物語る亀

ネタバレありの物語批評

通勤途中に小説を〜短編小説『海と夕日』

 もうすこしで夏も終わろうとしている。 


 台風が過ぎ去ったばかりの海はこの時期にしては珍しく人もまばらで、地元の人間である僕にとってはありがたいことだった。うるさくないし、道路も混まないし、何よりもゆっくり海を眺めることができる。叔父さんがやっている海の家は台風が去って風も収まってきた夕方から開店したが、人が集まる様子はない。 
 元々人気のスポットではないし、泳ぎに来るのも若者よりもファミリー層や、第一線を退いた元企業戦士たちばかりだから、台風が過ぎたこの時間からわざわざ来ようという人はいないのだろう。 

 海に来るには僕と姉さんは少し浮いているかもしれない。 
 僕は陽に弱く、日焼けをすると赤くなりいつも水ぶくれのようにプックリと膨れ上がってしまって酷い目にあった。お風呂に入れないとか、触られると痛いというのはあるある話だけど、病院に行くとまでになると笑い話にもなりはしない。 
 子供の頃は後に来る痛みより、目先の楽しさにつられて1日中泳ぎ回って酷い目にあっていたけれど、さすがに中学生にもなると自分の肌と体質について考えるようになり、それ以降は夏場でも長袖を着るようになった。だから高校生の頃はまだ暑い時期に行われる体育祭などで浮いてしまったけれど、あだ名が『ヴァンプ』になったから、それはそれで悪くない気分だった。 

 

 

 姉さんは陽に弱くはない上に賢い人だったから、ある程度に海に入っていると時間を見て海から上がり、海の家に入って日焼けを避けていた。そしてそこで作られる砂の混じった焼きそばや、謎の白身魚の入った海鮮丼を美味しそうに食べるのだ。 

 そしてその海鮮丼を食べていた少女は成長し、麦わら帽子を深くかぶり、肌を一切見せないように長袖にロングスカートに身を包みながら、そっと夕日の沈む海を眺めていた。 



 姉さんが出て行ったのは日は大騒ぎだった。母さんはたいそう頭に血が上ったらしく、姉さんの使っていた皿が割れ、窓ガラスが割れ、包丁が空を飛んだ。さすがにここまでの暴れっぷりを見たら僕も父さんも止めに入らざるを得ず、2人して母さんを抱きとめている間に姉さんは家を出て行ったのである。 

 もちろん皿や包丁は姉さんや人に向けたものではなかったけれど、その後始末をさせられたのは僕だったから、その日のことはよく覚えている。それから様子を見に来た叔父さんと少しだけ話をした。 
「昔から怒ると手がつけられなかったからね……おにいさんもよくこんな人と結婚を決めたもんだと、当時から不思議だったよ」 
 呑気に割れた窓ガラスにダンボールとガムテープで応急処置をしながら、そんなことを呟いていた。あんな人と昔から同じ家で過ごしていたのに、よくこれだけ飄々とした性格になったもんだと告げたら、叔父さんは笑って「それはお前も同じだろ」と言った。 

「あれでもだいぶ落ち着いたんだよ。おにいさんと結婚して、それからはあまりこういうことをはしなかったと思うけれど」 
「……母さんと姉さんはいつもこんな感じだよ」 
「血だろうねぇ。うちの家系は男は大人しいのに、女は暴れ馬と来たもんだ。そういや、母さん……死んだ婆ちゃんもそうだったな」 

 フンフンと鼻歌交じりに作業をするこの叔父さんを、僕はそれなりに好きだった。もう四十を越えているのに独身で、そもそも女性と付き合ったことがあるのかないのかもわからないどころか、海の家以外の仕事を本当にしているのかわからないくらい生活感のない人だったけれど、それが子供の僕にとってはとても魅力的に見えたのも事実だ。 
 爺ちゃんの財産を食いつぶし、うちの家に百万円の借金がなければ多分父さんも母さんも何も言わないのだろう。呆けた爺ちゃんの世話を最後までしてくれたから、親戚の誰もが怒るに怒れないけれど、内心呆れているのは息子である僕にはよくわかった。 




 姉さんが帰ってきたのは、まだまだ暑くならないね、今年の海の家はまずいかもしれないな、と叔父さんと話していた日のことである。 
 親と大ゲンカをしてまで飛び出していったのが去年の暮れだから、意外と早く帰ってきたなぁなんて僕もお叔父さんも呑気なことを考えていた。 
「これで賭けは俺の勝ちだ」 
 叔父さんはケラケラ笑いながら答えた。 
「どうしてわかったのさ? あれだけの剣幕だったのに……」 
「血のつながりってお前が思う以上に強いものだよ。最後に頼るのは肉親だけだし、帰ってくるぶんには気楽なもんさ」 
 さすがに借金の頼み込みで何度も怪訝な顔をされてきた男は違う。それだけ厄介者扱いをされながら、こうして僕と将棋を指していることを思えば、叔父のいうことも正しいのだろう。 


「お帰り。母さんはまだ帰ってきてないよ」 
 出迎えた僕と叔父に対して、出ていった時とそう変わらない量の荷物を抱えながら、姉さんはじっと俯いたままこちらに顔を上げなかった。 
 僕には何があったのかまるでわからなかったけれど、あの喧嘩の原因が関係していることくらいは想像しなくてもすぐにわかった。叔父さんは何も言わずに「さて、上がりなよ」とさも自分の家かのように告げた。 

