カエルくん(以下カエル)
「クリスマス間近になって、2017年も終わりが近づいてきて、大作映画の公開も今週で終了の装いになってきました。
そしてこの週はクリスマスらしく、若者向け恋愛邦画が多く公開されている印象もあります」
ブログ主(以下主)
「ぼっちクリスマスをおくる連中には寂しい週末になるのに、それを後追いするような作品ばかりだな。
いよいよ劇場にも逃げ場がなくなったか」
カエル「いや、昔から劇場ってデートスポットだし……」
主「暗いことをいいことにエロエロで邪なことを考えるんだろ?」
カエル「……まあ、そんな人も中にはいるかもしれないけれど、そんなごく少数派のイメージを全体像のように語ることも……」
主「クリスマス映画ってかなり悲惨な映画も多いけれどね。
『戦場のメリークリスマス』とかさ。もちろん明るい映画もあるけれど……実は『クリスマスソングは失恋ソングばかり』と同じように、幸福な中でも失恋なども多い日でもあるんだよねぇ」
カエル「……なんでそんな縁起でもないことを言うの?」
主「さあ、映画の感想へと参りましょう!」
カエル「……隠キャの妬みでしかないよね」
作品紹介・あらすじ
最年少で芥川賞を受賞したことでも話題の綿矢りさの小説の映画化作品で、2017年に行われた東京国際映画祭のコンペティション部門に出品し、観客賞を受賞するなど公開前からすでに高い評価を獲得している。
監督は毎年のように監督作を披露している大九明子が脚本も務める。
若手女優の中でも巧みな演技力が評価される松岡茉優の初主演作品としても話題に。渡辺大知、北村匠海、石橋杏奈、片桐はいりなどが脇を固める。
経理係で働くOLのヨシカは中学生時代から好きな同級生だった『イチ』への思いを心に秘めながら10年間暮らしていた。そんなある日、会社の同期である『二』から告白される。人生初の告白に心を躍らせていたヨシカだったが、恋愛初体験ということもあってうまく行動することができないでいた。
一念発起して憧れであるイチと会うために、同窓会を企画してそこに出向くのだが……
松岡茉優が歌う!泣く!叫ぶ!映画『勝手にふるえてろ』予告映像
1 感想
カエル「では、いつものようにTwitterの短評から始めましょう」
#勝手にふるえてろ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年12月23日
松岡茉優サイッコウ! クソめんどくさくて非モテで、でも最高にかわいい女の子を見事に演じきる!
この街中が性なる夜に浮き足立つ中、オタクに恋は難しい系の映画を女子目線で描いたこと、そして攻めに攻めた演出もまた魅力的!
ベスト10は本作を鑑賞してから決めた方がいい!
主「いまや25歳以下の若手女優の中でもトップクラスの演技力を誇る松岡茉優の魅力がこれ以上なく詰まった作品でしょう!
不器用で、めんどくさくて、脳内妄想炸裂ガールだけれどでも最高にかわいい女の子を見事に演じ切っている。作中ではOL衣装の他にも学生服などを着ていたりもするけれど、それがまた絶妙でさ……暗い、オタクっぽい女の子だけれど、でもどこか可愛らしさも感じさせて!」
カエル「人によっては『あんだけかわいい松岡茉優がモテナイわけないだろう!』って言い出しそうだよね」
主「その痛々しさと可愛らしさのちょうどいいバランスで成立している作品だよね。
その痛々しさだって新たなる味を生んでいて……
もちろん、本作は松岡茉優だけの魅力であり、それ以外は見所がないのか? と問われると、そんなことはない。役者陣では渡辺大知のこちらも恋愛慣れをしていない男の、絶妙に気持ち悪いけれどでも真摯で優しい演技も見どころの1つ。
そして演出面でも優れているところも多く、目立つところもあれば、ちょっとした工夫だけれど効果的なシーンもあるので、映画としても楽しめる作品になっている」
カエル「そして忘れてはいけないのは、今作は笑えて楽しい映画です。もちろん、楽しいだけで終わる作品ではないけれど、基本的にはコメディとしてクスリと出来るシーンもたくさん入っていて、多くの人に受け入れられやすい作品に仕上がっています!」
原作の綿矢りさについて
カエル「原作は綿矢りさだけれど……読んだことはある?」
主「あるけれど……好きと嫌いが混ざり合って、個人的にはかなり複雑な印象を持っている作家かなぁ」
カエル「まず『インストール』でデビューを果たした後に『蹴りたい背中』で最年少芥川賞に輝いて一躍時代の寵児に。しかし、そのあとは学生ということもあって作品を刊行スピードは遅く、2007年に『夢を与える』を上梓し2010年に『勝手にふるえてろ』を発表することになる。つまり、本作は単行本としては4作目に当たるということだけれど……」
主「まず、蹴りたい背中に関して言えば、あの作品が芥川賞を獲得するのは当然だと思う。
あれだけの比喩表現や文章表現を高校生で行ってしまったこと、これは絶賛の嵐であり、高橋源一郎なども文学史上に残るものだと高く評価しているし、もちろん自分も引き込まれた。
ただ、個人的には『夢を与える』が大っっっっっっっっ嫌いで!
