福田美姫。本作の大半のカットに登場しているが、その存在感のある演技は圧巻の一言。
父親役にはBBゴロー、母親役には下村愛。
あらすじ
10歳の少女、フミは学校に友達もおらずいじめられる日々を送っていた。母親の再婚相手であるクスオはDVを繰り返し、ことあるごとに母親やフミに対して虐待を繰り返していた。そんな生活の中で母親は宗教にはまってしまう。
そんな中フミの暮らす町に連続殺人鬼のニュースが流れる。生きたまま解体し、骨を取り出すという残忍な手口から『骨なしチキン』と名付けられた犯人に対し興味を抱き、犯行現場に足を運ぶフミ。
そんな彼女に訪れる衝撃の結末とは……?
映画「無垢の祈り」予告篇#3.1ver. [Innocent Prayer Movie Trailer#3.1]
1 感想
亀「それではざっくりとした全体の感想から入るがの……2016年公開ということじゃが、この年は邦画大豊作で様々な作品が生まれておったが、本作もその大豊作の1つに入るのは間違いないじゃろう。
じゃが……この作品は万人受けては言い難い部分もある」
主「観ていて気鬱になってくる作品だからね。
自分はこの手の暴力映画ってあまり好きじゃなくて、あえて波長を合わせないようにしている。じゃあなんで観に行ったんだ? と言われると、そういう映画だと知らなかったということもあるんだけど……あまり下調べはしないタイプなので。
あまり波長を合わせ過ぎると、立ち上がれなくなるほどダメージを負う故の防衛策でもあるんだけど、ちょっとこの手の映画に批判的な意見を持っていて……」
亀「以前も語ったことがあるが、暴力映画は『残虐であること』『エログロであること』を競い合うようになりがちじゃからの。前作が大ヒットしたから、次回作はさらに暴力描写を増やして……という作品は過去にたくさん例がある。
そしてそれは『反射』ではあって、表現とは認めずらいというのがこのブログの主張じゃ」
主「自分は今の漫画にそれを感じていて『進撃の巨人』が大ヒットして以降、まるであのような残虐描写が大ヒットしたかのようになって、そしてその2番煎じのように次々とショッキングな漫画が作られている。
ネットの広告で見る漫画はそういう作品が多くて……もちろん、少ないスペースで宣伝をするための煽りの意味合いもあるだろうけれど、じゃあそれでいいのか? と言われると結構疑問がある。
その表現の行き着く先は『殺人こそがアートだ』という思想になりかねない」
今作のヒロインを務める福田美姫。
存在感が抜群です
暴力映画の『哀』
亀「もちろん、本作はそう言った作品とは一線を画しておる。きちんと配慮された暴力描写であるし、そういう描写がないと成立しない物語を作り上げておる。
グロテスク描写も確かに多いがの、では『ヒメアノ〜ル』や未成年のグロテスク描写関連でいうと『バトルロワイアル』などと比べてどうかと言われると、実は今作の方がグロテスク描写は少ないかもしれん」
主「この作品がR18なのはグロテスク描写があるから、というのもあるけれど、1番大きいのは『児童虐待』(性的なものを含む)があるからであって……これは亀井監督と平山無明のトークショーで語られていたけれど、やはり全世界的に児童虐待の映画はタブー視されている。
だからR18にして、ある程度分別のついた大人でないとこの映画を鑑賞できないように配慮している。『暴力の見本市』にはしないという覚悟の表れがこのR18に宿っているわけだ」
亀「その思いはしっかりとこの作品の中に抑え込まれてあったの」
主「自分は暴力映画においてたった1つだけ絶対に譲れない評価基準があって、それは『暴力の悲哀』を描けているかどうか。
これがない物語は単なる暴力でしかなくて、表現としては下の下になってしまう。
なぜその暴力が必要なのか?
なぜその描写が必要なのか?
