この作品って韓国映画が先なんだ
この話自体は時効がある国だったらどこでもできるしね
カエルくん(以下カエル)
「上映が終わって公式サイトとかの情報を調べて初めて知ったよ」
ブログ主(以下主)
「『法と被害者感情』という視点について考えれば、あれだけ熱気のある韓国の方がむしろ馴染みのあるテーマなのかもしれないな」
カエル「韓国はすごいもんね。犯罪加害者をマスコミが囲んで、色々な話を聞き出したりして……政治犯とかならまだわかるけれどさ」
主「でも思ったよりも取材風景を見ていると秩序がありそうで、日本だったら我先にとマスコミが押し合う姿が想像できるけれど、韓国の犯罪加害者のインタビュー映像を見ていると決められた手順をこなすようにやっているんだよ。
加害者到着→マスコミが1歩前に進んで加害者にマイクを向ける→決められた質問? をするように静かに質問する→加害者が答えるor黙秘→一定の時間で加害者が歩き始めるとマスコミが1歩後ろに下がる……みたいな」
カエル「やっぱり加害者への配慮もわずかにはあるのか、それとも混乱を避けるように指導が行き届いているかな? もしくはそのインタビュー映像の時はしっかりとしていただけかもしれないけれど」
主「わからんけれど、日本だったら少しでも感情的にさせようとして色々な質問をして、声を荒げたり感情を爆発させた瞬間を何度も放送するじゃない? それに何の意味があるのか知らないけれど……キャッチーで視聴率稼ぎのためなんだろうけれどね」
カエル「そのような『法のあるべき姿』についても考えなければいけないのがこの作品だけど、その前に映画としてどうだったのかということを語っていこうか。
感想記事のスタートです」
主「あ、あとこの作品のラストに関わる致命的なネタバレ、直接的な言及はしないので悪しからず。
もしかしたらニュアンスで察してしまうかもしれないけれど、その時はゴメンなさい」
作品紹介・あらすじ
韓国の映画作品『殺人の告白』を原作に日本でリメイクされた作品。
監督は『SRサイタマノラッパー』『日々ロック』などの入江悠が務めるほか、脚本は入江と平田研也の連名となっている。
藤原竜也と伊藤英明のダブル主演に加えて、仲村トオル、野村周平、夏帆などが脇を固める。
1995年、同一犯による連続殺人事件が発生し、殺害方法や独自の手口などの共通点が多くあったものの、捜査を担当する刑事・牧村は犯人を掴まえることができないまま時効を迎えてしまう。
事件から22年後、犯人を名乗る男が執筆した殺人手記『私が殺人犯です』が発売される。出版記念会見などにも顔を出し、連日のマスコミの報道などもあって一躍時の人となるのだが……
1 ネタバレなしの感想
では、まずはざっくりした感想から述べていこうか
う〜ん……また評価が困るかなぁ
主「……もしかしたらこれはあんまりいい癖ではないのかもしれないけれど、自分はミステリーを見ている時は『自分ならどうするか?』ということを中心に考えていくのね。誰が犯人なのか、トリックは何か、どうすれば1番キャッチーで面白い作品になるのか考えながら楽しんでいる。
この映画の予告編を見た段階で幾つかの予想をしていたのよ。
『殺人の告白』かぁ……じゃあこうするなってのを2、3くらい思い浮かべて、予告を見るとあの部分が強調されているから、王道ならトリックというか突破口はこれで……とかさ。
で、それがまんまと当たってしまったわけ」
カエル「あー……それは面白くない見方だね」
主「コナンでもこの突破口あったなぁ、と思ったけれど、多分ミステリーなどに少しでも馴染みがある人なら誰でも考えつくものだと思う。その意味では意外性は個人的にはなかった。でも、結構驚いた、驚愕だったという意見も多くてさ、多分あんまりこの手の映画に見慣れない人にとっては楽しめたんじゃないかな?」
カエル「でもさ、この時効ネタって日本だともうできないわけじゃない? 殺人は時効が無くなってしまったし……」
主「いつかは時効が復活すると思うけれどね。100年経っても解決していない事件なんて捜査するのも不可能だし。科学の進歩などもあるけれどさ。
いまだにイギリスの『ジャック・ザ・リッパー』を捜査しています! と言われても税金の無駄遣いだし。多分時効は50年か100年かでまた復活するんじゃない?」
カエル「100年経ったらもうどうでもいいというか、むしろ切り裂きジャックみたいにまた違う存在として語り継がれるかも……」
今作で1番輝いていたのは間違いなく藤原竜也でしょう!
