キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン
起立、礼、着席
はい、おはようございます
カエルくん(以下カエル)
「えっと……これはなに?」
主
「こらこら、カエルくん。先生には敬語を使うように」
カエル「……敬語?
というか、これいつもと同じ形態じゃ?」
主「今回は夏休みの自由研究を行っていこうと思う。
題材はズバリ『物語文化と社会の関連性』についてだ。
多くの記事に流用する予定だから、きっちりと考えて書いていかないとね」
カエル「……よくわからないですが、記事を始めましょうか」
物語と社会の関係性とは?
前提条件として
では、記事を始める前に抑えておかなければいけないことってなに?
まずは、以下の二点は頭に入れておいてほしい
- 物語表現と社会は密接な関係性がある
- 若者向けの物語は、常に若者の鬱屈を表現している
カエル「えっと……説明をお願いします。
まず、1番はわかりやすいよね。
うちではいつも語っているけれど、その物語が社会の対してどのような影響を持っているのだろうか? ということを考えようということだけれど……」
主「例えば、スターウォーズを考えてみよう。あの作品はただの娯楽作品だろ? と思う人もいるかもしれないけれど、そんな簡単なものじゃない。
神の子に選ばれた特別な騎士=ジェダイの騎士が、悪の独裁的な帝国から宇宙を救うという物語である。
この帝国軍はみんな同じような服装をしている。これは共産主義者であり、またナチスドイツを連想させるような軍服を着ていたりするわけだ。
つまり、スターウォーズは『神に選ばれし、正しい価値観(自由主義)を持つ民が、悪しき価値観(共産主義、帝国主義、社会帝国主義)をくじく』という物語だということもできる」
カエル「アメリカ人の多数がキリスト教のプロテスタントであるからこそ、神を否定するような共産主義者に対して反感を抱き、戦争をしてでも食い止めていた、という解釈だね」
主「最近の日本で言えば『シン・ゴジラ』や『君の名は。』には東日本大震災を連想させるシーンが含まれており、そちらも大ヒットの理由の1つだと自分は考えている。
このように、ヒットする作品や物語と社会情勢は密接な関係にある、という考え方だ。
これがこのシリーズで最も重要な考え方になる」
若者の鬱屈
カエル「次が若者向けの物語は、若者の鬱屈を表現している、ということだけれど……」
主「基本的に若者は現状に満足していないんだよ。
金もない、地位も栄誉も何もない。
あるのは若さだけであり、その価値は若者にはわからない。だからこそ、いつも若者は鬱屈した感情を抱いている」
カエル「……えらい極論じゃない?」
主「世の中って基本的には老人の方が力が強いものなんだよ。
なぜならば、彼らには長年培った権力や資金などがある。老人が作り上げた社会なんだから、老人が強いのが当たり前じゃない。現状の日本だって高齢者政策ばかりが優遇されている、というけれど、そんなの当たり前なの。人数も多いし、それだけの権力を握っているから。
若者の政治無関心というけれど、そもそも数が少ないんだからどうしようもない。
その状況であるうちは若者は不利益をこうむり続ける事になり、それを打開するためには革命を起こすしかない。
そうやって既得権益を打破を模索し、ある時は成功し、ある時は失敗する事になる」
カエル「う~ん……まあ、そういうものなんだろうなぁ」
主「例えば維新志士なども多くは若者だった。もちろん色々と複雑だから全員若者ということはないけれどさ。
今も昔も新しい考えに飛びつくのは若者で、釈迦やムハンマドの教えを熱心に聞いていたのも若者が多かった。悪しき例で言えば、これは後々出てくるけれど学生運動や連合赤軍、オウムの信者も若者が多い。
これは彼らの社会経験の少なさに起因するものもあるけれど、それと同時にそれだけ既存の社会を変えたいという思いの表れとも言える。
そしてそれを支えるのが表現である、というのがこれから語ることだ」
カエル「ふむ……じゃあ、ここから日本の近代史と若者の表現について考えていくのね」
1945年の混乱と無頼派
では、まずは初めに終戦で日本中が混乱した1945年のお話からということだけれど……
ここで語るのはもちろん無頼派についてです!