読み終わった瞬間に本を投げ捨てたくなった作品でもある」
カエル「……え? そんなに?」
主「あの作品は普通の女の子だったのに、芸能界という憧れの舞台に行って人生がメチャクチャになるということを描いているんだけれど、それはまんま芥川賞によって人生を破壊された綿矢りさと被るわけ。それが後味が悪くて、大っ嫌いだった」
カエル「その後に本作につながるわけだけど……」
主「大体さ、綿矢りさって美女作家と呼ばれて時代の寵児になったけれど、根は陰キャラなんだよ。しかも、ただの根暗じゃない。
同世代の人気作家である辻村深月なんかは、その小説を読むとわかるけれどオタクだけれど友達も多くて、仲間内でガヤガヤと楽しめるタイプのオタク。陰気の中では陽気なタイプ。
でも、綿矢りさは陰気なオタクの中でも陰気なタイプで……そうでなければ『インストール』や『蹴りたい背中』のような作品はかけない。だからこそ、本作のようなオタク的な陰気な人物の描き方が非常にうまい。
それがオタク的成分を抱える天才女優、松岡茉優が演じることによって、とんでもない共振性を獲得しているわけだ」
今作で交際経験がなさそうな男を見事に演じた渡辺大知
似ている作品と違いについて
カエル「多分、本作のあらすじなどを読んだ人は『モテキ』とか『500日のサマー』などを連想すると思うんだよ。こう、陰気な時代を過ごしてきた主人公に突然モテキみたいなものが訪れて……というね」
主「全然違うわ!
モテキや500日のサマーってほぼ童貞で恋愛に疎い男主人公だったけれど、自分に言わせて貰えば、あいつらは全く童貞をこじらせていない。
あんなのは、まだまだ軽傷だよ。
あまりにもモテナイ、恋愛に縁のない人生を送ってきた人間はああいう風にはならない!
あれは放っておいても、だいたい25歳くらいで知らない間に彼女ができるタイプ。大学デビューとかしちゃうような、隠キャラの中では陽気なタイプなんだよ。
本作のヨシカその比じゃないくらいこじらせている!」
カエル「……え〜、主は『モテキ』と『500日のサマー』に親を刺されたくらいに悪し様にいう人なので、話半分で聞いてください」
主「今作は陰キャの中の隠キャがたくさん出てくるけれど、そのこじらせ方がハンパないわけ。そしてその恋愛相手もほとんど恋愛経験のない様な……おそらく、童貞である二だからこそ、意味が生じてくる。
モテキとかの主人公たちはイチの方なわけ。学校では馴染めなかったりするけれど、でも社会に出るとモテ始めるタイプ。この両者を対比として出したところに、本作の味があるね」
以下ネタバレあり
2 現実と妄想の間に
カエル「では、ここからはネタバレありで語っていきますが……まずは現実と妄想のお話です」
主「今作は明らかにリアリティラインがおかしいんだよ。例えば、町中のあらゆる人と話して、友達も多いように見える。ウエイトレス、駅員、釣り人のおじさん、バスで隣に座るオバさん……こんな人たちにすぐに話しかけて、自分の話を聞いてもらっている。
だけれど、それはやはり彼女の妄想の中にしかいないわけ。
それを象徴しているのがファーストカットだよね」
カエル「憧れのウエイトレスと話をしている場面だね」
主「あのシーンはヨシカがなりたかった自分との対比である。
ウエイトレスのように可愛らしくなって、金髪に髪を染めてみたいという願いがあった。だけれど、それは結局叶うことがなかった。
その屈折した思いがあのファーストカットにすでに出ているよね。だから、とても淫靡なようでもありながらも、そこか現実離れをしている。なぜならば、それは理想の自分との対話であり、頭の中で行なわれていることだからだ」
カエル「この作品って結構光などを多く取り入れていることもあるけれど、ちょっと妖しい雰囲気を宿すシーンも多いよね。同僚の来留美と休憩時間にお話するシーンとかは、結構百合百合しくて……あれ? これって同性愛的な要素を含んでいるの? ということもあって」
主「それだけヨシカの中にいる来留美の存在は大きかったし、あの約束は重かったということだよね。それを妖しい雰囲気にカメラに収めたのはさすがだと思うよ」
この2人の関係性なども結構好きだなぁ……
2人の男
カエル「そしてイチと2という、男が2人出てくるわけだけれど……」
