今回は『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』の感想記事になります!
MCU作品の感想といきましょうか
カエルくん(以下カエル)
なんだか久々な気がするねぇ……スパイダーマンも扱っているけれど、あれはMCUでもあり、ソニー作品でもあるから、ちょっと特殊だし
主
久々に禁を破ってみようかと思う
カエル「そしたら、早速ですが記事のスタートです!」
この記事が面白かったり、感想があればTweet、ブックマークをお願いします!
- 今記事の簡単なまとめ
- 全体的な感想 → 映像表現が良い! 物語性は△
- 良かった点 → マルチバース&魔術を使った映像表現
- 今作の疑問点 → 物語面にいろいろと思うところが…
感想
それでは、Twitterの短評からスタートです!
ドクターストレンジ2観ました
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2022年5月4日
サムライミらしいホラー演出に加えてMCU、特にストレンジらしい魔術バトルが繰り広げられてましたね
特に音楽に関するバトルなどはなるほどなぁとうなづきました
MCUやアメコミファンにはサプライズも多くてドラマも含めた過去作を知るとより楽しめるのでしょうね! pic.twitter.com/HSW0X0a9QP
なるほど、これは大作だったね
カエル「いやー、さすがの大作だったよね!
多分、このようなマルチバースを用いた空間的な表現というのは、ドクター・ストレンジでしかできないのではないでしょうか?
魔術描写も含めて、とてもレベルの高い、CGのレベルも上がった現代だからこそできるような表現が盛りだくさんだったね!」
主「それこそ、一昔前ならばアニメでしか……いや、アニメでも表現ができないような映像が盛りだくさんの作品だ。
その意味では、現代の最先端をいく作品の1つなのは間違いない。
それこそアカデミー賞のノミネートは間違いなし、受賞もありうるレベルなのではないでしょうか」
これだけの映像を楽しめるというのは、かなりリッチなことでもあるよね!
その意味では、是非とも劇場で観てほしい作品の1つだろう
カエル「今ではディズニープラスで数ヶ月待つとすぐに公開されていますが、それを待つのは勿体無いようにも感じてしまうね」
主「今回はサム・ライミが監督を務めている。
サム・ライミは『スパイダーマン』シリーズの監督も務めているが、本来はホラーの分野が強い人だ。それでいうと、今までこの手の大作映画ではなかなかできなかった、ホラー的な演出も数多く飛び出しており、それが面白くもある。
もちろん、子どもでも観れるように加減されているけれどね。
その目線で見ても驚きがある作品なのは間違いないだろう」
特徴的な映像表現
この映像表現について、もう少し語っていきましょうか
いろいろと面白いところが多かったね
カエル「やっぱり、映画って映像表現がとても重要だと思うけれど、ドクター・ストレンジって身体的なアクション……つまりキャプテン・アメリカみたいな肉弾戦とかが少ないタイプの映画じゃない?
それでも、魔術を使った戦闘描写が見応えがあったね!」
主「特に中盤にある音楽にちなんだ戦闘に関しては、面白かったな。
あれは想像したことないような、なるほど、となるような面白みがあった。
今回はヴィランも単純な肉体的強さを発揮するタイプではないからこその、面白さが感じられたかな。
しかも敵が人型タイプなんだけれど、それもあって冒頭では巨大な敵と戦うことでドクター・ストレンジの強さを見せつけるのも良かった。
そういった、単純に大きいとか、力が強いタイプでは絶対にストレンジには勝てないということを描いていたから、ドクター・ストレンジというキャラクター&作品の方向性をしっかりと提示してくれていたと思うよ」
ストレンジらしい空間的な映像表現が炸裂!
それから、マルチバースだからこその異世界表現も良かったね
中には驚きのパターンも色々と飛び出したな
カエル「今のMCUを語るポイントの1つとしてマルチバースがあるのは間違いないけれど、マルチバースだからこその映像表現がたくさん見受けられたね!
