カエルくん(以下カエル)
「今回取り上げるのは、世界中で話題となっているライカの新作アニメーションの『KUBO』です!
アメリカから日本へのラブレターだ! という人もいるね」
ブログ主(以下主)
「ストップモーションアニメーションは日本でももっと盛り上がってもいい分野だと思うんだけれどね」
カエル「日本はアニメ大国なんだけれど、なぜかストップモーションアニメーションはそこまでも盛り上がっていないんだよね。
それこそ、子供のころからNHKで『ピングー』や『ニョッキ』などのクレイアニメーションだったり、『チェブラーシュカ』のようなドールアニメーションを観ているはずなのに、中々お目にかかれない印象があるかな」
主「それこそ『クレヨンしんちゃん』のOPのクレイアニメーションだけじゃないかな?
結構好きなんだけれどなぁ……まぁ、手間がかかるから忌避されるのはわかる話なんだけれどね」
カエル「海外ではちょこちょこ見るんだけれど、もしかしたらデジタル作画とはいえ手書きのアニメと労力などがそこまで変わらないというのもあるのかもね」
主「恥ずかしながらライカのアニメーションは初めてみるからさ、アメリカがどのような作品を作り上げているのか、すごく興味がある。しかも舞台は日本でしょ?
外国人が描く日本像って笑っちゃうところがあるけれど、それが却っていい味になる作品もある。
『ブレードランナー』とかね。本作はどんな作品に仕上がっているのかすごく楽しみだよ」
カエル「では感想記事のスタートです!」
作品紹介・あらすじ
新進気鋭のアメリカのアニメーションスタジオであるライカが、日本を舞台に少年の冒険を描き、2017年の第89回アカデミー賞にノミネートされ、獲得も有力視されたストップモーションアニメーション。(受賞は『ズートピア』)
ライカの設立も尽力し、過去作では制作に名を連ねていたトラビス・ナイトが初監督を務める。
声優には海外版にはシャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒー、ルーニー・マーラーらが起用されて、日本語吹き替え版に川栄李奈、ピエール瀧などの芸能人や矢島晶子、田中敦子などのベテラン声優も起用されている。
三味線を村で弾きながら生活する片目の少年クボは、体調が悪い母と2人で暮らしていた。『夜に外を出てはいけない』という母の言葉に対して、ふとしたきっかけで破ってしまったことにより、母の妹の父(クボの祖父)に狙われてしまう結果になる。
理解できない力でもって村を焼き尽くし、太刀打ちできずに万事休すかと思いきや、母の力によって助けられたクボは雪山へと送られていた……
自分を守るために伝説の武器である『折れずの刀』『負けずの鎧』『破れずの兜』を探し始める……
1 感想
カエル「では、まずはこちらの短評からスタート!」
#KUBO
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2017年11月18日
恥ずかしながらライカ作品は初鑑賞でしたが、本作は傑作です
ストップモーションとは思えない動き、髪の毛や衣服なども拘りが感じられる
そしてなによりもストップモーションアニメーションだからこそのストーリーになっていて、大人から子供、小うるさい映画ファンも楽しめる作品でした
主「世界が大絶賛したのも納得の完璧な作品でしょう。
今月観るべきアニメ映画はどれですか? と聞かれたなら、間違いなく本作と答える。
それこそ、海外アニメーションでしかもストップモーションアニメーションという日本ではオタク層があまり注目しないジャンルだから、盛り上がりに欠けるところがあるかもしれないけれど……個人的には昨年の11月に公開された『この世界の片隅に』ぐらいに話題になってもいいポテンシャルすら秘めていると思った」
