カエルくん(以下カエル)
「はいど〜も!!
僕はラブリーチャーミーなみんなのアイドル、カエルくんです! 画力がないから姿を見せられないけれど超絶イケメンカエルなんで、よろしくね!」
ブログ主(以下主)
「相方の主です。
ふたり合わせて『亀がカエル』、亀がカエルをどうぞよろしくお願いします!」
カエル「選挙じゃないだから1度でいいわ!
今日は『物語る亀』の名前だけでも覚えて帰ってくださいね。
さて、今回は映画化もされた『火花』のお話ですが、史上初の芸能人が芥川賞受賞ということで大いに日本中が沸いたのが2015年のお話だから、もう2年前のお話になります。
あれだけのヒットを受けて映画の企画の立ち上がり、撮影、公開までを2年と考えると、結構スピード感は意識していたんでしょうけれど……」
主「2年は長いよねぇ。
カエルならとっくにコロリと死んじまっているよ」
カエル「縁起でもない嘘を言わない! カエルは10年以上生きる種類もいるんですから!
まあ、でも火花のブームなんてとっくのとうに過ぎ去っているのも事実で、ちなみにこのブログでは小説版の火花も感想を書いていますが、好評価ですので是非読んでくださいね」
主「まるで宣伝みたいだな」
カエル「宣伝だよ!」
主「だいたい、あの時の芥川賞は又吉一色になってしまったのが気になるよねぇ」
カエル「あの時は芥川賞は羽田圭介とのW受賞ですからね。両方を扱わないと不公平と言いますか……」
主「いや、あの時直木賞を受賞した東山彰良の『流』が20年に1作の作品とまで言われていて、とてもいい小説なんですよ。
みなさん、騙されたと思って是非一読してくださいね。
騙されますから」
カエル「……うん、そう言っちゃうとつまらないようだから気を付けようね」
主「まあ、この20年に1作の称号は早くも『蜂蜜と遠雷』に更新された感もあるんですけれどね!」
カエル「あなたは褒めたいのか貶したいのかはっきりしなさい!
でも流も少なくとも、その1年を代表する作品であったし、とても力のある作家が有名になる機会だっただけに、惜しいのはわかりますよ。元々直木賞などの、エンタメ小説の方が好きな性分なので……」
カエル(ちょっとタンマ、今日本当にこの調子でやっていくの?)
主(台本はきっちりとあるから大丈夫だよ、カエルは台本通りやればいんだよ)
カエル(いや、読者が引いているような気がするんですけれど……)
主(私は映画感想ブログ業界に革命を起こしたいのです! レボリューション!)
カエル「……中々ヤバイ雰囲気が漂ってきましたが、その話題になった作品の劇場版はどうなったのか、感想を語っていきましょう!」
作品紹介・あらすじ
原作者のピースの又吉直樹が芥川賞を受賞したことでも話題になった小説『火花』をお笑い芸人の板尾創路が監督・脚本を務めた作品。なお、脚本は富田利晃と共同脚本になっている。
主演は今年も多くの作品に主演を果たした菅田将暉と桐谷健太。木村文乃やお笑い芸人も多く登場していることも話題に。
お笑いコンビを組んでいる若手芸人の徳永は熱海の地方営業で先輩芸人の神谷と知り合う。『あほんだら』というコンビを組む神谷に惹かれていった徳永は彼に弟子入りを志願すると、『俺の伝記を作って欲しい』と言われる。
神谷は関西へと戻って行ったが、1年後に上京して2人はさらに仲を深めていく。しかし、2人を取り巻く状況は決して楽なものではなく……
1 感想
カエル「では、いつものようにTwitterの短評からスタートからいきましょう!」
#火花
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年11月23日
芸人原作×芸人監督×芸人の物語=文芸映画……ってなんでやねん!!
アホか、芸人なら笑わせろや、シュールすぎんねん、だから売れへんねん!
だけどな、一言いいか?
この映画を酷評するやつら、お前らに神谷さんの何がわかるんじゃ!
板尾、あんたはほんまに何してくれとんじゃ!
