今週のお題「犬派? 猫派?」
虹色に輝く柔らかな光が白を基調とした部屋と寝ぼけ眼に差し込んできてまぶたの奥の瞳が灼けるように痛みを訴えてくるから、少しだけベットの上をゴロリと身を動かしてシーツの海を泳ぎ回り、なんとか暗闇を探そうと身をよじっているうちに、手が掛け布団を掴んだので一気に頭の上まで覆いかぶせると再び夜の世界へと意識はゆっくりと舟を漕ぎはじめ、そのまま眠りの奥底に潜ろうかと怠惰な気持ちを抱えながら惰眠を貪り始めたその時、鼻腔をくすぐる匂いにいつもと違う違和感を抱えた。
その違和感を何とか探ろうと頭をゆっくりと働かせていくうちに、意識は少しずつ回復してしまい、やがて夜の世界は明けてしまってすっかりと眠気は去ってしまった。
ゆっくりと掛け布団から頭を出すが目はまだ日光の強い光に慣れておらず、まぶたの裏はチカチカと明滅を繰り返すばかりだ。耳をくすぐる聞きなれない鼻歌に、やはり頭は混乱を増すばかりで全く役に立たないし、鼻腔をくすぐる匂いが果たしてどんなものなのか、起きぬけの頭ではまるで判断することができなかった。
「起きた?」
毎日のように学校で聞く、その鈴のようなリンとした声につられるように頭を上げながら、まつ毛が絡み付いて少し抵抗感があるまぶたをゆっくりと開ける。
リノは起きぬけの僕を見やると、おはよう、と声をかけた。
「今日はいい天気だよ」
リノが開けた窓からは春の柔らかな陽気とそよ風が部屋の中を明るく染めてくれる。光が照らすその部屋は、カーテンなどもう何年開けていないかわからないような、暗く湿った僕の部屋とは全く違う。
「ほら、ご飯、作ってみたの」
そう言いながらキッチンへと戻る。テーブルの上にはヨーグルトとサラダが並んでおり、その奥のトースターがジリジリと熱を告げている。先ほどから鼻腔をくすぐっていたこの匂いは、トースターの中で焼けるパンの香ばしさと、湯気が立つカップからたつコーヒーの匂いだろう。
ベッドから起き上がり昨日の夜にコンビニで買っておいたボクサーパンツとシャツを開封し身を包むと、床に転がっている高校指定のチェックのスラックスを履いて洗面台へと向かい、何気なく蛇口を捻ると少し熱めのお湯が出てきて、反射的に手を引っ込めてしまった。
「大丈夫? 熱かった?」
ちょこんと顔をのぞかせたリノがこちらを見つめている。
「ああ、うん、大丈夫」
とりあえず顔を何度か洗い流して、タオルを取ろうと手を伸ばすとリノがそっと手渡してくれた。
「まだ寝ぼけてるの?」
「あ、いや、そうじゃなくてさ……うちの洗面台ってお湯が出てくるまで時間がかかるから、この時期はもう水道代の節約ってことで、水のまま顔を洗うんだよね」
「いつもと違くてびっくりした?」
くすくすとリスのように笑いながら、身を翻して軽い足取りでキッチンへと戻って行った。
顔も洗ってベットへ戻ると携帯に手を伸ばすが、昨日充電をしていなかったためにバッテリーが0%になっており、充電器もコードも持ってこなかったので結局何もすることができない。彼女はスマホで僕はガラケーだから、互換性なんてあるはずもなく、どうせ殆どかかってくることもないからとベットの上に放り投げた。
やることもないので昨日はあまりじっくりと見ることができなかった部屋の中を見渡してみる。床にはJJとViViが転がっていたが、そんなものを開いても何もわからないので手を伸ばすことなくCDケースに目を移した。大塚愛、YUI、mou moon、安藤裕子、クラムボンに混じって置かれているTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやMAN WITH A MISSIONに少し胸がざわついた。
「何か聞く?」
こちらを振り向きもせず尋ねる彼女に、別に、とそっけない言葉を返してしまった。
「音楽はあまり聞かないんだ」
慌てて付け足したような言葉だったが、少しだけ声が震えてしまったのは自分でも情けないと思う。
「あれ、でもこの前話が盛り上がってなかった? ほらなんだっけ、バンドで……」
「夜の本気ダンス? あれはタッツンがオススメしてくれたから、義理で聞いただけだよ」
携帯に音楽なんて一切入れてない人間がそんなに詳しいわけないでしょ、何て言葉を返して何とか誤魔化し、テーブルの前に座って話をそらすことにした。
