カエルくん(以下カエル)
「大根監督にハマりそうな勢いだね」
ブログ主(以下主)
「いやぁ『SCOOP!』が思った以上に良かったので、他の大根作品も見てみようと思っていたんだけどさ、やっぱり『バクマン。』も大ヒットが納得の出来だったわ」
カエル「作品の劇場公開時って見に行っていないの?」
主「原作が大好きだったし、予告編段階で良かったから見に行こうとは思っていたけれど……機会がなくて見にいけなかった。映画をこれだけ見るようになったのも、ブログを始めたからだし……DVD化してからでもいいかぁって思った記憶があるな」
カエル「まあ、今みたいに毎週毎週何本も映画を見ていることの方が異常だしね。すっかり映画評論ブログになっているし」
主「元々のコンセプトは映画限定の評論ブログではなかったんだけどなぁ……何でこうなったんだろ?」
カエル「……まあ、それはまた別の機会に話すとしてさ、今回はバクマンの感想を書いていくよ」
主「はいよ!! 後半はネタバレありで行くんで、よろしく!!」
カエル「……なんか微妙にテンションがおかしいような?」
1 ネタバレ抜きで感想
カエル「まずは……ネタバレなしで感想を書いていくけれど、原作と映画の違いって結構大きいよね」
主「かなり原作を改変したからさ、本作を見て『バクマンってこんなストーリーなんだぁ』って思っても、実は全然違う。下手すれば大批判を食らうんじゃないか? ってほどに改変してきているよ。
あのキャラクターがいないとかって、映画化ではよくあるけれど……今作はヒロインの一人を省いているからね」
カエル「神木隆之介演じる高木の恋人だね」
主「そう。この子がいないと、真城と亜豆の仲介役がいないんだけど、省かれたことによって二人の関係性も……結構大きく変わっている。あの恋愛描写においてすごく重要な設定も省かれているからさ、特に恋愛関係に関しては大改変だよね」
カエル「やっぱり、主はそれに批判的なの?」
主「むしろ逆だな! 大絶賛だよ! 元々漫画という、続くことが前提の作品で尺の問題などもあまりなく作品を描けるメディアと、2時間前後いう尺で収める事を基本的に求められる映画というメディアでは、その表現手段が全く違う。
それをこうして改変することによって、全く違うストーリーを見せることになるけれど……その作品の根底にあるものは変わらないというのは、すごく大事なことじゃない?」
カエル「バクマンを『恋愛作品』として読んでいる人は少数派だろうしねぇ」
主「色々言われがちな漫画原作映画だけど、その完成系を見た気すらあるよ」
漫画原作映画のひとつの完成形
カエル「今でも色々と言われるもんね。『漫画原作映画に名作なし!』なんて言う人もいるし……」
主「やっぱり同じ映像型の表現だし、2次元と3次元という、それこそ次元の違う表現だから、漫画をそのまま映画化すると違和感が出てきてしまう。
だけど……今までの多くの作品は『映画化の意味はリアルにすること』だと思ってきた節がある。いや、それはそれでいいんだよ? そのリアリティに準ずるような演出ができていれば、問題はない。
だけど、多くの漫画は設定やキャラクター、展開などで『リアリティの薄い作品』多いわけだよ。それをそのまま映画化すると……『物語の嘘』が浮き彫りになりやすい」
カエル「この『物語の嘘』を簡単に解説すると、作劇的な面とリアリティの間に生まれてしまう『都合のいい物語』っぽさってことね。
よっぽどリアリティのある漫画原作でないと、実写化は難しいかもね。そのリアリティ路線の傑作が是枝裕和監督の『海街diary』なわけだ」
主「だけど、最近は……漫画原作の作品をエンタメとして過剰に演出することによって『物語の嘘』を浮き彫りにしない作品が増えている。
