劇場版の『響け! ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜』を見てきたのでその感想を。
この記事を最初にアップした時(2016年4月24日)は、本シリーズを始めて劇場へ見に行った『ユーフォ初心者』でした。しかし、その後あまりにもはまってしまい、結果的に2期はもちろん、本劇場版を劇場で計3回鑑賞しています。(もちろん、もっと鑑賞している人もたくさんいるでしょう)
今回は初見時の感想もある程度残しながらも、記事をリテイクして『劇場版ユーフォニアム』の味と演出について解説していきます。
先に言っておきますが、あの音響のために絶対映画館で観たほうがいい!
自分がアニメが大好きなのもありますが……本作はアニメのみならず邦画激戦区の2016年を代表する映画であり、単なる総集編映画とはわけが違います!
『涼宮ハルヒ』シリーズなどの石原立也監督作!映画『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』予告編
1 総集編映画らしさはある
公開当初、私は本作がそもそも総集編なのか、テレビアニメシリーズの続きなのかも知らずに、予告編だけを見て劇場へと足を運んだので少しばかり不安がありました。
しかし、その心配は杞憂でした。本作はテレビシリーズの総集編だったので初心者でもわかりやすいように再構成されています。
総集編映画らしく、前半部分は特にモノローグの説明が目立ってしまった印象でした。それだけに展開の速さが目について置いてけぼりだったり、ここをゆっくりとやったらもっと余韻が生まれるのにな、と言う部分はあったのは事実。
これは当然のことですが、テレビシリーズで13話分(放送時間だけで1話20分としても4時間20分)もある作品を100分強にまとめるのだから、再構成は非常に難しいものになってしまいます。
鑑賞後に録画してあるテレビアニメ版を確認したら、5話までを全体の1/4(体感時間)ほどの時間で駆け抜けていたこともあって、スピーディに説明などを省き、ナレーション等で保管している部分も多々ありました。
それから、やはりキャラクター紹介が若干雑だなと思う部分もちらほら……
(例えば葉月が最初になぜ久美子に話しかけたのか? などは、席が後ろなどの事情を知らないとちょっと不思議に思えるかもしれません)
これはどうしようもないことですが、例えば葵のなどのように、一部のキャラクターの描写がカットされた影響でテレビアニメ版と比べて空気になっていたり、個性が失われているということもあるでしょう。自分は初見だったので気にはなりませんでしたが、そこが気になるというファンもいるかもしれません。
たくさんのキャラクターが出てくるために、どうしてもスポットライトが当たらないキャラクターも……
単なる総集編映画ではない
ただ、本作はよくあるような総集編映画ではありません。
まず、久美子と麗奈の物語として見事に再構成されています。
全体的な構成も
サンライズフェスティバル
お祭りの2人だけの演奏
オーディション
ラスト
と4つの見せ場をを中心として4分割されており、飽きることなく鑑賞できる上に、それぞれ約30分に1回ほどの映画としての見せ場を作り、見事なテンポが生まれている上に、後半は息を飲む展開の連続という作品に仕上がっています。
京アニ特有の絵の美しさもあって鳥肌の連続でした。
テレビシリーズのユーフォニアムは、やはり群像劇の要素が強かったです。
本作にはいわゆる『モブキャラ』というのはほとんどいません。確かに声がないキャラクターや、全く出番のないキャラクターはいます。ただ、そのキャラクターにも1人1人に名前があり、個性があります。
それは『吹奏楽』という、全体で合奏することが大事な競技を描写する上で、非常に重要なことです
もちろん、花形のトランペットように目立つキャラクターはいます。でも目立ちにくいパートであっても、絶対に必要な1つのピースであるのです。
それから、京都アニメーションの実力からしたら当然という人も多いでしょうが、音も非常に良かったし、絵も美しくて幻想的でした。正直言って、本作を劇場用に作りました、と言われても私は納得するクオリティでした。改めて京都アニメーションの実力を思い知るとともに、現代のテレビアニメのクオリティの高さに恐怖心すらあります。
近年アイドルアニメなどが流行しているように、絵と音が組み合わさった時の快感は非常に大きいのですが、今作も例外ではありません。私は楽器をやらないのでわからないところもありますが、京アニだから演奏も絵と音が合っているのでしょう。
(謎の信頼感があります笑)
毎度のことながら大変な苦労だなと敬意を表します。
2 リアル感のある青春群像劇
