カエルくん(以下カエル)
「今回は『聲の形』の公開も近いし、パラリンピックも始まったことも関係して、この話題にしたの?」
ブログ主(以下主)
「そうね……以前から障害と物語の関係性って興味があったネタではあるんだよね。じゃあ、一度それについて書いてみようかなって思って。多分、単発的には何回か書いているかもしれないけれど」
カエル「今回はテーマがテーマだからはじめに断っておくと、『物語と障害』というテーマで語るために、少し差別的なニュアンスで受け止められるかもしれないワードが出てくるかもしれません。
特に過去の作品に言及する際に、その作中での表現をそもまま用いるために一般に『差別用語』とされる単語が出てきますが、ブログ主には差別の意図はないと断言しておきます」
主「こういうことを言わないといけないから、難しい問題だと痛感するよ……」
1 物語における『障害』の描かれ方
カエル「これはどうだろうね。近年はだいぶマシになったのかな? それこそ、映画だと『聲の形』や『レインツリーの国』のような障害を扱った作品が出てきているし、少しは向き合うようになったのかな?」
主「……どうだろうね。昔から障害者が出てくる作品ってのは、実はそこそこあるんだよ。『座頭市』や『星の金貨』なんていうのは、まさしく障害者を主人公に添えた物語じゃない?」
カエル「座頭市はオリジナルが相当古くて、もうキャラクターとして人気というのもあるけれどね」
主「でもさ、じゃあ障害者というものが描かれやすくなったのか、というとそんなことはないんだよね。それを象徴するのが、まさしく上記に挙げたレインツリーの国でさ。
有川浩の代表作『図書館戦争』がアニメ化した時に出された条件が『レインツリーの国が登場する、聴覚障害を扱った話はテレビアニメでは放送しないこと』だったというのは作者が明かしているわけだ。
この国のメディアは『愛は地球を救う』と言いながらも、障害者はあまりメディアに出さないようにしているように思うね」
カエル「……図書館戦争を放送した局と愛は地球を救う局は違うけれどね」
血界戦線における『疑問』
主「……少し穿った見方をするとさ、昨日まで『血界戦線』の話をしていたけれど、この作品の主人公格、レオの妹のミシェーラを救うというか、目を取り戻すというのが一つの大きなテーマであるわけだ。
だけど、アニメ版にはその妹はほとんど出てこなかった。
もともと車椅子の少女である上に、目玉がない盲目の少女だから、もしかしたら『自主規制』ということで出すのをためらったのかもしれない。
そう考えると、ある程度納得できるんだよね。原作ファンからするとオリジナルキャラクターのホワイトという女の子は、まさしくレオの妹の代理みたいな存在でさ『そんなオリキャラを出すなら妹を出せよ』と怒ったわけだけど、それは出すことができなかったんじゃないかな?」
カエル「……それは自主規制が原因で?」
主「もしかしたらね。単なる監督の演出意図を考えて妹の出番を少なくしたのかもしれないけれどさ。
こう考えるとさ、ある程度合点がいくんだよ。妹って身体障害を二つ抱える上に少女という、ある意味『究極の弱者』なわけじゃない? その存在の代わりとして『病気の(幽霊の)女の子』というのは、個人的には合点がいくんだけどね」
2 過去の障害の描き方
カエル「昔から障害の描き方って、タブーというか、自主規制されるようなものだったの?」
主「いやいや、そんなことはないよ。例えば坂口安吾の代表作の『白痴』はその題名の通り、知的障害を抱える人との……恋愛といっていいのかなぁ、あれは? まあ交流を描いているわけだ。
他にも池波正太郎の『剣客商売』の中には道場を開いている息子のお世話係として『唖の女房』というのが出てくる。農家の女なんだけど、それが身の回りの……食事などの世話をしてくれるのね。
この人物が唖である必要はないんだよ。特に重要なキャラクターじゃないから喋べらなくても違和感はないけれど、あえて啞にしている」
カエル「昔から障害の描き方もたくさんあるんだね」
主「昔は今よりも障害というものが身近だったからね。例えば黒澤明の『どですかでん』にも知的障害を抱える登場人物が出てきたり、まあ現代では表現できない人のオンパレードではあるけれどさ、それが劇場で普通に公開されているわけだ。
その分、差別も激しかったと思うけれど」
カエル「今は積極的に障害を抱える人と交流をしようとしないと、なかなか会うこともできないような気がするよ」
主「企業も障害者枠を設けるなどして、社会に溶け込むように努力はしていると思うけれど、メディアの描き方などを見ても、まだまだ障害者を『隔離』することで差別から守るという構造になっているな」
カエル「オカマタレントはテレビでもいくらでも見るようになったけれど、障害者タレントはほとんどいないしね。それこそ、乙武洋匡がいたけれど……」
主「不倫騒動は乙武洋匡個人の落ち度ではあるが、そのほかに障害者タレントもほとんどいない。さらにパラリンピックも盛り上がらないし、これで平等に扱っていると言われても難しいものがあるよ」
3 物語における障害者の描き方の難しさ
カエル「やっぱりさ、聲の形もそうだけど、障害者の描き方って難しいの?」
主「そりゃあ、もちろん。『聲の形』に言及すれば、ヒロインの女の子は障害を抱える以外は完璧な美少女じゃない? 性格もよくて、可愛くて、それこそアニメや漫画の中にしか存在しないような描かれ方をしている。
本当に『可哀想』な女の子なんだよ。誰にでもわかりやすい悲劇性をまとった女の子でさ」
カエル「……それって物語で描く時、どうなの?」
主「正直、やりにくいよね。障害というハンデを抱えている人であり、しかも差別の要素が絡んでくる存在というのは、描き方が限定されてしまう。