特にペンキの世界だったり、あるいはアメコミの世界とか、その世界観の広がりがとても良かったね!」
主「単純に世界が変わるだけでなく、表現形式も変わるというのは映像として面白かったのではないだろうか。
もしかしたら……それこそ実写を離れて、カートゥーンやアメコミアニメのMCUとかも生まれるのかもしれない。あ、『ホワット、イフ』がそうか。
そういった世界観の広がりについても、今後注目していきたいね」
また、今作のホラー表現も飛び出していました!
特に後半だよねぇ〜
カエル「これはネタバレになるので、あまり多くは明かしませんが、後半にはあるホラー表現があり、それがサム・ライミも好きだなぁ〜となること間違いなしです!」
主「今回は前作の監督を務めた、スコット・デリクソンからサム・ライミに途中で変更されていますが、それでもサム・ライミ感を強く思うような作品だった。
途中から入ったのに、これだけ強く監督の作家性を発揮するのは、とても難しいのではないだろうか。
サム・ライミが好きな人は是非とも観てほしい作品に仕上がっているな」
以下ネタバレあり
疑問点
疑問点① 予習必須の物語
ではでは、ここからはさらに深くネタバレありで、色々と考えていきましょうか
映画の出来以前のことが、どうしても頭をよぎってしまったよね
カエル「MCUはディズニープラスで公開されているドラマ版を追いかけるほど、熱心なファンが多い作品でもあることは、すでに知られているでしょう。
特に今作を理解するには『ワンダヴィジョン』の視聴は……もう、これ、必須といってもいいよね?」
ちょっと、この映画を楽しむにはハードルが高すぎるよねぇ
主「最近、よく考えているんだけれど……もうMCUに今から入門するって可能なの?
映画だけでも本作で28作目? だと思うけれど、この数を追うだけでも大変。さらにドラマ版も追うというのは、もうよほどのファンじゃないとできないよね。
もちろん日本でも『男はつらいよ』とか、あるいは『ドラえもん』などのたくさん本数があるシリーズはあるけれど、基本は1作完結。しかもどこから入門しても、基本設定が理解できていればOK。
その中で……正直、なぜワンダがああなってしまったのかは、ドラマ版まで追っていない自分には分かりづらかったし、とてもハードルを感じてしまったのも事実かな」
ワンダもヒーロー陣営だっただけに、闇堕ち展開に少し残念な気持ちも……
疑問点② 何が正義で何が悪なのかが、分かりづらい
次の疑問点は『正義と悪』について、ということですが……
これもイマイチピンときてなくて……今回のドクター・ストレンジの行動の、何が正義だったの?
カエル「え〜っと……物語を飲み込めていない部分もあると思いますが、基本は別のワンダ/スカーレット・ウィッチの暴走を止めようとしていたよね?」
主「ドラマ版を観ていないので、なぜワンダがそうなったのかもわからないけれど、要は多次元世界のどこかにいる自分の子どもに会いたい! ということだよね?
