今回は太宰治を主人公とした映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』の感想になります
……今回はかなりめんどくさい記事になると思うな
カエルくん(以下カエル)
「太宰治と同じ時代に活躍し無頼派として並び称される盟友、坂口安吾に傾倒しているからこそ、太宰も色々と思う部分が出てくるだろうね」
主
「太宰が好きか? と問われると実は特別な思い入れはあまりないけれど……でも桜桃忌(太宰治の誕生日であり遺体が発見された6月19日。三鷹にある禅林寺の太宰・津島家の墓に多くの人が集まり法要が行われている)にも行くくらいにはファンだからさ」
カエル「本当は安吾忌に行きたいけれど2月の新潟は気軽にいけないよねぇ……
坂口安吾が好きな関係で織田作之助、太宰治もそれなりに読んではいるけれど、同じ無頼派でも太宰が特に今でも多くの人に太宰が支持される理由ってどこにあると思う?」
主「死んだ時期が良かったからじゃない?
織田作は5年早かった。
安吾は5年遅かった。
太宰はちょうど作家としてのピークも過ぎたいいタイミングで亡くなったよ。
今でいえば人気歌手が人気のピークでそれっぽい死に方をしたようなものだから、そりゃ伝説になるよね」
カエル「ええ……今回はこんな感じで太宰論を交えながら記事を進めていくことになると思います。
では感想のスタートです!」
作品紹介・あらすじ
終戦直後の時代に人気を博した作家、太宰治の戦後の人生とそれを支えた3人の女たちに迫った映画。
監督は『ヘルタースケルター』『さくらん』などの蜷川実花が独特の映像美の世界へ観客を引き込むほか、脚本は『紙の月』などの早船歌江子、音楽は三宅純が務める。
太宰治役には小栗旬、その妻である津島美智子には宮沢りえ、太宰と最後の時を迎える山崎富栄には二階堂ふみ、代表作の1つである『斜陽』に重要な影響を与える太田静子には二階堂ふみが起用されているほか、成田凌、千葉雄大、高良建吾、藤原竜也などの面々が脇を固める。
1946年、終戦直後の日本で人気作家として活躍していた太宰治は妻である美智子と2人の子供がいながらも、外では小説に重要な影響を与えるであろう太田静子に近づき日記を読みあさり、未亡人である山崎富栄とも関係を持っていた。酒や薬に頼る自堕落な生活を送る姿に、世間は激しい賛否を巻き起こしていたが、その影響もあり酒と薬漬けの日々により徐々に体は衰弱し、やがて病魔に犯されてしまう……
感想
では、Twitterの短評からスタートです!
#映画人間失格
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2019年9月13日
毒々しい色彩などを強調しつつ少女趣味全開の蜷川監督作品
無頼派好きも安吾党からすると「ふぅん…」となる部分も多いもののあの時代を感じさせる言葉遣いなどには納得
文芸映画らしく若干退屈な部分もあるが女性から見た太宰の魅力を垣間見えただけでも意義はあったか pic.twitter.com/O3HDW41hP2
色々と思うところはありますが……蜷川ワールドらしい作品ですな
カエル「まずは太宰云々などを抜きにして映画としての評価と参りましょう」
主「映画の最後に『本作は事実を基にしたフィクションです』ってあるけれど、かなり脚色は入っているように感じた。
ただそれも不誠実とまでは言わないレベルであって、目くじらを立てるほどのものでもないけれどね。
全体としては……蜷川実花が文芸映画を撮ると、まあこうなるよねぇ……という感覚だったかな」
カエル「蜷川作品では今年は『Diner ダイナー』が公開されており、観たけれど記事にはしていないよね?」
主「あんまり語ることがなかったからなぁ……役者陣が良かったのと、父親に対する言及があったけれどその文脈がわからない&思い入れがないと伝われない映画だよなぁ、なんて思ったね。
