今回はボクシング映画『BLUE ブルー』の感想記事になります!
こちらは試写会で鑑賞させてもらったの
カエルくん(以下カエル)
「知り合いのTwitterでの映画好きや、映画ブロガーもたくさんいたねぇ」
亀爺(以下亀)
「緊急事態宣言ということで、よほどの映画好き以外はなかなか応募しづらかったのかもしれんの」
カエル「そんな個人的にはアットホームな雰囲気の中で行われた、本作の試写会での映画を見た感想をあげていきましょう!」
感想
それでは、Twitterの感想からスタートしましょう!
#BLUEブルー
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年3月17日
ジョーにも力石にもなれなかった西、カーロス、金串、権藤はその燻った炎を抱えながらどのように歩いたのか
弱いから、負けたから…そんなことで消える蛍火ではない思い
30年ボクシングを続けた監督の想いこもる爽やかな風と魂を感じさせる大人の青春ボクシング映画でした@FansVoiceJP pic.twitter.com/sPaDAnEb7f
ただ、半端には感じたかなぁ
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2021年3月17日
どっちかに極端に触ればまた変わったのかもしれないけど
中年の青春ボクシング映画とも言えるかの
カエル「今回は試写で鑑賞したということもありますが……試写会ってさ、良く言えばお客さんがあったかい、悪くいえば空気が読めてない時があると思うんだよね。
この作品もゲラゲラと笑いが起きていて、コメディ感はあるんだろうなぁ……と思いながら見ていたけれど、今笑うべきじゃないってところでも笑いが起きていたりした印象があるかなぁ」
亀「それが悪いことと断罪するのは難しいが、試写の雰囲気と実際の映画館の雰囲気は違うということを考えておかないといけないの。
ただし、この作品は笑いが起きていたということはしっかりと笑えるという意味で、面白い映画であることは間違いない。
もちろん、コメディのようにゲラゲラとするものではないが、日常の可笑しさというか、そういったものを内包した映画じゃな」
カエル「ただし、そこまで満足度は高くないというか……」
亀「この辺りは監督との相性の悪さがあるかもしれん。
吉田恵輔作品は何作か観ておるが、上手いとは認めるものの、個人的には好きになれん作品も多い。
今作もその1つであり、少し疑問符がある作品となってしまったが、その辺りについても語っていくかの」
ボクシングというジャンルについて
試写会後のトークショーでも語っていたけれど、”ボクシング映画=成功するまでの成り上がり映画”と考えていると、ちょっと面食らうかもしれないかなぁ
まあ、ボクシングはさまざまなドラマの題材になった作品ではあるがの
カエル「それこそ、日本だと『あしたのジョー』があるし、ボクシング映画の大金字塔の『ロッキー』のようなドラマもあるよね」
亀「ボクシングというのはスポーツ映画の中でも独特な地位にあるように感じておる。
その多くが何も持たない人々が、拳1つで成り上がり、そして成功していくドラマ……と思われておるが、それもそれで間違いではない。じゃが、それと同じように『ミリオンダラー・ベイビー』のように……まあ、あの映画は特殊とも言えるが、敗北のドラマでもある。
『あしたのジョー』も勝者と成り上がりのドラマのように言われておるが、その内実は敗者のドラマじゃ。
結局、ジョーも勝者にはならなかった……まあ、世界タイトルマッチまでやっておいて敗者というのも、どうかという話はあるじゃろうがの」
カエル「でもさ、この作品の特殊性って、そういった……”タイトルマッチまでいった男たちが燃え尽きるためのドラマ”ではない、ってところだよね」
亀「そうじゃな。
例えばプロレス映画であるが、かつての栄光に縛られていく男のドラマといえば『レスラー』などもあるわけじゃな。しかし、『レスラー』にしろ、『あしたのジョー』にしろ、かつては栄光の中にもおり、全てを捨ててリングに立つことを選び、時には人生をダメにしてでも戦うことを選択する話じゃ。
しかし、こちらはそういった作品ではない。
