今回は豪華俳優陣が送る、邦画のお仕事もの映画の感想です!
これだけのキャストが勢ぞろいすることなんて、そうそうないよなぁ
カエルくん(以下カエル)
「特に、現代のお仕事ものでは人気の高い池井戸潤が原作を務めた作品となっています!」
主
「実は池井戸潤原作作品は初めてなので、ちょっと楽しみでもある」
カエル「テレビドラマを見ていないと、案外チェックできないかもね……昨年の『空飛ぶタイヤ』も結局映画館に観に行かなかったし」
主「最近は若手イケメン俳優の目白押しな作品が多いけれど、本作は苦み走ったおじさんたちが多い作品になっているから、そこが楽しみだな。
では、早速ですが感想記事のスタートです!」
感想
では、Twitterの短評からのスタートです
#七つの会議
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年2月1日
豪華俳優による壮大な茶番劇
面白いかもしれないがこれを映画と呼ぶことには抵抗がある
テレビドラマのメソッドをそのまま映画に持ってきただけではうまくいかないことを証明した一作
ただ役者陣の演技は面白いので物語としては楽しむ余地は大いにあるが…端的に言ってどうでもいい映画 pic.twitter.com/wBAN9IuGLS
厳しいことを言っているようですが、これは評価が割れる作品だと思います
カエル「色々語っているけれどさ、面白かったことは認めている訳じゃない?
客観的に……というのは難しいだろうけれど、どんな評価になるの?」
主「おそらく、世間一般の評判はそこまで悪くないものになるんじゃないかな?
映画好きとしては”ドラマ邦画”ってあまりいい印象があまりないというのが本音なんだけれど、そのようなテレビドラマのような作品の中ではレベルが高いと言える。それは演出がどうこういうよりも、それだけ面白い物語や、キャラクター性を用意することができている。
だけれど、自分は本作を”映画”として評価は一切したくない」
カエル「う〜ん……その理由は?」
主「映画って何か? というのは色々な意見があると思う。自分も明確な答えがないし、テレビドラマと映画の違いは何か? と聞かれたら、それについて腑に落ちる回答はできない。
だけれど、本作は映画ではないと自分は断言してしまう。
それは予定調和な物語であったり、モノローグを多用して登場人物の心情や行動について詳しく紹介する場面であったりと、映画としては受け入れられない部分があった。
映像芸術としての映画ならば、映像で語って欲しいという思いがあるけれども、本作はそのような要素は一切ない。
言うなれば”1800円払って豪華なスペシャルドラマを観に行く”レベルの作品だと言ってしまう」
カエル「う〜ん……納得できるような、できないような……」
主「あとは、単純に自分がこの手の物語に感情移入ができないというのもあるかもしれない。
組織論やお仕事論のお話でもあるけれど、自分は組織というものにそこまで思い入れもない。嫌なら組織を出ればいいし、居たいなら残ればいい。もちろん、そんな簡単なものではないだろうけれど……元々、組織内の出世などにも興味がないので、今作が描いたことに興味が一切ない。
その意味では、現代の若者に向けられた映画というよりも、ある程度以上の年齢を重ねた人向けの映画と言えるかもしれないね」
大人向けの”なろう系”主人公
だけれど、面白いことは認めているし、褒めるところはちゃんとあるんでしょ?