カエル「これはかなり作品に影響されていますねぇ。もちろん、鑑賞直後ということもあるでしょうけれど、とても好きな作品であることは伝わったんじゃないですかね?」
主「この映画を評価しないという声も結構多いですけれどね。まあ、見る目がない人というのはどこにでもいるもんで」
カエル「炎上するようなことは言わない!」
主「全部阿部が悪いんだよ、阿部が!」
カエル「政治ネタは禁止! ちょっと『社会にたてつく自分ってかっこいいよね』感って最高にダサいですから!」
主「阿部が打てればあの試合勝てたんだよ!」
カエル「巨人の話かよ! そろそろ映画の話を真面目にやれや!」
主「実際うまい作品では全くないです。
誰にでも受け入れることのできる万人が面白いと思う映画にはなっていない。
この作品を300館クラスで公開するのはさすがに無謀だと言わざるをえないですね。
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』と同じですよ。人を選ぶ作品なのに、大規模上映しちゃったねってことで」
カエル「花火つながりだね」
主「……お前、つまらないこというなよ」
カエル「あなたの書いた台本通りですよ!?
それと、この映画へのイメージってあると思うんだよね。
お笑い芸人が原作を書き、そして監督をして、さらにお笑い芸人の映画だもんね。そりゃ、誰もが大爆笑のコメディだと思いきや、蓋を開けてみれば文芸映画が出てくるわけだから……」
主「そもそも原作が芥川賞だから、それを考えると文芸映画であっておかしくないわけです。
しかも板尾創路が監督を務めていて……板尾の映画はずっと昔に『板尾創路の脱獄王』を見たことがあるけれど、やはりあの芸風もあってシュールな映画に仕上がっていました」
カエル「中盤に脱獄をするシーンがあるけれど、戦時中の時代なのに戦後の昭和歌謡曲を歌い始めたりして、劇場が変な空気になっていたことを覚えているよ……」
主「しかも映画公開前に不倫報道で変な空気になるという……」
カエル「……あー、そこ触れちゃいますね」
主「板尾創路は日馬富士に頭が上がらないね」
カエル「やめなさい! 確かに相撲で板尾の報道が全くないけれど!
本作に話を戻すと、お笑いネタのシーンでもダダ滑りで劇場が凍りついていたんですよ。ダダ滑りのコメディを見るときほど悲しいものはないですね」
主「……今のこの記事で語るのかよってね」
カエル「いや、だからあんたの台本だからね!?
今作でそのような大爆笑コメディを期待していくと、肩透かしに合う気持ちはよくわかる。だけれど、やはり『お笑い芸人がお笑いを撮る意味』なども含めて、映画としての価値があったんじゃないですかね?」
2人の思いが交差する時、何が生まれるのか?
(C)2017「火花」製作委員会
原作と比較して
カエル「では原作と比較して考えますか」
主「正直、もうどんな話かほとんど忘れていたんですよ」
カエル「えー? 物語のあらすじくらいは覚えていないの?」
主「純文学における物語のあらすじに意味なんてありませんから」
カエル「……え? いやいや、それはボケになっていませんよ」
主「自分が今作を見て痛感したのが、又吉の文章力がいかに高かったのか、ということです。
もちろん、本作の物語としては当然ながら大筋では同じです。だけれど、その印象が全く違う」
カエル「映画にするためにカットした部分、もしくは増やしていった描写もあるでしょうけれどね」
主「それ以上に火花という作品をを支えていたのは、物語としての面白さなどではなくて『又吉直樹の文章力』と『芸人』又吉直樹であるという事実であるわけです」
カエル「……いやいや、あなた、結構褒めていたじゃないですか」
主「物語としての面白さを求めるならばやはりエンタメ小説を読みなさいという話になります。だから自分は芥川賞よりも直木賞の方に注目をしているし、本屋大賞も楽しみにしていますが、ちょっと前までは芥川賞はSFだと取れないというのが通説だった。
それは円城塔が覆したけれど、なぜSFはダメだったのか? という疑問には歴史的に色々な経緯などもあるから諸説あるけれど、自分に言わせてもらえばエンタメ性が高すぎたんでしょう。
今でいうと一般的な映画賞にアニメや特撮がノミネートされづらいのと一緒で、傍流の邪道扱いされていたわけです」
カエル「そう言われるとわからない話ではないですね……」
主「小説の神様なんて言われる滋賀直哉の『小僧の神様』なんてただ小僧が寿司を奢ってもらうというだけのお話ですからね。そんなののどこが面白いんだ!」
カエル「意見は様々ですから!