カエル「最初にも似たようなことを言ったけれど『日本のアニメ』が好きな層と……いわゆるオタク層と『アニメーション』が好きな層ってちょっと違うんだよね。もちろん、その両者を兼ねる人もいるけれど、多分オタクと呼ばれる人は『GODZILLA 怪獣惑星』や『ご注文はうさぎですか?』などは見に行ったとしても、本作などはそこまで見に行かないような気がする」
主「どうしても『萌え』がないとオタク層に対するアプローチは弱いよね。しかも海外アニメーションは大手の……まあディズニー、ピクサーなどのブランドとか、大人気キャラクターがいないとアピールは難しい部分はある」
カエル「ちょっと話がそれたから感想に戻るけれど、どのような点を絶賛しているの?」
主「全部絶賛。
それこそストップモーションアニメーションとしての絵の作り方であったり、水などの表現、そしてストーリー、人物の描き方、そこに込められた思い……そして『なぜストップモーションアニメーションなのか?』という理由に満ちた物語。
これがただ単に『綺麗に動く! すごい!』ってだけであればここまで賞賛しない。だけれど、この作品はその理由に満ちている。しかも複合的な意味合いすらもたせている。これは批評家受けするのも納得だよ。
ただ単に『絵がすごい!』ってだけじゃないんだからさ。
ちょっと日本要素を出そうとしすぎている感があって『エキゾチック・ジャパン!』な印象もあるけれど、でもそれもアニメーションがいい感じに中和してくれて気にならないね」
本作の制作について
カエル「何度も語っている『ストップモーションアニメーション』って一体なんですか? という人も多いだろうから、ちょっとだけ説明しようか」
主「アニメーションの語源は『アニマ』である。
『魂』とか『霊魂』などを意味するラテン語が語源である。
つまり紙に映画いた人物像が動き出したり、人形や粘土が動き出してまるで生きているように見えること……それがアニメーションである。世界中でセル画のアニメが人気になったけれど、なぜ絵だったのか? というと、単純に安くて比較的手軽だったからだよ。まあ、あくまでも『比較的』なんだけれどね」
カエル「例えば粘土でキャラクターをつくり、動きなどや物語性をつけて1シーンごとに撮影して(コマ撮りして)、それを繋いで動いているように見せると『クレイアニメーション』になって、人形だと『ドールアニメーション』になるわけだね」
主「そして今世界中で話題のCGアニメというのはその人形に当たるキャラクターをパソコンで作って、コンピュータで動かすわけだ。つまり広義ではストップモーションアニメーションである。
ドールアニメーションやクレイアニメーションは机の上で作られるんだけれど、そのせいで背景などがそこまで作り込めないなどの欠点があった。だけれど、デジタル加工によって今は表現できる幅が広がり、新たなドールアニメーションなどが生まれている。
日本では『ちえりとチェリー』という作品が昨年公開されて、女の子が愛する人形が動きだす……という物語になっていて、ドールアニメーションである理由やCGなどで美しく背景などが描かれていて面白かったよ」
DVD化はされないのかなぁ? お子さん向けのいい作品です
写真は文庫版
ノイズの味
カエル「で、その魅力って何?」
主「自分はCGでは描きない『ノイズ』にあると思っているんだよ」
カエル「ノイズ?」
主「デジタル加工されたアニメーションやCGアニメは滑らかでほとんど乱れの無い完璧な世界観を見せてくれる。だけれど、それがかえって硬質感であったり、冷たい印象を与えたりする。
アニメーションの面白いところだけれど、例えば鉛筆で描かれた作品は色の塗り方などによって背景などにムラができてしまう。
だけれど、その色のムラ、線の揺らぎ、それらのノイズに該当する部分が却って味になることもある。
多分、人間の暖かみってそういうところにあるんじゃないかな?」
カエル「本作も若干アニメーターによって動きなどに個性があって、ちょっとムラがあるけれど、それが面白いという……」
