カエルくん(以下カエル)
「冬なのに夏アニメの代表格である細田守について語ろう! その第3回目となる今回は、いよいよ『おおかみこどもの雨と雪』になりました!
ちなみに、細田作品では1番好きな作品ということだけれど……その理由は?」
ブログ主(以下主)
「え? 今答えるの?」
カエル「いや、記事中でもいいけれど……ほら、何かあるでしょ?」
主「雪と雨が可愛いから」
カエル「……うわぁ、中々やばそうな発言が来た……まだケモナーの細田守の方が普通に思えるような……」
主「いや、だからちゃんと記事中で語るからさ!
でも、本当この作品は大事なのよ? 細田守を語る上でも欠かせないし……」
カエル「まあ、誰もがそれは知っていると思うけれどね。
というわけで、早速記事を始めましょう!」
主「……なんか最初にやばいことだけを暴露させられただけのような気もしてきたなぁ」
1 細田守の新たなる挑戦
カエル「さて、ここまで東映アニメーションを離れてから、おもちゃなどのコンテンツの名前に頼らない、細田守の名前を前面に出す作品を次々と製作しているけれど……本作はどのような挑戦があるの?」
主「まず『時をかける少女』というジュブナイル小説の歴史的名作を原作としながらも、オリジナル色の強い作品を製作して一躍注目のアニメ監督の仲間入りを果たす。
そのあとは東映時代の代表作である『デジモン』を連想させるような、原作もない完全オリジナルアニメである『サマーウォーズ』を作り上げ、アニメファン層以外にもその知名度を上げてきている。
そんな中の新作は、さらなる挑戦となった。
それが『スタジオ地図』の立ち上げだ」
カエル「それまでの2作はマッドハウスという、今敏監督作品など、数多くのアニメを制作しているスタジオでの制作だったけれど、この作品からプロデューサーである斎藤優一郎が立ち上げたスタジオ地図にて細田守作品は制作されていくんだよね。
結局、スタジオ地図は今の所細田守の専門スタジオみたいになっているけれど……」
主「それまでの2作は過去にテレビシリーズで演出などを担当してきた作品の影響を強く受けていると思う描写もあったけれど、今作からはその要素もだいぶ影を潜めた印象がある。
そして何よりも前作の2作と違い、スタジオ地図の2作は監督、脚本、あとは当然といえばそうだけれど絵コンテなどの作品の特色を決める部分の多くを細田守が担当している。
それによって、かなり細田守の作家性が強く出る一方で……ある種の悪癖が多く出てしまう結果となった」
この田舎暮らしも突っ込みどころ満載だよねぇ……
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
細田作品の悪癖
カエル「あえてこの悪癖という強い言い方をしているけれど……それはどのような部分なわけ?」
主「たぶん誰に聞いても同じことを言うと思うけれど『ご都合主義の脚本』だよね。
それまでの過去作もどう考えても辻褄の合わない描写が多くあった。SFとしての時をかける少女は批判を浴びているし、サマーウォーズは全てが主人公に……というよりも、変な話かもしれないけれど監督やスタッフ陣にとって都合よすぎる。
物語のための物語となっており、そんな全部都合よくピンチになったり、救われたりするか? という疑問が浮かぶような作品になってしまっている」
カエル「それをカバーできるほどの映像のクオリティの高さがあるという話でもあって、それこそ脚本構成などではボロボロだけれど不思議とみんなが納得してしまう宮崎駿と一緒ということだけれど……」
主「それは今作からさらに加速してしまった印象がある。もうさ、ご都合主義の極みと言ってもいいよ。
なぜあの2人は恋に落ちたの?
なぜ避妊しなかったの?
なぜあのタイミングで狼男はなくなってしまうのか?
田舎暮らしってそんな簡単にできるのか?
そもそも母親として怒らなすぎじゃないの?(リアルな子育てと言えない)
ラストは子供が急にいなくって誰も問題にしないの?
こういった、多くの疑問点がある。この1つ1つに対する疑問への回答を簡単に言葉にすると、自分はこう結論付けざるをえない。
『制作側の都合』だよね」
カエル「結構ありえない話として批判もされていた記憶があるけれど、それでもヒットして評価もされた作品だよね」
主「この脚本の整合性に関してはメチャクチャ甘いんだけれど、でも表現したかったことに関してはなんとなくわかるから批判もしづらいんだよねぇ」
やはりこのシーンのインパクトは非常に強い!
