今回はNetflixで配信されている『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』の感想記事になります!
おそらく、2020年のNetflix映画では屈指の話題作になるのではないかの?
カエルくん(以下カエル)
「話題になってから知ったけれど、大絶賛相次ぐのも納得の作品だよね」
亀爺(以下亀)
「ぜひとも、新作映画に飢えている人にはチェックしてほしい作品であるの」
カエル「では、早速ですが感想記事のスタートです!」
『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』予告編 - Netflix
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
ハーフ・オブ・イット
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2020年5月19日
『シラノ・ド・ベルジュラック』などのように古典的な手紙のやり取りから始まる三角関係の現代的な描き方が印象に残る
10代の彼女たちの葛藤をLGBTなどの単純な枠組みに閉じ込めてしまうのが勿体無いようなほど自由で揺れ動く心を描き出す
話題になるのも納得の佳作 pic.twitter.com/SImoCsBmH2
話題になるのも納得の作品じゃな
カエル「アメリカのハイスクールを舞台とした少年少女たちの日常を描いた作品であるものの、とても色々な面に配慮されながらも、物語としてきっちりとまとめ上げた作品だったね。
すごく現代的な雰囲気がして……だけれど、政治色ばかりが強いわけでもなく、いいバランスの映画だったんじゃないかな」
亀「今作で描かれている”内面と外面の魅力のどちらに人は惹かれるのか”というのは、シラノ・ド・ベルジュラックの頃から問われている、普遍的なテーマの1つじゃな。
それこそ、近年では『グリーンブック』でも、一部シーンではあるが似たような部分が描かれておった。
日本でも『人を好きになるのは外見? 内面?』という問いかけなどもあり……まあ、その両方という人も多いのであろうが、よく恋バナでも上がる話題ではないかの。その意味では、今作はアメリカだから〜ということはなく、やはり日本でも普遍的な話と言えるかもしれん」
カエル「それこそ……例えばSNSやネットゲームで知り合って、すんごくいい人で話も合って価値観も近いけれど、実際に会ってみたら全く好みではない……なんて話にも近いかもね。
あとは、今の時代だとVTuberとかもそうかも。
外見を2次元のキャラクターにして、中の人がそのキャラクター演じる。誰も中の人の外見とか、あるいは年齢すらもなんとなく断片的な情報でしか知りえないけれど、だけれどアイドルとして活動できている……みたいな」
亀「そう考えると、この話はもっと踏み込むことができる一方で、しかし上記のような展開にしたら観客がついていけないかもしれん。
そうなると、ちょうど良いバランスの作品と言えるのかもしれんの」
この映画の多くの部分を示しているの
カエル「アスターを見つめるエリーとポールだけれど、その先にいるアスターはピントがぼやけてしまう……これだけでこの映画の重要な核がはっきりと分かるもんね!」
亀「このメインビジュアルだけでも、この映画がいかに考えられているか分かるの」
ピラミット型の階層社会ではない、学生たちを描く
この映画って、物語だけをあらすじで語ったらとても古典的で王道なもののように感じるよね
だからこそ、多くの人に届く部分もあるのじゃな
カエル「多くの学生の生活を描いた映画だと、どうしても学生のヒエラルキーというものがあって、その階層によってそれぞれの立場を描いているわけじゃない。それこそ、邦画だと『桐島、部活やめるってよ』は、そういう部分が普遍性などもある作品だったわけで。
だけれど、この作品は上流だからといって、みんながみんな楽しいというわけではないということも描いているわけだよね」
亀「本作の男性側であるポールはアメフト部所属などの、典型的なアメリカ上層部な男である。とは言っても補欠であり弱小校という部分が、彼の特徴を表しておるの。またアスターはとても美人で多くの男女を問わず生徒から尊敬と敬愛の眼差しを受けておる。
一方の主人公のエリーはメガネ・東洋系・成績優秀・地味と典型的な優等生だけれど注目を受けないタイプとして描かれておる。
ましてや、多くの生徒のレポートの代筆などを引き受けているなど、いいようにこき使われているという印象もあるの」
カエル「……でもさ、確かにアスターの悩みも理解できるんだよね。
学生時代を思い返すと、確かに学年一可愛いアイドルの女の子ってみんなにちやほやされているようだけれど、じゃあ幸せそうでしたか? と言われると、そうとも言えなくて……
なんでかは知らないけれど、泣いているところもよく見かけているから、いろいろと可愛い子は大変なんだろうな……って思って」
亀「その美貌を維持するための努力を重ねており、性格も明るい……『美女は人生イージーモード』なんて簡単に言ってしまいがちではあるが、それはそこまでの努力と多くの困難の果てにあるものであるからの。
それぞれの悩みや思いを捉えたことでも、今作はなかなか意義があるの」
あとはやっぱり、現代的な、民主党の価値観が反映された物語も今作に合っているよね
物語の作り込み方がなかなかうまかったの
カエル「特に中国系のエリーのお父さんが”英語がダメと言われて、あまり成功できなかった”という言葉に対して、生粋のアメリカ人のポールが『僕だって英語は苦手だよ?』と答えるのは、本当にその通りと思うよ。
僕たちだって日本で生まれ育って、日本語しか出来ないけれど、じゃあ日本語がうまいですか? と問われると、そんなことは言えないし……」
亀「……文章業を生半可にもやっている人間が言うべきセリフかはわからんがの。
本作の肝は
”中国系のエリー”
”白人&アメフト部員の典型的なアメリカマッチョのポール”
”美人でみんなが憧れる白人のアスター”という、3人が学校と教会を舞台にしながら人生を歩むというところじゃろう。
特に中盤のエリーとアスターが旅行に行く場面などは、2人が1人の人物としてくっついていく精神的なつながりを強化する場面として、見事なものであった。
国籍・人種・環境などを超えてつながりを深めていくのは、とてもいい描き方じゃったの」
描き方のもったいなさ
たださ、この映画で描かれたことって、そんなに特殊なことではないんじゃないかなぁ……
特に中高生ならば、多くの人が覚えがあるのではないかの?