「そういや、あの写真、何?」
出されたパンを食べながら、僕はテレビの横に立てかけられた写真を指差した。子猫が飼い主の手の中で撫でられている写真だった。
「おじいちゃん家で最近生まれたんだ、かわいいでしょ?」
「……ネコ好きなの?」
「おじいちゃんはね。私はほら、犬派だから。実家でもダックスフンド飼ってたし」
「ダックスフンドって、あの毛がもこもこしたやつ?」
「う〜ん……というよりも、足が短いやつ」
そう言いながら渡してくれた画面には、中学生くらいのリノが足が短いダックスフンドを抱えて笑っている写真が出てきた。
「子供の時から飼っていたけどね、最近死んじゃった。結構長生きした方だったけど」
そう、としか言葉を返すことしかできない。死んでしまったペットについてこれ以上何を話せばいいのか、模範解答があるならば教えて欲しいくらいだった。
「カズくんは犬派?」
「いや、猫派。でも、猫アレルギーだから近づけなくてね」
「あ、そうなんだ……この質問ってさ、好みのタイプ、わかるよね」
好みのタイプ、ねぇ。
僕にしてみれば雑談を交わしている時に1番困るのがこの手の質問だった。何せ生まれてこの方彼女なんてリノしかいないし、他の子に惹かれることはあったとしてもその共通点なんて女であること以外には浮かばなかった。だから、タッツン達と好きなタレントの話をしていても、少し言葉に困ってしまい、結局は男子高校生に人気のタレントランキングの上位の名前を挙げるしか能がなかった。
返事をすることができずサラダのレタスをまとめて口の中に放り込んで咀嚼していると、コーヒーを一口飲んだリノが話し始めた。
「昔ね、小学校の壁新聞に占いコーナーがあったんだ。あなたが好きな動物は何? っていう心理テスト。犬と猫と、爬虫類と魚かな。それでね、わかるのが好きな人のタイプなんだって。カズくんは猫でしょ?」
「そうだね、その4つなら猫かな」
「猫が好きな人はね、自由で好き放題して、世間の常識とか気にしないように見えて、でもちゃんと帰ってくるような風来坊が好きなんだって。どう? 当たってる?」
「まるでリノみたい」
そう? なんて大きなネコ目を細めながら返すリノの顔を見ていられなくて、少しばかり赤くなってしまう。
「で、犬派は?」
「真面目で、ずっと一緒にいてくれるようなタイプだ好きなんだって」
「じゃあ外れだ。僕はそんなタイプじゃない」
「そう? 子犬みたいでかわいいと思うけど」
きっとリノの中では褒めているつもりなのかもしれないが高校生男子がかわいいなんて言われて喜ぶと思ったら大間違いで、多分そんな褒め言葉には1番敏感な時期だから、これがリノじゃなくて他の人に言われていたとしたら多分嫌な感情が顔に出ていただろうけれども、目の前に可愛らしい笑顔が咲いていることを考えれば、褒め言葉とか形容詞とか、未来とか進路とか家とか学校とか戦争とか友達とか、そんなものは全て些細な問題に思えてきた。
「リノ、そろそろ時間だよ。今日は朝練があるんだろ?」
そういうとリノは時計をちらりと見て、早くしないと、なんて呟きながらさっさと準備を始める。昨日あれだけ肌を見せ合って、そういうことをしたにも関わらず、白いシャツからわずかに透ける下着を見るだけで少しドキリとしてしまい、それがわからないようにゆっくりと顔を背けた。
リノはモノの5分もしないうちに、いつもの学校で見る服装に着替え終えて、軽く化粧を施している。あんまり派手にやりすぎると目をつけられるからと、抑えめにしなければいけないらしい。女の抑えめがどんなものなのかは髪も染めたことのない男子生徒にはわからない話だった。
「じゃあ、先に学校に行ってるね」
リノは玄関でカバンを持ちながら僕にそう告げて、鍵をポイっと放り投げた。急に投げられても困るけれども、絶妙なコントロールで僕の手の中に収まった。さすがテニス部。
「ちゃんとコーヒーも飲むんだぞ」
「……苦手なんだ」
「味覚が子供だなぁ」
そんなことを言いながらバイバイと手を振って、スカートを颯爽と翻して勢い良く外に飛び出していくリノを見送った。
僕は一通り食事を終えると、食器を流しに浸け置きにしてシャワーへと向かった。
