亀爺(以下亀)
「今回は感想や批評記事ではないのじゃな」
ブログ主(以下主)
「色々と考えたんだけどね……実は夏アニメでも書いていない感想記事もあるし、西川美和の新作の前に、旧作の鑑賞とレビューとかさ、最近読んだ本の感想とかも書こうかなって迷ったけれど……
迷った時はまず初心に戻るのが大事だから」
亀「もともとはただの雑記ブログじゃろ? それが映画を中心とした評論ブログになったわけで……」
主「初期の記事とか目も当てられないから、リテイクしないといけないけれど……数も多いから大変なんだよねぇ……まあ、ただの怠惰なんだけど」
亀「明らかに映画の見方だったり、ブログの書き方も変化したからの……いっその事、1からリテイクした方が早いのではないか? というレベルじゃな」
主「……こうして、人生と同じで亀の歩みのように人間というのは成長していくものなのさ」
亀「馬鹿言っとらんで、本題に入るぞ。
それで、なんで今日はこのテーマなのじゃ?」
主「前から書いてみたいとは思っていたからさ……久々の『物語の作り方』講座だし。無料ブログらしい内容にしていくよ!」
亀「……金をとらんからって好き放題書くものでもないと思うがの」
1 文章の上手い下手って何?
亀「それでは本題に入るがの……まずは何から話すのじゃ?」
主「そもそもさ、文章力の上手い下手って何よ?」
亀「文章力? 誰が読んでもわかりやすく、言いたいことが伝わりやすい文章、ではないかの?」
主「まあ、多分模範解答としてはそういうことなんだろうけれど……ちょっとここで考えたいのがさ、実は日本語って使う人によって意味が異なる言語なんだよ。
いや、日本語に限らずに言語の特性と言ってもいいと思うけれど」
亀「……?」
嫁と妻論争
亀「これは……リアルで主が常々と言っておることじゃな」
主「そう。少し前に笑点のレギュラーが変わって、林家三平が新レギュラーになったじゃない? それ自体はいいんだけど、その時に『嫁にも言っていません』と発言しているんだよね。
で、この反応として、少なくとも会場では『え〜!?』という驚きの声が上がった」
亀「そうじゃの。この驚きの意味は『自分の身内にも隠していたんだ!』というえ〜!? じゃの」
主「そう。で、自分も違う意味で『え〜!?』って思ったのね。三平に嫁がいるなんて、全く思っていなかったから。むしろ、嫁に話すような内容じゃないし。
じゃあ、これから会話を書くけれど、問題点を探して欲しい」
男『三平に嫁なんていたんですね。あの歳でびっくりしましたよ』
先輩『いや、あの歳だからいてもおかしくないだろうに……』
男『でも、仕事のことを嫁に話さないって、自分からすると当たり前だと思いますよ』
先輩『いやいや、笑点のレギュラーなんて重大なこと、普通は話すんじゃないの?』
男『え? 嫁にそんな仕事の話とか、普通するもんなんですか?』
先輩『重要な話なら普通はするよ。まあ、お前はモテないからそういうこともわからないだろうけれどな』
男『……まあ、嫁なんて相当先の話ですからね』
先輩『いやいや、わからんぞ……もしかしたら来年にも?』
男『いやいや、ありえないですって……』
亀「典型的な問題じゃの」
主「そう。さて、問題です。
この会話は通じ合っているようで、明らかにズレています。その理由はなんでしょうか? お答えください」
主「はい、タイムアップ。それでは正解発表です」
亀「まあ、ビジネス会話講座などで教わる内容かもしれんが……
正解は『妻は自分の配偶者、嫁は息子の配偶者』であるということじゃな。
つまり、うちの嫁はという言葉の意味は『うちの息子の配偶者』という意味になる。
現代では『嫁=妻』と混合されがちじゃが、辞書などではそうではない。おそらく『嫁姑戦争』という言葉から生まれた誤用じゃろうな。
嫁から見た姑と、姑から見た嫁の揉め事という意味じゃが、いつの間にか『息子の配偶者』から『自分の配偶者』に意味が変わったのじゃろう」
主「現代では『若妻=嫁』くらいな印象で使われているよね。結婚して10年以内の夫婦とかだと『うちの嫁がさぁ』っと言っている割合が高いような気がする。
つまり、上記の例で言うと男は『息子の配偶者』の話をしていて、先輩は『自分の配偶者』の話をしている。そして男は結婚もしていないし、息子もいないのに、嫁ができることはありえないと言っているわけだ。決して『結婚の予定がない』という意味ではない」
亀「つまり、上記の会話は間違った日本語を使った、文章力の低い会話という意味になるの」
主「……本当にそうなのかな?」
2 正しい日本語=文章力?