カエル「中高生の、特に女子ってすごく結びつきが強くて……『〇〇ちゃんとずっと一緒がいい!』という、まるで恋愛関係にある恋人のようなことを言ったりするわけじゃない?
この映画はそういう部分とは少し違うようだけれど、それでもあのエリーとアスターの関係性って、そんなに特別なもののようには見えなかったんだよね」
亀「実は、このようなテーマは近年の邦画でも多くが取り入れておる。
例えばアニメではそれこそ山田尚子の真骨頂と言えるじゃろう。『たまこラブストーリー』や『リズと青い鳥』で描かれている、女子同士のなんとも言えない複雑な関係というのは、今作で描いていることに近かった。
それから『ミスミソウ』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』とか、あるいはミニシアター系の『カランコエの花』なんかも、似たような女子同士の思いを描けていたよね
亀「この描き方が『LGBTQの解放のために』という考え方は、現在の世界の流行であるし、アメリカでは……特にハリウッドでは、より支持されている考え方である。
それを宗教問題、あるいは協会と一緒に語るというのも、とても意義があるもののようにも思える。
また、この映画は『面白いのはこれから』とあるように、この先の自由な3人の関係性を示唆するもの、あるいは広い世界を知る成長を遂げることで、面白い日々になることを示唆するという意見もあるじゃろう。
しかし……わしなどは、この感情を『LGBTQ』とか、あるいは『百合』という言葉で片付けてしまうのは、とてももったいないように感じてしまう」
カエル「……もったいない?」
亀「いろいろな考え方があるじゃろうが、そこまで愛というのが素晴らしいものなのじゃろうか?
同性、異性に関わらず愛というのは、そこまでもてはやされるものなのじゃろうか?
むしろ、彼女たちの関係を”レズビアンだからです”としてしまうことで、枠にはめてしまい、非常に小さいものに矮小化されてしまうような感覚すらある。
例えば親友同士の関係、あるいはライバル・同じ道を目指す仲間……そういった関係の方が、恋愛よりも尊いときもあるのではないじゃろうか?」
カエル「最近読んだ漫画では『鮫島 最後の15日間』の主人公の鮫島とライバルの王虎の関係は、ヒロインである椿ちゃんが嫉妬するほどの熱い感情のぶつかり合いだったよね。
あるいは……男女の関係性だけれど『ランウェイで笑って』の場合、主人公の育人とヒロインの千雪は同じ服飾の世界でのし上がろうとする仲間というか、共犯関係というか、そんな存在だけれど、恋愛関係は基本的には描かれていない、と」
恋愛関係よりも大切な同性関係、あるいは異性関係というのもあるのではないじゃろうか?
亀「人間の感情というのは複雑じゃ。時には親・兄弟よりも大事な人がいるということもあるじゃろうし、信頼するからこそ見捨てる・犠牲にするという選択肢もありうる。
もちろん、LGBTQの推進ということの重要性はわかるし、そこに反対はしない。
だからこそ、その枠組みにこだわって考えてしまうと、却って見えないものが増えてしまう。
たとえポールがどちらとくっついても、仮にアスターが別の人と結婚しようとも、あの青春のわずかな瞬間につながった3人の思いというのは、とても大事なものである。
わしは『少女革命ウテナ』の描き方が好きなのは、ウテナたちの前に異性愛・同性愛・近親愛などの様々な愛の形があることを示したように解釈できる部分じゃ。男女の恋愛だけが素晴らしいわけではないが、しかしだからと言って男女の恋愛もまた否定されるべきことではないし、恋愛関係を超える関係だってある。
エリーとアスターを同性愛、あるいはそうなりかけの存在と描くことは、可能性を狭めてしまっておる。
別に10年後にポールとくっついてもいいと、わしは思っておる。現に結婚し、子供が生まれてから『自分は同性愛者なんだ』と気がつく人だっておるわけじゃな。
いわゆるフランス婚の形まで認めるのか、家族の形や愛の形はどうあるべきなのか、という様々な議論はあるじゃろうが……もっともっと自由に、フレキシブルに考えてもいいのではないかの?」