主「この2人はとてもいい対比になっている。
これは演出も優れているけれど、2は明らかに女性慣れしていないし、その誘い方も下手だ。かなり傍目から見ても気持ち悪いものになってしまっている」
カエル「あのリップクリームの塗るシーンとかも、なんか生理的な嫌悪感もあるよね。でも、その慣れていないところもなんだか可愛らしくて……」
主「それを象徴するシーンがあのホテルの前に行くシーンで……あそこでは他のカップルはすんなり女性を誘導してホテルに入っていったり、もしくは少し慣れていなくても『お願い! 先っちょだけでいいから!』なんて言いながら頭を下げて、結局は女の子も満更じゃないようにホテルに入る。
誘い方は実はいっぱいあって、スマートじゃなくても女性とホテルに入ることができる人もいる中で……2はホテルの前でゲロを吐いて、みっともない姿をさらしてしまう。
つまり、女性をホテルに誘う手段も持ち合わせていないんだよね」
カエル「まあ、あの様子じゃ女性も行きたがらないよね……」
主「でもさ、あれだけの泥酔とひどい有様を見せておきながらも、告白されると天にも昇るような心地で嬉しいんだよ。
それで周りの人にペラペラ喋ってしまう。
これだけでもヨシカがどれほど恋愛に慣れていないのかわかるし、同時に超かわいい女の子だというのも伝わってくる。おそらく、この作品は20代なかばになっても童貞と処女の恋愛未経験者カップルの微笑ましい恋愛話になる……はずだったんだよ」
情けないながらもその気持ちには舞い上がるほど嬉しい
タワーマンションにて
カエル「でもさ、結局あれこれと手を尽くしてヨシカはイチと出会って、そして恋愛にしようと努力するわけじゃない?
その手法もあれだけ逆効果だった2のやり方を真似するようなやり方で……」
主「どんなに経験がなくても、やり方が下手でも行動することが1番大事だということでもあるんだろうね。
その後に同窓会の東京のメンバーと飲み会を開くけれど……ここで演出力が光った」
カエル「笑えるシーンではあるよね。タワーマンションまで付いて行って……というさ」
主「でも、ここで大事なのは『すごっく高いタワーマンションの上』ということだ。
そこで行われていたのは陽キャたちの集まり……つまりモテる男女たちの集まりだよね。中にはモテなさそうな男子もいたけれど、あれはもろに大学デビューを果たした組だ。
その振る舞い方も男女ともに精錬されていて、しかも途中で2人が買い物に出かけたまま帰ってこない。これは明らかにホテルなり、まあそういう行為に励んでいることを示唆している。
そしてイチもその中には馴染めていないけれど、これはヨシカとはまた違う理由なわけだ。
他にも以下の画像にも演出のうまさが表れている」
演出の妙
主「ここで重要なのは2つ。
ヒールのついたお洒落な靴と、タワーマンションということだ」
カエル「ヒールの靴っていうのは、もちろんヨシカがそれだけの思いを込めて精一杯お洒落をしてきた、ということだよね」
主「そうだね。それだけめかしこんで、ようやく辿り着いたのがタワーマンションのかなり上の方の階だ。
そこでは先ほども書いたように、パーティーが開催されている。それはヨシカにとってはそれこそ『地に足のつかない高さ』であり、あまりにも高すぎる自分の現状との違いだということもできる」
カエル「そこですごく綺麗な夜景を見ながらイチと会話をするわけだけれど……でも、そこで大きな裏切りにあってしまう。
まあ、さ。それは勝手にヨシカが自爆したわけだけれど……たとえイジメられていた(いじられていた)としても、クラスの中では中心的人物だったわけで、同じ古代生物が好きな2人の間にも実は格差があった」
主「同じような趣味を持つ2人だけれど……そして目で追うって視野目なんて特殊な技術を獲得していたのに、それを理解されることはなかった。
綿矢りさの創作という視点で見ると、本作は『蹴りたい背中』のアンサー作品ということもできる。あの高校時代では交わりついて、陰キャラ同士で結びつくことがあったかもしれない。だけれど、時代が過ぎてしまうと、どれだけ彼のことを思っていても、それはすでに過去の話であるということだ」
カエル「そしてここから始まるパレードは本当に素晴らしいよね!