後はこの監督の特色なのかもしれないけれど……映像自体はファンシーというか独特な魅力に満ちていたけれど、物語そのものは少女趣味なように感じた。
そして今作もそれは同じで……太宰治を取り巻く女たちを描きながらも、実際はかなり少女趣味な作品ではないだろうか?」
カエル「……実際にあったことをモチーフにしているのに少女趣味なの?」
主「見方を変えれば女性の解放運動の一環かもしれない。
でも……各女性が選んだ道の1つ1つの描き方もあるのかなぁ、かなり少女趣味に感じたんよね。
後は、女性から観た太宰の魅力はなんとなく伝わった。
その意味でも意義はある作品かなぁ」
本作の時代背景や登場人物を軽く紹介
事実を元にしている作品でもあるので、時代背景や登場人物について紹介しましょう
ざっくりと紹介していくけれど、必然的にあらすじ紹介にもなるので実際にあったことも知りたくない人は読み飛ばしてください
カエル「まず主人公である太宰治は読んだことがなくても知っている方は多いでしょう、教科書にも載っている文豪です」
主「太宰治は戦中から戦後に活躍した作家であり、代表作は『走れメロス』『人間失格』など多数。特に戦後は時代の寵児として扱われた作家でもある。
美知子とは1939年に結婚、しかしこの時すでになんども自殺未遂などを繰り返したこともあり、仲人の井伏鱒二に結婚を止められかけたが結婚する。
そして1940年ごろに太田静子と知り合ったとされている」
カエル「おぉ……太田静子とも戦前に知り合っていたんだね……」
主「ちなみに作中で誕生する太宰と妻の美知子の間に生まれた子供は、おそらく作家の津島佑子だと思われる。また、太田静子との間に生まれた子供も作家の太田治子だから、血というかなんというか……
1947年に太宰は山崎富栄と知り合い仲を深めていく。そして1948年の6月13日の深夜に玉川上水に入水自殺し、19日に2人が赤い紐で結ばれていたとのを発見される、という顛末だ」
カエル「改めて考えると、相当問題のある人物だよね……」
主「まあねぇ。
ちなみに自分は坂口安吾、織田作之助の無頼派3人衆の関係性や、その文学的な特徴についても紹介したいし、なんなら女性たちの物語よりもそっちの方が面白くて興味津々だけれど、それは今回述べません!」
太宰治について
個人の主観もバリバリに交えながら太宰治について語っていきましょう
ある程度の本好きならば誰でも通る道だよね
カエル「1作も読んだことがないって人に簡単に説明すると、太宰治って何がそんなに魅力的なの?」
主「太宰ファンが口々に語るのが『まるで自分(読者)のことを語っているかのようだ』というほどの没入感のある文章を書くんだよ。
小説家の高橋源一郎は、おそらく現代でも作家が1番真似しているのが太宰治の文章だろう、と語るほどに影響を与えている。
逆にいえば太宰治が苦手な人っていうのは、あの独特の……ダメ人間賛歌とでもいうのかな、あの感覚がわからないんだと思う。
『人間失格』1作を読むだけでも相性がわかるよ。わからない人には全然良さがわからない小説だから」
カエル「……はぁ。それで、小説自体は面白いの?」
主「面白いよ。
当時の娯楽小説だし、今読んでもエンタメとしてある程度は通用する
。それこそ今では純文学の扱いになるかもしれないけれど、笑える作品もあるしそこまで堅苦しくない。
上記のような”共感しやすい文体”だから、ハマったらズルズル行く。
特に本作でも登場する『斜陽』『人間失格』などは日本を代表する作品だし、教養という意味でも読んでおいてそんはないんじゃないかな」
青空文庫ならばタダで読むことができるので、この機会にぜひ
太宰治の人間性について
その人間性についてはどう考えるの?
自分は”ダサい治”って呼びたくなるね
カエル「えっと……ファンの人が怒りそうだから、もうちょっとオブラートに包んでね?」
主「言っておきますが、これはめっちゃ褒めてますよ!
