物語る亀

ネタバレありの物語批評

映画『ハーモニー』を伊藤計劃の原作版と比較して感想を語る

 映画版のハーモニーがレンタル開始されていたようなので、こちらもそれに合わせるように感想記事をあげてみる。

 本作は公開直後に映画館へと駆け付けたのだが、今思うとその時ブログを始めていたら、そこそこのPVが稼げたような気がしないでもないなぁなんて思ったり。

 

 伊藤計劃は大好きで、長編3作(メタルギアのノベライズ含む)も当然読んでいるのだが、早く虐殺器官を何とかして公開していただけないだろうか。首を長くして待っているものである。

 

 

 

 

 


「ハーモニー」劇場本予告

 

1 CGと手書きアニメの融合

 

 本作を鑑賞した方は気が付かれていることだろうが、この作品はCGと手書きのアニメの2つが重なってできている。

 この2つの表現方法の違いにより表されているものは、『住む世界が違う』ということである。

 

 本作の主人公である霧慧トァンはWatchMeという人口のナノマシンを生まれながらに埋め込まれた世界の人間である。これは、その人の体の不具合であったり、栄養バランス、その他様々な肉体をメンテナンスしてくれる、老いも病死もある程度克服した『優しい世界』には必須のプログラムである。

 都会化した先進国はそのようなナノマシンを入れているのだが、一方、今と変わらない生活を送る言うなれば『後進国の人間』というのはナノマシンが入っていない。

 

 それは作中の人間たちであればWatchMeでネットにアクセスすればすぐにわかるのだが、我々映画を鑑賞する視聴者には、区別がつかない。WatchMeを入れられた人間やその社会をCGで、そうでないものを手書きで表現することにより視聴者にも区別することが可能である。

 

 

 ……が、しかし。

 

 

 これで違和感なく融合しているかと言われると……うーん……

 正直、違和感はある。

 

 手書きの人物や風景などは普段我々が見慣れたアニメ的表現であるため、特に違和感がないのであるが、それがCGと合わさるととにかく CGの方が浮いてしまう。これはやはり現代日本のCGアニメーションの課題である、硬質感がどうしても出てきてしまうために起きるものである。

 なので建物や車などは違和感がないのであるが、セルルックを活用しても、例えば人物とかではまだまだ課題が多いかなぁ……と感じてしまった。

 

 

2 映像化に不向きなストーリー

 私は伊藤計劃作品では本作が一番好きなのであるが、映画を鑑賞した際に愕然としたのを覚えている。

「あれ、こんなに動きがない話だっけ?」

 

 そして家に帰って小説を読んでみたところ、確かに動きがないのだ。

 この原作の面白さは伊藤計劃の生み出した『世界観』という設定と、『思想性』や『会話』にある。

 なので、この優しい世界がいかに欺瞞に満ちた息苦しいものなのか、読んでいるこちらにもはっきりと伝わってくるのだが、それは伊藤が書き出す文章の力によるものであって、アニメに向いている派手なアクションや動きというものは少ないのである。

 

 そして会話シーンが多い作品なのであるが、そこが文章で読むとスラスラと頭に入ってくるものの、話を聞いているだけではあまり理解しやすい作品にはなっていない。そのせいで、本作の演出というのは「これはないだろう」と思わせるものがいくつかあるのだが、これは会話という動きのないシーンの連続に加えて、日本におけるCGというまだまだ成熟したとは言い難い表現技法を考えた結果の苦肉の策だと、その制作過程の裏側がこちらにも伝わってきてしまう。

  

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声優陣が見事だからこそ……

 

 本作の主演は若手女性声優では抜群の演技力を誇り、この先の声優界を引っ張っていく存在と10年前から言われていて、現にそんな存在に成長した女優、沢城みゆきである。

 一方、その上司であり、味方ではあるものの反目しあう上司を演じるのは、押井守も認めた、声優界No,1の巧さを誇ると言っても過言ではない大女優、榊原良子である。

 

 この二人の演技力が圧巻で、向かい合って話しているだけでもこちらの耳に強く訴えかけてくるし、説得力がある演技になっている。とにかく魅力溢れるのだが、残念なことに絵がその二人の演技力についていけずに、圧倒的な演技力ゆえに浮いてしまっているな、というシーンも幾つかあった。

 

