カエルくん(以下カエル)
「シン・ゴジラの勢いが止まらないね!」
ブログ主(以下主)
「そりゃそうだろうな。もう社会現象と言ってもいい作品だし」
カエル「このブログでも相当アクセス数あったもんね。公開初日、2日目に記事をあげたけれど、あの数日間はすごかったなぁ」
主「やっぱり誰かに語りたくなる作品だし、誰かの意見を探したくなる作品なんだよ。公開からこの1月、自分でもいろいろな評論を読んだり、感想を聞いたりしていたからな。そんな人がたくさんいたと思うよ」
カエル「それじゃ、今日もシンゴジラを語るけれど、今日はどんなことを語っていくの?」
主「今までは『シン・ゴジラ』という作品内容に触れる感想や評論だったり、庵野秀明や樋口真嗣という制作者に対することを語ってきたけれど、今回は『シン・ゴジラという作品がもたらしたもの』という、映像業会にもたらした『事件』について語っていこうと思う。
いろいろな人の意見や、評論を読んだ結果考えたことだな」
カエル「なるほどね。それじゃ、始めようか」
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1 祝! 50億円突破!
カエル「この記事を書いている最中では最終興収は出ていないけれど、50億円という大ヒットの1つの基準は突破はしたね。むしろ、もっと上の……60億円、70億円という異例の大ヒットもあり得るという話でさ。それだけ売り上げると、今年1番売り上げのある邦画の可能性も非常に高くなってきた」
主「まあ、そうだろうね。元々『ゴジラ』という人気シリーズの復活だから注目度は高かった上に、庵野総監督と樋口真嗣という、良くも悪くも注目される2人の作品だから話題性は抜群で、あの出来だからね」
カエル「主は結構早い段階で『50億円は突破するんじゃない?』って言っていたよね?」
主「……元々は樋口真嗣について語る記事内で最後に言及したんだけどさ、50億突破はするだろうなぁって思っていたし、むしろ、そこで止まらないで60億から、70億くらい行くんじゃないかなぁって思いもあったよ。
実はそういう記事も書いていたけれど、さすがに売り上げに関してはあんまり言及するのもなぁって思ってアップするのをやめたけれど」
カエル「そこまで売れると確信した要因って何?」
主「まず作品の出来が素晴らしいことはもちろんだけど、それ以上にあるのが……まあ、一言で表すなら『異常な人気』だったんだよね」
カエル「異常な人気?」
圧倒的なアクセス数
主「シン・ゴジラに限った話でもないんだけどさ、こうして映画や小説で感想記事をアップするじゃない? そうすると、アクセス数を毎日確認しているんだよ。『ああ、この記事が今人気なんだ』とかさ、『意外と伸びないなぁ』とかあるよね。
もちろん、グーグルの検索でどれくらい上位にくるかとかもあるから、一概にアクセス数=人気とは言えないけれど、これが結構、現在のトレンドランキングとしてわかりやすいんだよね」
カエル「このブログを読むということは、単純に検索数が多いってことだもんね」
主「確かにまだスタートして8ヶ月と若いブログではあるけれど、一応ほとんど毎日のように更新しているんだよ。小説、漫画、映画、アニメと色々と語ることは多いからね。
それだと、今何が人気があるのか、何となくわかってくる。映画だって『ズートピア』とか最近だと『ワンピース』とか、興行的に大きな成功をしている映画の感想も書いてきたし、結構アクセス数が多かった。
だけど、『シン・ゴジラ』は格が違った」
カエル「2つ記事をあげた影響もあるかもしれないけれどね」
主「だとしてもやっぱり異常だよ。他にもYahoo映画のレビューの数は1万を超えてさらに伸びる勢いじゃない? 公開当初は300ちょっとくらいだったかな? 評価も3くらいでさ、『なんでこんな低いんだ?』っと思っていたら、みるみる増えていってここまで増えた。
普通は1000とか2000ぐらいのレビュー数だから、それこそ桁が違う。ブログの感想記事の数も一気に跳ね上がってさ、うちの記事が埋もれちゃった。あれだけ熱量込めたのに! って悔しいのもあるけれど、これはやっぱり作品の出来や語りたくなる構造をしているからだよね」
カエル「それだけ人気を集めて、注目度の高い作品ってことだね」
2 シンゴジラが壊したもの
カエル「いろいろな記事が出て、それこそ作品感想からさらに超えて、様々な社会に対する影響を述べた記事もたくさん出てきたわけじゃない? あの石破茂も法律上どうのという意見を述べるくらいに、話題には豊富だし」
主「その中でも気になったシンゴジラが壊していった『常識』について、いろいろ書いていこう」
わざと落とした『事前評価』
