亀爺(以下亀)
「さて、今回は現在公開中のアウシュビッツと歴史教育を描いた映画『奇跡の教室』を扱うが……」
ブログ主(以下主)
「まずはじめに言っておくけれど、今回は酷評します。
だからこの映画が大好きとか、どんなレビューがあるんだろう? って人には向いていないと思う」
亀「……いきなり酷評宣言から入るのは珍しいの」
主「基本的に映画に限らず、表現の良い所を見つけて、そこを語っていきたいタチではあるのよ、これでも。だけど、今回は……良いところがなかったとは言わないよ? 生徒の女の子は可愛かったし、男の子もカッコよかったし。だけど、そういうレベルじゃなくて気に食わない部分があったから、酷評する」
亀「あんまり燃えないようにオブラートに包んでの
……ふふふ、その様子じゃと、主もすっかり騙されおって……」
主「……え?」
注意 以下ネタバレあり!
さらに途中批判が多めです……が、
最後まで読むと、あなたもこの映画の評価がひっくりかえる……かも?
予告編はこちら
1 ナチスものの映画
亀「さて、『帰ってきたヒトラー』の記事でも語ったように、ここ最近もアウシュビッツものというか、ナチスドイツを題材とした映画が公開されておるの。これだけで一大ジャンルとしてくくれるほどじゃな」
主「そうね。例えば同じナチスを題材とした教育映画といえば『THE WAVE』を思い出すよね。これは集団心理と、学校が纏まっていく様を描いた良作だけど、これもアメリカで実際に起きた事件をドイツに置き換えて、脚色した作品でさ。映画としてはどうかと思うシーンもあるけれど、メッセージ性やテーマはすごく良かった。
あとは何回か触れているけれど『顔のないヒトラーたち』は自国の罪を裁くとはどういうことか? その重みとは何か? アウシュビッツにいた看守たちは悪魔なのか? ということをしっかりと問いかけてきた名作だった」
亀「それで、そう言った映画に比べると今作は……」
主「もう、全然ダメ!! いや、そりゃさ、上記の作品がドイツで制作された作品だからそういう描き方になるのかもしれないけれどさ、この映画は戦争映画の描き方として、個人的にすごく気に入らない描き方をしているのね」
亀「……それはなんじゃ?」
主「この作品はさ、ただのプロパガンダ映画になっちゃっているんだよ」
クリント・イーストウッドの『バランス』
亀「ここでイーストウッドの話が出てくるのか。主は大好きじゃからな」
主「イーストウッドの素晴らしさは、そのバランス感覚にあると思う。
例えば、『ダーティハリー』なんかで銃をガンガン撃って、悪人を成敗していた人が『許されざる者』では銃を捨て、さらにそのあとの『グラン・トリノ』では銃に頼らず、相手を……懲らしめるという表現にしておこうかな。とにかく、暴力の哀愁を描いてきた人だよね。
さらにいえば第二次世界大戦を扱っても『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』という日米の戦いを双方の視点からきっちりと描く。
きわめつけは『アメリカン・スナイパー』でさ、英雄の裏の顔を描き切ったわけじゃない? その辺りのバランス感覚が素晴らしいよね」
亀「それがこの作品にはないと?」
主「そう! これはフランス映画だけど、フランスからしたらナチスドイツは大悪党でどんなに悪く描いてもいい存在じゃない? 結構感情的になっている関係性で。
だからこそ、映画の描き方っていうものはすごく慎重にならざるを得ないはずなんだよ。敵であるナチスを一方的に断罪したら、ただの『ナチス憎し!』のプロパガンダ作品になるから。
だけど、この作品はそうなっているんだよね。少なくとも、自分にはそう見える。
ただ……もしかしたら、この作品を甘く見てはいけないのかもしれないという、思いもどこかにあるんだけどね……」
2 教師と生徒の関係
亀「典型的な学級崩壊の現場じゃったな」
主「確かに、あの現場を収めるのは大変だよね。あの場をどうやって収めるのかなぁと思っていたらさ、アウシュビッツの発表会でしょ」
亀「……主はここからもうまででアウトなのかの?」
主「いや? 冒頭の「スカーフを取りなさい」から、様々な校則を守れというまでの流れは別に悪くないよ。確かに、あの学校だったら校則を守れと言われるだろうし、デンジャラスな学校だなぁ、とは思った。日本だったら『郷にはいらば郷に従え』の文化だから、むしろルールを守れという文化だからさ、可哀想だけど学校サイド側の人も多いんじゃない?」
亀「日本人に宗教観などわからんからの」
主「ここは日本人には『理解はできるけれど納得はできない』ところかもね。
話は戻って、そこからアウシュビッツの研究が始まるけれど……なんだか、ここから違和感の連続なんだよね」
亀「……違和感?」
主「例えばさ、なんであんな荒くれ者の生徒があんなにたくさん先生の提案に賛同して顔を出したの? さらにいえば、なんでみんなあんなに急成長しているの?」
亀「それは、まあ、先生の熱意にほだされて、というか……」
主「あの先生、そんなに魅力ある?
