物語る亀

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物語愛好者の雑文

通勤途中に小説を〜短編小説『カメラ』〜

 コミティア120お疲れ様でした。

 来ていただいた方も、遠くより応援いただいた方にも感謝の念を申し上げます。

 

 久々に短編小説をアップします。

 最近はあまり書けていませんでしたが、本来はこちらがメインのブログになる予定でした。(え、マジで? って自分でも思いますが……)

 

 

 

 

 

 僕はハッピーエンド主義者なんだ。

 だから、この物語はハッピーエンドだ。

 

  暗闇の世界を切り裂くように差し込んだ日光によって眼をさすほどの激しい痛みに襲われて、思わず何事かと身をよじって逃げ惑っていると頭が壁に勢いよくぶつかってしまい、その痛みで目が覚めた。

 それでも光に眼が慣れることはなく、右手でまぶたを抑えながら左手で額を撫でていると、その様子を最初から最後までみていたのだろう、まりかはクスリと笑いながら、日光の猿みたいだね、と少しだけ癖のあるカエル声でつぶやいた。

 僕はその言葉にひとつ大きく息を吐く。もとはといえば久しぶりに人が気持ち良く眠りの世界に入っていたのに、カーテンを思いきり開けて太陽の光を無理やり浴びせたお前のせいだ、あと日光と日光を掛けたのは上手いかもしれないが絶対意識していないだろう、と言ってやりたかったけれど、久々に鼓膜を震わせたまりかの笑い声と朝の目覚めによって全てがどうでもいいような気分になっていた。

 少しづつ眼は光に慣れて、右手をゆっくりと下ろし瞼をあけるが、絡みついた目やにのせいでまつ毛が引っかかって少し痛い。再び右手をあげると瞼を指で何度もこすり顔を上げた。

 そこにはいつものように丸い輪郭にえくぼを浮かべながら、おはよう、と笑うまりかの姿があった。

 

 

 天然パーマのせいもあって毎朝髪の毛とは戦いの日々だった。

 起き上がるといの一番に洗面台に向かい今日の髪の爆発具合を確認する。これだけ癖が強かったらいっそのこと短髪にするか坊主にすればいいのに、などとたまに言われるけれど、中学の頃から校則に逆らってまで伸ばし続けた髪を今更短くするつもりもなかった。かといって反抗期の大人に逆らいたい年頃の時はともかく、今となってはこだわりがあるわけでもなくて、ただなんとなく短髪は慣れていないからというだけの理由で伸ばしているだけだから、何かの機会に思い切ってやってみるのも悪くなかったかもしれない。

 鏡の中に映る冴えないおじさんに片足を突っ込んだ自分の顔をじっと眺める。元々老け顔だったから年齢に追いついてきた、なんて昔からの友達には言われるけれど、さすがに若い頃と比べると肌のハリが違うし、シワも目立つようになってきた。何よりも、ヒゲが濃くなった。昨日の朝に剃ったはずなのに、たった1日でジャリジャリと音を立てている。初めてチン毛が生えたときとヒゲが生えたとき、どっちが衝撃だったかなぁ? なんて考えながらお湯で顔を洗い始めた。

 シェービングクリームを塗りたくりカミソリを探すが洗面台のどこにもない。

 ああ、そういえば昨日の夕方に風呂場に入れたんだった。

 5枚刃の新品に変えたT字のカミソリを手にしてじっと見つめる。今、これを使うのはもったいない気がしたけれど、でもヒゲを剃らないわけにもいかないだろう。せっかくだから髪も一緒に洗って、全部セットし直そうと一度クリームを洗い流しタオルで顔をよく拭いてみる。ふと、鏡に映った自分の顔を見るとただ顔を洗っただけなのに3歳くらいは若返った気がする。

 へへ、なんて軽く笑いながら服を脱ぎ散らかしてお風呂に入る。

 ちゃんと洗濯カゴに入れてね、と台所からまりかの声が響いた。

 浴槽の中は昨日から抜いていないお湯でいっぱいだったが、まだそんなに冷たくなっておらず、そこから桶で1杯すくうと頭から被った。一緒に暮らし始めた当初は別にシャワーぐらい使ってもいいじゃない、なんて軽い喧嘩になったけれど、毎月の水道料金と光熱費を少しでも浮かせたいから、と言われると自分には何も言えなかった。いや、まあ確かに稼ぎは悪いかもしれませんがね。