カエル「これは宣伝担当の筆頭が庵野秀明だったということでも一部で話題になったことだね」
主「そう。試写会も殆んど行われず、一般に公開されていた予告編は何が何だかよくわからないもので、しかもチャチャな作りだと話題になった。あの予告編を見ての事前評価としては、『あ、これ地雷臭がするやつだ』と思ったという意見も多い」
カエル「そこまで徹底的に情報を制限し、何も公開することなく、ひどい作品だと思わせて蓋を開ければ……ってことね」
主「普通はこの手の宣伝って見所などを紹介して『面白そう!』って思わせなければ宣伝として役には立たないわけじゃない? そもそも予告編の意味って、『こんな面白そうな映画を公開しますから、見に来てくださいね!』という宣伝であって、そこすらも情報公開しないというのは、もう本末転倒なわけだ」
カエル「この手法を庵野監督はエヴァの時もやっていたよね。パンフレットの『ネタバレ注意!』なんてエヴァを思い出したし」
主「そうね。この宣伝手法は作品自体に対する絶対的な自信と、それに庵野秀明という監督の名前、そして『ゴジラ』という日本屈指の知名度を誇る作品があって、初めて成り立つ宣伝手法ではあるのは間違いない。
でも、この手法の画期的な部分というのは、何と言ってもテレビや雑誌、ラジオなどの『大手メディア』の力を借りないというところでさ、じゃあ何によって宣伝となるのかといえば、それはTwitterやブログをはじめとした、『ネットメディアによる口コミ』だよね」
カエル「そうだね、今ではTwitterとかレビューで見に行く映画を決めるという人もいるくらいだし」
主「これは1ブロガーとしてすごく大きくてさ……日本ではブロガーの宣伝効果ってそこまで大きいとされていなくて、多分映画評論サイトだと『超映画批評』が有名なくらいだと思うけれど、ブロガーの宣伝効果というのはこれから先、さらに大きくなると思う。
さすがに物語る亀を毎日読んで『評価がいいから見に行こう!』という指針にしている人はいないと思うけれど、でも見るか見ないかを迷っている時に偶然検索で該当記事を読んで、見に行く、行かないを決めた人はいると思うんだよね。町山智浩とか、宇多丸が評価するから見に行くように、ブロガーがそれなりの力を持つ可能性を秘めているということを証明した。
その意味でも画期的だと思うよ」
3 アニメ的な映像の撮り方
カエル「これは岡田斗司夫が指摘したことでもあるよね。実写的な長回しをしていないって編集技法でしょう?」
主「そう。本作がエヴァっぽいと言われる一つの要因でもある編集技法だけど、今作はかなりカット数が多いんだよね。ということは、必然的には一つのカットが短くなって、よりアニメ的になる」
カエル「なんでそんなことをしたのかな?」
主「実写とアニメの最大の違いって、実写はカメラを長く回していればロングカットが簡単に撮れる。すごく極端な話、2時間の映画を1カットで撮ることも可能だよ……まあ、そんな映画はさすがにないだろうけれど。
逆にアニメは色々な原画マンがカットを担当して、それを統合した作品を公開するから、1つのカットが長ければ長いほど、その原画マンに対する負担は大きくなるというのもあるんだろうね」
カエル「その手法を取り入れるとどうなるの?」
主「多分、今作が特撮として広く受け入れられたのは、このカット数の多さによって無意識に『アニメっぽい』という印象を持たれたこともあると思う。だから違和感があっても『アニメっぽい、創作っぽい』表現として無意識に処理されている。
元々ゴジラという存在が虚構的でしょ? リアリティのあまりない存在だし、シンゴジラというリアリティに満ちた作品の中でも、唯一虚構性の高い存在であるけれど、その存在を魅せるのにこのアニメっぽいカット割りがハマったんだろうね。
だから、極端なことを言うとシンゴジラって実写で撮られたアニメなのかもね」
カエル「ふぅ〜ん……」
主「さらに言うとさ、おそらく漫画原作の作品が受けれ入られにくい要因もここにあるように思う。つまり、設定やCGを用いた絵面は漫画的、アニメ的なのに、その表現手法は実写的に撮ってしまう。だからこそ、このあべこべな感じがより『作り物感』を生み出してしまい、お遊戯会と称されるクオリティになってしまうんじゃないか? とも思う」
演出としてのメリハリ
カエル「この手法って演出としてどうなの?」
主「それなりの効果を上げていると思うよ。例えばさ、これだけ短いカットが多いシンゴジラでも、一部のシーンはロングカットになっているんだよね。ゴジラを車の中から足元をずっと映すシーンとか、熱線を吐き出すシーンとかだけど、ここのカットはシンゴジラの中でも特に絶望感を増す見せ場じゃない?