バクマンもその一種だよ。特に、設定を考えるとリアルにやろうとすればいくらでもリアルにできるんだよ? だけどそこを『漫画を映画で表現する』ということで、キャラクター性だったり、設定だったりという『物語の嘘』を浮き彫りにしないんだよね。
だからこの作品って、違和感が少ないエンタメ映画として楽しめるんだよね」
役者について
カエル「さて……いつもならば役者について語るけれど……」
主「今回は語ることが少ないんだよなぁ……こういうと役者の演技が悪いと受け取られがちだけど、そうじゃない。
原作とイメージが違うんだよ」
カエル「よく主人公の二人の配役が逆って言われるよね」
主「そこも意識的にそうしていると思う。この映画に出てくる役者と原作を比べると……真城と高木だけじゃなくて、亜豆と服部と編集長なども結構改変されているんだよね。
特に顕著なのが真城と高木で、確かに原作に忠実にするなら逆なんだよ。映画は高木の方がオタクっぽくて、真城はヤンキーっぽいし。
だけど、そこはあえての演出だろうね」
カエル「つまりそこを入れ替えることによって、原作のイメージと映画のイメージを全く別にしているのね」
主「そう! だから、この映画は『漫画バクマン。』の実写化ではなくて、新たなる物語……『映画バクマン。』になっているんだよね。
だけど、その根底にあるもの……漫画家という仕事であったり、そこにかける青春や情熱というものは共通しているから、表向きは原作改変だけど、その原作の根底にあるものは変わっていないという、まさに最高の映像化じゃない?」
カエル「だから役者について色々語れないの?」
主「どうしても『漫画バクマンの実写化』という思いがあったから、この違和感が最初はあったけれど、これは単純な漫画の映像化ではないからさ。だから原作と比べることは無意味だし、役者の演技の上手い下手も含めて演出がうまいことカバーしているからさ、今作に関しては役者について語ることは難しいかな」
以下ネタバレあり
2 序盤について
カエル「じゃあ、ここからネタバレありの考察を始めるけれど……」
主「まずは、2つ関心したことがある。
1つ目は演出面で、この作品の根幹に関わる『少年ジャンプ』に関する説明の描写だね」
カエル「過去の号を次々と写す演出だね」
主「そう。多分、今時『少年ジャンプ』を全く知らない人はいないと言ってもいい。それこそ、日本で一番有名な雑誌だし。
そして今や少年ジャンプは少年だけのものではなくて、少女やおじさんなども読んでいるし……ここで過去のジャンプを出すことによって、しばらくジャンプを離れていたお父さん、お母さん世代も『懐かしいな』と感慨に耽るんだよ」
カエル「ここでバクマンを知らない人であっても、ジャンプは知っているし、昔好きだった漫画があれば親近感が沸くわけね」
主「この演出によって外連味もあるし、エンタメ性もあって……余計なリアリティを喪失させることもできるし。いい演出だよねぇ」
『省略』の技術
カエル「もうひとつが省略の技術?」
主「この作品には2つのストーリーラインがある。
1つはお仕事ものとしての努力と葛藤。
もう1つが真城と亜豆の恋愛だ。
でもこの限られた時間の中で、この2つの話を同時並行にやろうとすると、ストーリーがバラバラになる。そこで行われたのが『省略』だよ」
カエル「具体的に言うと?」
主「映画が始めっての約10分間はジャンプと真城、高木、小豆の説明をずっとしているんだよね。説明ゼリフに次ぐ説明ゼリフで、これでもかと前提条件を叩き込む。
そしてさらに約30分弱で小豆を退場させることにより、学校と恋愛という要素を物語から排除しているんだよね。だからこの先、この映画で描かれるのは……8割くらい漫画家というお仕事になる」
カエル「確かに、あの小豆の退場はびっくりしたもんね」