家族、将来、あるいはもっともっと根本的な……才能というものかの、そういった様々なことを考え、輝ける場を失い、そのままひっそりと消えていく才能たちを描いた作品じゃな」
その意味ではジョーや力石ではないんだね
むしろ、そこに憧れながらもそうはなれない人々の話じゃろう
カエル「だからマンモス西や、カーロス・リベラ、ウルフ金串、ゴロまき権藤だと……」
亀「『あしたのジョー』の物語で1番成功したのは……まあ、世界チャンピオンであるホセ・メンドーサかもしれんが、それも最後の戦いの後のことを考えると、どうじゃろうな。
そう考えると、最も成功したのは……ボクシングを辞め、一般商店に就職し、そこの娘さんをもらって家族を作ったマンモス西なのかもしれん。
『あしたのジョー』はジョー目線の物語じゃ。しかし、そこで燻ってしまった……パンチドランカーになったカーロス、顎が砕けてヤクザの用心棒をしているウルフ金串、そして喧嘩屋のゴロまき権藤などのように、燃え尽きることができなかった人々も世の中に大勢おる」
わしは、この映画を見終わった後に、さだまさしの『甲子園』という曲を思い出していた
3000幾つの参加チームの中で
たったの一度も負けないチームはひとつだけ
でも多分君は知ってる敗れて消えたチームも
負けた回数はたったの一度だけだって事をね
さだまさし『甲子園』
カエル「ボクシングの場合はトーナメントと違って、たった1度負けるだけで終わるわけではないけれど……でも、たった1人の勝者(チャンピオン)の下には、山のような敗者がいるということだもんね……」
亀「もっと厳密にいえば世界チャンピオンも複数いるのがボクシングであるが、それはとりあえずおいておこう。
確かに、日本人の中には『グラウンド(リング)で死ぬのが本望』という考え方があるじゃろう。そこまで目一杯に打ち込むことができれば、それがもっとも素晴らしいのかもしれん。
しかし、現実はそうはならない人が大多数じゃ。
だからこそ……アイルトン・セナや、アンディ・フグのような輝かしい時期に。悲劇的な雰囲気もある形で生涯を終えた人に、人々は憧れを抱くのかもしれん。
死ぬこともできず、燃え尽きることもできず、家族のために違うフィールドで戦う……現役時代以降の物語がある。それに向き合った物語でもあるの」
個人的なモヤモヤも
一方で、ちょっとだけモヤモヤした部分もあったと語っておきましょうか
何か不満というわけでもないが、少し中途半端な印象を抱いたかの
カエル「……中途半端?」
亀「先のようなお話であるからこそ、ボクシング映画に求めるような熱量がワシにはあまり感じられなかった。
例えば『ロッキー』のような勝ち上がる喜び……まあ、ロッキー1は勝つだけのお話ではないじゃが、そういったものも、『あしたのジョー』のような輝かしい負け方も、この映画にはない。
言ってしまえば、普通の物語に思えてしまったかの」
カエル「確か監督も何十年もボクシングを続けていて、その中で見てきた、すごく弱いけれどボクシングへの情熱があって、ある日ふっと消えてしまったボクサーをモデルにしているんだよね」
亀「例えば、物語としてはその才能がないボクサーと日本チャンピオンを目指すくらいのボクサーが、最後に戦えば盛り上がるじゃろう。
あるいは別の才能を見つけた、とかの。コーチには向いていて、門下生がどんどん成り上がっていって……とかの。
しかし、この映画はそうはならない。
逆に、徹底的に敗者や悪を描くわけでもなく……そちら側にはそちら側のカタルシスもあるのじゃが、それが感じられなかった」
結局は、普通の人を描いた作品だしね
それが物語として面白かったのか? というところじゃな
亀「確かにボクシングは年齢を考えるといつまでもできるものではないじゃろう。そこからドロップアウトしても、そのまま熱意を持ち続けることもできる。今作では、その熱意を描いた映画といえるじゃろう。
ワシとしては”敗者の美学”としても弱い印象を受けた。
もしかしたら、その敗者の美学とは違うものを描いたのかもしれんがの」
カエル「う〜ん……なんか、亀爺が望んでいるのって”破滅の美学”だと思うんだよね。
だけれど、この作品は敗者は敗者でも、破滅ではない。だからこそ、すごく日常的で尊い映画だけれど、だから合わなかったのかもねぇ」