カエルくん(以下カエル)
「では、羊の木の感想記事となりますが……この作品っていがらしみきおなんだね」
ブログ主(以下主)
「意外だよねぇ。やっぱり代表作って『ぼのぼの』とか『忍ペンまん丸』になってくるだろうし」
カエル「ホラーは苦手だからあんまり手を出さないけれど、そういう作品も書いていたり多作な作家なんだね」
主「ぼのぼのは好きでずっと読んでいるだけれど……アニメも見ているくらい好きなんだけれど、あのシュールな世界観を醸し出せるのはいがらしみきおの作風が大きいのかもしれない。
そう考えるとこの映画って確かにいがらしみきおの作品に出てきそうなキャストばかりだよね」
カエル「松田龍平とか市川実日子みたいなキャラクター、ぼのぼのにいた気がするもんね。
そんないがらしみきおが原作の映画の感想記事のスタートです!」
作品紹介・あらすじ
『桐島、部活やめるってよ』『美しい星』などの吉田大八が山上たつひこ原作いがらしみきお作画の同名漫画を実写映画化した作品。脚本は吉田作品であり『クヒオ大佐』も手がけた香川まさひこが担当する。
主役には今作からネットで写真が許可されたジャニーズ事務所の人気アイドルである錦戸亮、その同級生役に木村文乃、そして6人の元受刑者に北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯、松田龍平を起用し、独特の世界を構築する。
市役所職員の月末はある日、6人の移住者を迎えにいけと言われる。そこに向かうと明らかに周囲とはおかしな雰囲気だった。実はこの6人は元受刑者であり、自治体が住む場所と仕事を斡旋して仮出所させるというプロジェクトに選ばれた人たちであった。
不信感や違和感を抱きつつも彼らと付き合っていく月末であったが、ある日海から死体が上がってくることになる。
この死体は殺人なのか? 犯人はこの中にいるのか? 疑心暗鬼にかられる中で、物語は静かに動き始める……
1 感想
カエル「では、いつものようにTwitterの短評からスタートです!」
#羊の木
— 井中カエル@物語るカメ/映画・アニメ系VTuber(初書籍発売中!) (@monogatarukame) 2018年2月3日
間違いなく人を選ぶのはわかっているんですよ
でも自分はこの作品、愛しているし愛したいと強く思っています
テーマの根幹はスリービルボードに近いよね
すごく尊くて美しい映画を堪能させていただきました!
主「もう大好きな1作です!
やはり吉田大八作品というと、邦画史上に残るかもしれない大傑作である『桐島、部活やめるってよ』が有名だし、自分も大好きな作品だけれど、それと匹敵するくらいに好きな作品かもしれない。
ただし、万人受けはしないと思う。誰にでも伝わる圧倒的なエンタメ性があるわけでもなく、そして手放しで褒めるほど上手い映画でもない。
突っ込みどころというか、謎な展開や意味は若干はあるんだよ。
ただし、それを差し置いても今作はとても素晴らしい意義とメッセージ性を含んでいる」
カエル「あと、これも個人的な感情だけれど大好きな役者がたくさん出ているというのがあるよね。
『シンゴジラ』を大絶賛した身からすると松尾諭と市川実日子が出ているだけでワァー! ってなってしまうところがあるし、それに味のある俳優が多く出演していて……」
主「自分は松田龍平のあの無機物的な、サイコパス染みた演技って大好きなんだよね。画面いっぱいに大好きな俳優たちがたくさん出てきて、しかも男性も女性もみんないい顔をしているからさ……これはイケメンとか美女とかそういうことではなくて、演技が輝いているの。
木村文乃の美しさ、優香の妖艶さ、田中泯の渋さ、水沢慎吾の脆さ、中村有志の危うさ……それらが一体となる姿を見ると、もう恍惚とするよねぇ」
吉田大八といえばやはりこの作品!