でも純文学というくらいだから、単純な面白さだけでなくて文章としての美しさとか先進性が評価されるってこともあるじゃないですか?」
主「純文学作品を映画化する場合に、そのあらすじだけを抜き取ると実はどうってことのない話であることも多い。だから映像化するとエンタメ性に欠けることも多い。人を選ぶ作品になってしまいかねないわけです。
その作品をシュールギャグの板尾創路が担当したことにより、さらに寒いコメディ描写になってしまったことはある。
劇場内が1番沸いたのは『鋼の錬金術師』の予告ですからね」
カエル「いや、楽しみにしてますよ、もちろん」
主「他の面々はなんとなく元キャラクターがわかるけれど、小日向文世は誰役や! お前はただの制服着た小日向文世じゃないか、少しはキャラ作りをしろ!」
カエル「やめなさい! 話を進めるよ!」
予告でも使われているこのシーンなども好きだけれど、シュールだった印象……
(C)2017「火花」製作委員会
芸人が撮る『芸』の映画
カエル「今作の最大の特徴は『芸人が芸についての映画を撮る』ということですね。
この手の作品には名作が多いんですよ。例えばアニメ制作をアニメで語った『SHIROBAKO』に、漫画について語った漫画の『まんが道』や『バクマン。』や、映画について語った映画ならば『ニュー・シネマパラダイス』や『ラ・ラ・ランド』もありますね」
主「それから忘れちゃいけないのが『KUBO クボ 二本の弦の秘密』ですね」
カエル「アメリカのアニメ会社が日本をリスペクトして制作したアニメ映画ですね。Twitterなどでも大好評の作品なので、皆さん是非ね」
主「まあ、お客さんがそこまで入っていないようですが……」
カエル「余計なことは言わないの! でも本当にいい作品ですし、みんな絶賛するのも納得の万人に愛される映画なので是非劇場へ足を運んでくださいね。
もちろん好き嫌いはありますが、この手の作品には傑作、名作が非常に多いわけです。
やはり、自分の誇りを持っている仕事についてはみんな熱くなって語るわけですからね」
主「漫才を漫才で語らないで小説や映画で語っちゃうというのはどうなんでしょうかね?」
カエル「……表現手段は様々なですからね。
でもね、やはり『魂』ともいうべき熱量が全然違うわけですよ。やはり人生論などにはその人の魅力が詰まっているということですね」
主「鎧だって動き出すわけですしね」
カエル「だから今回語るのはハガレンじゃないって!
本作にはやはりそれだけの板尾創路や又吉直樹の思いや、漫才、笑いにかける情熱が描かれていたんじゃないですかね?」
主「『しめしめ、今日で14連勤させてやろう』とかね」
カエル「……それは何の話?」
主「『鋼の連勤術師』」
カエル「ただのブラック企業の社長だよ!
いいから、ちゃんと作中について話を進めていきますよ」
以下ネタバレあり
2 共感できない登場人物たち
カエル「では、ここからは作中に言及しながら語っていきますが、まずは本作が賛否が分かれてしまう理由について考えていきましょうか。
まず、あの登場人物たちがちょっと……という思いはあるでしょうね。
神谷さんの魅力がどうのと言いつつ、それが全く伝わってこないわけですから」
主「もう、大人気声優ですから説明なんかいらないんじゃないですか?」
カエル「神谷浩史じゃねぇよ!」
主「でも長年担当していたキャラクターを降ろされちゃったりしてね」
カエル「神谷明でもねぇよ!」
主「せっかく連載再開したのに作者が捕まっちゃうしね」
カエル「神谷薫じゃねぇよ! るろうに剣心の話も禁止です!