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
好きなポイント
カエル「それだけ脚本の整合性がないのに、でも好きなんだね」
主「物語って結構雰囲気でなんとかなっちゃうところもあるからねぇ。完璧な脚本があれば面白いものが作れるというわけでもないし。
特に映像表現に関して文句なしに素晴らしいから!
作画のクオリティという意味ではケチのつけようがない。
例えば……『ひるね姫』の時も語ったけれど、今作でいうとスーパーアニメーターが何人も関わっていて、その中でも井上俊之もいるのね。
井上俊之って個人的にアニメーター界の横綱の1人だと思っていて、今作だと雪山で転げ回る3人とか、姉弟の喧嘩シーンを担当した人で」
カエル「この映画の動の部分ではメインと言っても過言ではない箇所じゃない!」
主「そうだよ。
もちろん細田守も監督、そして演出としては一級品の腕前を誇るし、スタッフも作画監督の山下高明は細田守と何度もタッグを組んできた……というか、師匠にあたる人らしいけれど、もちろん凄腕アニメーターの1人だし。
『すごいな!』と思わせる絵が多い。アニメは絵が動くということが大事な要素だから、その意味では最高の作品の1つだよね」
カエル「よくいわれる『影なし作画』をずっとやっているしね」
主「簡単に言うと影を付けることで止まっていても立体感が出るという手法で……影をつけないということは、その分ずっと絵を動かなければいけないということでもある。じゃないと立体感が出にくいんだよ。
その難しい技術にも挑戦しているのは変わらないし、母と子の物語としても面白いけれど、絵の力は相当なものがある」
2 本作が描いたこと
カエル「でもさ、それだけの粗があると承知で、しかも賛否も若干分かれている中でも、なぜこの作品が1番好きって言っているの?」
主「やっぱり雪が可愛いというのがあるかなぁ」
カエル「……雨が外れているし……」
主「いや、だからさ。今作の素晴らしいポイントって一言で表すと『子供が成長する一瞬』を切り取ったところにある。
それをアニメーションで表現してしまった。
自分が思うに、子供の成長ってたった一瞬なんだよね。大人が思うよりも、本当にあっという間に大人になってしまう。そしてそれに大人は気がつかないことも多い。その見事な一瞬を切り取った映画は他にもあるよ。
例えば子供を主人公とした映画で永遠の名作である『スタンド・バイ・ミー』とかさ。
で、本作はいわば『女児が少女になる瞬間』と『男児が少年になる瞬間』を描いた作品である」
子供の成長映画といえば、この映画がNo1でしょう!
カエル「ふむ……」
主「多分、前者はよく分かると思うんだよ。
あの学校でのカーテンによって雨が一気に変化するシーン。あそこは本当に素晴らしくて、あのシーンにおいて少女……というよりも、もっと幼い女児かもしれないけれど、そこから恋を知り一気に成長した。
それを絵と演出だけで見事に説明して見せたこと。これだけで大絶賛です」
カエル「一方の雨に関しては?」
主「それまで弱々しくて、母親に守られているだけだった引きこもりの男児が、自分のやるべき道を、やりたいことを見つけて家を飛び出していく。これって男の子の成長そのまんまだと思わない?
いつかは実家を飛び出して行って、自分が大黒柱になって新たな家を作る。雨はそれが早すぎたけれど、その成長自体は何ら不思議なものではない。
その意味では『少年』というよりも『男』になったといったほうがいいかもね」
子供時代からの成長の過程が本作の見どころの1つ
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
動物作画の意味
カエル「今作がなぜ狼なのか? ということに関しては?」
主「アニメーションの基本であり、その奥義とも言えるものが『動物を動かす』ということなんだよ。例えばウォルト・ディズニーはミッキーマウスなどの動物を擬人化したキャラクターを多く生み出している。
アニメーションの語源であるラテン語の『アニマ』つまり魂を込めて動かした時に、もっとも効果的なものが動物だからだ。
冒頭でも述べたけれど『細田守はケモナーだ』という言葉も、それ自体を否定はしないけれど、でもアニメーションにおける動物を動かすというのはそれだけ重要なものでもある。
そしてそれは東映動画時代からの、東映の伝統でもある。
ほら『長靴を履いた猫』とかさ、動物が魅力的に動くアニメってたくさんあるじゃない?」
カエル「ふむふむ……そういえば今年公開の『メアリと魔女の花』でも、動物の変身魔法はかなり重要な立ち位置にあったよね」
主「あの作品は『アニメについて語ったアニメ』なんだよ。他にも『リトルウィッチアカデミア』でも主人公のアッコはダメ魔法使いだけれど変身魔法は下手だけれどなんとか使える。
他にもアニメ制作を描いたアニメである『SHIROBAKO』でも、動物の作画に悩むシーンがある。
では、なぜ動物なのか?