吉田大八監督について
カエル「続いて吉田大八監督作品について語っていくけれど、このブログは意外にも? 吉田大八作品を数多く論じています。
2016年にこのブログは始まって、新作を中心にレビューしているけれど、開設前に公開された作品を2つもレビューしていて、アニメ映画でもないのに旧作を2つも語っているのは吉田大八作品だけかも?」
主「まあ、偶然なところもあるけれど『桐島、部活やめるってよ』でどはまりして、その後の『紙の月』なども鑑賞してレビュー記事をあげています」
カエル「そんな吉田大八監督の特徴はどんなところにあると思う?」
主「まず、先の感想と連なるところでいうと役者の撮り方が非常にうまい。
これは『桐島〜』もそうなんだけれど、あの作品って今をときめく若手俳優、女優がたくさん出ている。だけれど、当然このころはほぼ新人に近い頃であり、演技経験も少ない頃なのに、なぜそこまで高く評価されたのか? というと、間違いなく吉田大八の演技指導と演出のたわものです。
自分は桐島で橋本愛と松岡茉優に惚れました」
カエル「映画としてヒロインを世界一の美少女(美女)にするってすごく大事なことだからね」
主「それは『紙の月』での宮沢りえ、池松壮亮、大島優子もそうだし、『美しい星』のリリーフランキーなどの出演陣も同じ。役者を魅力的に撮る力がとても優れている監督の一人だよね」
カエル「作品の特徴としては?」
主「これは他の監督でも多く同じようなことを語っているけれど……やはり『人間の業を愛する』というところにあるのかもしれない。
この人の映画の登場人物は色々な意味でダメな人がよく出てくるけれど……『クヒオ大佐』や『紙の月』は詐欺師の話だし、そういった犯罪だったりに手を染めてしまったり、人間の弱いところに注目しつつも、それを肯定する作品が多い印象だね。
それはこの作品も同じだし」
カエル「確かに、この作品も予告などではバイオレンスな映画かと思うかもしれないけれど、実際はヒューマンドラマに近い作品だしね」
主「あとはいい原作を手掛けるよね。
文芸作品でありながら娯楽性を兼ね備えていたり……文芸と娯楽性のバランスに優れた作品をうまく手がけて、そこに自分オリジナルの味を加えていく監督でもある。
吉田大八作品て癖はなかなか強いし、作品ごとに癖の方向性も若干変わるから、個人的には作品ごとで好き嫌いが割れる監督でもあるけれど……でも味のある、いい監督だよ」
宮沢りえの魅力が爆発した1作!
演出の注目点
カエル「では、この作品で注目してほしい演出についてネタバレなしで語るとどうなりますか?」
主「ズバリ! 『結界の演出』に注目してください!」
カエル「……結界の演出?」
主「映画という映像作品ではこの『結界の演出』もしくは『境界の演出』というものが大事になってきます。
例えば2人の男女がいて、部屋の外にいるのか内にいるのか……これだけで2人の関係性って表現できる。女性が部屋の中にいて、男性が部屋の外にいる場合はこの2人の関係性はよそよそしい(そこまで親密ではない)といえる。この場合、部屋は結界であり、玄関や障子の縁が境界線になる。
しかしある瞬間にこの境界線を超えてきてしまい、男性が家の中に入ってきたとしたら、それは女性を口説こう、あるいは手篭めにしようなどということが想像出来る。これは結界を破り、2人の関係性を変化させようという演出なんだよ」
カエル「台詞や物語性に頼らず、映像だけで語るということだね」
主「アニメが好きな人には『エヴァンゲリオン』のATフィールドを連想するとわかりやすいかな?
ATフィールドって物理的なガードでもあるけれど、心の壁でもある。
ATフィールドが破れる=心の壁を壊して侵入してくる、という意味でもある。
アニメではこの壁はバリアとして表現できるけれど、実写ではこの壁をどのように作るのか? というのが問題になるものの、本作では様々な方法で壁を作っているので、そこに注目してください」
2 仮出所で出てくることの意義
カエル「じゃあ、ちょっと解説の部分になりますが、そもそもさ、この仮出所で殺人犯を出そうというのが間違っているんじゃないの?」
主「はい、カエルくん。君みたいな人がさらなる犯罪を引き起こすんです」
カエル「……え? どういうこと?」
主「平成29年の犯罪白書によると刑法犯全体の中で前科がある人間の犯罪は大体28パーセント前後、殺人事件の場合も大体同じような比率になっている。殺人の大きな特徴というと、やはり同一罪名有前科者……つまり以前も殺人を犯して、今回も殺人を犯した人の比率が圧倒的に低くて、わずか2,6パーセントしかいない」
カエル「まあ、刑期も長いし、暴力団とかでもない限りはそうそう罪を繰り返したりはしないだろうね」
主「そして出所受刑者の再入所率を見てみると……これは意外に思う人もいるかもしれないけれど、満期釈放を迎えた元受刑者と仮釈放された元受刑者を比べた場合、実は再犯率が高いのが満期釈放で出て行った受刑者である。
仮釈放 5年以内 28,9% 10年以内 35,5%
満期釈放 5年以内 49,2% 10年以内 57,4%
これは殺人罪に限定した数字ではないけれど、この数字を見ると倍とまでは言わないけれど、かなり満期釈放の方が再犯率が高いことがわかるでしょ?」
この2人の魅力がとんでもない作品!