例えばさ、サスペンスやミステリーの極悪な犯人を障害者にすることはできない。それは差別の意図がなくとも……例えば障害者には絶対不可能と思われていた犯罪を頭を使ってクリアしたという意外性を狙ったとしても、そのトリックは発表不可能だろうね。
それは差別だと言われかねないから」
カエル「……やっぱり難しいのね」
主「先にあげた『聲の形』『星の金貨』『レインツリーの国』のいずれも、障害を抱える女性は『いい人』として描かれている。しかも、ただのいい人じゃなくて、純粋で、少し臆病で、無垢な人。それはやはり障害者というものの描き方に配慮した結果、そうなるんだろう」
障害の『魅力』
カエル「……何? この項目は」
主「読んで字のごとくだよ。障害には障害の『魅力』があるんだよ」
カエル「……何それ?」
主「例えば、少女という存在は非常に弱い存在として描かれている。子供、女性という弱者がより強調されているからだね。
エヴァの1話において、綾波が包帯グルグルで登場した瞬間に『包帯フェチ』なるものが誕生したと言われている。これもわかりやすく、保護すべき弱者としての存在をより強調されるからだろう。
あとは、ドジっ娘や病気に苦しむ女の子なども庇護欲を掻き立てられて、わかりやすく『守らなければいけない存在』として描かれているんだよ。そしてそういうキャラクター像というのは人気が出る」
カエル「……人気ね?」
主「姫騎士物語の典型じゃない。か弱いお姫様を、騎士が守りましたっていうのは。弱者であることのアピールとして、ドジっ子や怪我、病気が使われているわけだ。そしてそれは障害もまた例外ではないんだよ。
さらに言えば、そういった『弱者とされる存在』には独特の……なんというか、純粋性というものが宿るんだよね」
カエル「純粋性?」
なぜ佐村河内は叩かれたのか?
カエル「これは映画『Fake』も参考にして欲しいね」
主「そう。単なるゴーストライター問題であれば、あそこまで叩かれることはなかった。だけど、あのケースは佐村河内が『聴覚障害』でありながら音楽を作り続けたというところに人気の秘密があったわけだ。
つまり、佐村河内の作ったとされる音楽だけでなく『障害というストーリー』にみんな酔っていたわけだ。そこにある種の『純粋性』を投影していたけれど、それが見事に破られたことにより、世間の反感を買ってしまった」
カエル「これが健常者同士のゴーストライター問題であったら、どうなっただろうね? ホリエモンのゴーストライター問題なんて一切問題にならなかったし」
主「この現実の現象、佐村河内問題について今回は私見を語らないけれど、これでわかることは『障害を抱えている人が頑張っている=美談』であり、そこに感動するような要素が詰まっているということだ。
それがあるから『愛は地球を救う』が成り立つわけでさ……『最強のふたり』って映画があるけれど、あれも健常者同士だったらここまで話題になったかね?」
カエル「確かに、障害を抱えている人っていうのはわかりやすく弱者であり、感動を呼んだり守られる存在としては……こういうとなんだけど、作者にとって『都合のいい』存在でもあるんだね」
4 個人的に思う、あるべき『障害』と『物語』の形
カエル「じゃあ、主は結局障害と物語の関係ってどうあるべきだと思うの?」
主「簡単に言うと『特別扱いしない関係性』かな」
カエル「というと?」
主「例えば、親友Aが障害を抱えているとする。でもそれ自体に深い意味はなくてさ、本当に障害を抱えているだけの、普通の登場人物として出てくるんだよ。
『お前、あのこのことが好きなんだろ?』なんておちゃらけて言ったりして、時には喧嘩して、でも最大の理解者でもあるような、そんな関係だったり。
障害者を障害者として扱わない物語、とでもいうのかな。ただの個性の1つとして取り扱う物語だよ」
カエル「……じゃあ、既存の作品でいうと何がある?」
主「それこそ、血界戦線は個人的にはある種の理想。さっきも言った通り、妹もミシェーラは足も弱くて目も見えないけれど、それでも明るくて悲壮感をあまり感じない存在で、自分の障害をブラックジョークとして話してしまう度量もある。
これは今までの障害者との描き方と少し違うよね。可哀想な存在でも、同情を集める存在でもない描き方になっていると思う。だって、ミシェーラはその障害というものを『できない理由』にしてはいないし『そこに拗ねていない』から。障害を良いように捉えているし。
障害者が出てくる作品とか、障害をテーマにする作品て、ガッツリとそれについて語っちゃうところがあるけれどさ、単なる登場人物の1人として扱ってもいいと思う。近年の海外映画では、隣人や友人として普通に性的マイノリティとされる人たちが登場するじゃない? あのノリでさ、もっと出してもいいと思う」
最後に
カエル「今回も中々重い話ではあったの」
主「だけど大事な話だよね。今の『物語』は障害というものに対して、少しビクビクとしすぎな気がする。差別的でない、個性として扱うことができるんじゃない? って思うけれどね」
カエル「単なる悪口にならんようにね」
主「そこはバランスだけど、理想を言えば『障害』というのが当たり前になる社会が一番良いんだよ。そうじゃないと逆におかしいという社会になるべきだ。
現実には色々と問題はあるかもしれない。だけど『虚構』である物語だったら、それでも良いんじゃないかね?」
カエル「……いつかそんな時代になるといいね」
映画版の『聲の形』の感想記事はこちら
ネタバレありの考察記事はこちら
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