それはアニメーションにとって、動物の作画とはそれだけ奥深いものだからというのが答えになる」
カエル「じゃあ、細田守が動物を多く出すのも……」
主「それを意識しているところはあるだろうね。時をかける少女はないけれど、デジモンにしろ、サマーウォーズのアバター、今作の動物達、そしてバケモノの子の獣人……どれも動物が重要な意味を持つ。
それは相当計算していることだろう」
3 狼とアニメにおけるエロス
カエル「動物が出てくる理由はわかったけれど、なんでこの作品って狼なわけ?」
主「う〜ん……やっぱりさ、そこは若干下ネタもあると思う。『男は狼なのよ』っていうことで」
カエル「どんなにおとなしそうに見えても、夜には狼に変身して襲ってくるということだね。それこそ、赤ずきんちゃんみたいな話だ」
主「赤ずきんというのは処女性を持つ、まだ夢見る女の子が狼=男によって食べられてしまう……まあ、そういうことをされてしまって、少女ではいられなくなり現実を知るという解釈が一般的なのかな。
それと同じことで、やはり今作ではネットリとした性描写が、それなりに話題になった」
カエル「この作品が公開された時に週間プレイボーイという男性誌のインタビューに細田守が答えていて『エロについて描きたかった』みたいなことを語っていたよね。農作業も豊穣を祈る場だからエロくとか、未亡人ものが描いてみたかった……みたいな発言をして、若干問題になっていたけれど……」
主「細田守がエロスを書くと実はとんでもないことになって……これは以前にも述べたけれど『少女革命ウテナ』の33話が特に素晴らしい。
もしかしたら、自分が今まで見てきた性に関するアニメの描写で最もドキドキしたかもしれない」
少女革命ウテナが示した女性の変化〜20周年を記念して改めて考える〜
カエル「1990年代のアニメってそこそこエロい作品が多かったような……それこそエヴァの梶さんとミサトさんのベットシーンとかは、声優陣の演技もあってほとんど動かないのドキドキしたし……」
主「日本のアニメは世界的に見ればそれでもまだ比較的性について触れているけれど、それをオタクには『萌え』を意識して、そうじゃない人にはあまり気がつかれにくいようにエロスを醸し出す描き方はさすがだよね。
でも、本作でエロスということと向き合ったことで、夫婦や家族ということを描いたのは、そこに嘘があまり入り込まなくてよかったと思うよ」
1番幸せだった時代……この淡い色使いもポイントの1つ
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
子供は自然のもの
カエル「そして生まれてくる子供達もおおかみこどもであるわけで、可愛いけれど手のかかる子供時代を見事に表現しているけれど……」
主「養老孟司がよく語っているけれど、都市という脳化した社会の中で相容れない自然が子供なんだ。
どういうことかというと、都市は制御された街だから、騒音や匂い、虫や獣など自然なものが許されない。銀杏の匂いや子供の声が問題になるのも、それがある方が自然なのに、そうやって制御できないものを嫌うからである。
そして子供というのは都市に残された最後の自然なんだよ。子供が騒いだり、泣いたり、勝手な行動をとるのを制御することは難しい。
言葉は悪いけれど……ある意味では動物と同じわけ。
これは『自然のもの』という意味でね」
カエル「それをおおかみこどもという形で表現しているんだ……」
主「本作で自分が素晴らしいと感じたのは、雨と雪の成長の過程なんだよね。
雪はこどもの頃は積極的におおかみになって走り回っていたけれど、ある日からその面を見せなくなった。
これは自然の一員であった……子供の要素が強かった自分からの脱却であり、社会の一員として生きていくために自分の本性や本能といった部分を封印して、大人になっていく過程を描いている。
そして雪はその逆であり、積極的におおかみになっていく。この点において、本能や自分の生き方を決めて、家を飛び出して社会から飛び出していく様を描く。
どちらも正反対のことを描いているけれど、これはある意味では男女の成長の違いを描いているようでもあるよね」
おおかみこどもとして好き放題に生きる子供たちは自然そのものな存在
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
時間を描く