坂口安吾の作品に『不良少年とキリスト』という太宰の死を受けて書いた太宰論があるのだけれど、これがさすがは盟友というべき素晴らしき作品でさ、青空文庫でただで読めるので読んでみてください。
それで、作中では『MC(マイ・コメディアン)』『フツカヨイ』とか独特な言葉が出てくるからわかりづらいけれど、自分の解釈では太宰治って実はすごく真面目な人だと回想しているように書かれている。
だけれど自ら道化を演じようとしており、でも演じきれなかったから酒やドラッグに走り、二日酔いのような酔っ払った状態で暴走してしまう……そんな人間だったのではないか、と書かれている」
カエル「ふむふむ……」
主「で、自分もそれに同意するわけ。
多分太宰治の自殺の真相って”狂言自殺に失敗した”というものだと思う。
つまり、本人は死ぬつもりはなかった、あるいは死ぬと思っていてもそれは一時の気の迷いであり、本心ではなかった。
でも押し切られる形で自殺に付き合わされて、結局そのまま本当に死んでしまった……そんな人」
カエル「……なんか、そう聞くとちょっと間抜けな気がするんだけれど……」
主「だから”ダサい治”なんだよ。
だけれど、そのダサさが可愛らしく見えるのかもしれないし、人間の弱さを的確に表現していた。
だからこそ愛おしい。
この映画を見てもわかるけれど、太宰治はクズなんです。だけれど、クズだからこその魅力がある。道徳的に優れた人や意見にはない力強さがある。
自分は力強く『生きよ、墜ちよ』と語る安吾の方が好きだけれど、太宰の弱さに惹かれる人もよくわかるし、好感を持つ。そういう人なんだよ、太宰治って」
以下ネタバレあり
作品考察
この映画を読み解く上で重要な作品
では、ここからは軽くネタバレありで語っていきましょう
本作で大事なのは『人間失格』ではなく『斜陽』の方なんだ
カエル「劇中でも斜陽はなんども出てくる重要な小説だったよね」
主「本作はタイトルで『人間失格』となっているからそちらを連想するし、まあ間違いだとは言わない。太宰治の晩年の人生に迫っているし、その弱い部分、欠けた人間性について迫る作品でもあるからね。
だけれど、自分は本作で1番重要であり、また監督やスタッフが意識したのは『斜陽』だと考えている」
カエル「1947年に発表され、当時は斜陽族という上流貴族の人々をさす言葉も生まれたほどの影響がありました。
内容は戦後直後に没落貴族になった家族の恋愛や堕落していく姿を描いた物語となっています」
主「斜陽の最後の方の言葉になるのでネタバレもネタバレなんだけれど、これを紹介しないと映画の感想には入れないので触れます」
”けれども、私は、幸福なんですの。私の望み通りに、赤ちゃんができたようでございますの。私は、いま、いっさいを失ったような気がしていますけど、でも、おなかの小さい生命が、私の孤独の微笑のたねになっています。
<中略>
マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。
<中略>
こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます”
カエル「こうやってみると、この映画そのものじゃない……」
主「無頼派に共通するのものとして、既存の道徳や価値観、あるいは権威などを批判しているわけ。
なぜ志賀直哉を批判したのか? というと、もちろん私怨もあるけれど当時の文壇で絶対的な影響力を持っていたからであり、彼らの信じる小説を復興するためには志賀直哉と戦う必要があった。
無頼派3人揃って志賀直哉を罵倒しているからね、自分も”志賀なんて小説家じゃなくて、ただの文章屋だ”という織田作之助の『可能性の文学』に描かれている意見に同意するけれど」
うん、最後の一言はいらなかったね
太宰ってさ、自分がクズで女性を傷つけているという自覚がありながらも、そんな男どもは滅び、子を残した女性たちが残る、ある種の強きものと描いているんだよね。
主「映画内でもあったけれど、子も家族もいらない! と言っていた安吾とは真逆と言ってもいい。まあ、その安吾も最後は押し切られて家庭を持つんですが」
カエル「あれ、じゃあ太宰って結構矛盾しているような……」
主「言っている事や考えていることにどこか矛盾が感じられる。
自堕落なようだし、命を放り投げているようではあるけれど、あと一歩のところで踏みとどまってしまったりね。
映画の冒頭の『あー、死ぬかと思った』なんて、まさしく人間らしい。自殺をしようとして、さらに一緒に心中した相手は死んでいるけれど、自分はのうのうと生き残る。それが人間ですよ。
それが人間の弱さを象徴しているようで、面白いところでもあるんだけれどさ」
本作の”少女趣味”と斜陽
それが監督の少女趣味に感じてしまう部分と関係あるの?
斜陽のラストの言葉を、より強くピックアップしたのがこの映画なんじゃないですかね?
