カエルくん(以下カエル)
「今回は今敏の千年女優について語っていくんだね」
ブログ主(以下主)
「ちょっと前に今敏について語った際に、千年女優を語ってみたいなって思ってさ」
カエル「もう何年前の作品だっけ?」
主「2002年公開だから、もう14年前か。『パーフェクトブルー』から数えて、2作目に当たるな」
カエル「これだけ前だと、考察としては素晴らしいサイトもあるよね。今更語ることもそんなに多くないと思うけれど……」
主「今回は完璧な考察をしているサイトもあったから、どちらかというと感想が多くなるかな。ちなみに、そのサイトのURLを貼っておくから、それも参考にして欲しいね」
カエル「じゃあ、少し前の作品だけど、感想記事を始めようか」
映画の考察はこちら
1 映画に対する愛
カエル「まずはさ、なんで今監督作品を語る際に、一番初めに選んだのが『千年女優 』なわけ?」
主「そんなにおかしいか?」
カエル「だってさ、普通に考えてデビュー作から語るならよく分かるよ? それなら時系列からしても納得だし。あとは『パプリカ』から語るのもわかる。今敏の最大の代表作っていったら、やっぱりパプリカだし。
だけどさ、こういう言い方はなんだけど、『千年女優』って今作品の中でも特に……賛否が割れる作品じゃない?」
主「まあ、簡単に言うと個人的に一番好きな作品が千年女優だったんだよ」
カエル「今作品で一番? なんで?」
主「千代子ってさ、自分(ブログ主)なんだよ」
カエル「…………はあ?」
主「いや、そう目くじら立てないでさ、その理由をこれから話していくよ」
この映画の主題
主「この映画の主題ってさ、上に貼った記事にも書いてあったけれど、結局は『映画を愛し、映画と共に生きた女優』の一生なんだよね」
カエル「ああ、あれね。千代子の作り話に翻弄されたとかいう話」
主「そうそう。この作品は、表向きは単なる恋愛作品のように見えるかもしれないけれど、その恋愛の相手というのは顔も見えなければ、姿も現さない。これはなぜかというと『映画』という大きなものの象徴であるからだ。
そして千代子は結婚を一度するけれど、結局別れてしまう。つまりこれは『現実の異性として、人を愛することができなかった』ということなんだよね」
カエル「まあ、そうだね」
主「この映画は究極の人生賛歌でもあり、映画を、ひいては物語に対する愛を高らかに宣言した作品なんだよ。
『だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもん』って言葉の意味は、特定の誰かの追っかけをしている私が好きって意味だけじゃない。
映画や物語を夢中になって追っかけている、そんな私が大好きなのっていう自己肯定の人生賛歌だよ。
そして、それはこのブログを読んで貰えばわかるけれど、自分だってそういう人間なんだよ。わざわざ『物語』という大きなテーマを選択して、毎日のように感想や評論を書いている、そんな自分が大好きだし、その行為が大好きなんだよね。だからさ、千代子と自分はそんなに遠く離れた存在じゃない。違いがあるとすれば、女優かアマチュアライターかってことだけ」
カエル「……まあ、確かに物語を愛する人≒オタクにとっては否定することができない作品だよねぇ」
主「そう。この作品を否定することは自分にはできない。それは『物語』を、『嘘』を愛するということに対する自覚があるからなんだよ」
2 事実と嘘と真実
カエル「でもさ、世の中で嘘は嫌われるような存在だし、事実の積み重ねにしか真実ってないんじゃないの?」
主「個人的にはそうは思わない……というか、そんなことを言えないんだよね。
例えばさ、確かに一つの事件が起きた時、事実をたくさん積み上げることで真実を組み立てるということはよくある話だよ。裁判なんかそうだよね、警察や検察が見つけた証拠という『事実を積み重ねて、真実を暴き出す』仕事だ」
カエル「他にもジャーナリストとかはそうだね。事実の積み重ねの先に真実があるってパターンだね」
主「だけどさ、物語を……嘘を積み重ねることに『真実』は宿らないかというと、それもまた違う。
そうね……この作品に沿ってそこを語るならば、例えばドキュメンタリータッチに千代子の人生と主演した作品を訥々と語っていったとしても、そこに千代子がいかに映画を愛したかという、そのメッセージ……真実はほとんど宿らないと思う。
だけどさ、この形式で『現実』と『映画』と『思い出』をごっちゃにして語ることによって『嘘をたくさん積み重ねて語ることで生まれて来る真実』があるんだよ」
カエル「それって何?」
主「何回も繰り返すようだけど、簡単に一言で表すならば『映画への愛』なんだよね。そしてそれは『物語への愛』なんだよ。
これは『事実を積み重ねた先にある真実』では、暴き出すことが難しい。
『嘘を重ねることによって見えて来る真実』なんだよ」
坂口安吾の『自伝的小説』
カエル「ここで坂口安吾の話になるんだ。知らない人のために軽く説明すると、太宰治と同じ時代、戦後直後に活躍した小説家だよね」