カエル「本作の作中で流れる時間て実は相当なものがあって……多分10年以上の時がった2時間で表現されているよね?」
主「この『時間を描く』というのはとても難しいことである。それをたった2時間に圧縮してしまう省略の技術もまた注目するポイントだろう。
ちなみに、この記事を書くにも大いに参考にしているアニメ研究家の氷川竜介は細田作品について『時と距離をテーマにした作品を交互に製作している』と指摘している。
つまり『時かけ』と『おおかみこども』は時間を、『サマーウォーズ』と『バケモノの子』は距離を描いている。ここで男性主人公が距離を、女性主人公が時間を担当しているのも面白いポイントだよね」
カエル「ふむふむ……」
主「今作で特に秀逸だな、と思ったのが、父親の狼男が死んだ時にゴミ収集車にぽいっと捨てられてしまうところだ。
死というのはいつも唐突に訪れるものであるし、それが劇的な意味を持たないように計算している。
つまりさ、サマウォーズと同じことをやっているんだけれど……なんというか、泣くポイントになっていないんだよね。あまりにも唐突で、しかも無慈悲だからこそ、衝撃が大きい」
カエル「もちろん泣く描写はその後に影響を与える描写はあるけれど、でもメソメソしていないで案外あっさりと卒えるよね」
主「この辺りってリアルだな、って思うんだよ。いや、確かに自分は配偶者を亡くした経験はないけれど、子供を抱えたままでそのままずっと泣いているわけにはいかないじゃない? さすがに1人で育てるのは難しいとか、いきなり田舎に行ってお金はどうするんだろう? とかの疑問はあるけれど、でも何らかの行動は親として起こさなければいけない。
今作は10年以上の時間を描かないといけないから、立ち止まって泣いている暇はないんだよね。
だけれど、その時間に左右されない家族や親子の絆はきちんと描いている。それがこの作品の魅力だと、自分は思うけれどね」
細田守が映したいもの
カエル「この項目は、以前に主が語っていたけれど『アニメとアニメーションは違う』という話につながってくるの?」
主「そう。今のアニメ作家ってその多くが『アニメ』を見て業界に入りたいと思っている。もちろん、それはそれでいいと思うけれど……宮崎駿とかは全然違うはずなんだよ。
宮崎駿や高畑勲は『アニメーション』を作りたくても『アニメ』を作りたかった訳ではない。この2つの違いについては下記の記事を読んでね」
主「この違いって実は大きい。
例えば押井守は『映画』を撮りたいわけであって『アニメ映画』を撮りたいわけではない。アニメというのはあくまでも手法でしかなくて、目的は映画を撮ること、映画の本質追究の旅なんだよ」
カエル「この意識の違いが作品世界観の違いにつながってくると」
主「根本から違うから。
それいうと、細田守もまた特殊なアニメ観を持っていると思う。氷川竜介が語っていたけれど『絵画を動かしたいのではないか?』というのは鋭い指摘だな、と思ったね。
だからこそ細田守作品って他作品と別モノのような扱いを受けているのではないか? という印象。まあ、絵画について詳しくないからなんとも言えない部分もあるけれど」
カエル「本来は絵を動かすというのがアニメの本質だしね」
最後に
カエル「というわけで、細田守作品について語ろう、第3弾はこれで終了です!」
主「最後に残すは批判する記事を書いた『バケモノの子』だけですか……あの記事を書いた時は感情のままに書いたけれど、今ならまたちょっと違うものが書けるかなぁ」
カエル「ちょっとは評価が変わったの?」
主「いや、批判する作品であることは変わらないよ。
あれほどのご都合主義がひどい、ここまで破綻している脚本については非難します。さすがに演出力でもカバーできていないし、絵がすごいからといってごまかせるものじゃない。
細田守はまた脚本家をつけたほうがいいよ。やりたいことがたくさんあるのはわかるけれど、脚本が余計なノイズになってそれが伝わっていない」
カエル「この作風って本来賛否が分かれるものでもないしね。多くの人に愛される作品になれるのに……」
主「演出家としては超一流なのは昔から知っているけれど、映画監督として一皮剥けきれない理由はそこだよね。アニメはすごいのに……
この評価を次回作では覆してくれることを祈っています!」
カエル「以上、おおかみこどもの感想記事でした」
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