主「監督が語っているけれど『ストップモーションアニメーションというのは不完全だからこそ美しいアートです』という言葉の通りだね。だからこそ、本作はCGと見まごうようなクオリティではあるけれど、暖かみがあるんだよ」
日本愛溢れ出る映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』アニメーション・スーパーバイザーにインタビュー:わびさびとストップモーション・アニメーションの共通点とは? | ギズモード・ジャパン
カエル「ちなみに一番大きなパペットとしては約5メートルの物があり、そして小さなパペットは多分指の大きさくらいのものになって、バリエーションに富んでいるのも特徴だね。
それらのシーンをアニメーターが動かすのは基本は1人で行っているというから驚きだよね」
主「どれだけ手間ひまがかかっているのか、という話だよね。今作やこの表現技法にかける思いが伝わってくるよ」
以下ネタバレあり
2 本作のテーマ
カエル「では、ここからはネタバレありで語っていくけれど……」
主「自分は本作は色々な見方ができるように作られていると思う。
クリエイター論であり、虚構と現実である、人生論でもある。
そしてその多くが今作がドールアニメーションであることが鍵になってくるように駅ている」
カエル「ふむふむ……」
主「まず、序盤でクボが弾く三味線に合わせて紙が動き出すんだよね。これは多分向こうの人は意識していない部分だろうけれど、ちょっと嬉しかった。
日本初のアニメーションって切り絵なんだよ。
『なまくら侍』という作品だけれど、紙を侍の姿に造形して、動かしたのが初のアニメーションと言われている。そこから25年くらい過ぎてからセル画でアニメーションが作られている。当時はセルがすごく高かったからね」
カエル「切り絵ではなくて、折り紙だけれどサムライを描いて昔からの物語風に描くということに、なまくら侍などの日本の古いアニメーションを連想されて嬉しかったんだね」
主「日本アニメーションが生まれて100年の記念すべき時に、海外からこういった作品が生まれたことに感慨がある……
まあ、それは自分の穿った見方だけれど、感動したね」
カエル「では話を戻して、本作のテーマについて語ろうか」
主「あのスタートのクボが話す物語だけでこの作品のテーマが全て込められているんだよ。『折れずの刀』『負けずの鎧』『破れずの兜』の3つを集めること……これが重要になる」
村で演奏するして物語を紡ぐクボは見事なクリエイターです
本作の構造として〜クリエイター論〜
カエル「つまり、この3つの武器がテーマを読み解くのが大事だということだね」
主「まず、1つ目の視点としての『クリエイター論』で考えてみよう。
今作にクボの最大の武器として上がるのが三味線である。この三味線のうちの2本の絃を使うことによって、折り紙を動かすことができる。これは考えてみると、音楽と絵の融合によって動き出すことを考えると、アニメーションだということもできる。
クボって優れたクリエイターでもあるんだよ。既存の物語に合わせて物語を創り出す、物語作家としての面もある」
カエル「だからこそのライカなんだ」
主「そう。つまり、折り紙や猿のお守りが動き出す……これは『無生物に魂を宿して動かす』というライカが目指すアニメーションでもある。
クボがやっているのはアニメーションを創り出すということなんだ。
だから本作はストップモーションアニメーションでないとできない物語になっている。
そして大きな武器を手に入れるための試練に出かける。その1つ目が巨大なガイコツが相手だけれど……ここはどう解釈する?」
カエル「え? 封印された巨人とか、伝説の剣とかそういうことじゃないの?」
主「自分は『偉大なる先人や作品』を象徴しているように感じた。
だからこそ、その大きな存在に負けることなく、過去の作品から今でも使える表現を見つけようという思いがあるんじゃないかな?