映画として
カエル「で、まずはそのテーマとかはとりあえず置いといて映画としてどうなの?」
主「う〜ん……正直辛口かなぁ。
日本の大作邦画の悪いところが如実に出ていた作品でもある。でも、決してけなすだけじゃなくて、良かった面もある」
カエル「予想が当たってしまった人からしたらミステリーとしての最大の楽しみである『大どんでん返し』が楽しめないわけだしなぁ。ちょっと辛くなるかも……」
主「やっぱり描写の1つ1つが違和感がありすぎ。
すっごい演出されているんだけど、それが過剰なんだよ。予告にある殺人の告白本を発表するシーンとかさ、何あの演出? 真っ暗な中登場するけれど、マスコミがフラッシュを焚かないでじっと待っているのよ。そんなことある? あれだけの大事件の真犯人だよ?
大体さ、警察が『犯人』っていうの? そんなの踊る大捜査線以前の警察ドラマぐらいであって、今時そんな言葉使いが出てくるかなぁって疑問があった」
カエル「警察用語が次々出てきても分からないから困るけれど、せめて容疑者……まあこの時は容疑が固まっていない&時効だから正確には容疑者ではないのかもしれないけれど、ホシとか言ってほしいという思いはあるかなぁ。犯人ってマスコミとか一般人が言うにはいいけれど……」
主「この手の映画ではいつもそうだけど警察が無能すぎる。しかも警察官って怪物集団だよ? 身体能力が高い、しかもバリバリの刑事とやりあうわけだからさ、それっておかしくない? って思いがあって……
悪いところをあげればキリがない。
22年前の事件のあのピラゴラスイッチもなんだよ! とかさ。この抜群のテーマを持っているのに、それが生きているとも思えなかった。
中途半端だよ、やるならやるでもっと突っ込めよ! とか」
カエル「誰でもわかるエンタメとして楽しませることも重要視している結果だけどね!」
伊藤英明も熱演が光る!
良かったところ
カエル「じゃあ、気分を変えて逆に良かったところをあげていこう!」
主「まず第一に素晴らしいのが予告編の作り方だね」
カエル「予告?」
主「この作品ってたくさん予告をやっていたから、劇場に通う自分とかは多分10回以上予告を見ているけれど、だからこそ違和感があったんだよ。『あれ? あのシーンって……』というさ。
それは予想していなかった。
ここは予告の作り方の大勝利」
カエル「あー! 言いたいけれどここは我慢でね!」
主「あとは……深いとは思わないけれど藤原竜也の怪演が光ったよ。
藤原竜也も『何をやっても藤原竜也』と叩かれやすいけれど、それはむしろ褒め言葉だよ!
圧倒的な存在感を放つ銀幕のスターってことだからさ!
演技の引き出しの広さが役者としてのうまさだという意見も多いし、それは否定はしないけれど、スター性は天性のものだから!」
カエル「役者なら伊藤英明、仲村トオルもさすがのベテランという演技だったね」
主「まあ、正直過剰演技の過剰演出だなって思うところもあるけれどさ。存在感は抜群にあった。
この3人以外は……例えば個人的に好きな松本まりかも出ているんだけど、使い方が上手くいってないなぁって印象かな。上記の3人を魅せることに特化した印象だね。これは良い点と悪い点の両方かな? でも先品から考えるとそれは正解かもね」
以下作中言及あり
2 映画としての本作
じゃあ、ここからは作中に言及しながら語っていこうかな
序盤は悪くないよ!
カエル「じゃあ、ここからは作中に言及しながら語っていこうかな」
主「ギリギリ年齢制限がつかないレベルの残虐性、多くの人が見ることができて、しかもテレビでも放送できそうなものに抑えられていたし、そこは評価できる。絞殺というのも血が出ないから、というテレビ的な大人の事情も垣間見えたけれど、でも気になるものではないし。
それから事件の年表を作ったけれど、そこに実際の事件を絡めてきたというのも中々いいよね」
カエル「あれで現実感が増すもんね。オウムがいつあって、国松長官がここにあって……とか言われると、確かにあの時代ならこんな事件が起きてもおかしくないかも」
主「1995年になったのは偶然だろうけれど、確かに平成で1番語ることの多い日本の変換点になった年でもあると思うんだよ。阪神淡路大震災もそうだけど、一連のオウム事件もあり、さらにエンタメ界でいうとエヴァンゲリオンなどがヒットした。
ここでエヴァをあげると関係ないじゃん! と言われそうだけど、混迷する時代の中で何を信じればいいのかわからないという若者感情が爆発した作品と考えれば、象徴的な作品になっていると思う。
特にこの絞殺事件もすっっごく大きな事件だけど、あの当時ならオウムがあまりに大きすぎて、もしかしたら今ほど警察も力を入れられないかもしれない。
オウムのときは人が足りなすぎたという話もあるし……さすがに本腰は入れるだろうけれど……」
カエル「オウムに関しては捕まったのも近年だしね」
主「この時代を選択できた、発見したというのは製作陣の勝利。このネタはある意味では1度しかできないからね。だからこそ、もっとうまく作って欲しかったなぁ、という思いもあるんだけど!
