太陽がジリジリと肌を焼くように鋭く差し込む。コンクリートがその熱を反射し、頭まで覆ったパーカーの中にまで入り込むようだ。この暑さでも薄手とはいえ、長袖のパーカーを羽織った大男は、しかしその見た目と裏腹にその顔に一切の汗をかいていなかった。
もう何十年どころか、何百年も前に作られたような精巧な装飾とは裏腹に、欠けやサビが浮く懐中時計にて時間を確認すると、冬場ならばとっくに陽が落ちて暗くなり時間だった。確かに太陽はだいぶ傾いたが、まだ夜というには早い時間だ。
それでも正午に比べれば少しは気温も下がり楽になったが、それでもポケットから取り出した水銀温度計は30℃の大台を突破している。
そろそろみんな店に集まりだす頃だろうと思い、ゆっくりと歩を進める。ただでさえ大きな体は周囲に威圧感を与えるが、鈍重なその動きがよりその迫力を増していた。この夏場にパーカーを羽織った大男なのだからそれだけで怖いものだが、さらにその顔に刻まれた大きな傷跡がよりその男が周囲から距離を置かれる要因となってしまっている。面倒ごとが少ないものの、一抹の寂しさがあるのもまた事実であった。
ようやく大男がその店にたどり着いた頃には陽もほとんど落ちて夜と呼ぶには差し支えのないような時間だった。周辺は廃墟ばかりで、他に人通りはなく、もうこの時間帯になると人が通ることはほとんどない。女子供はおろか、男ですら本能的に避けるような一帯の、さらに奥まった電気も灯らないような路地の奥に、その店はあった。
日本の家屋は狭いもんだ、などと思いながら、その店の入り口に身を屈めながら体を通す。一般的な日本人であれば2人は並んで入れるほどの大きさだが、男にとってはそれでも小さいのだ。
店内は外から見るよりも広く感じられたが、その客層はマダラだった。ワイアット・アープやワイルドバンチが暴れまわってもおかしくないような内装ではあるが、もちろんそんなカウボーイハットを被った人間など、どこにもいない。
その代わりに店内にいるのは少し変わった客達だった。
二階がドンドンと煩く鳴り響く中、馴染みの常連客がいないか周囲をキョロキョロと見渡すと、バーのカウンターにひとりでグラスを揺らす男を見つけた。
「いつから天狗になったんだ?」
そう尋ねて横に立つと、まだ陽も落ちてそこまで時間が経たないというにも関わらず、赤い顔を晒してトロリとした目でこちらを見つめた。
「旦那かい、なんだか久々だな」
「早いご到着だな。これからだろ、お前の仕事は」
「どこも似たようなもんだよ……不景気なもんさね」
手に持ったグラスをクルクルと回すと、満月のようにまぁるい氷をじっと睨みつけて、鼻をならすとグラスに残ったショットを一気に飲み干した。その香りでアルコールが相当に含まれていることはすぐにわかった。
「安く酔うにはこれが一番だ」
ケケと口角を上げながら、トロリとした目をこちらに向ける。一昔前は色男でならしたはずの視線が、今では男に向けられるというのは寂しいものだ。
「いらっしゃい、旦那、久しぶりね」
奥から女が姿を現した。ただでさえ豊満な胸元をさらに強調し、見せつけるようにその深い谷間をアピールしてくる。腰まで届く長い髪が、軽くウェーブしながらスレンダーな腰やぷっくりと膨らんだお尻に当たるたびに、隣の男はヒュウと唇を鳴らした。
「旦那、邪魔するなよ。今日はこの娘に月の美しさを教えてあげるんだ」
「そうね、まずはお店に溜まった4個のお月様をどうにかしたら、私も惹かれると思うけれど」
ケラケラと声をあげていた男がケっとグラスを乱暴にカウンターに叩きつける。こういう店のグラスはそんな乱暴者がいるから、底が厚く、固く作られているのはわかっていても、大男はその身を小さく震わせ、横目でグラスをじっと見つめてしまう。
今時この店に来る奴の懐事情なんで、どこもそう変わらないのは誰もが分かっていることだ。
「旦那、景気はどう?」
「……いいように見える?」
「少なくともツケで呑む狼くんよりはマシに見えるわ」
そりゃないぜ、とばかりにカウンターに突っ伏す男の頭から、少し毛深い耳が生えてきていた。大男はミルクを頼む。