キャラクターものの王道のメソッドに沿った作品とも言えるかな
カエル「キャラクターものの王道のメソッド?」
主「そうだなぁ、本作のキャラクター像って水戸黄門とか、あとは暴れん坊将軍のようなオーソドックスな時代劇と言えるかもしれない。
もしくは、今のネット小説界やライトノベル業界を席巻するに”なろう小説”に近いと言えるかな」
カエル「え? その系統って繋がるの?」
主「本作の評価は王道と見るかありきたりな予定調和と見るかで評価が別れるかもしれない。
何度も語るけれど、物語には大きく分けて3要素がある訳だ」
- 世界観(設定)
- キャラクター
- 展開
カエル「今作で言えば”現代の企業内のドラマ”という世界観(設定)
一癖あるぐうたら社員などのキャラクター性
ぐうたら社員に歯向かった者が次々いなくなり、裏で色々あるという展開だね」
主「特に近年ではキャラクター性が重視されているけれど、今作は”人間=人物”というよりも、キャラクターの魅せ方を重視した物語なんだ。
つまり人間の持つ奥深い、ある種の矛盾したような一言では表せない人間性などを表現するのではなく、あくまでも物語を動かすためのキャラクター達の強烈な個性で魅せて行く物語だ。
だから、万人が観てもとてもわかりやすい物語になっている。
このような作品は基本的な型が決まっている部分があるんだよ。
一言で表せば”昼行灯でぐうたら主人公が実はヒーローもの”とでもいうのかな」
カエル「一見どこにでもいる、普通よりも少し抜けた印象の人物が実は……というタイプの物語だね」
主「本作もそのメソッドを使っていて、かなりオーソドックスでわかりやすい物語になっている。
そしてこのキャラクター設定は今の”なろう系小説”であったり、無双系の主人公にも多い。
一見すると頼りなさそうで何の役にも立たなさそうだけれど、実は作中最強系のキャラクターという意味でね。
なろう系主人公というと若者むけ、あるいはオタク向けな印象があるかもしれないけれど、本作はその傾向を大人向け”風”に現代”風”に描いただけで、本質的には同じものがある」
カエル「つまり、一見して大人向けというようだけれど、やっていることはなろう小説とかと同じってこと?
……なんか、手厳しくない?」
主「だけれど、なろう系小説が人気を集めるように、やはりこの手の作品はわかりやすくて面白いんだよ。
その意味では本作も娯楽としてわかりやすく、万人に届く物語には仕上がっている。ただし、映画としての新たなる境地への挑戦、あるいは物語としての複雑怪奇な魅力はほとんどない。
まとめると……”シンプルで手垢のついた物語だが、だからこそ面白い作品”と言える訳だ」
役者について
今作は豪華な役者陣が話題でもあります!
いい役者ばかりだけれど、こちらも演技が一辺倒な印象だな
カエル「この豪華俳優陣を捕まえて『下手だ!』というの?」
主「いやいや、下手とは言わないよ?
ただ、あくまでも”人間”を演じるのではなく”キャラクター”を演じるだけであり、そこに本来の人間の持つ深みなどは一切ない。
でも、逆に言えばそんなものを関係なく娯楽映画として面白いキャラクターを演じることに特化しているからこそ、今作はきちんと面白くなった」
カエル「はぁ……?」
主「例えば主人公の八角を演じた野村萬斎は、見事な存在感を発揮している。彼の発声は舞台、特に古典芸能独特のものであり、演技も見得を切ったり、所々できっちりと決める。
それはドラマや映画の演技というよりも、演劇の演技である。
特に序盤の……同じく古典芸能である歌舞伎役者の香川照之や、片岡愛之助との対立は特に演劇の雰囲気を感じさせた。人によっては顔芸というだろうけれど、あれは”決め”ているだよ」
カエル「ワンピースで例える所の”ドン!”というやつ?」
主「そうそう。
お客さんにはとてもわかりやすく、だからこそとても深い世界。
”単純で下手”って言っているわけではないよ?