細かいことを言えばこの事件の紹介をテレビ番組がして、視聴者=観客への説明になるのはいいけれど、コメンテーターの発言とかがあまりにも無知すぎてイライラしたし! リアリティの欠片もないよ! テレビ局がバックについているのに!」
カエル「そういう細かいところに拘るよねぇ」
感情を露わにする2人の攻防
過剰な演出で失ったもの
カエル「演出は確かに過剰だったけれど……」
主「ちょっとやりすぎだよね。ミステリーとして大事なさりげない伏線がピックアップされちゃって、全くさりげなくないし、発言がおかしいところもすぐに気がついたし。
あのテレビ番組でのやり取り、あれ何よ? 不自然の塊じゃない」
カエル「どういうこと?」
主「なんで被害者遺族の個人情報をテレビで堂々と晒しているの?
捜査員の情報を晒しているのよ? 伊藤英明は一般人だし、それこそプライバシーの高い案件じゃない?
なんだかそういう1つ1つの詰め込みが甘いんだよなぁ。
あとこういう事件を起こすのはサイコパスなクソ野郎だ! というのもねぇ。確かにサイコパスなクソ野郎であるのは間違いないけれどさ、その描き方が一面的過ぎる」
カエル「サイコパスな連続殺人鬼はクラシック大好きだよねぇ」
主「その描写ももう見飽きたよ。もうちょっと何かないわけ? この辺りは『ヒメアノ〜ル』が抜群に上手すぎたのかもしれないけれどさ……
それから最大の不満点がこの映画の1番メインとなるトリックなんだけれど!」
カエル「なんて説明しよかなぁ……この作品の大ドンデン返しのシーンと言おうかな?」
主「あれはアンフェアでしょ!? なんであれがOKになってしまうのよ!?
22年前の事件を捜査しているのも伊藤英明で全く変わっていないのは映画だからいいとしよう、そういう表現も大事だよ、混乱するし。
だけどさ、さすがにあのトリックは映画としてダメだと思うんだよね。
『変わる技術がある』ということがあるし、あの人が協力者でそれができるのもわかるけれどさ、でも本当に『変わってしまって』は観客に対してアンフェアじゃない?」
カエル「……そこ、そんなにこだわる?」
主「こちとらビリー・ワイルダーを愛しているんだよ! ワイルダーの代表作の裁判ミステリー映画を100回見直してこい! って気分だよ! ああいうのは騙し方が大事なわけで、あの映画的演出をしてしまっては台無しだろう!?」
カエル「……あー、面倒くさい映画ファンだな」
倒錯的な関係に陥る藤原竜也と松本まりか
濁しながら話します
カエル「ここはこの作品の核心に関わるのですっっっっっごく濁しながら話すので、全く意味がわからないかもしれないけれど、ご承知ください」
主「ネタバレ注意機能を使えればいいんだけどね……そんなスキル無いから。
簡単に言えば藤原竜也を起用したことが今作品のすべての鍵だったんだな、ってことかな」
カエル「それは存在感どうのこうのという話ではなくて?」
主「藤原竜也って賛否はあるけれど、やっぱり演技が派手で演技臭いんだよね。そこを考えると、この作品にすごくピッタリ合っている。
全てを理解した後に改めて振り返ると、この作品は藤原竜也劇場だったということがわかる。みんな彼に騙されていたんだよ」
カエル「……? どういうこと?」
主「役者と役の一致する瞬間があるんだよ。
彼の行動……過剰な演出、過剰な演技、そのすべてに理由ができる。その意味ではこの映画の問題点の多くが解決されるかもしれない。
ちょっとそれでもやりすぎだと思うから非難はするけれども、やっぱりこの役は藤原竜也ぐらいしかできないんじゃないかな?」
3 法と国民感情
この作品では『法律』と『国民感情』の2つの面がピックアップされていたけれど……
正解のない問題だからなぁ……
主「この問題は少年事件や精神鑑定、それこそもう改正されたけれど時効の問題で度々言われているもので」
カエル「気持ちはわかるんだけどね……時効ってなんだよ! とかなんで裁かれないんだよ! って思うとまあ遺族はたまったものじゃない」
主「法と遺族感情についてはすでに結論が出ていて平成2年に最高裁は『司法は社会秩序の維持が目的であり、被害者や遺族の救済は副次的なものに過ぎない』という判断が出ている。これだけ聞くと怒る人もいるかもしれないけれど、これは簡単に言えば『司法は加害者、被害者のどちらにも肩入れせず、中立の立場で裁く』ということの宣言であるということだろう」
カエル「えー? でもさ、苦しんでいる被害者がいるのに?」
主「でも加害者にも事情はあるんだよ。
それに被害者や遺族の感情を重要視すると……例えば家族がみんな『死んでほしい!』と願って、実際殺されて死んでも泣くことなく喜ぶようなことがあった場合、加害者は減刑されてしまうんじゃないの?
