亀爺(以下亀)
「では、今回はアカデミー賞最有力候補……というよりも、すでに受賞が確定しているような雰囲気すら漂う『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督の前作である
『セッション』のレビューじゃな」
ブログ主(以下主)
「ラ・ラ・ランドを見る前に色々と予習はしておきたいけれど、見ておいた方がいいって言われるミュージカル映画のオススメを軽く検索しても、10本とか出てきて……それはさすがにきついしなぁ。
あとミュージカル映画は映画館で見ないと魅力半減だから。音楽を楽しむものだし……」
亀「さすがに『雨に唄えば』は見ているが、あまり積極的にチャレンジしてこなかったジャンルでもあるしの」
主「でも監督の前作であるセッションだけなら、1作で済むしね」
亀「ラ・ラ・ランドはおそらく2017年度のベスト10にも入ってくるだろうと言われておる名作じゃからの。気の早い人はすでにベスト1位と言っている人もおるくらいじゃ。
アカデミー賞の熱狂を見るとそれもあながち言い過ぎでもないがの」
主「……まあ、でもさ、このブログで絶賛した映画でいうと『シン・ゴジラ』も『聲の形』も賞レースに強いタイプの映画ではないからなぁ。『この世界の片隅に』は賞レースに強いタイプだと思うけれど、賞云々だけで映画の良さは語れないっていうのも事実なわけで」
亀「どうしても個人の感性に委ねる部分も多いからの」
主「なので自分はチャゼル監督の前作と見比べて、どのような印象を抱くか、ということに注視しようと思う。映画の歴史などの視点は他の人に任せることにするよ」
亀「……単純に自分が見る時間がないだけじゃがな」
主「チャーリーは言った。『手は手でなければ洗えない。得ようと思ったらまず与えよ』ってな。てことはどういうことだぁ?
チャーリーはやれって言ってんじゃねぇか?
そうだろう?」
亀「チャーリー・パーカーがゲーテの格言吐くかねぇ……」
1 最低のクズ×最低のゲス=最高のセッション!
亀「最初に結論から述べると、この小タイトルにこの映画の全てが集約されるかもしれんの」
主「この映画は紛れもなく音楽映画なんだけど、ドラムという楽器の特性を最大限生かした素晴らしい演出と音楽に終始している、と感じたね。自分は音楽は好きだけど楽器は全くできないから専門的なことは言えないけれど、映画としてのうまさはすごくよくわかる。
確かにこれは……当時は20代なのかな? そんな年頃で撮影した監督は天才と言われるのがよくわかる」
亀「昨年の音楽映画というとやはり『シング・ストリート 未来へのうた』が連想されるの。あちらは真っ当な青春音楽映画じゃったが……今作は雰囲気が全くちがう」
主「……考えてみると少しは似ている部分もあるのかな? 何者にもなれないであろう、くすぶった環境にいる若者が音楽で自己表現をするという意味では似たような設定もある。
師匠格の指導という意味でも同じだけど……そのアプローチが180度違う。これは面白いよね」
亀「ジョン・カーニーも音楽を主体とする映画を得意としておるが、爽やか青春音楽を主体するジョン・カーニーに対して、もっと深く、もっと根源的に音楽を求めるストイックな姿を描くのがチャゼルということかの」
主「まだラ・ラ・ランドを見ていないからあまりこういうことを言うのは避けたほうがいいのかもしれないけれど……なんというか、やっぱり『若いなぁ』という印象がある。
ジョン・カーニーは若き日の夢を追う姿を肯定しているし、それを暖かく眺めるような視点で撮っている。どちらかというとお父さん世代の目線というのかな? それは『はじまりのうた』を見ても感じるんだよね。
だけどチャゼルって……もしかしたらまだ諦めてないんじゃない?