それが『キャッチーだから』とか『グロ描写が派手だと多くの人が反応するから』なんて軽いものではなくて、しっかりとその描写がないと描けないものがあること、そして最後は絶対に『暴力の否定』が入ることが評価基準となる。そこで納得できなければ、そもそも評価自体に値しない。
まあ、でも商業で出ている作品の多くはしっかりとしているけれどね。今のところは幸福なことに『暴力を描きたいだけ』の作品には出会ってないし」
亀「このあたりの判断は難しいが、単純なグログロ描写を売りにするなよ! ということじゃな」
以下作中に言及あり
2 スタートのうまさ
亀「わざと外すように、批判的な目を持ってこの映画を鑑賞しておったが、それでも引き込まれるうまさの光る作品じゃったの」
主「すごいよねぇ……まずさ、フミの暮らす川崎の工業地帯が映されるわけだよ。そこにドラムのような音がドン、ドンと鳴り響く。
ここで暗闇の中の川崎の街とその音によって、次第に画面の中へと吸い込まれていくようになっている。しかも、その音が若干不協和音とまでは言わないまでも、こう……気落ちさせるような不穏な音だから、胸がざわつくわけだ。
これが本当に上手くてさ……単純な夜の街と音だけで、ここまで引き込まれるものかと驚愕したほどだった」
亀「スタートにおいて映画の中に観客を引き込むのは非常に大切なことじゃと何度も語っておったが、いつもは派手なミュージカルであったり、爆発やアクションなどでその手の演出を褒める作品が多かった印象じゃな。
しかし、そんなことをしなくてもうまい映画というのは単純でありながらも映画に絶対に欠かせない『映像の力』と『音』だけでこれほど引き込む力があるという証明にもなった作品かもしれん」
主「変な話だけど、こっちも必死になってチューニングを合わせないようにしていたけれど、やっぱりこの鼓動に近い音ってシンクロ性があるのか、ぐっと引き込まれる瞬間があって……
多分、事前情報一切なしで鑑賞していたら、立ち上がれないほどの衝撃だったかもしれない」
自転車で疾走するフミ。
小学生なのに、その身に刻まれた痛みは深い
福田美姫の演技
亀「この作品を偉大なものにしているのは、間違いなく主役である福田美姫の演技もあるの」
主「自分はよく言うけれど、子役の演技って苦手で……是枝裕和監督くらいしか子役をうまく使えていないと思っている。
子役に演技をさせちゃダメだと思うんだよね。
子役が演技をすると、途端に子供らしさがなくなってしまう。例えばさ『何歳?』って聞かれた時に『5歳!』って元気よく答えるだけが子供らしさじゃない。『わかんない』とかさ、もじもじしながら親の後ろに隠れてしまったり……そういう仕草の1つ1つが子供らしさに繋がっていく。
だけど、台本通りに芝居をしてしまうとどうしても『演技臭さ』が出てしまう。それが自分の知る子供らしさとの違和感になってしまい……どうにも作品にノレなくなってしまうんだよね」
亀「今作はほぼ9割以上のシーンで福田美姫演じるフミが何らかの形で関わっておるが……これがまた素晴らしい演技力じゃったの」
主「もしかしたら2016年に鑑賞していたら最優秀主演女優賞ものだったかも……さすがに『聲の形』の早見沙織を選ぶと思うけれど、実写では1番かもしれない。
この映画において難しいのが、福田美姫は絶対に素の表情を見せてはいけないの。
なぜならば、本当の福田美姫はもっと楽しくて愛されている人生を送っているはずだから。素の表情がこの演技と同じものだとしたら、映画なんて撮っている場合じゃない、すぐに警察に連絡しなければいけなくなる」
亀「このブログでは子役は『演技の中にある素の表情』を見ることができるかどうか、というのを評価の1つにしておるところもあるが、それが一切できないわけじゃな」
主「だけど、この作品における福田美姫の演技ってすごく自然なわけ。セリフがないからというのもその理由の1つであって、大人のようなセリフを言わないからこそ、作劇的な違和感があまり働かない。
それから、これはトークショーで聞いたけれど、動きの演技は大まかなことは指示して、あとはアドリブで任せることも多かったんだって。だからちょっとした仕草とか動きの1つ1つがすごく自然なものになっているんだろうね」
3 子供の世界
亀「本作は10歳の少女の視点で物語が進行しておる。だからこそ、よりキツイものに見えてくるというのもあるのじゃろうが……」
主「父親は暴力とパチンコと狂いで、しかも自分なりの強者の論理を作り上げてしまっている。勝手な物言いで理論武装していて……恐ろしい存在となっていた。
だけど子供はそれに逆らうことができないんだよね。これがもう少し大きくなって中学生になれば少しは状況は変わるかもしれないけれど、頼るべき大人も他にいない状況ではどうしようもない」
亀「これは難しい問題での。大人であればそのような辛い状況であれば、逃げるとか立ち向かうなどの選択肢もできてくるのじゃが、10歳ではせいぜい隣町へと向かうだけじゃ。しかも、大人であればすぐに追いつかれてしまいそうな自転車で逃げるだけであり……
世界がどうしても閉じてしまっておる」
主「しかも母親は父親の暴力に対して神に祈るだけであって、どうして別れないのかもよく分からない。多分、経済的事情もあるだろうし、社会の目とか色々複雑な事情もあるのかもしれないけれどさ。
それを見ていたフミだけど、彼女にとって神様とは助けてくれる、信仰の対象ではなくてただの置物などでしかない。
じゃあ、彼女が何に救いを見出したのかといえば、それは殺人鬼であって……ここがまた辛い話だけど……」