カエル「まあ、大好きだもんねぇ。
簡単に説明をすると、無頼派とは終戦直後に人気を博した小説家であり、太宰治、坂口安吾、織田作之助の3人が中心的な人物だと言われています。具体的な同人誌があるわけではないので、石川淳や檀一雄などを含めたりとか、ややこしいこともあるんですが、今回は太宰、坂口、織田の3人を語っていると思ってください」
主「当時は小説も人気の若者文化だったけれど、無頼派は特に人気を集めた。
自分が無頼派大好きなのは、彼らの無茶苦茶だけれど力のある言論も大好きなのもあるけれど、それまでの旧来の価値観を本気で壊そうとしていたんだよ」
カエル「無頼派の発言って今考えてもモラルに反していて、よくこれが人気になったなぁ、という思いもあるよね……」
主「『人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。』
堕落論の中のこの言葉にもあるように、人間とはそんな立派な生き物ではなく、堕落することが真の人間らしさを発揮する。
つまり、反モラル的な行動があるからこそ、人間は人間らしく生きることができると語っている。この当時では未亡人に恋愛を勧め、復員兵に闇屋になれと語っているが、これは現代で言えば人妻に不倫を勧め、若者に怪しい商売を勧めるようなものだろう」
カエル「現代だったら大炎上しそうだよねぇ」
主「ただ、それがとても大事だったんだよ。
この時代は過去の価値観、つまり戦前、戦中で善とされた行為や価値観があっという間に悪となった。
神様だと信じていた天皇が、実はただの人だという事になった。教科書は黒塗りとなり、政府は機能しなくなった。
明日から何を信じればいいのかわからない中で、『過去の価値観を捨てて自分で考えろ、その結果で堕落する事、反モラル的な行動をする事になっても、それこそが人間らしさに繋がるのだ』と語った、安吾の堕落論を初めとした無頼派の著作は、多くの人に響いたんだ」
斜陽と女性の生き方
カエル「例えば太宰治の『斜陽』は戦前はとても裕福だった一家が没落してしまい、かつての高貴な生活や考えに囚われていた母や弟は悲惨な最期を迎えてしまう。
一方でシングルマザーとして生きていくことが、新たなる革命だと和子という登場人物は語っていて……」
主「『こいしい人の子を生み、育てることが、私の道徳革命の完成なのでございます』
古い道徳に逆らいながら、私生児とその母として生きていく。そこに一筋の希望を見出している。女性の生き方を革命するような描写だよね。
現代でも眉をひそめられるような、結婚せずに子供を生むという、ある意味では悪徳とされるような行為にも希望を見出した。
そしてその姿に『斜陽族』という言葉が生まれるほどに、人々に強い意味をもたらした。
つまり、1945年の後、終戦直後という時代に過去の価値観を否定する無頼派が語ることは、それまでの戦前の価値観を一変させる力があった。
無頼派は志賀直哉に対して大批判をするけれど、これは文壇の権威として存在していた志賀直哉に対して、小説の可能性を広めるための行動だ。
戦前の権威的なものの象徴=志賀直哉だとすれば、それに対する反感を表明した。
彼らの存在そのものが、旧価値観を否定し、新たなる価値観を呼び起こすものだったんだ」
カエル「今で言えば村上春樹や村上龍に対して『あんなやつの作品は小説の中でも傍流だ!』というようなものだもんね……それを考えるとすごいことかも」
反社会的な表現を守ることの重要性
これはまた、尖った小タイトルだねぇ
いつも語っていることを、改めて語ります
カエル「うちは『例え倫理に反していようとも、その表現手法が犯罪でない限りは最大限尊重すべきである』という考えを基に、万引き家族や幸色のワンルーム、ガン監督などの発言や表現を尊重するように訴えかけています」
主「もちろん、前提として犯罪はいけないことだ。
差別を助長するような発言も控えるべきだし、それを非難する発言は『正しい』と考えている。
だけれど、社会における正しさとはその時の世相であり、それに反するような発言も尊重するべきである、というのが自分の主張だ」
カエル「えっと……それはなぜ?」
主「戦前の日本は『戦争に賛成することが正しい』とされる社会だった。アメリカだって白人こそが正しい人間であり、有色人種は人間として扱われていない部分もあった。
もちろん、現在の価値観で当時の価値観を責めることはしません。
ただ、社会の正義や世論というのは簡単に変わる。
それを象徴するのが、この終戦直後の無頼派ブームだ。
他では、現代でもちょっと前に有名漫画家が児童ポルノを所持していたということで逮捕された時、その漫画家を責めるような発言が目立った。もちろん、児童は守らなければいけないが、単純所持が違法になった際には議論を呼んでいたのに、まるで児童ポルノの単純所持は100年前から違法だと決まっているように扱われた」
カエル「例え同じ行動だとしても犯罪と訊くと、印象が違うからねぇ」
主「いいか、今この記事を読んでいるオタクども!