主「監督の作品としては”女性を描く”という事が共通していると言えるのかもしれない。その意味では本作も同じなんだけれど……太宰治を『Diner』とは違うタイプの、ダメンズ側の理想の男性像として投影しているのではないか? というのが自分の考え。
ダメな男の方に惹かれる、というのはおいおいにしてあるわけですよ。
なんで自分みたいな真っ当な人間には誰もチヤホヤしてくれないんだ!」
カエル「うん、自分の魅力がないことを急に怒らないでね」
主「この映画のラストで描かれた3つの女の姿……
- 子供たちと残されても、いつも通りに生きることを選択(洗濯)した美知子
- シングルマザーであっても本を出版し、社会に出ていく静子
- 愛する人と心中することに成功した富栄
これらのラストというのは様々な女の幸せを肯定しているわけだ。
その意味でかなり現代的な物語となっており、女性の話として作られた意義を大きく感じる。
同時に、心中すらも美しく描くのは旧来の価値観……運命の人と愛とともに死す、という価値観もよりきらめく形に変化させていると感じた。
太宰のダメンズの描き方、その恋愛方法、そして心中の描き方……蜷川監督特有の舞台的な演出もあるのかもしれないけれど、この辺りがすごくファンシーで少女趣味、少なくとも自分としてはべた甘すぎて笑っちゃうほどだった。
でも、それが大きな味となっている以上は否定しにくいポイントなのかな」
演出面で気になったポイント
蜷川演出で気になったポイントはどこ?
中盤から終盤にかけての青のペンキと赤の血のシーンかな
カエル「子供たちと一緒に青のペンキを泣きながら塗りたくり、太宰は血を吐きながら顔を真っ赤にしているシーンだね」
主「その前でも『虫がいる!』なんて言って奥さんに構って欲しい太宰なんかもダメンズの魅力が伝わってきたけれど、それに翻弄される家族の苦しみが集約されたシーンに感じた。
青というのは青ざめる、なんて言葉があるように苦しみや悲しみの色であり、家族が置かれている状況。
そして赤がというのは太宰治の表現力であり、命や業の色でもある。
その対比と、何もない雪の白に咲く赤い血の花というのが映画的にも美しかった。
それらの色を全て洗い流し、家中の空気を流すかのようなラストは”なるほど”とうなづいたね」
カエル「色というと花も映えていたよね。
冒頭には死を連想させる真っ赤な彼岸花、中盤には女性的なるものの象徴とされているフジの花が咲き誇るのも、この映画では重要な”女性の象徴”として強調しているのかな」
主「フジには『恋に酔う』や、長い蔓から『絶対に離さない』という花言葉もあるようだから、山崎富栄との関係を深めるシーンで出てきたのはぴったりだったな。
物語の紡ぎ方などに文芸映画らしい退屈な部分もあったけれど、決して悪い作品ではなかったかな。
蜷川演出の羅列はMVなどだったらいいかもしれないけれど、物語を語るには強すぎるような気がしていて……コース料理ならば油が強い料理ばかりを出されているような気分だったから、今回はまだあっさりしていて、いい塩梅だったよ」
まとめ
では、この記事のまとめです!
- 太宰治の終盤の人生を蜷川演出で描く
- 史実を現代的な女性の物語として練り上げている
- 監督の少女趣味? な部分と史実がうまく絡み合う
- 花や色など、映像的な見所も豊富
悪くはないと思います
カエル「ただ、個人的にはもっと安吾を出して欲しかった! などの思いはあんじゃない?」
主「太宰を語る上で坂口安吾と織田作之助って絶対重要な人物じゃん。
むしろ、今作で語られた女性3人よりも作家性の部分では影響を与えているわけだしさ。
しかも三島由紀夫の有名なエピソードを入れたかったのはわかるけれど、それならばもっと出すべきものがあるんじゃないの? という思いはあった。
最後の人間失格の描写に関しても『偉い人を納得させるためにタイトルに入れて、とりあえず消化しますよ』感が満載だった。だったら人間失格の執筆エピソードはないほうがまだまとまりがあったのではないでしょうかね?」
カエル「……もっと傾倒していた5年くらい前だったら読んでられないくらいうるさい記事になったんだろうなぁ……」