このシーンだけでも、何十回も見たいよ!」
主「『モテキ』などは浮かれている楽しい瞬間をパレードにしたけれど、本作はその逆をパレードというか、ミュージカル調にしてしまった。
自分はこのシーンで鳥肌が立ちまくったね!」
3 2の思い
カエル「そして話は2に戻ってくるけれど……」
主「ここでも演出が光っていて、東京周辺の街並みをスローモーションにしてまで見せている。これはさ、本作がその妄想と対比している『日常』について描いているからじゃないかな?
あれだけの派手な妄想劇を見せつけて、その後に現実の世界に戻ってきたことを、ここで表現している」
カエル「その後で2とデートに行くじゃない?」
主「ここではタワーマンションの演出と対になっているんだよ。
ここで彼女が履いている靴はヒーツのないぺったんことした日常用の靴である。それを履き直してしっかりと大地を踏みして走り出すんだよね。
もちろん、その前には『付き合ってもいいよ』とかさ、他にもちょっとしたすれ違いもあった。
だけれど、この2人の関係性はイチとの関係性とは全く違う、現実的でお似合いのものになっている。
それを靴と走る描写だけで表現してしまうというのは、とてもうまい映画的な手法だな、と感心した」
カエル「2もさ、結構変わった場所にデートに連れ回すじゃない? あれって等身大って感じがしていいよね。変に着飾ってなくてさ」
主「1回目の奥多摩への釣りというのは、そのまま『魚が釣れるまで待っている』という2の待ちの姿勢をそのまま表しているんだろうね。
その結果『好きとか嫌いとかよりも、違和感がないことの方が大切』という言葉も引き出している、2の見事な粘り勝ち……だった。
ただ、それで終わるほどヨシカの拗らせ方は生半可なものではなかった」
今作の片桐はいりの存在感もまた素晴らしい!
ラストについて
カエル「あのラストの展開ってどう思う?」
主「感情の大爆発だよね。たださ、この作品が『夢を与える』と違って好きなのが、周囲の人たちがみんないい人ばかりなんだよ。拒絶しても助けに来てくれるし、配慮もしてくれる。
そして2と色々あるんだけれど……ここで階段を上がっていく2というのも面白くて、やはりヨシカの元から『上がる』ことで離れていくということに、というヨシカの劣等感を表現している。
本作はこの上下の移動に対してかなりの意味がある」
カエル「そしてあのラストにつながるわけだけれど……」
主「ここで注目してほしいのは2人の視線なわけ。玄関から部屋に上がり込んで、2人が向き合っているんだけれど……ここで、ヨシカは上に、2はタタキの下にいる。その時、2人の視線の高さはほぼ同じなんだよ。ここで2人は対等に向き合っているということがわかる」
カエル「若干ヨシカの方が高いけれど、でも身長を考えるとほぼ同じだったね。その中で喧嘩をするわけだ……」
主「あの喧嘩って絶対大切な儀式でさ、単純に2が我慢したり、浮かれているような関係では恋愛とは呼べない。
ただの恋愛ごっこで終わってしまう。
だけれど、あの場面で2人は本当の意味でぶつかり合った。そして理解しあおうと向き合った。それがあの結果につながっている。
だから、あの展開があって、あのラストにおいて本作は『陰キャの恋愛映画』としてもっとも大切な、魂のぶつかり合いと他者を受け入れるという、2つのことをやり遂げたんだよ」
最後に
カエル「ここで記事を終わりにしますが、本作は他にもいい演出がたくさんあって……カメラの使い方が本当にうまいよね。
揺れるカメラで、登場人物たちの揺れる心を表現していたり、部屋の定点カメラでおいてヨシカの行動の変化がないような変化を切り取ったり……」
主「そして何と言っても片桐はいりの存在感ですよ!
彼女が語った『名前の呪縛からは逃れられない』といのもすごく大事だし、綿矢りさへと視点を移すと、もう『綿矢りさ』という名前の呪縛から逃げられないことを達観しているようにも見える。
『夢を与える』の時は全て投げ出したように見えたけれど、今作ではその全てに決着をつけてきたし、そんな作者の思いが詰まっているでろう原作を、映画らしさを生かす形で最大限表現してきた。
もう褒めるしかないでしょう!」
カエル「基本はコメディだから多くの人に受け入れられやすい話だろうし、小〜中規模公開映画なのがもったいないよねぇ」
主「年末に出てきたこの1作を鑑賞してから、2017年の年間ランキングは付けたほうがいい!
そう言いたくなる作品だったね!」