刑務所を出た後の問題点
カエル「……でもなんでここまで変わってきてしまうの?」
主「これは作中でも語っているけれど、仮釈放は身元引受け人がいないとできないんだよね。
もちろん、深く反省しているからこそ仮釈放になることもあるけれど、生活基盤があるということでもいえる。帰るべき家があり、面倒を見てくれる人がいる……すると人は安定して生活することができるから、再犯率は下がるんだよ。
一方で満期釈放で出てきても行き場がない。そうなると刑務所の方が居心地がいいから再犯して、また雨風がしのげてご飯も1日3食出る刑務所に戻ってしまうという現実がある」
カエル「……世知辛い話だね」
主「さらに言えば、殺人事件の元受刑者が5年以内に再犯する確率は他の犯罪に比べて圧倒的に少ない。
満期釈放で16,0%、仮釈放だと3,7%しかいないんだよ。
これは上にあげた数字と比べてみても少ないのがわかりやすいと思うし、仮釈放に至っては窃盗や覚せい剤取締法違反の1/10ほどと非常に少なくなっている。
特に初犯者は再入所率がかなり低いんだよ。つまり、更生する可能性は相対的に高いと言える」
カエル「満期釈放で16%ということは、だいたい6人に1人は再犯してしまうんだね……
となると、社会が受け入れてあげることが大事なんだ」
主「そういうことだよね。重要犯罪である殺人事件だからさ、確かにイメージは最悪だけれど、初犯で出てくる人は再犯率も低いし、窃盗や覚せい剤によって逮捕された人に比べると安全だと言える。
そういう人を社会が受け入れることによって、再犯を防ごうという試みは数字上の理にはかなっている。
特に初犯者が大事!
もちろん様々な感情的意見もあるかもしれないけれど、この突飛な設定のようで、実はとても大事なことを描いた作品でもあるんだ」
刑務所の生活についてしっかりと書かれた実録漫画
オススメです!
以下ネタバレあり
3 今作の魅力
カエル「では、ここからはネタバレありで語っていくけれど……まずはどのような部分がハマったの?」
主「この作品ってBLだよねぇ」
カエル「……あれ? つい数年前くらいにはこういう男同士の友情を描いた作品をBLというと烈火のごとく怒っていなかったっけ?」
主「いや、そういう時期があったのも事実だし、今でも変わらない部分もあるけれどさ、今作はBL要素がかなり強いように感じたんだよねぇ。
BLというとちょっと抵抗がある人も多いかもしれないけれど、同性愛というのはある種の純粋性が宿りやすい恋愛だとも言える。社会的、倫理的には若干問題のある行為だからこそ、そこに『恋愛をしてはいけないんだ!』という葛藤などが生まれる。
昔は差別や身分の差が恋愛の障害になったけれど、現在ではそれはあまりなくなってしまったために、やはり物語では同性愛などの一部の恋愛がより純粋性が宿るとして好まれやすい。
どうだろう……自分の中では、現代で純粋性が高い恋愛って同性愛や子供同士の恋愛など、かなり限られたものになるんじゃないかな?」
カエル「それはともかくとして、確かに夏目漱石の『こころ』とか、あとは太宰治の『走れメロス』とか、好きな作品でいうと福永武彦の『草の花』だったり、最近だと大林宣彦監督が映画化した『花筐』などもBLに近い友情が描かれているよね」
主「BLという言葉に抵抗があるならば、恋愛感情を超えた友情の映画だといってもいい。この魅力がとても大きい映画でもある。
そしてそれをより高めてくれるのが『結界の演出』なんだよ」
いつもの市川実日子ながらも、目を引くいい演技!