それこそこの映画のように、殺人犯が出てきて遺族が敵討ちをした場合、遺族は裁かれなくていいの?
人の命は平等であるならば、量刑は感情に左右されず平等であるべきだと自分は思うけれどね。もちろん、色々な事情があるけれど、それは裁判官が刑を重くしたり軽くしたりして調整しているし」
カエル「……なんか納得できないんだけど」
主「国民感情を考慮する司法というと韓国が有名だよね。愛国無罪なんて言うけれど、それはパククネ裁判なども見てわかるように、国民感情が裁け! と高まるとそれを考慮する。日本関連でいうと仏像窃盗問題があったけれど、あれもトンデモナイ判決が出たけれど、それは国民感情に配慮した結果ということもできる。
自分は日本の中立的な司法と韓国のような国民感情に配慮した司法であれば、日本式を支持する」
表現の自由と犯罪
カエル「そしてこの映画では重要なテーマとなるのは表現の自由と犯罪だけど、これは日本だと少年Aによる告白本が発売されたりと、日本でも問題視されたよね」
主「ここは難しい問題であり、以前にも語ったので過去記事を貼っておこうかな」
カエル「基本的には主張は変わらないのね」
主「そうね。確かに倫理的に問題があり、被害者感情からすると許せないという気持ちもわかる。だけど、少年Aの表現の自由はあるし、それについて否定するとなると人権や表現の自由は条件付きのものになってしまう」
カエル「だけど犯罪でお金を結果的に稼ぐことになるのは許されないことじゃない?」
主「それはこれからの法改正が行うべきことであって、今の法では裁けない。
色々な立場の人が色々な意見があると思うけれど、倫理的には限りなく黒に近いグレーではあっても、法律としては問題ないならば認めざるを得ないんじゃないかな?」
最後に
というわけで最後に……
この映画の結論もちょっと気になるったかな
主「やっぱりそういうラストになるんだ、とは思うけれど、もっと伊藤英明も感情を出しても良かったよ。
なんなら、犯人を捕まえるのか殺すのかという葛藤も欲しかった。あのトリックも使わないで、野放しor復讐の問題になってほうが面白かったように思う。
警察官だから犯人逮捕に全力を挙げるのは当然としても、あの時の状況では伊藤英明もまた被害者なわけだからね」
カエル「その辺りの葛藤はあの人がやっていたんじゃないの?」
主「1番ドラマとして面白い存在が伊藤英明なんだよ。
刑事であり、何年も追った相手であり、そして被害者である。その存在が逮捕という手段を失われた時にどのような結論を出すのか、というドラマにしてもよかったんじゃないかな?
大体日本の警察物ってラストが勧善懲悪的に終わるけれど、この映画は『法と国民感情』なんだからさ、法が裁けなくなった時に被害者や刑事は加害者にどう立ち向かうのか、ということを徹底的にやってほしかったという思いがある。
もちろん、原作の韓国映画があるから簡単にはできないだろうけれど」
カエル「……自分でそういう話を書けば?」
主「……あ、なるほど。
タイム、ちょっと待って! 今のなし! 今の嘘でこの映画のラストが最高! だからみんな忘れてね! そんなアイディア、どこにもないよ!」
カエル「……これはやる気ねぇな」