でも、この手の作品で難しいのは『異常な人間にどう感情移入させるのか?』という点なんですよ。やはり観客からすると一般性もないし、実際にいたら距離を置いてしまうような人物たちであるというのも事実なわけで……」
主「神谷さんの魅力も分からなければ、徳永がなぜあそこまで強く惹かれるのかもよくわからないですからね。
芸風も違うように見えたし、しかも木村文乃が演じる神谷の彼女も出てくるんですけれど、この2人の関係性もよく分からない」
カエル「そしてあのシュールなギャグなんで、観客が没入するのを拒否しているかのような作品になっていましたね。
小説だったら又吉の古風な文体などもあって引き込むこともできたんでしょうけれど、映画だとまた勝手が違うところもあって。しかも、あまり感情移入させるすぎるのも後々問題になってくる作品ですからね。
その意味でも『打ち上げ花火〜』と同じような映画かもしれません」
主「花火つながりだけに?」
カエル「あんたさっきつまらん! っていったネタをなんで繰り返すんだよ!」
演技自体は悪くないけれど、どうしても存在意義が感じられない木村文乃
(C)2017「火花」製作委員会
芸人論としての本作
カエル「ちょっとここで少しだけ話を又吉の方にシフトしますけれど、小説版は結構古風な言い回しをしていたんですよね。それがまた味が出ていたわけですけれど……又吉直樹は小説好きでも知られていて、特に太宰治が好きだと公言しているわけです」
主「羅生門!」
カエル「違う! そういう文章で伝わらない勢い任せのボケはやめましょう!
じゃあ、本作における神谷さんとは何者か? という話をすると、小説で言えば太宰治などのかつての文豪たちであったり、無頼派の面々であるともいえるわけですね」
主「つまり『自分にはなれない人間像』を神谷さんに投影しています。
太宰治の盟友である坂口安吾は代表作の『堕落論』にて『生きよ、堕ちよ』と説いている。人間として堕ちていった先にこそ本当の人間性などがあるのではないか? ということです。だけれど、この『堕ちる』というのが難しい。
人間には向上心があれば恥もある。どこかで堕ちることをやめて、まともな生活を送ろうと努力を始めてしまう。子供が生まれたら就職したり、夢を諦めてバカはやらなくなるということですね」
カエル「だからこそ作中では芸人を辞めるか辞めないかという話も多くフューチャーされていたわけですね」
主「太宰治にしろ、坂口安吾にしろ……他の文豪たちもクズと呼ぶべき人はかなり多いし、迷惑な存在ではある。
だけれど、その迷惑な存在に憧れを抱いていたり、親近感を持つ人もたくさんいる。
自分はあそこまでおちぶれることはできない、あそこまで突き抜けることはできない……という思いを神谷さんに投影しているというわけですね」
カエル「そしてそれが芸人論になっていく、と」
3 お笑い芸人論
カエル「そしてそれはお笑い芸人論に発展していくわけです」
主「結局のところ、芸人なんてクズばかりなんですよ」
カエル「……うん、今回この語り方だからどんな罵倒も許されると思ったら大間違いですからね」
主「実際のところ、北野武なんて暴行事件で刑務所にお世話になっているし、明石家さんまなんてあんないい年して若い女の子に熱を上げているわけです。タモリも今は人格者の様な扱いですが、若い頃は居候していたりと、中々めちゃくちゃな人生を送っています。立川談志なども政治家時代云々のことを考えても無茶苦茶でしょ?
それこそ昔は芸人なんていうのは社会の中でもかなり下に見られていたようなところがある職業でもある。そんなにみんなが羨む様なものではないんです」
カエル「北野映画にもその意識は感じますね。
たけし映画というのは、そのほとんどが暴力団員などの社会の中でもはぐれものや底辺に見られがちな人物を主人公として、たけしが演じている。これこそが『社会に馴染めない人間』であり『社会の底辺にいるのではないか?』という思いがにじみ出ています。
結局は虚業であるという考え方は根強くあるのでしょう。小説家でも『小説家というのは政治家の次にくだらない仕事』といったり、世界的な巨匠も同じ様なことを言って筆を折ったりしていますからね。
昔は野菜を育てたり、ちゃんとしたものを作ることが立派な仕事であり、何も生み出すことのできない虚業は下に見られていた感もありますから」
主「今でも太田光などは同じ様なことを言っていたりしますからね。その風潮がおかしいと言って変えていったのが、朝の番組でコメンテーターや、爽やかなそうな笑顔を晒してオシャレなブランチの紹介をしている芸人たちななわけです。
それでもやはりどこかでは芸人というのは虚業ではないか?