そういったカットによるメリハリによって魅せる、面白みがあると思う」
カエル「へぇ、他には?」
主「あとは、意図的にロングカットで撮られたシーンもある。例えば矢口とカヨコが会話をしているカットで、『私の祖国に3度も同じ過ちをさせたくないから』っていう部分があるよね? 多分、ドローンで撮られた、外のシーンで、直後に広島などの原爆の写真が使われた部分。
他にも『戦後は続くよ、どこまでも』だったり、『日本の未来を君たちに託します!』だったり、名言を残すカットやメッセージ性の強いカットはきっちりとロングカットで撮られている。これってさ、おそらく他のカットが短く撮られているのに対して、長回しで撮っているからこそ際立つカットだよね」
カエル「なるほどね、カットの長短によって受ける印象を操作しているんだ」
主「今作は庵野総監督が構図にもこだわったというように、本当に色々な発見が多い。4回見たけれど、まだまだ新しい発見がある。例えばさ、ラストの屋上で矢口とカヨコが凍結したゴジラを見つめるシーンというのは、矢口とカヨコの間にゴジラを挟むことによって、『ゴジラによって結びついた2人』という演出もされているように感じたんだよね。
多分、そういう細かい発見が非常に多い作品だと思う」
4 制作委員会方式について
カエル「これは色々なところで語られているよね。製作委員会方式は悪なのか? ということだね」
主「まあ、間違いなく今作に関しては製作委員会方式を取らなかった影響はあると思うよ。それは庵野秀明という強烈な作家性を持つ監督を、最大限生かすには大切な条件だっと思う。
だけど、個人的にはこれは強烈な作家性を持つ庵野秀明だから成功しただけで、他の監督が成功するかというと……実はそうは思っていない」
カエル「製作委員会方式自体が悪とは言えないってこと? なんで?」
主「例えば他のブログでも言及されていたけれど、『君の名は。』は製作委員会方式でさ、新海誠という作家をサポートする人たちがたくさんいたわけじゃない。それは現場の人たちだけじゃなくて、川村元気とかのプロデューサーもそうで、新海監督は色々と語ってくれるタイプの監督だから話しているけれど、今作における川村元気の役割って結構大きいのね?
新海監督に限らないけれど、本来強烈な作家性というのは、プラスにも働くけれどマイナスにも働いてしまう。人を選ぶ表現になりがちなわけだ。個人的にはそんな作品は大好きだけど、一般受けとか、ビジネスを考えたら敬遠されるわけでさ。
そこを考えたら、その尖った部分を削って、誰にでも見やすくするという作業自体は悪いことじゃない。その分、尖った部分がなくなるからつまらくなる可能性も秘めているけれど」
カエル「やっぱり監督や作品によって変わるという、ごく当たり前の結論になるわけか」
主「その意味では今作はやっぱり異常だよ。庵野秀明が嫌いな人には受け入れられない作品になっていると思うけれど、その強烈な作家性がここまで受けたわけだしね。本当にセンスの塊。
だからシンゴジラは単独制作が正解で、君の名は。は製作委員会方式が正解だったというしかない。
でも、単独制作の成功例が生まれたことは、高く評価してもいいんじゃない?」
最後に
カエル「他にも色々な社会に関わる現象とかもあるだろうけれど、長くなるからこれで最後にしようか」
主「やっぱり、映像作品としてこれほど尖った作品も他にあまりないし、これだけのものが出来上がったということは素晴らしいことだよね。特に素人ではわからないような、映像業界の革新的なことも他にたくさんあると思うけれど、自分がわかるのはここくらいかな?」
カエル「他に何か発見があったら、また書いていきたいね」
主「……どうだろうなぁ、早くIMAXで鑑賞もしたいけれど、9月も見たい映画がたくさんあるから、大変だよ。今月はいくつか、見たい映画を見逃してシン・ゴジラと君の名は。にあてた部分もあるし……
ああ、出費が多い!」
カエル「好きでやっていることだろうに……」