そしてストレンジはそれを止めるという。
なんかそれがイマイチよくわからなくて……どっちが正義で、どっちが悪とも言えないよね、とは思うんだよ。
しかも、相変わらずストレンジ先生は横柄で独断するから、なんでそういう結論になるのかが、自分には伝わってこなかった。
しかも、それを止めるためにアメリカ・チャベスの力を奪おうとしていたのは、同じなわけで。
最後にチャベスの力を奪うのを阻止したから、だからストレンジはヒーローなんだ! と言われても……それまで多くの敵を葬ってきて、最後に少女1人を救ったからヒーローというのも、なんだかなぁって。
今作は、何が正義で何が悪なのか、という善悪の境界線がすごく弱かった気がする。
これはヴィラン側も、本来は正義ということもあるのかもね」
疑問点③ マルチバースの難しさ
ここは、うちでは何度もいってきていることかもしれませんね
マルチバースを扱うのって、本当に難しいと感じているよ
カエル「今回もマルチバースだからこそできる表現が色々とありましたが……」
主「ここも物語の分かりづらさに拍車をかけていると思う。
結局、マルチバースと魔術って”なんでもできる”って意味なんだよね。
本来、物語とは1+1=2という論理で成立しているとする。だから映画の中でも、その論理が適用される。
つまり制限が必要なんだ。
一方でマルチバースと魔術は1+1=3にも、1×0=100にもなる。
なぜならば”マルチバースと魔術ならばそれは可能”という説明になるからだ。
それは……物語的には、なんでもありになってしまう」
例えば魔術でサノスを別の並行宇宙に送ってくれ!というのも可能なのではないか? ということだよね
その制限がないということだから、結局は制作者側の匙加減1つになってしまう
主「すごく作り手には都合がいい設定だと思うんだよね。
制限がないから、なんでもできる。
危機もそれを助ける手段も全部作り放題。
アメリカ・チャベスの力がもっと自由に使えれば、問題もすぐに解決するけれど……それは未熟だからできないという”設定”にすればいいだけだよね。で、その危機から脱するには、その力を扱えるくらいに成長するという”設定”にすればいい。
他にも例えば、作中で出てきたルールで”死者を使うと大変なことになる”とあったけれど、それも魔術で全部OKになってしまう。
『全宇宙の書を消した』とか、それはありなんだねとかさ。
それでいいのかな? って。
結局マルチバースにも、なんらかの制限がなくて、なんでもありになると、全部作者の都合のいいだけの世界になっていないかな? って」
〇〇○を使ったサム・ライミらしさ
まとめるならば、映像表現には色々と面白いところがあったけれど、物語表現にはあまり惹かれなかった、ということになるのかな
ただゾンビをヒーローサイドに使ったのが、サム・ライミらしさということも可能だよね
カエル「あれはすごい発想だよね。
本来ならば敵役になりそうなゾンビを、正義のヒーロー側で使うというのは、発想としても面白かった!」
主「物語の理屈では、正直”ナンジャそりゃ”なんだけれどね。
だったらあの死霊みたいなのを使ってノーリスクみたいな形で使役するのは、ちょっと違和感が大きかった。まあ、あのラストの展開が代償なのかもしれないけれど。
ただ、それを使ったのがサム・ライミだと考えると、確かに納得する部分もあるんだよね」
ふむふむ……
ホラーに救われてきた人だからこその、思いだよね
主「サム・ライミがホラーを愛しているのは、ホラーが苦手な自分でもよく知っているよ。
そしてそれを使い方1つでヒーローの力とすることもできることを示したのは、サム・ライミの作家性ということもできる。
MCUはケヴィン・ファイギの功績がとても大きいけれど、それぞれの監督の作家性が感じられるほどの作品ばかりではなかった。シリーズ作品としては、それで正解だけれどね。
でも今回は明確にサム・ライミの作品に仕上がっている。
しかも、途中から起用されたにもかかわらずにね。
それはとても素晴らしいことだし、その強い作家性にはやっぱり敬意を払いたい。
というか、自分が感じた疑問点はMCUシリーズの物語的な問題点であって、サム・ライミは関係ないし。
その意味で、自分はこの作品は意義があるとも感じているんだ」
最後に
今回は少し辛口な感想になったのかな……
まあ、こういう感想もありますよってことで
カエル「色々な意見があってもいいと思いますので、これもあくまでも1つの思いだと受け止めていただければと思います」
主「コメントが荒れやすいのも、MCUから離れていた理由の1つだからね……
何かコメントがあれば、Twitterなりブックマークでもいいので、そちらでもよろしくお願いします。
なお、コメント欄は承認制になっているので、あまりにも度が過ぎるコメントは承認しません。
これを言わなければいけないほど、MCUの記事はいつも肯定でも否定でも荒れてしまう」
カエル「……なんか、ヒーローを愛する人のための映画がそうなるのは、カルト的な人気になっている印象もあって残念なことだね」
本記事に関連する作品の記事