児童ポルノの単純所持がアニメや漫画の『非実在青少年』にまで拡大されたら、オタクの8割は即刻逮捕だからな!
お前らの大好きなキャラクターはどうせ未成年であり、しかも18歳以下だろ!? ロリコン扱いされるからな!」
カエル「急に何を語っているの!?」
社会に問いかける重要性
主「でもさ、オタクに対する扱いだって、20年前は犯罪者予備軍として扱われた。今では普通の趣味のように扱われているけれど、またいつそれが覆るかは誰にもわからない。
だからこそ、社会規範に対して『本当にそうなの?』と問いかけることはとても重要。
むしろ悪徳の矜持を描くことも、物語や表現に求められる役割でもある」
カエル「例えば森達也監督の主張そのものには首をかしげるけれど、オウムや佐村河内側の、悪と称される人の正義を描くというものは、とても大事な視点だよね……
これを犯罪者(問題のある人物)擁護として帰省されたら、それは嫌かなぁ」
主「もちろん、自分も気に食わない表現はある。あまりにもグロテスクな映画や、具体名をあげると園子温の映画みたいな作品は、規制も必要なんじゃないか? と思うこともある。
だけれど『気に食わないから』『それが社会規範に反するから』だけでは、規制してはいけない。規制するならば明確な理由を持ち、何を規制するのか……
例えば『人体として形を残していないほど損壊した死体を映してはいけない(損壊率が50パーセント以上)』のように、明確な基準が必要になる」
カエル「……極端なようだけれど、前述の『堕落論』の中では『戦時中の日本はまるで楽園のようだった』とか『爆弾や焼夷弾に戦(おのの)きながら、狂暴な破壊に劇しく(激しく)興奮していたが』という表現もあって、これは現代では絶対に書けないよね……」
主「人の感性は違う。
自分は鳥の首が狩られ、解体されていく様を平然とみて、ともすれば『美味しそう』とか『手際がいいな』と思うが、人によっては『残酷だ』というだろう。解体された鳥肉を気持ち悪い死体、と思う人もいるかもしれない。
同じように、戦争にロマンを感じて破壊を愛する人も、平和を退屈だからと嫌う人はいるだろう。
その気持ちを否定することはできないし、やってはいけない。
平和が嫌いだからと本当に銃器を揃えて、テロを仕掛けようとした瞬間に逮捕されるべきだ。
その手の言動をしたからといって罰せられる社会が健全だとは思わない」
カエル「社会規範にそぐわない発言が世界を変える可能性もあるしねぇ」
主「重ねていうけれど、安吾や太宰などの無頼派が語ることは無茶苦茶だよ。だけれど、無茶苦茶だからこそ、規範を失った社会に受け入れられた。
今は社会規範がしっかりしているからこそ、それに反するような発言は叩かれる。
だけれど、その発言をする権利は守らないと、表現は社会秩序に追従するようになる。
その先にあるのは戦前と同じような社会だ。
『お前のいうことは否定するが、それをいう権利は絶対に守る』
それを自分は主張していくし、無頼派に強く影響を受けた人間のあるべき姿だと考えている」
まとめ
では、話が大きくずれましたけれど、この記事のまとめです!
- 若者向けの物語はその時代を象徴している
- 終戦直後の混迷する時代だからこそ無頼派は大きな支持を集めた
- 反社会的な発言が支持されることもある
後半は単なる主張です
カエル「ちなみに、次はどの時代の話をするの?」
主「一気に飛んで1960年代のお話です」
カエル「……かなり飛んだね」
主「この先80年代、95年、00年代、そして現代まで語らないといけないから、一気に飛ばします!
ちなみに戦争を知らない子供たちが大人になった世代でもあるね」
カエル「では、次の記事でまたお会いしましょう!」