 本作の声優陣はそうそうたるメンバーであり、最年少である上田麗奈も御冷ミァハという謎めいた、悲劇的な過去を持つ少女を見事に演じあげた。抜群の巧さだったと称賛の言葉を贈りたいくらいである。

 もちろんそれは『普通の女性』という難しい役を演じた洲崎綾にしろ、三木眞一郎や森田順平のようなベテラン男性声優陣にしろ、誰一人として演技力を疑うようなシーンは一瞬たりともなかった。

 

 だが、それほどの演技だからこそ、余計に絵のクオリティや演出の稚拙さがこちらに伝わってきてしまう。

 大変だったな、とは思うが、観客にそれを察せられてしまうようではどうかと思うのだ。

 

 では本作は失敗作なのか?

 映画化する必要性はなかったのか?

 見るべき価値はないのだろうか?

 

 その問いの答えは『No』である。

 

 

 

3 小説版と映画版でのラストの違い 

 

 伊藤計劃という作家は突如現れ、日本SF業界を去っていった嵐のような作家であったが、その魅力は先ほどもあげた通り、独特な設定とキャラクター描写、そして何よりもその思想性にあったと思っている。

 もちろんメタルギアシリーズの生みの親である小島秀夫の影響は非常に強く受けているし、虐殺器官はまだまだメタルギアシリーズがそのバックボーンにあることがちらついてしまった作品でもある。

 

 偉大な作家ではあるものの、彼の短い作家人生の中で唯一描けなかったもの、失敗している描写があるとすれば、それは『恋愛』であろう。

 

 本作はトァンとミァハの恋愛劇である、と伊藤計劃が何かで語っていたようだが(パンフレットだったかな?)原作を読んだ時、私にはこの二人は恋愛関係などではなく、ミァハを殺す理由はどちらかというと嫉妬や復讐といった負の感情によって決意し、半ば不意打ちのように殺す終わり方になっていたと感じた。

 恋愛と呼ぶには執着の描写が薄いようにも思うし、その思いが伝わってこなかった。

 

 だが、映画はそうではなく、トァンは『過去のミァハ』を。

 

 どうしようもなく歪んでいて、

 どうしようもなく悪徳で、

 どうしようもなく破滅主義で、

 どうしようもなく刹那的な、

 

 彼女のことが大好きだった。 

 

 その意識や過去という、魂にも似た思いを失うくらいならば、あの時のミァハを失うならばとその引き金を引くのだ。 
 そして抱きしめられたミァハの表情は、明らかに笑っていた。 


 この終わり方の相違が何を意味するのか、というのは議論が起こるだろう。これをまどマギの劇場版に影響を受けたとする人もいるだろうし(作中にはハルヒの名台詞をパロった部分もある)復讐だとする人もいるだろう。 
  
 これほどまでの強い独占欲、強い思い、強い感情。

 それまでニヒルで達観していたトァンに、涙すらも浮かべさせたその思い。

 

  それこそが『愛』だったのではないだろうか?

 

 

 

 

最後の10分は必見

 

 私は本作は途中までは原作の劣化コピーだな、と思いながらぼけっと鑑賞していたのだが、あの山岳地帯に似てミァハと再会した時に原作に追いつき、そしてラストシーンにおいて原作を軽やかに昇華して見せた。

 

 ラストの映像と音楽は一体何だったのかといえば、あれは小説という言葉におけるメディアでは絶対にできない、映像と音という映画の最大の武器を用いた表現であり、さらにいえばWatchMeに支配されていた過去の世界の終焉である。

 

 そして何よりも言葉の世界で表現し、その短い人生で、高らかに表現した偉大なる作家、伊藤計劃に対するアニメ、映画という媒体が送るレクイエムなのである。

 

 本作の余韻残るEDがあまりにも素晴らしくて、EGOISTのEDが流れる中、私は立ち上がることができなかった。

 確かに本作は表現として稚拙な部分も多々あるし、誰にでも勧められる作品になっていない。私も総合評価では辛くなるし、激賞することは難しいかもしれない。だが、伊藤計劃という作家の世界観が大好きで、そこに触れていた身には見る価値は大いにあった。

 

 

 ハーモニーの感想記事でした。

 EGOISTのEDも歌詞を読むと、ミァハからトァンへ、トァンからミァハへのメッセージのような歌詞になっていて、感慨深い。

  

 

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