『つまらない授業はしないわ』とか言って、つまらない授業しかしていなかったし。いや、実際の人物はわからないけれどさ、この映画の描き方であれだけの生徒が付いてくるのはおかしくない? なんかさご都合主義すぎるよね」
『プロパガンダはいけない』と言いながら
亀「ここはこの作品の特長的なシーンじゃな。『キリスト教の教会の絵には、地獄側に、ムハンマドが描かれている。それは当時のキリスト教徒の敵がアラブ人だからだ』というやつじゃな」
主「そうなんだよね。そんな教育をしておきながら、結局みんな一致団結するのは『ナチスドイツとアウシュビッツの非道を知り、それを非難する』ことによる結果なんだよ。
だからまとめると『完璧な教師』が『荒くれ者の生徒』を構成させるために『戦争時の敵国の汚点』を調査させて『怒りを共有』し『一致団結』する。
これをプロパガンダと言わずになんという?」
亀「アウシュビッツは世界最悪クラスの戦争犯罪じゃ」
主「そうだよ、もちろんそれを知ることは大事。だけど、いつも言うけれど、あの時代ってみんな同じようなものじゃない?
確かにナチスドイツがフランスやユダヤ人などに行ったことは許せない。それは日本も例外じゃないよ。
だけど、じゃあフランスは何もなかったんですか? アメリカの空爆や原爆は正義ですか? ソ連がベルリンや日本に対して行ったことは?
結局、あの第二次世界大戦っていうのはどの国も探られたら痛いことなんて、100も200もあるんだよ。
だから戦争はダメなんだ」
亀「……まあそうじゃの、ナチスや日本やイタリアだけが戦争犯罪を行っていたという人はおらんじゃろう」
主「さらにいえばさ、過去を知ることは大事だよ。だけど、そこに感情がこもるのは個人的に反対なんだよね。
関ヶ原の戦いで『徳川こそ正義!! 石田は悪である! 石田は憎い!!』なんていう歴史愛好家なんていないでしょ? 徳川にも石田にも大義もあれば野望もある。それを理解した上に知ることが大切なわけでさ。
だけど、第二次世界大戦はまだまだ『感情』がこもってしまう。それは事の大きさや歴史がそこまで流れていないことを考えれば仕方ないかもしれないけれどさ『ナチスは悪だ! フランスは正義である!』なんて見方で歴史を学ぶことが正しいとは決して思わない。それは『徳川が正義!』って言っているのと同じだと思うけれどね」
亀「……だからイーストウッドなんじゃな」
主「そう。大事なのは徳川方の正義と大義と野望と、さらに悪い部分も知り、石田方も同じように知る事。
右か左、どっちが正しいってことはないよ。だけど、右の意見も知り、左の意見も知り、その二つを統合した先に『歴史を知る』という行為があると思うけれどね。そのバランスが大事でさ。
その意味ではこの作品は『フランスから見るナチス』に偏りすぎているんだよ。
あとはさ、君たちが信仰している神はなんといった? 『罪を赦し給え』じゃないの? なんでその恨みを次世代につなげようというスピーチになるのさ?」
3 ……もしかして、騙されている?
亀「……そう考えるとの、この作品は実は相当に『深い映画』かもしれんぞ」
主「え? なんでよ?」
亀「前にあげた通り、『プロパガンダ』がどうこうという場面があったじゃろう? あそこでもしかしたら、この映画はこう告げておるのかもしれんぞ。
『この映画はプロパガンダ映画だよ』と」
主「……え?」
亀「だからの、フランスの敵は誰じゃ? ナチスドイツじゃろ? そのナチスドイツの最大の罪を、残虐性な部分を紹介する割には結構浅いじゃろ?
