物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『淪落の人』ネタバレ感想 移民・障害を乗り越え夢を追い、今の香港を変えるために戦う映画

 

今回は香港映画の『淪楽の人』の感想記事になります!

 

 

小規模公開ながらも、映画館が再開したら是非見てほしい作品の1つです!

 

カエルくん(以下カエル)

「これから語りますが、上半期でも屈指の作品だと思います!」

 

「何度も記事にしようと思ったけれど、手が動かなかったけれど……やっぱり、改めてやるべきだと思い、遅ればせながら記事にさせていただきます」

 

カエル「それでは、早速ですが記事のスタートです!」

 

 

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NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (C) 2018

 


香港映画『淪落の人』予告編

 

 

 

 

感想

 

それでは、Twitterの短評からのスタートです!

 

 

おそらく、2020年を代表する傑作となるのではないでしょうか?

 

 

カエル「小規模公開ゆえに、なかなか観に行くことが難しい作品かもしれませんが……是非とも多くの方に見てほしい作品です!

 もしかしたら、年間ベストもあり得るかも?

主「コロナ騒動もあるからなんとも言えない部分があるけれど、自分の中では上半期ベスト級の作品です。

 とは言っても、まともに映画興行が動いたのって3月くらいまでだけれど……でも例年通りでも、年間ベスト10には入る作品でしょう。

 最近思うのはこの手の……つまりマイノリティを扱った作品は非常に多い。だけれど、そのマイノリティ側の人を過度に……なんていうかな、レベルが高い人のように描きがちなんだよ。

 人徳があるように描いているというかさ」

 

カエル「迫害されやすいマイノリティの方を描いているからこそ、あまり非難されないように描いている面もあるだろうけれどね」

主「まあ、その気持ちもわかる一方で、あまりにもそれがやりすぎな感もあるわけ。

 自分は24時間テレビにも首を傾げているけれど、それは2つの意味があって、『障害を持つ人を見世物にしている』という点もあるし、また『障害を持つ人は純粋で美しい』という支店があるように感じられるからだ。

 なぜ? ハンデがあるだけで、同じ人間じゃないか。

 それが男性であろうが女性であろうが、子供だろうが大人だろうが、素晴らしい人も貶めたくなるほどひどい人もいる。

 だけれど”障害者”というだけで、何か特別美しい人たちみたいになってしまう。

 それは、障害を持つ人々への、無言の社会の圧力となってしまうのではないか?

 

ハンデを抱える人相手への後ろめたい思いとかもあるのかなぁ……

 

この映画はその辺りも含めて素晴らしいと感じる

 

カエル「ハンデのあるリョン・チョンウィンだけでなく、海外から介護のためにやってきたエブリンもフラットな視線で描いていると感じたわけだ」

主「香港映画ということもあるのだろうけれど、香港の移民に対する厳しい視線もきちんと反映されている。

 日本にいると世界の美しいところ、あるいは汚い部分のみが目につくように感じるけれど、どこの国も状況はそこまで変わらないのだろう。

 そして言語、習慣、国籍、性別、何もかもが違う2人が体だけではない、様々な障害を乗り越えていく姿が描かれているわけだ。

 その実直な描き方、悪役に全てを押し付けるわけではなく、協力して乗り越えていく姿が心を打つ。

 色々な状況にある人たちでも懸命に生き、その思いが見事に反映されている作品だ。

 だけれど、それだけではなくて……物を作る人、夢を追う人への応援歌にもなっている。その色々な要素をバランスよく、過不足なく取り入れた見事な作品というほかないね

 

 

 

 

 

映像面について

 

映像面について、印象に残ったのはどういうところ?

 

やっぱりチョンウィンの狭い世界と、広い外の世界の対比かなぁ……

 

カエル「この映画の中では、物語の半分以上が家の中で撮影されています。特にエブリンは同じ境遇の仲間たちと遊んだりするためにちょくちょく出て行きますが、チョンウィンが外に出る場面に関しては数えるぐらいしかないのではないでしょうか?」

主「その家の中が、少し薄暗いんだよね。特に序盤は……集合住宅に暮らしているんだけれど、少しジメジメとしそうな、あまり良い家ではないことが伝わってくる。

 一方でエブリンが外に出るシーンなどは光が強く、香港の美しい街並みなども堪能できる。

 その映像の美しさも見てほしいかなぁ」

 

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NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (C) 2018

 

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NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (C) 2018 

 

カエル「本当に、いろいろな境遇にある人たちの複雑な思いを組み上げた作品だもんねぇ。

 外の世界はそれはそれで様々な難題を抱えていて……買い物中に外国人相手だからこそ、ぼったくりにあってしまう姿などが描かれているし、フィリピンから来た家政婦のコミュニティでは雇用主に対して『言葉がわかりません』ということで、難しいことを避けていくという知恵というか、悪知恵というか、そういう部分も描かれていたよね。

 だけれど、実はそんなことを言っておきながらも、雇用主との確かな絆もあったりして……」

主「当然ながら、お互い人間である以上雇用主との人間関係も色々あるだろう。

 だけれど、雇用されているから〜、移民だから〜というある種の偏見とも戦っている映画だ。

 そしてそれが一面的なものではなく、様々な複雑な思いが交差しているということを示している」

 