店の入り口から配達員が二人がかりで麻袋を担いで入ってきた。その大きさは大男ほどはないものの、それなりの大きさがある。
「それ、何よ? お、もしかして今日、入荷したの?」
男がそちらの方を向き、鼻をクン、と一度鳴らすとその大きな口から思わず涎を垂らしてしまう。
「そう。まだ生きているんだって、珍しいでしょ?」
「いいねぇ! これを軽く焼いて出してくれよ!」
「ダ〜メ。予約が入っているからね、残念でした……鶏肉のソテーならあるわよ」
そんなの自分で採って食べ慣れてるわ、と一つ呟いて再びテーブルに突っ伏してしまう。そのまま麻袋は奥の厨房へと運ばれていった。
「いいのか? これからが一番稼ぎ時の時間だろうに……」
「今時の狼男がどこにいるか知っているか? そこいら中にいるぜ、クラブとか、呑み屋とか、道端にもいやがる。その数が多すぎるもんだからいい営業妨害ってなもんだぜ……」
少し鼻が伸びてきて、その手足が細い毛むくじゃらなものに変わっていく。身に纏った服もズルズルとそのサイズに合わないものになっていった。その姿を横目に見ながら、ミルクがそっとカウンターの上に置かれた。
「フランケンの旦那だって、似たようなもんだろうが……」
「俺は競合なんてないさ。ただ、需要がなくなっただけさ」
かつて、この時期になるとこの店は多くの異形によって入りきらないほどの客で溢れていた。海外の昔からいる有名な奴もいれば、新進気鋭の子供騙しもおり、時には見た目は全く人間と変わらないが、その言葉や行動がフランケンから見ても理解できないような異形もいた。
だが、それも時代が進むと次々と数を少なくしていき、そして今となっては異形の存在はどこからも必要とされなくなってしまった。街には煌煌と灯りが周囲を照らすおかげで、異形の存在が姿を表すことができなくなってしまった。さらに防犯カメラの存在もあり、やりにくい上に単なる不審者として片づけられる時すらある。
「俺もうまく転職すればよかったぜ……ヴァンパイアの旦那なんか、俺たちの仲間のくせに、今じゃどこでも引っ張りだこだ」
「あいつは昔から要領がいいからな……」
「この前も映画に出ていたぜ……しかも、悲恋モノの主人公だとよ。おいおい、お前は最後は銀の弾丸で撃ち抜かれる方だろうが! なんでそっち側の異形になっているんだよ!!」
狼男はカウンターを強く叩いた。目の前にいる女店員……サキュパスが手元で吹いていたグラスから視線を上げて、ちらりとそちらを向くが、特に言葉を発することもなく再び視線をグラスに戻す。
結局のところ、もう誰も異形なんて望んでいないのだろう。そんな存在が実感を持って語られるほど、この国は神秘を残すことができなくなってしまった。
ドドン、と一際大きな音を立てて二階の床が鳴っり、パラパラと埃が舞っている。「上は何を?」
「今日は団体様がお見えになっていて……少し騒がしいけれど、ごめんなさいね」
「ゾンビの連中だとよ。景気のいいこった、今度またアレの新作が作られるからよ、調子乗ってんのさ」
机の上をカツカツと何度も指で叩きながら、空になったグラスを傾けて氷をガリガリと嚙み砕く。サキュパスがそっと水を出してあげると、ケッと悪態をつきながらもそれを一気に飲み干した。
「そういや、最近ちゃんちゃんこを着た奴らも見ないけれど、どこ行ったの?」
大男が聞くと、狼男は再びコップを返しながら答えた。
「水木しげると一緒に出て行ったよ。今頃妖怪大行進でもしているんじゃねぇの?」
なるほど、と納得したように呟く。
今、業界内はどこも似たような状況のようだ。需要があるのは似たような奴らばかりで、新しい異形というのは求められていない。古い怪物はその存在すら忘れられている。
少しだけ景気が良くなったのだろう、向こうのテーブルでは髪の長い女と子供連れの母親が揃って食事をしていたが、彼女たちが最も人気だった時代は既に十年以上前の話だ。
上で馬鹿騒ぎしている連中だって、本心ではわかっているのだ。彼らが人気なのは『撃っても罪悪感のないモブ』としての人気であって、ゾンビである必要性はあまりない。彼らはいつも駆逐されるその他大勢の存在であって、彼ら自身が人気を集めた時代というのは、もう過去の話なのかもしれない。