教会に描かれた『地獄にいるムハンマド』のように、フランスが描いた『悪逆非道のナチス』というプロパガンダを描いているのかもしれん」
主「…………」
亀「さらに言うとの、大量虐殺の説明もなんだかフワッとしておったろう? 『パレスチナとイスラエル』や『フランスとアルジェリア』と『ナチスドイツのアウシュビッツ』の違いというものが説明できておらんかったろう?
つまり、これは『私たちフランスがやろうとしたことと、ナチスがやろうとしたことは違う』という自分たちにとって都合のいい歴史観を語り、ナチスを一方的に悪役にしようとしたてあげたんじゃろうな。
だから、最後の先生の『私は退屈な授業はしません』というのも、その目線で見れば恐ろしいことじゃよ。極端な思考をもった生徒を生み出し続けているというメッセージでもあるんじゃからな」
ラストのメッセージ
主「じゃあさ、あの最後の実際の生徒たちのその後は?」
亀「あれは確かに賛美をするように読めるがの、見方を変えれば『先生はまだ教卓にいる』というのもあるし『生徒の一人は活動を続けている』という言葉は、うがった文脈で読めば極端な思想を持つ者を今も次々と生み出し、さらに学校を卒業したからハイ終わり、ではないという警告文でもあるんじゃろうな」
主「え? 何のために?」
亀「今、世界的に右の勢力が拡大し続けているじゃろ? つまり、このナチスに該当するのがイスラムである、もしくはそうなる可能性をはらんでいるということは明白じゃ。
自らにとって都合のいい歴史を語ることがどれほど危険か、それを語っている映画なのかもしれんの。ほれ、日本も他人事ではないぞ? 現総理に対する評価をわしやこのブログは言葉にしないが、先の参院選でも保守派が圧勝じゃろ? これを良しとするか悪しきとするかは個々人の意識に委ねるが、バランスという意味では、どうじゃろうかの?
さらに言えば、宗教の描き方が中途半端だったのも、それが理由かもしれんの。イスリムは隔離され、我々のいうことを聞く生徒以外は追い出すぞ、というメッセージが序盤に込められているのかもしれん。
あの子はあの後、一度も登場しなかったの。不寛容な人間は去れという選民の暗喩じゃろうな。
そうでなければ、なぜ最初にあの子の描写を入れたのか、説明ができんように思うがの」
主「あれ? じゃあこの映画って実はとんでもないことをやっている映画なの?」
亀「わしの妄言かもしれんがの。おそらく表向きはプロパガンダを批判し、最もフランス国内で批判しやすいドイツのアウシュビッツを教えて、それを若い世代に、後世に伝えるというお涙頂戴の映画じゃ。
じゃが、その裏ではこの映画自体がプロパガンダとして機能し、一方的なモノの見方をすることの危うさを問うておる映画なのじゃよ。
ほれ、ビリーワイルダーの常套手段じゃろ? わはは、あー楽しかったで終わらない、その裏に潜んだ強烈な毒というのは。そこに気がつく人は、まあほとんどおらんかもしれんがの。
そう考えると邦題をつけた人間がその見方をしたかはわからんが、『受け継ぐ者たちへ』というタイトルは『受け継ぐ者たちへ(エールを送る、バトンを渡す)』ではなく『受け継ぐ者たちへ(警告する)』かもしれんの。
フランス映画じゃからな、これくらいのことはやるかもしれんの」
最後に
亀「どうじゃ! 今回ついに主に完勝したぞ!!」
主「いやいやいや!! 亀爺の見方はうがっているからね!? 妄言かもしれないからね!?」
亀「妄言かもしれんが、そのような見方をすると色々と見えてくるものもあるかもしれんの。さて、真相はどうか、この意見が穿ち過ぎなのか、それは観客一人一人が判断することじゃ。
わしが押しつけることではない。
じゃが、そのような見え方もできる映画じゃということは覚えておいてほしいの。映画の楽しみ方が広がるじゃろう?」
主「……いやぁ、多分違うと思うけれどなぁ。監督もそんなこと言ってないし……」
亀「そりゃ、これほど巧妙な隠し方をする監督が、そんなことを語るわけもないじゃろう。そもそも、この考えが違ったら主は大批判じゃろう?」
主「う〜ん、確かに亀爺のいうような映画であったら大好きな映画なんだよねぇ、わかりにくさとかさ、映画でしかできないことをやっているような気がするし……」
亀「答えはそれぞれ、じゃな」
今回紹介した『WAVE』なども含めた、オススメのナチスドイツ関連映画