それこそ巨大なガイコツはウォルト・ディズニーや宮崎駿だと言ってもいい。それだけ歴史的なアニメーションの大家に対して、自分たちは違う道を進むぞ! という決意とともに、そこから学ぶもの、吸収するものを獲得しよう……それが『折れずの剣』に象徴されていると感じた」
カエル「じゃあ、次の大きな目は?」
主「あれはそのまま観客だよ。
クリエイターであれば必ず観客の好奇の目にさらされる。しかも、このようなブログなどで好き勝手言われてしまう……それでも表現をしていこう、続けていこうという『負けずの鎧』を身につける。
つまり、クリエイターとしての剣という攻撃の手段が『諦めない姿勢、表現手段』だとしたら、防御する手段が『様々な雑音に負けない心、信念』であることを象徴している。
だから、本作では折れずの剣や負けずの鎧で戦うのでなく、最後はクリエイターとしての技術……つまり三味線と歌と折り紙で戦おう! というライカのクリエイターとしての宣言でもあるわけだ」
精霊流しのシーンの美しさに思わず見惚れてしまう……
現実と虚構
カエル「続いてはこのブログでもよく出てくる『現実と虚構』の問題だけれど……」
主「この作品ってさ、構造を分解するとちょっと面白みがなくなるところもあるんだよね」
カエル「……というと?」
主「本作は簡単に言えば、妄想の物語なんだよ。
なぜ最後の兜が最初の村にあったのか?
それはクボが生きる場所は、どこか夢の世界ではなくてあの村であることを表現している。つまりさ、よく親が言うことだよ。
『地に足をつけて生きなさい』ってこと。
だからこそ『破れずの兜』なんだよ。苦境な現実があるかもしれない、もしかしたら現実の方が辛いかもしれない。だけれど、その境遇に挫けることなく……『破れることなく戦うことが大事』ということなんだよ」
カエル「漢字は違うけれど、負けずの鎧と同じような意味なんだね。
結構多くの作品でもこの現実と虚構の問題って語るけれど、それって大事なことなの?」
主「少なくとも自分は物語を語る上では1番大事なことだと思っている。
この作品は言ってしまえば『親が死んでしまって悲しい男の子の妄想話』ということもできる。中盤の冒険は全部妄想……あるいは、彼の心象風景や過去を振り返るために考えていたこと。つまり彼の頭の中にある物語、あるいは逃避である。
物語の効能の1つが現実を忘れされてくれることだけれど、それは空想や妄想でしかない。現実からの逃避になってしまうこともある。大事なのは生きること……家族であったり、仕事や学業である。
だから本作は虚構の世界を扱うけれど、ライカそれに逃げないで、ちゃんと帰るべき場所も提示しているんだ」
この3人の関係性が非常に重要
子供の成長譚
カエル「そして3つ目の視点である子供の成長譚という話だけれど、これは父と母の物語を知るということだね」
主「なぜラスボスが祖父だったのか? と考えると、もうクボを引き取ってくれる親戚って祖父しかいないんだよ。しかも顔を合わせたこともない、村の外れで生きていたような人で、しかもボケもある。そんな人と暮らすのは誰だって嫌だろう。
あの叔母達はそれこそクボを引き取ろうとする人である。子供からしたら辛い話ではあるよね」
カエル「でもさ、おじいちゃんは目を奪おうとしていたじゃない? あれは?」
主「前に語った『現実と虚構』と一緒。つまり、現実のことなんて忘れて、虚構の世界で生きなさいってことなんだよ。
多分、祖父ってあの村を収める人物だったんだろうね。だけれど、娘はいなくなり、落ちぶれてしまった。だからこそ、すべてを忘れて過去の世界に……自分の妄想の世界に逃げてしまったのかな?