結界の演出
カエル「ちょっと詳しく教えて欲しいけれど、この作品における結界の演出ってどんなところにあるの?」
主「この映画って境界線がすごく多いんだよね。
例えば自転車、窓枠、電信柱、ポール、家の柱……そういったもので登場人物が2つの結界に分けられている。特に元殺人犯と一般人の差として演出されている。
具体的に優香演じる太田と主人公の月末の描写を例に上げていこう。
この2人はとても近い関係性になりそうだ、ということが示されているんだけれど、面白いのは病院での2つのシーンを見比べてほしい」
カエル「まず、最初で太田が月末に自分の思いを告げるシーンだね」
主「このシーンにおいて病院内で会話をしているけれど、月末と太田はソファーに座っている。ただし、この場合普通は同じソファーに横並びになって座るじゃない?
でもこのシーンはわざわざ違うソファーに座って、しかも画面の中央に廊下や扉がある。廊下を挟んで、2人は会話をしてるんだよね。
これは、この廊下や扉が2人の間にある心の壁、つまり境界線であり、ソファーが結界を作っていると言える」
カエル「ふむふむ……」
主「そして2度目の病院のシーンでは、2人はお互いにソファーに座っているけれど向き合っているんだよ。横並びで向き合っていなかった前回とは全く違う。ただし、その中心線がずれている……つまり微妙に正対していない。ここでは2人が先ほどよりは近づいたけれど、本当の意味で向き合っているとは言えない、ということを示している。
この演出によって、2人の間にある距離感というものをうまく表しているんだ。
他にも田中混演じる太田とクリーニング屋のお話とかでも、この演出はうまく機能している。
ここに注目すると、ある大きな意味が見えてくるんだよ」
BL小説として読むとまた見え方が違うそうです
ノロロ様について
カエル「この映画で重要な神様がノロロ様だけれど、それはどう考えるの?」
主「この映画の核心部分でもあってノロロ様って見ると汚れる、だから見ないようにしようという変わった神様でもあり、しかも過去は罪人であったことが明かされる。
でもそれが神様になってしまったわけだよ。
日本でも昔から罪人として処罰された存在が神様になるということはままにあることだけれど……ここで重要なのは、ノロロ様が何を意味しているか? ということだ」
カエル「見てはいけないもの……やっぱり他人の過去ってことになるのかな?」
主「この映画の場合はそうだよね。
人様の過去を勝手に覗き見ることはよくないことだし、それを知ってしまうと関係性が変わってしまう。
この映画の1つのテーマが『前科を伝えるかどうか』ということで、それを話す人もいれば話さない人もいる。そして、それを話した瞬間にそれまでの関係性が変わってしまったりするんだよ」
カエル「それに対する反応も様々だしね……」
主「そういったノロロ様に触れてはいけない、無視しなければいけない。
それを見てしまうとそれまでとは関係性も変わるし、辛い出来事が起こってしまうよ……それを意味する存在なんだ」
4 結界の演出が意味するもの
カエル「そして物語はあるとんでもない方向へと動き出すわけだけれど……ここはどのように解釈する?」
主「この映画で重要な意味を持つもの、それは『車内』という空間なんだよ。
この車の中というのは結界が基本的に存在しない。
しかも密室の空間であり、2人の人間が同じ結界の中にいるんだ。そして冒頭、月末は受刑者を迎えにいくけれど彼はまだ受刑者だということを知らないから普通にしていられる。だけれど、受刑者だと知った瞬間に、やはりよそよそしい雰囲気になり、結界を多く張るんだ」
カエル「結界を張る=境界線を作るということだね」
主「そしてそれは木村文乃演じる石田文にも影響してくる。
実は彼女と……直接的に言うのもなんだから、ある受刑者の間にも結界はあったんだけれど、その過去を知った時……つまりオロロ様を直視してしまった時、その関係性は大きく変わってしまった。だから、バンドのシーンでは扉の中で狭いフレームになり、そこで2人だけの世界を構築していたのに、車のシーンでは大きな変化を迎えてしまったわけだ」
カエル「……結界がなくなってしまった故の恐怖と変化なんだ」
主「ここで登場するうまい演出が電話である。
電話って確かにその場にはいないけれど、結界はないんだよ。相手と顔を合わせないけれど、そこに壁はない。だから、この映画における電話のシーンというのはかなり重要な意味を持っている。
どうだろう、この映画における電話のシーンって1人と1人の人間として会話をしているものが多いんじゃないかな?」
今回の優香はメチャクチャエロい!