主「そしてさらに手塚賞を取るまでを一気に、漫画描写を交えながら描くことでその努力の過程を一瞬で省略してしまう。大事なのはこの作品は『漫画家になるまで』『夢を叶えるまで』の物語ではないということ。
この映画で描かれているのは『仕事をする上での葛藤』だったり、ゴールのないものだからさ。だからラストも、ああいう形になるわけだ。だからスローモーションのふたりの喜びで、第一部は完というわけだ」
3 手塚賞受賞から
カエル「ここから一気に物語は説明ゼリフや走っている感が少なくってくるね」
主「ここからが本当のスタートなんだよ。さらに言えば、ここで登場人物が勢ぞろいするのが大事でさ。
原作だとここで蒼樹という女性キャラクターがいるわけだけど……そしてその重要度も、そこそこ高い(平丸などと同じくらい重要)けれど、今回は省略されている。これって、単純に監督が『男の世界と仕事論』を描きたかったんだろうね」
カエル「ちょっと言葉に気をつけてね」
主「別に男性と女性が一緒に仕事ができないというわけではないよ。だけど、映画的にここで女性が入ってしまうと……そこに余計なもの、つまり恋愛描写が描くことを要求されるかもしれない。
それは原作でもそうでさ、蒼樹が入ったことによって、漫画家たちにも恋愛描写が出てきた。それはそれでいいけれど、高木の恋愛まで削ったのに、ここで余計な恋愛は入れられないよねっていう判断だと思う」
カエル「あのみんなで集まっての漫画論をぶつける描写というのは、やっぱり監督の思いだもんね」
主「あの『漫画』の部分を『映画』に変えるだけで大根監督の主張になるんだろうね。そういう作家的なものが出したければ、自主制作映画や小さい規模でやるべきだ。大きい枠でやるからには、売れることが大前提であるという、ぐうの音も出ない正論。
小さい枠やドキュメンタリーでも監督をしている大根監督らしい主張だし、ここが単なるエンタメにしていない」
カエル「ここから編集会議も含めて、リアル感のあるお仕事ものになっていくもんね……」
漫画のクオリティ
カエル「すごいよねぇ……漫画のクオリティが高くて、全部読んでみたい! ってなるという」
主「これは原作からしてそうだったけれど、この手の漫画において一番大事なところだよね。『おお、面白そうな漫画だ!』という言葉だけで説明するのも技法としてはアリなんだけど、そうじゃなくて、実際に絵を見せることでリアリティを増しているんだよね」
カエル「そこがダメだと、一気に説得力がなくなるもんね……諸刃の剣だけど、今回は原作者の小畑健の原稿もあって、それだけで面白そうだもんね」
主「それはこの作品において最も重要な部分であり、ラストにも生きてくるからさ……漫画がダメだと、映画もダメになる。それは見事に原作をリスペクトしているし、一緒の舟に乗るという覚悟だよね。
この作品が素晴らしいということは、小畑健を始めたとした漫画家たちの絵のクオリティも素晴らしいからであって、そこは『アイディアと知名度だけをちょうだいします系』の漫画原作作品とは一線を画している部分かもね」
カエル「そして自らの方向性に悩むふたりに対して、夢に向かって進む亜豆や漫画家たちの描写があるね」
主「ここで置いていかれている焦燥感だったり、それぞれのスタイルで描き出すという……漫画家のみならず、すべての表現者共通の悩みと、それに挑む人たちが描かれているわけだ。
だから、漫画家について描いているだけではないんだよね」
勝負、そして……
カエル「そしていよいよふたりの持ち味である『邪道』を見つけるわけだ」
主「これも原作にあるセリフだけど……もしかしたら大根監督にそういう自意識があるのかもしれない。つまりさ、王道の映画のジャンルがあるとしたら、大根監督の映画って少し邪道じゃない?