くだらない人間なのではないか? という思いは抜けていない、あるいはそういった先輩たちに憧れの視線を向けているのが又吉であり、板尾創路であるということもできるわけです」
個人的には若干の思い入れがある吉祥寺が舞台だったので懐かしいところも
(C)2017「火花」製作委員会
くだらない人間の必要性
主「本作における神谷というのは本当にしょうもない人間なわけですよ。
最後にはおっぱいを人工的に入れて、それが面白いと思っている。しかも、それを『配慮が足りん』と言われたら落ち込むような、しょうもないバカで阿呆の人間なわけです。だけれど、だからこそ愛おしい存在でもある」
カエル「それこそ一部しか成功できない業界ではあり、その下にはその何十倍、何百倍もの失敗例が山のようにあるわけですからね」
主「彼らはとんでもない阿呆なんです。
まともに考えたら就職して真面目に働く方が何倍もいい。しかも、その阿呆すらも貫き通して、借金がいくらあろうが、子供が生まれようが知ったこっちゃねぇ! となることもできない、中途半端な阿呆なわけです。で、そんな人たちなんて又吉も板尾創路も山のように見てきたわけです。
じゃあその阿呆どもの人生がすべて失敗だったのか? と問われると、そんなことは全くないんですよ。
むしろ人間としては立派な転向だということもできる。お笑い芸人として家族を不幸にするよりも、人間としては尊敬に値します。
そんな散っていった彼らに対する思いや、よく頑張ったねという労いの言葉もかけている……それが徳永という存在に象徴されている。
だけれど、やはりどこか憧れはあるんです。
人間としてはクズでも、愛した女を幸せにすることもできず、借金まみれであり、世間に喧嘩売ってばっかりいるようなお笑い芸人に対してね。それは『売れたい』とか『金を得たい、有名になりたい』というサクセスストーリーへの憧れではないんです。
ただ単に、立ち止まって転向してしまった自分の分もバカやっている彼らに対する憧憬なんですよ」
カエル「そしてそれこそが『ダメな大人』である太宰などを愛する又吉の心結びつき、そして板尾の芸人に対する思いが重なったと……」
主「みんな、この作品が公開する前の板尾創路の騒動に『阿呆だなぁ』と思ったでしょう。
そうです、阿呆なんですよ。
板尾創路は不倫や過去に警察にお世話になっていることもあるし、共同脚本の富田だって警察の厄介になっている人間なんです。清廉潔白で美しい人間ではないです。
でも、だからこそ!
そういう前科を持つような人間だからこそ描ける、人間に対する愛もあるんです!
本作の中で『地獄、地獄、地獄!』といったり、『死ね、死ね、死ね!』と連呼するように、自分はこの映画のキャストもスタッフも『阿呆、阿呆、阿呆!』と連呼したいです。
でもその地獄や死ねの言葉の中に何があるのか?
それこそが芸に対する、表現に対する、そして人間に対する愛でしょ!?
表現の場を選んだ者、一度でも舞台に立った人間はそれだけで立派なんですよ。少なくとも外野からごちゃごちゃ言っている人間の何万倍も偉い。
人生の落伍者であり、失敗者であり、敗北者かもしれないけれど『挑戦した』という事実そのものだけで、すべてがオールオッケーなんです」
最後に
カエル「では、板尾創路の不倫騒動ってのも実は計算だったかもしれないと?」
主「結局、板尾創路は1番になりたい芸人像というのが神谷さんなのでしょう。それだけ阿呆やって、一生を過ごしていくというのが彼の目指す芸人像であるとしたら、あの不倫騒動は計算だったかもしれません。
少なくとも自分は『阿呆やなぁ』と言いたいし、映画の話題性を作るための身を張った宣伝だった可能性もある」
カエル「言い訳すらも厳しいものでしたからね」
主「ありゃ、わざと仕組んだスキャンダルなような気もしてくる。
阿呆な芸人であり続けるで! という板尾創路の宣言でもあるのかもしれません」
カエル「男女のことはわからないですからね。ホテルから出てきて『何もしてません』という人もいますし」
主「それこそ寅さんを見ていただけかもしれません」
カエル「また若干古いネタを……」
主「『打ち上げ花火〜』は名作ですので是非みなさん鑑賞してね!」
カエル「作品が違うでしょうが!
もういいわ、ありがとうございました!」