私のような映画を観る際は脚本に注目する人間からすると、40年代から60年代付近にかけてのハリウッド映画というものは大好物で、その中でも特にビリーワイルダーは脚本で映画を語るのであれば必ず通らねばならない監督だろう。
今回はその中でも代表作『お熱いのがお好き』に注目して書いていこう。
1 『残らない』巧さ
現在真田丸が好評放送中であり、その脚本等を務める三谷幸喜が師匠として崇めているのがビリーワイルダーであるが、その理由については「鑑賞し終えた後に残らないから」と答えている。
ここは映画に何を求めるか、というポイントでもあるのだが、私などは映画に限らず物語表現は様々な角度から色々と考察できる奥深い作品が好きなタイプである。そのためわかりやすいアクションであったり、最近の邦画やドラマにあるような全てを説明して疑問点が一切残らないような懇切丁寧な作品というのは、あまり好んで鑑賞しない傾向がある。
ビリーワイルダー作品はどちらかといえばサラリと鑑賞できて深く考えさせない作品が多く、その理由として基本的にコメディー要素が強いし、わかりやすい説明なども入れられているために老若男女楽しめる映画になっている。
また役者の魅力を最大限引き出すことにも長けていて、マリリン・モンローといえばやはりスカートが捲れ上がる『七年目の浮気』の写真が有名であるし、今作が代表作とあげる人も多いだろう。オードリー・ヘップバーンも代表作は『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』をあげる人が多いだろうが、『麗しのサブリナ』や『昼下りの情事』もオードリーを語る上で欠かせない作品である。
もちろん男性陣も同じで本作の主役級を演じるジャック・レモンの魅力をいち早く引き出したことは疑いようがない。
ビリーワイルダー作品は「役者がかわいい、かっこいい」とか「笑えた」というライトな楽しみ方をしたい人にもオススメできる軽いテイストの作品が多くなっている。
では内容の薄い作品かというと……
トンデモナイ!!
ビリーワイルダーほどさりげなく毒を含ませた監督もいないのである。
2 時代背景を探る
ワイルダーが活躍した1940年代後半から1960年にかけてのハリウッド映画業界というのは、その映画黄金期とは裏腹に政治的暗躍などで製作者には辛い時期でもあった。かのチャップリンは1952年に赤狩りにあいハリウッドを追放させられてしまい、その名誉を回復すのは1972年まで待たなければならなかった。
(他にも『ジョニーは戦場へ行った』ダルトン・トランボや、作家のオーソンウェルズなどの名前もある)
そしてもう一つハリウッドを震撼させていたのはヘイズ・コードと呼ばれるハリウッド業界による自主規制という名の検閲である。
ヘイズ・コードが導入された1930年ごろというのは禁酒法などを見てもわかる通り、アメリカ社会がよりカトリック教会の定める『道徳的』な生き方を強要するような風潮があった時代である。禁酒法はマフィアを増長させるという大きな汚点を残したため短い期間で撤廃されたが、ヘイズ・コードに関しては1968年まで残り続けていた。
一つ擁護するのであればヘイズ・コードにある規制の一部は現代の価値観からするとおかしいものも多々あるものの、エロスやグロテスク、非道徳的なものを美徳のように描くのはやめようという運動でもあり、その理念に関しては現代人でも理解できるものはある。
ただそのヘイズ・コードが定める検閲が多岐にわたり、中にはキスの秒数まで決められていることもあった。
そんな撮りづらい中で生まれたのがハリウッド黄金時代であり、ワイルダーはそんな時代の監督である。
3 ワイルダーの戦い
『お熱いのがお好き』のかで明らかにヘイズ・コードに引っかかる描写が幾つかあり、その中でも代表的なのは性的倒錯(女装)である。他にもギャング同士の抗争だったり、酒の違法取引(作中の禁酒法時代)、激しい恋愛描写なども問題視する声は上がるだろう。
おかまタレントが毎日テレビに映り、男装したアイドルグループもいるような現代の日本人にはわかりづらいかもしれないが、キリスト教の影響が強くある当時において女装をする話を大々的に上映するということは当時では考えられないことであった。
ヘイズ・コードとの戦いという目線で見ると本作は様々なことに気づかされる。例えばちょっとしたセリフであるが「竿をしまいなさい、釣る魚が違うから」というのはオシャレながらもその内実は下ネタである。こう言ったセリフにもちょっとした戦いを仕込んでいる。
またあの天才的なカメラの切り替えにより誰もが大爆笑するシュガー(マリリン・モンロー)とジョー(トニー・カーティス)のキスシーンと並行して描かれているダフネ(ジャック・レモン)と資産家のダンスシーンというものは、キスシーンが長すぎるとヘイズ・コードに引っかかってしまうことを逆手に取って、笑いを取るためにあのような演出にしたのだろう。
「完璧な人間などいない」の重み
その目線で見るとジャック・レモンが扮するダフネに求婚する資産家というのも暗喩でないかと思えてくる。
資産家は何度も結婚をしているが、その度に母親に難癖をつけられて反対させられてしまっている。その理由は「タバコを吸う」などという他愛もないようなことであるのだが、実はここに込められた意味を考えてみると、面白いことに気がつく。
資産家は男であることを知った上で「完璧な人間などいない」と言っているので、もしかしたら同性愛者なのかもしれない。ダフネを男性だと分かった上で、求婚していた可能性があり、そのために過去の相手も母親にやんわりと反対されていたという描写にも受け取れるわけである。
もちろんヘイズ・コードがある時代だから同性愛のような恋愛描写というのは描けるはずもないし、当時は気味が悪いものとして受け入れられなかったことだろう。それをこのように遠回しに表現したという見方もできるのであり、「完璧な人間などいない」というセリフに込められた思いというのは、現代の我々が抱く思いよりもよっぽど深いものなのではないだろうか?
(個人的には白黒映画で撮られた理由も白人と黒人の区別をつかなくさせるためという邪推をしてしまうほどである)
4 ワイルダーの戦いの果てに
『お熱いのがお好き』は検閲するMPAAの承認を受けずに公開され、大ヒットを記録することになる。そしてそのあと、さらにヘイズ・コードに引っかかる『婚前交渉』(不倫を含む)と『自殺』を扱う『アパートの鍵貸します』においてワイルダーの名声は頂点を迎えた。
そのヒットもありヘイズ・コードはその効力を失っていき、1968年に廃止され現在のレイティングシステムへ移行された。時代の流れといえばそうかもしれないが、ワイルダーという監督をはじめ、多くの表現者が戦って勝ち取ったものである。
だが、皮肉なことにヘイズ・コードの弱体化とともにワイルダー作品は勢いを失っていってしまう。『アパートの鍵貸します』以上のヒットに恵まれることもなく、制作速度も少しずつ落ちていき、やがてはひっそりと引退を表明することになる。
しかしヘイズ・コードが力を失ったことにより、悪党であるならず者を扱った『俺たちに明日はない』『明日に向って撃て!』や、度重なる逢瀬や結婚相手を奪取する『卒業』などのアメリカンニューシネマが誕生して、映画はさらなる発展を迎えることになるのである。
最後に
色々と書いてきてが、ワイルダーが本当にすごいのはそんなことに興味のない人であっても楽しめる娯楽であるということ。
深い内容をそう感じさせないサラリとしたものだからこそ、これだけ深く愛されて歴史に残り続けているのは疑いようもない。
日本も近年ヘイトスピーチやら非実在青少年による規制の問題などもあるが、これに政治的やデモを起こして反対することも大事だが、笑い飛ばしてしまうこともまた一つの手段として大切にしなければならないことではないか。
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