妄想の世界を生きるには現実を生きる目は必要ない。
現実を見る目をなくして、空想の世界や思い出の世界で生きなさいということだ。
だけれど、クボはその世界を拒否する。
その半分の目でしっかりと現実と向き合いながら、だけれど物語を創作しながら生きることを決意する。ある意味では決断というよりは半端な態度だということもできるかもしれない。だけれど、物語を創作して生きるというのはそういうことだから」
カエル「そしてお父さんとお母さんのことを思いながら生きるわけだね……」
主「ある種のスターウォーズみたいだなぁ、と思いながらも……でも死んでいってしまった人たちの思いや願い、愛されていたという事実を知りながら生きる……これってとても大事なことだよね。
子供として父と母に愛された思いを知り、それを心の支えとして生きる……それが3本の絃である。
この3つの大切な要素が見事に混ざり合った、まさしくライカだからこそできるアニメーションに仕上がっている。
まさに驚愕だよ」
3 過去作とのつながり
カエル「では、ライカの制作した過去作も鑑賞したので、そちらとの関係を考えていこうか」
主「今回鑑賞したのは『コララインとボタンの魔女』でなんだけれど……ライカが初めて制作した作品でもあるんだけれど、この作品から語っているテーマは一貫していると感じた」
カエル「簡単にあらすじを紹介すると主人公のコララインという女の子は引っ越してきた家にある謎の扉に目を向ける。するとそこからはボタンの魔女が現れて、偽物の父親と母親に変装している。最初は優しいけれど……というホラー風味の子供向けアニメーションだったね」
主「この作品も扱っているの2つの世界なんだよ。
つまり、コララインが暮らす現実の世界と、ボタンの魔女が住む不思議な世界。
これは家族に相手にされることもなく、寂しい思いをしていた女の子が妄想の世界へと誘われてしまったという風にも解釈できるんだ」
カエル「基本的な構成は似ているよね」
主「だけれど『ボタンの魔女』などのように人形であるからこその表現や恐怖感を描き出している。さすがに完成度は今作には大きく劣るけれど、でも初めての作品でここまでの完成度であることは驚愕でもある。
KUBOはコララインで描いたテーマをさらに昇華したとも言えると思うね」
カエル「そして『パラノーマン プライス・ホローの謎』だけれど……
カエル「簡単に説明をすると幽霊を見える少年が親戚のおじさんから魔女を再び封印してもらうことをお願いされて……という、こちらもホラー風味のアニメーションになっているね」
主「ここで重要なのは『幽霊の存在』である。幽霊が襲ってくるというのは、文字通り死者の魂との会合でもある。そして、この作品もいうまでもなく死者との交流を表している。
だけれど『KUBO』は戦う相手ではなくて、自分の過去と向き合うための相手として幽霊や死者が出ている。
過去のエッセンスを取り入れながらも、さらに昇華した物語を提示しているわけだ。だからこそ、本作は高い評価を得るほどの作品に仕上がっているのだろうな
カエル「ちなみにこの作品もクリエイター論を感じられるし、とても素晴らしい作品なので是非鑑賞してほしいね」
主「……ぶっちゃけ、個人的にはこの作品はクボより好きかもしれないくらい、いい作品なんだよねぇ……」
最後に
カエル「では、最後になるけれど、こういった作品が評価されるのは嬉しいよね」
主「某怪獣CG映画において『なぜCGなのか?』ということを何度も問いただしたけれど、こう言った『その表現でないとできないこと』を追求し、それをテーマとした作品を見せてくれると余計にそう思う。
日本は確かにアニメ大国だけれど、CGじゃないとできない理由などをテーマにした作品がほとんど生まれていないように思う。
画面の派手さ、快楽性……確かにそれも重要だけれど、なぜその表現なのか? ということもとても重要なことだと思うけれどね」
カエル「そしてライカにはそれがあると?」
主「というか海外のアニメーションは大体そのテーマから始まっているように見える。近年はデジタルの普及によりアニメーションが世界中で生まれているけれど、その表現でないとできないことを追求した作品もたくさん生まれている。
日本は逆に日常的すぎて、その理由を考える必要がないのかもね」
カエル「テーマ性かぁ」
主「まあ、多分多くの映画ファンやアニメファンには関係ないことかもしれないけれどね。魅力的なキャラクター、快楽性の高い動き、アニメーション……それが見れたらいいというのも同意するところもあるし。
でも、特にそれがある作品がエポックメイキングな作品となって歴史に残ることになっていくと、自分は考えている。
だからその意義が見事にある本作を自分は大絶賛します。まあ、終盤がちょっと走りすぎた感もあるけれど、でもいい作品でしょう。
もっと色々な人に見て欲しいね!」