 

 

”映画で戦う”ということ〜政治な批判のあり方〜

 

そして、この映画では明確に『ラ・ラ・ランド』のオマージュもあるよね

 

そこも含めて”戦う姿勢”が現れている

 

 

ラ・ラ・ランド(字幕版)

 

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カエル「簡単に説明すると、エブリンなどのフィリピンの家政婦仲間たちがみんなで色とりどりのドレスを着て、街に繰り出して遊ぶ回るというシーンです。

 多分、映画を一定以上見る人ならば、誰でも連想するシーンではないかな?」

 

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NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED (C) 2018

 

主「この辺りからも、この作品が極めて政治的な、戦う姿勢を示した映画だということを証明している。

 『ラ・ラ・ランド』は文字どおりハリウッド、いうまでもなく映画の都であり、映画の中心といっても過言ではない場所だ。

 そこを模したということに、この映画の反体制・香港の自治権確立への平和的な対抗という姿勢が現れている

 

カエル「……あれ、この映画ってそういう作品なの?

 確かに移民、障害などに関しては戦う姿勢を示していたと思うし、雨傘運動などの香港反政府デモなどに賛成の立場を積極的に発言しているアンソニー・ウォンが主演ではあるけれど……」

主「近年はアメリカでも反トランプから、政治への言及がされている。

 だけれど、それは言論の自由が認められており、反政権のようなことが言える国の戦い方だ。

 日本だって同じで、どれだけ言論弾圧だ! と叫んでも、それが届く時点で弾圧されているわけではない。

 香港などのような、中国の関連の話題というのはアメリカでも特にタブー視されていて……それこそ、中国市場が大事なハリウッドでも中国批判はできないというのは、リチャード・ギアの例を見てもそうだし、あるいはブラット・ピットなども中国へ入国禁止処分となっている。

 日本だって例外じゃなくて、ヒロアカが全くの言いがかり的な内容で大炎上した結果、中国では閲覧禁止処分を受けている。そして作者、集英社が謝罪にまで追い込まれているわけだ。それだけ大きな力を持つ国なんだよ」

 

 

いろいろな意見があることが大事だけれど、その”色々”を認めるわけにはいかない国なのかな

 

その中で、文化的に物語でいかに戦うのか、ということを示した作品でもある

 

主「『ラ・ラ・ランド』というのは、ハリウッドのことだけれど……いってしまえば、あの作品は”ハリウッドに足を踏み入れることができた人の物語”ではあるわけだ。だけれど、誰もかれもがハリウッドに行けるわけでもない。

 エブリンのように憧れを抱く者もいれば、チョンウィンのような肉体的な意味でもアメリカに行けない人もいる。

 その人たちにしてみれば、時には真似ごとのように振る舞うことしかできず、それが終われば綺麗なドレスをお金に戻さなければいけないわけだ。

 あの一連のシーンというのは”アメリカや自由主義に憧れてはいるけれど、様々な事情でそこに行くことができない”ということを示している」

 

カエル「あーなるほど。それでいうと、チョンウィンがアメリカにいる息子に会いたいけれど香港を出られない、というのは、アメリカの自由な国に憧れてはいるけれど、行くことはできないという意味にも受け取れるのかなぁ」

主「これは自分の憶測もあるけれどね。

 だけれど、直接的に訴えることができなくても、暗に訴えることで物語を作る……これはかつて共産圏などでも見受けられたし、ハリウッドでもヘイズコードがある中で暗に批判したビリー・ワイルダーのような毒の含み方もある。

 だけれど、それは一定の人にしか……しかも”そう受け取れる”という程度に含ませながら戦うという手段。自分は直接的な政治批判よりも、こちらの方が好みかな」

 

 

 

 

最後に

 

では、この記事を終えます!

 

2020年屈指のミニシアター案件になるんじゃないかな?

 

カエル「香港映画というとカンフーアクションの印象も強いけれど、それだけではないよ、ということを示すことができた作品でもあるね!」

主「……自分としては”映画の評価と政治的なスタンスは別”というのが理想であるべきだと思う。右だから右の映画を評価する、左の映画は貶す、というのは、あまり好ましくない。

 だけれど、やっぱり今も戦い続ける香港は、自由であってほしいという思いもあるからこそ、この映画を応援してしまうのかもしれない。そんな政治スタンスと映画、物語の評価のあり方ということも考えてしまうかな」

 

カエル「日本人だからこそこの映画の隠れた戦い方を評価する一方で、今の中国が好きな人からすると、思うところは大いにあるということになりかねないのかな」

主「あとは、この映画も監督のオリヴァー・チャンは長編映画デビュー作ということだけれど、そのあたりでもHIKARI監督の『37セカンズ』とセットで語る批評性もあるのではないだろうか?

 どちらも若手女性監督として、また障害を扱った比較的小規模で公開されたという点でも語る意義があるのかな。

 2020年屈指の映画です」

 

 

 

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