亀「さて、ここが大事なポイントになってくるわけじゃが……正しい日本語を使うことが、文章力のコツではないのかの?」
主「一般的にはそうだけど、一概にそうも言えないと思うんだよね。じゃあさ、街行くサラリーマンにアンケートを取ってみたらわかると思うけれど……多分、配偶者を『嫁』という人が圧倒的に多いと思う。
「嫁」はNG!? 夫に外で使ってほしくない呼び方は?|「マイナビウーマン」
この記事によると『嫁』がほぼ半数を占めているから、サンプル数が少ないとはいえ、現代日本人の多くが誤用しているということになるのかもね。まあ、ラフな場では嫁と答える人も多いだろうけれどさ」
亀「……それで主は何を言いたいんじゃ?」
主「つまり、状況によって適切な言葉というのは変わるんだよ。これが法律文書であれば一発アウトだよ、嫁は誤用だから。お役所文書でもアウトかな?
だけど、例えばブログや小説の場合は『嫁』という言葉の方が若々しさだったり、堅苦しくなくい印章を与える。だから、ラフな文章ではむしろ、妻やカミさん、配偶者よりも嫁の方が状況に合っている場合が多いと思うんだよね」
簡潔な文章=文章力が高い?
亀「……状況によって言葉は変わるという問題じゃな」
主「そう。小説が好きな人だったらわかると思うけれど……簡潔な文章が良い文章って、志賀直哉を小説の神様とする風潮からくるものだと思う。
志賀直哉の文章って、無駄がなくて簡潔で美しい文章とされている。短文で文章を綴る、究極の形という人もいる。お手本になるような文章だよ。
個人的には好きじゃないけれどね!! 『文章を読む』という意味ではいいかもしれないけれど『小説を読む』という意味では面白いと思わないし」
亀「そういう個人の思いはどうでもいいのじゃ! 純文学じゃぞ!」
主「はいはい……そして三島由紀夫はその対極にある、ゴテゴテと飾り付けをしているんだよ。
例えるならば……志賀直哉の文章は自然に伸びる木であり、三島由紀夫の文章はごちゃごちゃと飾り付けをしたクリスマスツリーみたいなもの。それで下品じゃないから、素晴らしいわけだ」
亀「例えが正確かはわからんが、まあ、そうじゃろうな」
主「近年の話題の小説……例えば『蹴りたい背中』なんかは三島を現代の女子高生が書いたような文体だから評価されたってことかな。
簡潔な文章路線は志賀直哉などの昭和の文豪が完成させたから、その次の小説家はその反動でごちゃごちゃと飾り付けた。そして、現代は……よりわけわからん方向に走ることによって『文章というもの』だったり『言葉の本質』を探しているような気がするんだよね」
亀「『abさんご』などは先進的すぎて、一般人にはわけわからんものになっておるしの」
主「もう、現代芸術の世界だよね……考えるな、感じろっていうさ。
まあ、それはいいや。つまり、簡潔な文章っていうのは、その志賀直哉を信奉する人たちが作り上げた流れだと、個人的には思っている。多分、間違いない。そしてそれはある程度真似しやすいからね。簡潔で伝わりやすい文章が大事というのも、ある程度同意する」
3 言葉で何を伝えるか
亀「では、何が不満なんじゃ?」
主「そもそも……この記事の核心はこれから始まるけれど……じゃあさ、極論を言うと『言葉は人に伝わるのか』って問題があるわけだよ」
亀「……伝わるのではないか? 少なくとも、ブログという表現を行い、小説という言葉メディアを志す人間の言うことではないの」
主「……言葉ってさ、人よって意味合いが違うんだよ。だけど、ある程度イメージ化されてはっきりとしたニュアンスを持たないからこそ、互いに齟齬があっても通じるようにできている。
例えば『リンゴ』という言葉がある。でも、この言葉を聞いて思い浮かべるリンゴは、赤いリンゴが青リンゴか、枝はあるか、葉はあるか、品種は何か、大きさはどれくらいか、数は何個か……などという部分においても違うんだよね」