まだまだ夢を追いかけている途中というか、それを『夢』なんて過去のものにしたくない、っていうことが画面を通して伝わってくるんだよね」
亀「その諦めきれない思いを、映画として表現してチャレンジしておるようにも思えるの」
この鬼気迫る演技は監督そのもののようにも思う……
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音楽の特性
亀「押井守も『映画の半分は音楽でできている』と語っておるが、この作品はその音楽がとても重要な意味を持っておるの。これは切っても切れない関係性の作品じゃ」
主「……ここを語り始めると色々なものを暴き出すから、本当はあまり語るべきじゃないんだろうけれど、亀爺は『映画に1番必要なもの』ってなんだと思う?」
亀「ん? そうじゃなぁ……多くの観客が目に付きやすいのは顔である『役者』かもしれんの。脚本家の名前などが取りざたされることはないが、役者の名前は宣伝に重要視されるしの」
主「自分はやっぱりこういうブログをやっているから『脚本』と答える。いい脚本があって、初めて名作というのは成立するのではないか? という思いもある。
だけど、映画であることにこだわるならば……映画の存在価値について考えるのならば『演出』という回答が正しいかもしれない。いい脚本という答えでは演劇やアニメ、漫画、小説などとの差別化はできないからね。
物語に1番重要なのは『脚本』でも、映画だったら『演出』かもしれない。
でも、おそらくチャペルは『音楽』と答えると思う」
亀「ふむ……そのどれを重視するかによって好みの監督なども変わってくるということじゃの」
主「例えば自分みたいな脚本が好きっていう人は『ビリー・ワイルダー』が好きになりやすいと思う。やっぱりワイルダーの脚本術というのは、レベルが1個抜けているし。
演出って答えた人はゴダールとか、フェリーニとかになるんじゃない?
脚本、演出、音楽などのバランスが整い、どれも高レベルな作品が名作と言われる。実は……こういうと反感を持たれるかもしれないけれど、役者の重要性はそこまで高くないように思うんだよねぇ」
亀「そしてチャゼルはこの映画において、音楽というものを演出としてこれ以上ないほどに見せてくれたわけじゃな」
2 音楽映画としての魅せ方
亀「それではいよいよ本編の感想に入るとするが……
ドラムの音を見事に使った演出が冴え渡るの」
主「それは開始1分でこの作品がずば抜けているということがわかる構成になっている。最初は真っ暗な画面でドラムの音が響き渡る。それが徐々に早くなっていき、そしてドラムを叩くニーマンの姿がパッと映される。
この瞬間にこの映画の勝利は決まっているね」
亀「まず、真っ暗な画面において視覚情報を奪い、そこでドラムの音でリズムなどを耳から情報を入れる。そしてそれを徐々に早くすることにより、観客の作品世界への没頭を促すわけじゃな」
主「この段階ですでに観客は集中してじっと見つめているし『現実世界を忘れさせる』というスタートの導入は完璧。そしてそれはリズムを刻むドラムという、ある意味では……こういうと怒られるかもしれないけれど『単純な音』だからこそできる芸当でもあると思う。
これがギターとかピアノだと、いきなり超絶技巧を示すと面喰らう部分がある。多くのクラシックの名曲がスタートは静かに入るのも、やっぱり作品世界への導入という意味があるんじゃないかな?」
亀「このドラムの音はいわば能などと同じじゃの。
鼓や太鼓などを使って、最初はゆっくり、そしてどんどん早くしていき、最後にドドン! と大きな音で締める。こういうのが最も効果的であると、能や歌舞伎などは理解しておるわけじゃな」
主「本作は音楽映画だけど、もっと言えばドラム映画だからさ。こういう演出があるかないかによって、作品世界観の構築に影響が出てくるんだよね」
この2人の関係に注目の物語
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2人の男
亀「そして音の演出が終わり、徐々にドラムを叩くニーマンにカメラが近づくことにより、観客はこの2人にグッと集中し引き込まれる。そして閉じた空間にて2人が向き合う描写から始まるの」
主「あそこもうまいなぁ……ここで余計な登場人物を入れないで2人だけの空間の演出にすることによって『この物語は2人の関係のみに注目してくれ』というメッセージになっている。
だから、この作品って他にも……例えば彼女とか、親とか、友達……というかライバルというか、そういう存在は出てくるけれども、そんな連中はあくまでもドラマのための駒にしか過ぎない。
本当に重要なのはニーマンとフレッチャーの2人だけであるってことね」
亀「そうじゃな。その意味では恋愛とか、夢とか、将来などという……綺麗事を全て排除した映画ということができるかもしれん」
3 音楽映画の『型』