 姉を先にリビングへと上げると、僕にそっと肩を置く。 
「とりあえず、何もきくんじゃないぞ。黙っていろよ」 
「……きかないよ、子供じゃないんだからさ」 
「大学生はまだまだ子供だぞ、少なくとも、俺の半分の年しかないんだからな」 
 ケケっと声を上げながらそっと叔父さんはリビングへと戻り、僕に「お前の番だぞ」と声をかけた。 
 結局僕と叔父さんはそのまま将棋を指し続け、勝ったのは僕だった。これで通算成績で37勝50敗、20連勝目を記録したことになる。 



 親と姉さんの話し合いのことは、僕はあまり知らない。 
 その日の夜に母さんより先に帰ってきた父さんも僕たちと同じように黙っていたし、むしろ姉さんがどうこうというよりも、母さんが帰ってきた後のことを考えて戦々恐々としていた。とりあえず男三人でハサミと包丁を隠し、窓ガラスの近くに新聞紙を敷き詰めて、棚という棚にガムテープで補強をした。 
 そして母さんが帰ってきたその時、僕たちの元に電撃が流れたが、その発信源である母さんは、女物の靴が玄関にあるところを見ると「……そう」と出迎えた僕たちの緊張をよそにそっとリビングへ向かうと、その俯いた姿を見るや否や、「お帰り」とつぶやいた。 
 そのまま目に涙を浮かべたまま、母さんの胸の中に飛び込むと、近所いっぱいに響き渡るような大きな声で泣いた。 

「お前も俺の胸で泣くか?」 
 どうしていいかわからずにそんなことを呟いた父さんに「死んでも嫌だね」と告げて、僕と叔父さんは駅前の酒場に呑みに出かけ、賭けに負けたために飲み代を全て払うハメになった。 


 あれからそれなりの月日がすぎたけれども、姉さんも母さんも何も変わらずに日々を過ごしている。違いがあるとすれば食器が新しくなったことだけだった。 
「今日はダメだわ、客がこない」 
 短パン、アロハに麦わら帽子と、いかにも怪しい風貌の叔父さんが海の家から近づいてきた。どうやら陽に弱い体質は、父からの遺伝らしい。といっても、父は陽に焼けても大丈夫だし、父方の爺ちゃんは同じような体質だったらしいけれど既にこちらも亡くなっているので、結局家族で陽に弱いのは一人だけだった。 

「しかしまあ、昨日今日とこれだと、このシーズンは辛いなぁ」 
 夏の暑さを取りまどしたのが8月に入ってからだったが、そこからはなんとか例年以上の稼ぎがあったけれども、7月の冷夏の損失を取り戻せるほどではなかった。ここから稼ぎたいのは山々だが、台風が来てしまうともうどうしようも無い。 

「ほれ、これでも食べな」 
 叔父さんが持ってきたのは近くの漁港に入荷していた、北海道産の生イクラがのったイクラ丼だった。海の家なんだから海産物を入れようぜと言って、時々市場に出向いては、魚介類を買ってきて海鮮丼を作るのだ。原価の安い粉もんとか焼きそばを使えばいいのに、と何度言っても「これが売りなんだから仕方ないだろう」と言ってまた買い出しに行く。だったら、せめて地元の魚を使えばいいのに。 

「今日いっぱいで食べないとダメになるからよ」 
 お店で食べると漱石が何枚飛ぶのだろうと思うほどにイクラがのったその丼を、姉さんはそっと受け取る。帰ってきてからの姉さんは日に日にやつれていき、元々肉つきがいいとは言えない体が、さらに細くなって骨と皮しかないような有様だった。 
「あれ、僕の分はないの?」 
「お前はラーメンか焼きそばで十分だろ。中にしなびたキャベツがあるから、それを使っていいぞ」 
「いやいやいや、それはないでしょう、商売人だからちゃんとしたものを……」 
「お前相手に商売をしたことがあるか」 

 そんな不毛な会話の横を、クス、という声が響く。 
 僕たちが姉さんをちらりと見ると、そっと顔を落としながら、肩がゆっくりと震えていた。 
「姉さ……」 
 そう声をかけようとしたところで、ぐっと肩を掴まれる。珍しく真面目な顔の叔父さんが、首を横に振った。 



 夕日は既に水平線の向こう側に沈み、真っ赤に染まった空も闇夜の中に消えていく。僕たちの周囲に響き渡るのは静かに鳴る波の音と、遠く、空の向こうから吹く柔らかな夏の風だけで、潮の香りが子供の頃と変わらずに鼻孔を擽っていく。 
 真っ白とは言いがたく、花火の跡やペットボトルが埋まった砂浜は、それでも全てのものを流してしまうような気がしていた。きっと、それは砂浜のゴミだけではないのだろう。 
 誰もいない中で、嗚咽が二つまじる。ふと叔父さんをちらりと見ると、麦わら帽子を深く被り、海の向こうを見つめていた。きっと潮が目に入ったのだろう。台風が過ぎた後だから、この風も潮をいつもより多く含んでいるのだ。 


 真っ赤に染まった夕日が水平線の奥へと沈み、周囲は闇に包まれた。 
 僕が空を見上げると、小さな星が流れたような気がした。 


  了

 

 

 

あとがき

 

 こちらはつい最近、ここ二ヶ月以内に『海』『夕日』『胎児』という三題噺のお題を頂戴して書いた作品となっています。

 結構いろいろなメタファーを内包しており、読み取り方は人それぞれ、というのを目指して書いてみました。

 ここ最近はブログに短編小説をアップできていませんが、時々思い出したように色々と書いてはアップしていきますので、こちらも読んでいただけるとありがたいです。

 

 

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