主「そう。坂口安吾ってもちろん虚構性の高いオリジナルの小説もたくさん書いているけれど『自伝的小説』という過去の自分の体験談も多く書いているんだよね。『風と光と二十の私と』とかが該当するけど、じゃあさ、なんでこれらの作品は『私小説』ではないのか? という話なんだよ」
カエル「……確かに私小説が『自分が体験したことをそのまま書いた小説』だとしたら、安吾のいう自伝的小説なんて私小説と同じはずだよね」
主「そう。それはね『過去に体験した自分の経験をそのまま書いても、それは真実ではない』とわかっていたからなんだよね」
カエル「……もう少しわかりやすくお願い」
主「例えば、今日の思い出を日記に書くとする。そして10年後に読み返した時、その日記に書かれた内容と全く同じことを思い出せるかというと、それはまず不可能だ。
人は思い出を脚色するからね。
『あの時は辛かったけれど、今思い返すと楽しかった』なんて言うけれどさ、トンデモナイことだよ、これは。その当時の苦労はやっぱり辛かったはずなのに、頭が勝手に美化してしまうんだよ。
人間は過去を美しく装飾する生き物なんだ。それを自覚していたからこそ、坂口安吾は『自伝的小説』という、あくまでも過去の自分をモチーフとした虚構の物語であるということにこだわった。その方が面白いと思ったのかもしれないね」
カエル「なるほどね。それがどう千年女優と絡んでくるの?」
主「後から過去のことを思い出した時、その記憶は『事実』ではないかもしれない。だけどさ、大事なのはその記憶を思い出した時に『幸せか不幸か』であるわけで、そのことに比べれば事実はどうだっていいんだよね。
辛かった記憶は改ざんされて、すごく楽しかったことになっているかもしれない。それは『事実が失われて、虚構性を増した』と言えるんだよ。だけどさ、その記憶を思い出して幸福感に包まれているならば、それでいいじゃない?」
カエル「……ああ、なるほどね。別の言葉に言い換えるならさ、好きな映画やアニメや、小説、漫画でもなんでもいいけれど、それを読み終わって『すごく面白かった!』『すごく感動した!』といっているところに、『それは嘘だ! 虚構なんだ!』と言っても意味がないということね」
主「そう! その『面白かった、感動した』という真実に対しては、その物語が本当か嘘かなんてことはどうでもいいのよ。大事なのはその幸福感であり、満足感なんだからさ」
カエル「それが真実と言えるかどうかは別として、ね」
主「個人的にはその幸福感は真実だと言いたいけれどね。そうじゃないと、あまりにも救いがない。わざわざ事実を突きつけて『お前の真実は幻想だ!!』ということの方が何百倍も残酷だと思う。
だからさ、この映画は自分の言葉で言わせてもらえば『虚構の中に潜む真実』を描いた作品なんだよ」
物語の虚構と真実についてはこちらでも語っています。
3 リアリティの中に潜む嘘
カエル「この作品は作画のクオリティとかもリアリティのあるものって言われているよね」
主「この辺りは『シンゴジラ』とか『君の名は。』と一緒だな。つまりさ、リアリティのある作画だったり、作劇をしているからこそこの『虚構』というものが大きく際立つんだよ」
カエル「この作品はその境目が曖昧だから混乱しやすいけれど、リアリティと虚構性という意味では確かに同じかも」
主「シンゴジラだったらゴジラという虚構があり、君の名は。だったら彗星や入れ替わりという虚構がある。そして、どちらも映画という『大前提の虚構』があるわけだ。ほら、これらの映画を見るとき『これは実際にあったことだ!』と思って観に行く人はいないでしょ?
だけどこの虚構が現実にも力を与えることはよくある。それはリアリティのある作画や作劇だからこそ、嘘がより現実的に感じるんだよね。そこもまた面白い」
最後に
カエル「というわけで、今回は千年女優の感想を書いてきたけれど……」
主「正直、伝わったかどうかは難しいなぁ。結構説明が難しいところを、映画で表現しているからね、この作品は」
カエル「逆に言うと言葉で表現できないものを、アニメとして表現したことに意義があるわけだしね」
主「やっぱりアニメとしても優れているし、アニメでしかできない表現になっていると思う。今敏という才能の損失は、世界規模の喪失だったんじゃないかということは今だに思うよ。
ポスト宮崎駿ばかりが取り沙汰されているけれど、そんなのどうでもいいからさ、個人的にはポスト今敏を探す方が重要だと思うけれどね」
カエル「まあ、それは個人の好みってことで……さて、今敏作品を語るとしたら、次は何にする?」
主「千年女優が一番初めというのは決めていたけれど、それ以外は特に決めてないからなぁ……強いて言うならば、そうねぇ……『パーフェクトブルー』かなぁ。その時の気分にもよるけれど」
カエル「じゃあいつになるかはわかならないけれど、次はパーフェクトブルーにしようか!」
主「もう語り尽くされているだろうから、また難しいだろうけれどね」
- アーティスト: 平沢進ヒラサワススム
- 出版社/メーカー: 千年女優オリジナルサウンドトラック
- 発売日: 2002/09/05
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