それでもまだ人気があって、仕事に呼ばれるだけ嬉しいと思わなければいけないのかもしれないが、だからといって能天気になるような心境でもなく、結局はこうして上でどんちゃん騒ぎをして気を紛らわすしかないのだ。
そんなのことは、この場にいる誰もが分かっていた。狼男が言った通りだ。我々はもう求められていない。既にその意味は別のものに変化している、と。
「たまんねぇよな……本当、たまんねぇ」
何が、ということはなくても分かってしまうのが辛かった。
「やあ、諸君、今日も元気にやっているかね!!」
店全体に響き渡るほどの大きな声を上げながら、マントを羽織った山高帽の男が入ってくる。その歯に生えた見事な犬歯がその存在を告げている。男……ヴァンパイアはカウンターで飲む大男達を見つけると、足早にその隣へと腰をかける。
「久しぶりじゃないか!! 元気でやっているかね!!」
「……ウルセェやつだな、少しぐらい静かにできねぇのかよ」
「何を言っているんだ、君達と私の仲じゃないか!! 古くからの知り合いだろう!!」
その自信に溢れた声に少しだけ辟易としながらも、大男は軽く手を上げることで答えた。うんうんと大きく首を振るヴァンパイア。
「久々の再会で何だか嬉しくなってしまったね……今日は私の奢りだ、存分に楽しみたまえよ!」
「マジか! じゃあ、好きなものをいっぱい頼むぞ!」
「もちろんだとも、さあさあ、遠慮することはないさ。これからは僕たちの季節なのだから」
その言葉に耳がピンと大きく張り、カウンターから起き上がると涎を垂らしながら向きなおる。メニュー表をじっと見つめて、あれもこれもと考えている狼男を尻目に、大男は何も言うことがなくただただ曖昧な表情を浮かべるだけだった。
「とりあえず、あなたは何にするの?」
「新鮮なブラッティ・アイをよろしく頼むよ」
「良いものからいくのね。他のお客さんもそんな注文をしてくれれば、うちももっと繁盛するのに」
クスリと頬を上げながら、奥の厨房をへと引っ込んでいくサキュパスを、柔らかい視線でじっと見つめるヴァンパイア。大男もその視線の意味合いに気が付かぬほどに鈍感であったならば、きっともっと楽な生き方ができたのだろう。
「助けてくれ!!!」
突然店の奥から響き渡る声に店内にいた客はみんなそちらを向く。するとそこには、目から血を流し、患部を手で抑えた男の姿がそこにあった。
言葉を吐き出そうと大きく息を吸うものの、そこにいる客層を見て途端に青ざめる。そして再び身を翻し、戻ろうとし、奥からゆっくりと現れた仮面の男の姿を目にするとゆっくりとその場に崩れ落ちた。ズボンを濡らした小便が床一面に広がり、店内に独特の臭気を撒き散らしている。
ろれつが回らない状態で何事かをつぶやいていた男の首根っこを掴み、そのまま引きずるように二階へ続く階段を昇っていった。何とか逃れようと体を捩り、腕を殴ったりするものの、仮面の男は一切気にすることなく階段を登り続ける。
そして階段を登り切った後、大きな悲鳴が一つ聞こえたかと思うと、仮面の男が一人だけゆっくりと再びフロアに戻ってきた奥の厨房へと戻って行った。
「ごめんなさいね、思ったより早く目覚めてしまったようで」
モップを手にしたサキュパスが唇と軽くひと舐めしながら帰ってきた。客ももう慣れっこなのだろう、何事もなかったかのように再び自分のテーブルへと向き直った。
「はい、これ注文の品よ」
そのコップは真っ赤に染まっており、その血だまりの上に一つ、アクセントに目玉が浮かんでいた。ヴァンパイアはコップをクッと煽ると「エクセレント!!」と驚嘆の声をあげた。
このいつもの光景を見るたびに、大男は少しホッとする。どれほど自分たちの需要がなくなろうと、どれほどその存在が変化しようと、変わらないものがそこにはあるからだ。
ミルクを飲み干した後、大男は一つうなづいた。
了
久しぶりに小説をアップします。
夏らしいものにしようとしたら、こんなものが出来上がりました。(もしかしたら手直しするかも……)
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