亀「待て待て待て!! 少し観念的になりすぎてないか!?」
童貞論争
主「じゃあ、ここで童貞という単語を使って、一部で話題になったらしい論争を取り上げてみる。
『新海誠の作品は童貞臭がすごい!』という言葉などが炎上したけれど……この『童貞』という言葉は罵倒なのか、褒め言葉なのか?」
亀「……難しいところじゃな」
主「そう。個人的にはこの言葉に同意するんだよ。でも、それは『純粋性がある』とか『10代男子が考えそうなネタ(あるあるネタ)』とか『現実味はないけれど面白い』という意味を含んでいると受け取る。
だけど、これを罵倒と受け取る人には『大人になれない存在』とか『女にモテないやつ』とか『気持ち悪い』とかの意味を含んでいると受け取るかもしれない。
同じ言葉であっても、その意味……本質は全然違う。
なんかカントかラッセル辺りが似たようなこといってなかったっけ? ベンサム?」
亀「ベンサムは功利主義じゃろうが……適当なことを言うのではないわ!」
言葉の表現
主「つまりだ、言葉の表現というのはかなり読者の感受性と知識によって成り立っているんだよ。それがある種の面白さでもあり、怖さでもある。
同じものを見ていても、全く違うように感じてしまう。
だから大絶賛している人も、作者の意図しない受け取り方をしているかもしれないし、大批判している人の方が作者の意図が正確に伝わっているかもしれない」
亀「……じゃが、その誤解を最大限避けるのが『文章力』なのではないかの?」
主「状況によって『正しい言葉』は変わる。法律言葉、役所言葉を日常会話で話したらそれは間違いでしょ?
そして、その間違えた言葉でないと……『妻』や『配偶者』でなくて『嫁』でないと、伝わらないものがあるんだよ。
だからさ、個人的に言いたいのは、文章力なんて気にしたり、正しい日本語を使うことに囚われてはいけないということ。それは、伝えるためには大事かもしれない。でも、それを取り入れたら消えてしまう……思いが、きっとあるんだよね。
それでも、自分の思いを正しく伝えたいと思うなら……正直、言葉の表現はオススメしない。絵や漫画でもいいし、映像や音楽、映画、舞台演劇、お笑い、YouTuberだったりの方が伝わりやすいと思うよ」
亀「主は伝わらなくてもいいのかの?」
主「いいよ、別に。こんな長い文章を読むのも大変だしさ。これは正解、これは違うという感想は多い方がいい。
自分は多様性が一番大事だと思うんだよ。逆に、プロパガンダが……みんなが同じ感想を抱き、それを強要されるのが大っ嫌い。
読んだ人や見た人が違う感想を抱く、違う意味を見出す……それが表現じゃない?
だから、伝わるかどうかは……まあ、どうでもいいね」
最後に
亀「最後にこれは聞いておくが、主は文章力があると思っておるのか?」
主「どうでもいいね。
大事なのは文章力があるから書くとか、ないから書かないということじゃなくて、表現することだから。
文章なんて書くしかないんだよ。書かないと上達しない。それはこのブログを見てもわかるよ。初期なんて本当に酷いもんだよ。今だって酷いかもしれない。
昔言われたことがあるよ。
『お前の文章なんてクソだ、チラシの裏に書いておけ!』って。そして、その文章を別の人は『すごく伝わった。理解できるし、良かった』と言われた。多分、誰だってそんなもんだよ。
志賀直哉や三島由紀夫だって上手いとか下手とか言われるからさ、文章力なんて気にするだけ無駄だと思うけれどね」
亀「……というわけで文章力講座じゃったが、意味があるのかないのかわからんものになったの」
主「どうだろうね? 文章力の鍛え方を知りたくて読み始めた人には不満タラタラだろうけれど、それもまた面白いじゃない?」
亀「煙に巻くような終わり方じゃな……」