教室に入ると予鈴の15分前にはまだほとんど人がいなくて、男子の中では1番に到着するのはいつものことだった。朝練が早く切り上がった日はリノもすでに教室にいるのだが、今日はみっちりと練習しているのかまだその姿は見えない。
進級したばかりでまだ違和感のある教室を少し眺めながら席に着いて携帯を取り出すが、電源が入らないことを思い出して再びポケットの中にしまった。リノでもいればその姿を眺めることもできるけれども、今日はまだ姿が見えないから手持ち無沙汰のままだった。
「よう、カズ」
次々と生徒が集まってきて騒がしくなった教室でタッツンが声をかけてきた。
「お、なんだ、朝帰りか? 昨日と服同じだぞ」
「制服なんだから毎日同じだっつうの」
普段バカなことしか言わないくせに、時々こうして鋭いことを言うから少し焦る。タッツンはケラケラと笑いながら自分の席に鞄を置くと、そのまますぐに戻ってきた。
「それより、朝からショッキングな話があるんだが……」
「なんだよ、もったいぶらずに言えよ」
「リノちゃんの首元、凄いらしいぞ」
……こいつは本当は俺たちのことを知っているのではないかと不安になるようなことを言うが、多分何も知らない。リノに恋焦がれて鳴くセミたちがこの学校ではそれなりの数がいるということは、さすがに俺でもよく知っていた。
タッツンはすぐ近くのテニス部の女子に指をさした。その子はニヤニヤと笑いながら、前の席に座る女子とともにこちらに向き直ると、世紀の大スクープを捉えたように話し始めた。
「今日の朝練中さ、後ろから首元を見たら、ジャージの隙間から見えたんだよね」
「……見えたって何が?」
「……でっかいキスマーク」
クスクスと笑う女子二人に対して、話の内容までは教えてもらっていなかったのか、タッツンはオーバーリアクションで大きく天を仰いだ。
「うわー、フジュンイセイコウユウー」
「リノちゃんも真面目そうな顔しておいて、やることやってるんだね」
僕は必死に、勤めて冷静に何でもないと顔色を隠すのに精一杯だったが、タッツンは空気も読めずに「テニス部のアイドルがぁ……」とか「ショックだわぁ」なんて呟いていた。
「なあなあ、カズよ、相手誰だか知ってる?」
……こいつ、本当に何も知らんのか?
「知るかよ」
「テニス部のアイドルじゃん、リノちゃんのファン、めっちゃ多いぞ」
「じゃあその中の誰かじゃねえの? 大体、お前がどうこうできるって話でもないんだろうが」
「そうだけどさぁ……」
そんな会話と同時に鳴り響くチャイムと共に、担任が教室へと入ってきて「出席とるよー」と声を上げた。それと同時に生徒たちは自分の席に戻り、ささやき声が響き渡る。
僕はリノの方をちらりと見たが、角度から首元のマークというのはまるでわからなかった。
まずい、こんなことがあるならば次から自重しないとな、なんて考えながら惚けていたら、いつの間にか始まっていた出席に気がつかずにいた。
「……やま、おーい遠山?」
その声にようやく我に帰った。あまりにも惚けていたからだろうか、クラスの何人かはこちらを眺めていたが、「あ、はい」という返事と共にクスクスと笑いが起きた。担任もクスリと笑いながら出席簿をの名前にレ点を入れる。
「夜更かし?」
「……いえ、そんなことないです」
「学校ではちゃんと勉強しなよ、カズ」
……誰のせいだよ、と言ってやりたかったけれども、言葉が出てこなかった。仕方なく頭を一つ掻くと、しゃあないな、なんて呟きながら担任は点呼を続けた。その毎日聞く鈴のようなリンとした声に、やはり僕はどうしようもなく惹かれてしまう。
僕は再びリノの姿を見る。
壇上で出席をとる、リノの姿を。
了
先週の作品はこちら
毎週金曜日にあげていました短編小説ですが、曜日の変更を行います。
理由は幾つかあります。
●はてなブログのテーマに沿ったものをあげようと思いましたが、木曜日に更新されるために金曜日では創作時間がないこと
●土日を挟んで執筆したい
●木曜、金曜などはブログのネタが豊富な傾向にある
以上の観点から金曜アップはやめます。
少し試行錯誤しながら最適なアップ時期を決めたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。