この作品の演技は間違いなくうまい。
ただし、それは物語に沿うようにキャラクターとしての、善人なら善人、悪人ならば悪人というようなわかりやすい演技だ。
話し方だけじゃない、体の隅々までの動かし方、歩き方から息の吸い方まで全て野村萬斎は計算している。そしてそれにこの映画の多くの役者は答えているんだ」
カエル「えっと……やっぱり絶賛なの?」
主「ここは映画としての評価が難しいんだよ。
最近だと『映画刀剣乱舞』で舞台を多く演じている役者の鈴木拡樹を絶賛したけれど、あの演技も舞台役者の演技であり、特殊な時代劇である刀剣乱舞には見事にはまっていたけれど、これが一般的な映画ならばどうなったかはわからない。
その強い癖が個性となる場合もあるし、邪魔になる場合もあるからね。
だから賛否で言えば間違いなく賛だし、この映画には見事に合っている。
でも、これが映画として認められるかというと……それは疑問」
カエル「じゃあ、他の役者については?」
主「基本的に文句なし。及川光博も情けなくも芯のある男性の”キャラクター”を演じていたと言えるし、ベテラン俳優陣は絶賛。
みんなそれぞれの”キャラクター”を演じていた。
特に藤森慎吾なんて、チャラ男のキャラクターを見事に活かしていたじゃない? その点でも絶賛」
以下ネタバレあり
作品考察
わかりやすい物語
では、ここからはネタバレありで語っていきます
なんども語るように、大変わかりやすくて単純で面白い作品だよ
主「まず、この手の物語には大きな流れがある。
簡単に語れば、以下のようになる」
緊迫の現場に昼行灯の主人公が登場
↓
何らかの事件、疑惑が発生。その中心に昼行燈がいる
↓
脇役が調査をすると大きな事件が発覚
↓
正義の味方として卓越した能力を駆使して戦い昼行燈からヒーローへ
↓
巨悪との対峙
↓
世直し成功、再び昼行燈へ
カエル「……あ、なんか時代劇とか色々な作品でよくみる流れかも」
主「物語を作る人はこのメソッドを流用するとある程度面白い物語が作れるのではないでしょうか?
まあ、知っているのと使いこなせるのはまた別のお話なんですが。
そして、今作はとてつもなくわかりやすくこの流れをやってくれる」
カエル「途中で八角がとてもいい人だとわかる流れもあったし、典型的なテレビドラマのようなヒーローだよね……」
主「今作の物語のテーマは”利益追求主義による、倫理観の欠如の問題”だと言えるだろう。
だけれど、この問題は本当に根深く描くならば……倫理観を重視した結果、業績が悪化し何百人、何千人という人々が解雇などの路頭に迷うことになる、なども描く必要がある。
でも、本作はそのようなことは一切描かない。
”利益追求によってないがしろにされる人命=資本主義における不正の断罪”という、勧善懲悪の物語だけなんだ。
この極めて単純化された物語に辟易する一方で、ここまでシンプルだからこそ面白いという面もあるわけだ」
ハッタリを効かせて魅せる演出
その単純な物語を補強するのが顔のアップなどの演出なんだね……
すごくわかりやすい画面作りだったでしょ?
主「この映画の映像としてのミソは豪華絢爛な場であったり、ベテランを中心とした豪華役者の演技によってハッタリを効かせているんだよ。
あんな御前会議なんてやっている会社なんてどこにもないだろうけれど、わかりやすくハッタリを効かせている。
自分に言わせてもらえば、この作品はファンタジーなんです。
決して現代のお仕事ものだからといって、リアルな作品ではない。むしろその逆で、時代劇と同じようなもの。実際に江戸時代などで水戸黄門や暴れん坊将軍のようなことがあったとは誰も思わないだろうけれど、あんなお侍さんやお上の世直しがあったら面白いなぁ……という観客が想像するのと一緒なの」
カエル「確かにその手の時代劇を”史実に沿ったリアルな作品だ!”と称する人はそうそういないよね/
本作も同じようなものなわけかぁ……」
主「昔から”初めて来た土地でも劇場と教会はどこにあるかわかる”と言われている。これはこの2つの場所が現実とは違う世界に誘うために、立派に作られていることが多く、建物からして他とは意匠が全く違うからだ。
自分はこれをハッタリを効かせていると称するけれど、その意味では本作も本当に、この映画は舞台的な映画と言えるんじゃないかな?