今作の示したテーマ
カエル「そして物語は大きな変化を伴って佳境へと向かうわけだ」
主「ここで重要なのは『海』と『月』でさ、海というのは生命の誕生の場所であり、母なるものの象徴でもある。そして、月というのは夏目漱石の和訳で有名なように『I LOVE YOU』のメタファーを持つものである。
そして物語の佳境において、あの2人は大きな変化を迎える」
カエル「……おお、確かにBLチックなシュチュエーションになってきた」
主「ここでそれまで何度も何度も何度も何度も繰り返してきた境界線の演出が、このラスト付近では一気になくなるんだよ!
そして2人がある行動へ移るけれど、ここがどのような感情の元で動いたのか……そう考えるととても美しく、そして意義のあるものでもある」
カエル「ふむふむ……そのあとにさ、オロロ様がああいうことをするわけじゃない? そこはどう思う?」
主「ぶっちゃけ、最初に見た時は興ざめだった。だけれど、よくよく考えるとああいうことをしなければいけないというのはよく分かる。
この映画の根底にあるテーマは『前科を持つ人間がどのように生きるのか?』ということなんだよ。つまり、更生の物語であり、そして生き直す物語でもある。
だから海から生まれてくる=人生をやり直す、という描写は絶対に大事だったんだよね。そして吉田大八監督は、再犯者の中でもみんながみんな更生できるわけじゃない、ということから逃げなかった」
カエル「ここは勇気のいるお話だよね……議論が巻き起こる部分であるし」
主「先ほども語ったように、殺人事件の満期受刑者は6人に1人は再犯をしてしまう。これは悲しいけれど現実だ。そして、あの受刑者の過去を考えると、やはり再犯の可能性は他の受刑者に比べて高いと言わざるをえない。
だけれど、前科者がどのように生きるのか? というのは大事な問題でもあって、中には頼るべき場所を見つける人もいれば、助け合って生きる人もいて、愛する人を見つける人もいて、供養しながら生きる人もいる。
そうやって色々な面を見せてくれた、社会性に優れた作品と言えるだろうな」
迫力のある2人……いかにも受刑者っぽい
少し苦言を
カエル「じゃあ、最後にここまで褒めてばかりだったのでちょっと苦言というか、うまくない部分について語ろうとしようか」
主「基本的に6人の出所者はやはり多いよね。
漫画だとその設定が生きているのかもしれないけれど、2時間に収めるには難しくなっていた。
この6人だけの物語ならばともかく、さらに月末や文の物語も入ってくるから、全体的に歯抜けとなってしまった印象もある。
個々のエピソードはいいけれど、まとめるというほどまとまってなくて、単なる短編のつなぎ合せのようになってしまった部分もあるかな」
カエル「群像劇としてはいうほど絡んでこないし、もっとサスペンス調なのかな? と思いきやそうでもないというね」
主「これはお客さんを呼ぶために仕方ないことでもあるけれど、予告で観客を煽るためにサスペンス風に見せすぎたところもあるよ。
そういう映画ではない。
まあ、難しい選択だったと思うし、吉田大八は見事な仕事をしているけれど、やはり地味な印象は拭えない。この映画がつまらない、と言われてしまうとしたら、それはしょうがないよね」
カエル「音楽シーンもあって若干のエンタメ性はあるんだけれどね」
主「役者も綺麗、映画としてのメッセージ性も立派、ブラックユーモアもあるけれど、いかんせん派手さがないのが響いてくるかなぁ……」
最後に
カエル「というわけで最後になりますが……」
主「この映画って今ならば『スリービルボード』にすごく似ていると思う。
もちろん、うまさでいうとこの作品も相当なものだけれど、アカデミー賞最有力候補と言われるだけあってスリービルボードの方が高い。
というか、スリービルボードクラスの映画って『バディントン2』とか『ズートピア』とかの名作レベルの完成度で……そこと比べるのはかわいそうなんだけれど。
この映画もうまいはうまいけれど、そこまでではない。
でも自分は大好きなんだよ。
最初にTwitterの短評でも語ったけれど、大好きだし、愛したい映画でもある」
カエル「描いているのは『罪と赦し』と考えると普遍的で重要なテーマでもあるよね。吉田大八監督らしい作品でもあってさ」
主「いつも語るけれど、物語とは『祈りと願い』である。この映画に込められた祈り、願いはとても深いし、自分も共感するものだ。
確かに人は選ぶかもしれないけれど、是非とも鑑賞してほしい1作だね」