亀「何かに祈るというのはある種の逃避活動といえるかもしれん。現在の自分からの状況から逃避し、そして何らかの試練であり、この状況が意味があると信じれば、もしかしたら楽になれるのかもしれんの」
主「自分は神様を信仰することについて特に意見はなくて、そうすることで『苦しみの救済』や『生きる意味』を見つけ出して、人生が楽になるならそれでいいと思う。
ただ、どうしても自分は仏教徒のようなところがあって『人生に意味はない』とか『今の苦しみに意味はない』と考えたほうが楽になれると思うけれど……まあ、それはいいや。
だけど、フミにとっては神様なんてものは存在しないからこそ、現実に存在する上で最も現実感のある救済を与えてくれる存在である、殺人鬼を信仰したわけだ」
父親役のBBゴロー
あまりの演技力に脱帽とともに、本気で嫌悪感がわいてきます
フミの冒険
亀「冒険とは言っても子供の冒険のように可愛らしいものではなくて、様々な事件現場向かって遺体と同じような状況になってみるという、すごく悲しいものじゃの」
主「あれって何かというと簡単にいえば『巡礼の旅』であって、神様に出会うための儀式みたいなものなんだろうね。だからフミは必死になって色々な場所に向かって、そしてすれ違ってきた。
そこまで切実に殺人鬼という救世主を求めて、そしてその先に何があるのかというと……それはあのラストにつながっていくわけだ」
亀「すごく色々と考えさせるラストじゃったな」
主「……語弊を恐れずにいうと、自分はあの時のフミと同じような気持ちになったことがあるからさ。もちろん、あんな大きな体験じゃなくて、本当にささいな、笑い話のようなことだけど……
例えば親にすごく叱られて、手を出されて外に追い出されたとするじゃない。
『もう帰ってこなくていい!』とかいうレベルまで怒られたとする。これが中学生や高校生ならさ『うるせえババア!』なんて言ってコンビニや公園で遊んでいたりするかもしれないけれど、10歳くらいの頃ってまるで世界中から自分の存在を拒否されたような気分になる」
亀「近所におじいちゃんなどが居ればまた話は変わるじゃろうが……」
主「フミは両親との同居だし、他に友人も知り合いもいないわけだ。
そんな状況が何年も続くというのは、すごく辛いものがある。10歳の少女にとっては永遠にも等しい時間なんじゃないかな?」
4 イノセント15と無垢の祈り
亀「では本作と同日に見たイノセント15とのクロスレビューとなるが……どちらも『性』と『両親との関係性、虐待』を題材にしておる点では同じかもしれん。
じゃが、決定的な違いは何かというと、イノセント15は頼れる仲間、友人がいたが、無垢の祈りはその存在が殺人鬼だということかもしれんの」
主「多分、人って誰か1人だけでも頼れる人いれば生きていけると思う。イノセント15は15歳という年齢もあって、少年少女の勇気ある逃亡劇のお話になっていたけれど、無垢の祈りはもっと辛いものであって、頼るべき相手なんてどこにもいないお話だ。
この2作は同じようなことを題材にしているのに、その結末が180度違っている。だけど、そのどちらが正解ということもないんだよ」
亀「状況が全然ちがうというのもあるが……」
主「自分は物語というのは『祈り、願い』というのが根底にあると信じている。現実は辛いけれどこうなってほしい、もしくはこんな現実を知ってほしいという願い。そしてその先にある、すべての人が救われるような世界を夢見る祈り。
イノセント15はそれでも前を向いてほしい、どんな状況でも生きてほしいという願いが込められていた。
一方の無垢の祈りは……前を向けない子供の、最後にああいう願いしかできない子供たちへの救済の祈りが込められていた。
だからこの2作ってスタートは似たようなところから始まり、途中の過程は全く違うところを辿りながらも、ゴールとなるもの、映画に込められた祈りは全く同じものになっている」
亀「無垢の祈りが単なる暴力映画になっていないのは、この作品に込められた祈りの量がとんでもなく多いということにも由来するのかもしれんな」
主「もしかしたら、この作品に登場する殺人鬼も好きであんなことをしているのではないのかもしれない。監督も『彼がなぜあんなことをするのか?』という言葉があったけれど、彼もまたサバイバーだったのかもしれない。
この映画は確かに表面的にはホラー映画のようでもあり、救いのない映画かもしれないけれど……その奥には、トンデモナイ量の『無垢の祈り』が込められているんだよ」
最後に
亀「本作はソフト化も怪しいと言われておるの」
主「そうだろうなぁ……この映画は確かに素晴らしいけれど、でも多くの人が見て誤解しないとも限らない。
監督が語っていた中で印象に残っていたのは『正規の方法でソフト化ができないからといって、海賊版のような方法で売ることはしない』という話でさ。それは主演の福田美姫にも悪いから、という話をしていた。
この映画がR18の理由とかも語っていたけれど、それほどまでに監督が理性的に、あくまでもセンセーショナルだからという理由だけでグロテスクな描写を選択したわけではない、ということがはっきりとわかった」
亀「だからこそこの映画はファンの多い1作になるのかもしれんの」
主「万人にオススメはしません。覚悟を持って観てください。
だけど、この映画を見終わって1日、2日過ぎた頃に、多分その存在はすごく大きくなっているはずです。
今ならアップリンククラウドで鑑賞できるので、地方の方もご覧いただけます。
繰り返しますが、覚悟を持って鑑賞してください
この記事を書いている時、この作品を思い出しました。
こちらも『愛』について深く考えさせられる1作です。
『好きって絶望だよね』