主「ここ最近いろいろと音楽映画を見てきて……例えば記事にしたのは『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』や記事にはしていないけれど『ブルーに生まれついて』なども鑑賞してきたわけだ。
で、不思議なことに本作を含めた3作品は、実はそこまで根本的な設定には差はないように思う」
亀「同じジャズをもとにした映画で、社会性や常識が皆無だからこそたどりつける境地を描いておる。
まあ、実際にいた人物と架空のキャラクターという違いはあるが……」
主「……やっぱりさ、ジャズに限らないけれど……クズとまでは言わないけれど、ある程度過激な人の方が伝説化するっていうのもあるわけじゃない? 日本だと山下洋輔の伝説とかがたくさんあるわけで。
その意味ではこの3作品は似たようなものなんだよ。過激な言動や社会的モラルに反した人間が、だからこそ辿り着く境地に達する名人芸の秘密を探る映画というか」
亀「先ほどの『シング・ストリート』が王道の青春映画だとしたら、こちらは邪道の青春映画というかの」
主「そういう一般的な『クズ』を描いた映画と考えれば、この映画は他の作品と似たような型を持っていると言える。だけど、それを未来あふれる若者映画でやったということが素晴らしかった。
あとは完全に『人格を育てる』という教育の面を捨てさせたことにあるよね」
亀「日本でいうならば『甲子園を優勝するためにサイン盗みやスパイクで相手を怪我させろ!』ということかもしれんの」
主「その意味でまさしく『型破り』な映画でもある」
4 全ての伏線が回収される時
主「だけど、当然それだけのトリッキーな映画だけじゃない。脚本もきちんと練られている。
例えば、最初のシーンと最後のドラムシーンはこの映画では対になるようにきっちりと演出されている」
亀「スタートにおいてニーマンがドラムを叩くシーンで始まるが、フレッチャーが近づくことでドラムを辞めてしまう。そこでフレッチャーが聞くわけだ。
『どうしてドラムを止める?』と。
そして再開すると今度はこう尋ねる。
『ドラムを再開しろと言ったか?』と。
ニーマンはそこで『すみません』と答えるが……ラストにおいてはまったく違うことになったの」
主「ここでは自分を貫き通すエゴがなかったけれど、それがラストではそのエゴが生まれている。エゴって言っていいのかは微妙だけど……
他にも楽譜がない状態で他人を責めて、そのせいで演者の位置を奪われた先輩がいたけれど、同じ状況にニーマンがなった時、そこから逃げ出すことなく、さらにいうことを聞かなかった。
指揮者……指導者のいいなりになるドラマーではなく、ただ1人の音楽家に成長した瞬間であり、さらに言えば、その後のフレチャーの指揮に従うことで『完成された1人の音楽家』になったことも示している。
思いっきりのいい短くまとまった良い脚本だし、演出や音楽は文句無し……やっぱりこれだけ話題になるのがわかる映画だよ」
この指導方法って……
亀「いろいろな意見が出ておると思うが、この指導方法はどうなのかの? 是か否かと問われると……難しいところじゃな」
主「う〜ん……やっぱり教育的観点からは問題があると思うよ。
日本の場合は……というか、普通の教育って『100人いたら90人を伸ばす教育』だと思うのよ。限りなく100人に近づける教育方法。どんな教育方法も絶対に落ちこぼれは生まれるけれど、そんな落ちこぼれを出さないための方法。
だけど、これって『100人いたら1人の天才を生み出す方法』なわけじゃない? それこそ自殺者も出して、人生を否定するようなことも言って……それでも伸びてくるたった1人の天才のために、99人を切り捨てるやり方だし」
亀「その意味では『プロを生み出す指導法』なのかもしれんの。
前提となる条件が違うというか……」
主「本気でその業界で食べていきたいなら、この指導法が効果的だと思う。前者の教育法で……いわば甘やかしの教育法で育てられたことを象徴するのが、あの父親だったわけだしね。
そこから離れてそれでも食らいついていく覚悟……それがないとプロになるということはできないのかもねぇ」
最後に
亀「しかし、これだけの音楽映画として熱量がある監督であればアカデミー賞にあれだけノミネートされるのも納得じゃの」
主「気力、体力ともに充実していて、さらにそれだけの技術もあって……ということなんだろうね。普通は賞レースに強い作品ってもっと屈折した、というか、例えば性同一性障害(昨年では『リリーのすべて』やノミネート作品ではあるが『キャロル』)とか宗教的スキャンダル(昨年では『スポットライト 世紀のスクープ』や『レヴェナント:蘇りし者』)とか、そういう社会的な問題を扱った作品が選ばれやすい傾向にあると思うけれど……
まだ見ていないけれどさ、多分そういう要素のあまりない、娯楽作品なわけでしょ? それでここまでノミネートされるんだから……すごいよねぇ」
亀「それだけ映画における音楽の持つ強みを引き出した名作ということなのじゃろうな」
主「……ここまで絶賛されていると却って評価しづらいけれど、多分これは絶賛する流れなんだろうなぁ……」