 シャンプーを手につけて髪を思いっきり泡立たせながらゴシゴシと洗う。天パだと泡立ちがいいだろう、なんて嘯いた時もあったけれど、これももっと短かったらシャンプーの節約になったのかな? なんて考えて少し笑ってしまった。

 いつも以上に時間をかけて丁寧にヒゲを剃り落とす。新品の替え刃ということもあって肌が卵のようになめらかだ。生まれた時はこんな肌だったんだろうな、なんて思いながら、1時間もすれば少しだけざらついてくる自分の男性ホルモンの強さに少しだけ嫌悪感が浮かんでくる。

 たった1回かぁ……

 勿体ないなぁ、なんて考えながらもカミソリの刃を新品と交換する。古い刃はそのままガムテープでグルグルと巻いて燃えるゴミに入れてしまった。まあ、悪いことだとは思うけれどバレないし。

 髪、切ってあげようか?

 まりかはハサミをジャキジャキと音をさせながら風呂場の扉の外に立っているようだった。美容師の免許をもっているし、ハサミの扱いは慣れたものだろうが僕はまりかに髪を切ってもらったことが1度もない。お風呂場で切ると髪の毛が排水溝に詰まってしまうし、何かと後処理が面倒くさいし、失敗した時に喧嘩になるのもなぁ……なんて言っていたけれど、せっかくの機会だからとここいらで1度さっぱりと短髪にしてみるのもいいかもしれない。

 水に濡れて爆発も少しは収まった髪の毛をじっと眺める。中学からと考えると20数年変えずにいた髪型をここにきて変えるというのはちょっとした冒険かもしれない。でもやっぱりこの髪型が気に入っているし、見慣れたものだからこのままでいたいかな。

 そう告げるとまりかは、最近抜け毛が多いもんね、なんて余計なことを口にした。

 うるさい。

 

 脱衣所に上がると新品の下着と白いワイシャツにアイロンがけされたスーツのズボンが用意されていた。なんだか神事の前のようで少し嬉しい。

 台所では朝食を作り終えたまりかがテーブルの上に並べているところだった。こういうと朝から豪勢なようだがなんてことはない、昨日の余り物のご飯と味噌汁に、軽く火を通した目玉焼きにケチャップをかけて、あとは鯖の缶詰を開けて皿に盛っただけだ。もうちょっと彩りを気にして欲しいものだけれど、裁縫やら掃除やらはしっかりとできるのに料理だけはどうにも苦手で、しかも朝からちゃんと作るなんて大変なことは断固拒否する、と言われてしまってはどうしようも無い。

 白い箸と赤い箸が並べられる。紅白なんておめでたいよね、なんて簡単に言うけれど、一月も使っていたら汚れが染み付いてしまって洗うのが大変だった白い箸。

 だけど、今日は染み1つ無い新品の箸だった。

 とりあえず両手を合わせてご飯を一口運ぶ。ちょっとだけ酸化しているけれど、でもたった1晩置いたくらいで食べられないはずも無い。目玉焼きとケチャップをかき軽く混ぜてぐちゃぐちゃにした後、口元に運ぶ。それだったらスクランブルエッグと変わらないじゃん、なんてたまに言われるけれど、だったら目玉焼きにケチャップでも何もおかしくないじゃん、と主張したい。

 まりかはそんな僕のことをえくぼを浮かべながら眺めていると、自分の目玉焼きにソースをかけて、白身と黄身を綺麗に分けた。そして黄身をご飯の上にのっけると、白身だけを僕の目玉焼きの上に器用にのっけてきた。黒と赤が混ざり合い、さらに黄身の黄色も混じって何とも言えない色になる。

 まあ、別にいいんだけどね。ちょっと前までそれならソースをかける前に渡せよと軽く口喧嘩になったけれど、今日はそんな日々すらも何だか懐かしく思えてしまう。まりかは黄身とソースのかかったご飯が好きなのだ。だけど、卵かけご飯が好きなわけじゃない。半熟の熱が通った黄身と、ソースの甘辛い風味が混じり合い、それがご飯の上に乗っかった時……そのハーモニーが好きだと語っていた。僕にはよくわからない。だったら白身だけ別にしてご飯に乗っけた後にソースをかければいいじゃないか、と訊ねると、ご飯にソースをかけるのっておかしいでしょ? と返されてしまった。