でもそこで勝負するぞ! っていう宣言というかさ……ここまでヒットしているし、端から見ると十分天才だけど、そういう意識があるのかもね。
そのあとは漫画的な……というか『漫画を映像で表現する』という方法において、外連味たっぷりにエンタメとして仕上げてくれるんだよね。これはこの作品全体に言えることだけど、そのエンタメや外連味に統一されているからこそ、ここまで面白い作品に仕上がっているのだと思う」
カエル「そのあとは……真城が倒れて、亜豆がやってくるけれど、原作と違って『会わない』ルールがないから、このシーンの意味合いも大きく変化しているね」
主「ここも驚いたなぁ……ここまで改変してくるかって。
そしてこの改変が、ラストに向けての重要な伏線につながるわけだ」
4 全てがつながるラストへ
カエル「そして最後の勝負である、全員集合で漫画を仕上げる描写になるわけだけど……ここで注目すべきなのは何?」
主「真城がキャラクターを描いているけれど、エイジがペン入れをした瞬間に泣くんだよね。この時点において……この漫画というのは、単なる漫画の1話という意味合いと異なっている。
ここまで精緻に、面白く描いてきた『漫画』という表現の意味がここで生きるわけだ」
カエル「それがあの涙なんだ」
主「この作品中のエイジって、原作よりも……なんというか、嫌な奴に描かれている気がするんだよね。原作のエイジはそこまで天然で、天才だけど根はいい奴って描き方だけど、映画ではそうなっていない。
エイジがあの部屋に来た理由は『友情、努力、勝利』のうちの友情も、努力も持っていないからなんだろうな」
カエル「だけど、そんなエイジの方が亜豆をモチーフにしたキャラクターを上手く描けてしまうんだね」
主「普通だったらライバルのエイジも描いて『やった! 完成だ!』になりそうなところが、そうはならない。だけど、描き始めるとエイジの方が上手く描けてしまう。
それはさ……亜豆に対する思いが残っていることもあるし、実際に自分より上手く書いてしまう悔しさもある。それは間接的に『まだまだ亜豆のいる場所には遠い』『亜豆には追いつけない』という意味になるわけだ」
完成した漫画
カエル「この後は完成した漫画を手に持って、編集長のところに行くわけだけど……」
主「ここはさ、この漫画こそが亜豆との恋愛に対するひとつの答えだったわけだよね。もちろんヒロインが亜豆であり、真城が主人公で、このやりとりが全てに集約されているわけだ」
カエル「そうだよねぇ……」
主「さらにいうと……それまで漫画の中に入り込んで、戦ってきた外連味あふれる演出もあったわけじゃない? そういうものを全てひっくるめて、この漫画に詰め込んだわけだ」
カエル「そして『友情、努力、勝利』の展開になるわけだね」
主「ジャンプの一番大事なキャッチコピーがそのまま勝利条件のロジックになるわけだから……いい終わり方だよねぇ」
そしてラストへ
カエル「でもさ、普通だったらこの勝利で『めでたしめでたし』になるわけじゃない? この作品はそうならないよね?」
主「そうね。ナレーションで打ち切りになったと告げられて、いきなりふたりの卒業式につながる。
ここってある意味では不思議なんだよね。その勝利の瞬間で終われば、美しい終わり方だったのに、なぜわざわざ卒業式を挟んだのか? その意味は?」
カエル「やっぱり続編につなげるためなのかな?」
主「それもあると思うけど……大事なのは『卒業式にでないふたり』というところだよ。
このふたりだけは『卒業』しないんだよ。この意味を考えると……青春は終わらない! という意味になる。
さらに言えば、あの場にいないのは転校していった亜豆も一緒なんだよね。だから、卒業式に出ていない亜豆もまた、青春の真っ只中にいるんだよ」
カエル「なるほどねぇ」
主「さらに言えば……大根監督は負けておしまいというか、主人公たちは負けるけれど、その志は後に続くというラストが好きなのかもね。だからこのふたりというのは大根監督そのものであって、それは『SCOOP』の福山雅治が演じた主人公と同じでさ『勝負に勝って、試合に負けるエンド』が美学なのかも。
その気持ちはよくわかるよ」
最後に
カエル「では長くなったのでここで締めようと思うけれど……EDの演出も良かったよね」
主「過去の名作になぞらえて、いろいろなスタッフを紹介するけれどさ、あそこも茶目っ気があって面白かったわぁ。あの作品選択というは、監督がしたのかね? それとも著作権的な理由もあるのかな?」
カエル「どうだろうねぇ……このラストまで楽しませる精神が、この作品の評価を高めているんだろうね」
主「あとはさ、やっぱりこち亀ってジャンプの中で別格の存在だったんだなぁって再確認した。もちろん、EDにあったのもあるけれど、過去最高部数が出た号って、当時の人気作品が勢ぞろいの表紙だったじゃない? ドラゴンボールとかもある中で、その中心にいるのがこち亀だったんだよね。
やっぱり続けることが一番すごいわ」
カエル「週刊連載なんて地獄っていうからね……それに比べたらブログを書くなんてまだ楽なんじゃない?」
主「いやいや、でも毎日この文量を書いているからさ、それはそれで大変なんだよ……」
カエル「いつも言うけれど、その情熱で小説を書いていたら君はきっとプロになれているよ」
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