豪華絢爛な舞台と役者と派手な演出で観客を力技で作品世界に引き込んでいるんだ」
仕事以外にない人たち〜現代の若者に通じるのか?〜
今作で気になったのは、この人たちって仕事以外に何もないんだね……
自分が全く共感できなかった理由がここにある
カエル「まあ、映画業界関係者でも何でもないのに、映画の感想などを綴るブログを毎週更新しているだけで、奇特な人間と言えるのかもね」
主「自分は別にエリートでもないし、今勤めている会社の社長になんて絶対になれない人間です。なる気もないし、何ならノルマなんてどうでもいいとすら思っている。
とりあえず仕事にいって、適当に作業をこなして、定時になったら帰る。
そして休日には映画などを観て、ブログ書いて、たまに配信などをして……という生活で十分満足な人間です。
そんな人間には出世欲に燃えるキャラクターたちの気持ちなんて一切わからない。
そして、不正を知ったところで”まあ、会社や社会なんてそんなもんかぁ”と思って告発なんてしない人間です」
カエル「そう言うと最低のようだけれど、でも多くの人がその立ち位置だとは思うんだよねぇ。
企業は儲けるのが大事とはいえ、あのノルマ主義は理解できなかったなぁ……」
主「この映画もそうだけれど、結局出世したり、稼いだりして何がしたいのかって一切わからないんですよ。
不正までやって何がしたいのか? それは一切見えてこない……
昔は企業内で出征するのは万人共通の目的だった。
お金は誰だって欲しいものだった。
でも、現代社会ではそれは共通の目的とは言えなくなってきている。不正までして稼ごう、残業をたくさんして、会社に貢献して出世しよう、そんなことを思う人は昔よりは減り、今はワークライフバランスや働き方改革が叫ばれる時代となった。
今作は旧来の価値観が理解出来る層にしか受けないんじゃないかな?」
カエル「結局、家族や趣味なども一切出てこなかったかもんね……」
主「現代の”ほどほどに仕事して、定時に帰りたい”という若者には理解できない作品だと思う。
ここまでパワハラな職場ならば、会社を辞めればいいじゃん。
それで万事解決だし。
八角も20年間もあの企業に居続けた意味が一切わからなかったし、何で昼行燈でありつづけたのかもわからない。
ほどほどに仕事すればいいじゃん。
極端すぎるし、離婚するまでの理由は一切わからなかった」
カエル「う〜ん……この辺りは相性もあるだろうけれど、時代の流れとも言えるのかなぁ」
映画に何を望むのか?
結局、最後は”映画とは何か?”という話になるんだね
なんか、本作の最後の最後の展開にチャップリンを思い出したんだよ
主「自分はチャップリンが大好きだけれど『独裁者』などの作品には疑問符がある。
あのラストの演説を果たして認めていいのだろうか? という思いがあるんだ」
カエル「え? 映画史上に残る、見事な名シーンじゃない」
主「もちろん、チャップリンの主張には共感する部分があるし、そこに政治的な思惑があって反対するという話ではない。
だけれど……あの終盤の展開に関して、果たして”映画”として認めていいのだろうか? という思いがどうしても拭えない。
本来はあのようなメッセージは映像で捉えて、観客に主張するのが映画なのではないか? という疑問だ」
カエル「つまり、演説シーンは余計だと?」
主「そうだね。わかりやすく本作のテーマを語ったのかもしれないけれど、あそこで語る内容を映像に捉えることが”映画”なのではないか?
個人の主張や演説をそのまま流すのが、果たして映画として認めていいのだろうか?
今作は映画として、映像で捉えたメッセージというものはスカスカなんだ。
全てセリフで、登場人物たちが魅力的な演技で説明してくれる。
だけれど、この先に何か特別なものがあるとどうしても思えない……
それが本作に対する、最大の疑問かなぁ」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 旧来のキャラクター像や勧善懲悪な物語に賛否は割れる?
- 役者陣は熱演も、あくまでもキャラクターに対する演技に
- 本作のテーマは立派も、これを映画として認めていいのか疑問がある
悪い作品ではないし、面白いけれどね
カエル「最後の”映画とは何か”なんてそれこそ人によってはどうでもいいお話だしね。これが映画だ、と言われたら、まあそうですよねぇ……としか言えないし」
主「直木賞作家の桜庭一樹がとてもいいことを言っていてさ。
『一言では言葉にできない感情を表現するのが小説だと思っている』と語っていたけれど、それに同意する。
その意味では本作は”一言で表現できる感情”に溢れている作品なんだよ。だからこそとてもわかりやすく、エンタメとしても面白い。
でも、それだけ。人間の奥深さに迫ることはない。
そこが自分が求めるものと決定的に違っていて、テレビドラマをあまり観ない理由の1つがここにはあったなぁ……という印象かなぁ」