 これが一緒に暮らすということなのだろう。僕の譲れないものと、まりかの譲れないもの、その2つがぶつかり合い、そしてある時は妥協点を見つけ、ある時は片方が我慢する。朝食は本当はパン派だったまりかが妥協してくれたのだから、これくらいのことは僕が我慢するしかないのだ。

 僕のほっぺたについたご飯粒をまりかがそっと指ですくい取る。そしてそれを口元に運ぶと、ペロリと艶かしく舌ですくって食べた。その様子をじっと眺めていたら、思わずお茶碗にのせていたぐちゃぐちゃかき混ぜた目玉焼きの黄身が落ちてしまい、新品の白いYシャツを汚してしまう。

 思わず2人して顔を見合わせる。そのまま小さくうなづくと、まりかはゆっくりと立ち上がり新品のYシャツを持ってきてくれた。

 僕は小さく、ありがとう、とつぶやいた。

 

 

 歯を磨き、ネクタイを締める。今日は黒と白のシマシマのネクタイだ。ゼブラ柄ってなんかカッコイイな、なんて言って思わず買ってしまったけれど、よくよく考えたらそこまで縁起のいいものでもなくて結局使う機会がないままタンスの奥に眠っていたものだった。整髪剤を塗りたくり、櫛を使ってセットする。こんな天然パーマでもしっかりと時間をかけてセットすればどうにかなるものだ。ただ、いつもはこんなことをする時間がなくて、ましてや朝なのだから1分1秒を争う時間帯である。これだけゆっくりと髪のセットをするのも久しぶりではないだろうか。

 テーブルの上に置かれたビデオカメラに目をやると、そのレンズはしっかりとこちらを見つめている。商売道具だからとちょっと奮発してイイものを買ったけれど、結局2作品しか撮ることなく押入れの中に眠ることになってしまった。だけど、こいつが映してきた時間は僕とまりかの全ての瞬間でもある。でもこいつの映像の中に僕はほとんど映っていない。カメラに映るのは俳優だけだ。カメラマンや監督が写り込むのはオフショットぐらいだろう。そして僕はオフショットを撮らない。

 このカメラに与えられた最後の役割は僕の姿をずっと映すことだった。映画撮影用のカメラとして買われて、その役目を途中まではこなしていて、そしてある日からタンスの奥底で眠りについていたこいつの最後の被写体釜が監督である僕であることが幸か不幸かはわからない。だけど、あのままタンスの奥で眠り続けているのもまた違うような気がしていた。

 まりかはカメラの横に置かれた椅子に座り、洗面台で入念に身だしなみを整えている僕の姿をテーブルに左ひじをつき、顎を手のひらに乗せてじっと見つめていた。

 よし。

 思わず声が出た。

 そのまま風呂場に入ると、先ほど交換したばかりのカミソリを手に取り、手首に押し当てた後にひとつ大きく息を吸い。

 一気に横に引いた。

 

 赤い血が溢れ出てくる。鋭い痛みが手首を襲う。だけど、このままでは何も変わらないと、ぬるくなった湯船の中にゆっくりと左手を入れていった。透明だった水に少しずつ赤い血が混じっていく。ああ、なんだか美術の時間に絵の具で汚れた筆を洗った時みたいだなぁ、なんてどうでもいいようなことを思った。

 そのまま立っていることができず、ゆっくりと浴槽に体を預けるよう崩れ落ちた。

 

「ありがとうな」

「もういいよ。おやすみ」

 

 

 こんなことになったことに、きっと世間の人は驚くだろう。友人も、今は疎遠になった家族も少しは悲しんでくれるかもしれない。

 だけどなぁ、これだけは言っておきたいんだ。

 こんな最期かもしれないけれどさぁ、俺、結構満足しているんだよ。

 だってさ、カメラに映っているんだぜ? 全てカメラに収められながら、大好きな女に見られながら、ゆっくりと死んでいけるんだぜ?

 これ以上に幸せなことって何かあるのかよ。

 

 

 僕はハッピーエンド主義者だ。

 そしてこれは、ハッピーエンドなんだ。

 そう呟きながら、闇の中に体を預けていった。

 

 

   了

 

 

 

 

(本作は映画『退屈な日々にさようならを』のオマージュが含まれています。

 この描写が本当に美しいので、言葉にしたらどのように表現できるのか、ということに挑戦してみました)

 

 

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