京都アニメーション製作となると、やはりそのリアル感に注目がいきます。私が以前京アニ作品を鑑賞していて驚愕したのは、同じく劇場版の『涼宮ハルヒの消失』で、例えば廊下のモブの声、なんてことのない下駄箱の靴を拾う仕草などが非常にリアルだったことです。
アニメというのは実写映画と違い、作り手が思い描くこと以上のものは画面から出てくることがありません。
偶然というものが存在しません。例えば実写であれば偶然光が差し込んで美しくなった、ということはあるかもしれない。偶然鳥が鳴いて、印象的な音が入ったということもあるかもしれない。
だけれど、アニメは全て手で描き、演出をすることを要求されるので、その偶然が中々入り込む余地がありません。
映画であれば物を拾う仕草などは役者が自然に行うことができるが、アニメにおいては『自然に見せるように作る』ということが要求されてきます。そのために人体の構造などを勉強しなければならないわけですが、京アニはその技術がずば抜けています。
意外と見過ごしがちな『当たり前』である、学年によって色の違うジャージ
リアルに作るためのこだわり
非常に細かいことで言えば、私はそのリアル感があると思ったのは『靴下の描き方』や『身につける小物』です。
この映画の前に鑑賞したのが同日公開の『ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会』だったんですが、出てくる女子生徒の靴下がみんな黒のハイソックスだったのですが、本作では状況やキャラクターによって変わっています。
『いやいや、それは別に……』とか思われるかもしれません。あるいはフェチ気味な、変態的な視点だと思われるかもしれません。
しかし、高校生の場合、みんな同じような制服を着ています。
みんなが同じ物を着ている中で個性を表そうとしたら、髪の色や制服のスカートの長さ、身につけている小物などで演出するしかありません。靴下というのはスカートの長さが一定である場合、効果的にその人物の性格を印象つけることができます。
例えば白のハイソックスだと『たまこまーけっと』のたまこ、『氷菓』のえるみたいにお洒落や男ウケに無頓着な素朴な女の子や、真面目なタイプの女の子だと連想します。京アニ作品の場合、それが一番うまく出たのはやはり『けいおん!!』でしょう。唯が黒タイツ、澪と梓が黒ハイソックス、律と紬が白ソックスとなっていて、それぞれの魅力を引き立てています。
キャラクター描写というとセリフだったり、性格描写ばかりが注目されるかもしれませんが、このような細かい身につける小物の1つ1つの積み重ねによるものが非常に大きいものです。
例えば今の女子高生を描こうとしたら靴下はくるぶし辺りまでのソックスになるでしょう。色もカラフルになっていますし、リュックサックを背負う子が多いでしょう。今の邦画が描く女子高生の服装は、5年は古いのかな、と思う作品も多いです。
(正直、1番リアルなはずの邦画が1番現実感がありません)
他にも髪留めのリボンやヘアピン、髪型、チューバくんなどの小物やアクセサリーなど、細かいところで他の子と変化をつけておしゃれをするのが日本の学生です。
これが男子であればバリエーションは少し減りますが、メガネの有無、髪型の立ち具合、ズボンの位置、ボタンをどこまで開けているか、インナーシャツの色などで個性をつけます。
その意味においても細かいリアル感の演出ができてました。
3 圧倒的な演出力の説明
サンライズフェスティバル
ここからは京アニスタッフ陣の演出能力について語っていきます。
まず、大事なのは前半の見せ場であるサンライズフェスティバルの場面です。
ここで久美子はかつての親友である梓と出会い、旧交を深めています。ではこの場面を考えていきましょう。
まず、梓と向かい合った時には久美子が下手(画面左から右に向いている)、梓が上手(画面右側から左側を向いている)にいます。
下手に立つというのは『過去を見ている』という意味になります。今作のシリーズ演出を務めた山田尚子は『聲の形』や『たまこラブストーリー』においても、重要な意味合いをもたせていました。本作もそれは同じです。
つまり、この場面では中学時代について話す梓は『過去の象徴』でもあります。
しかし、次の場面では今度は梓が下手に行き、久美子が上手になります。
では、なぜこのような回りくどい演出をしているのでしょうか?
それは、久美子が『本当の意味で全国を目指す儀式』だからです。つまり、この場面で梓という『中学時代の象徴』と向かい合ったとき、決別することで全国を本気で目指さなかった自分からの脱却と、全国目指すメンバーの一員になることを意味しています。
その後のサンライズフェスティバルにおいて新しく生まれ変わった自分を見せると同時に、久美子の語る『新しい自分との出会い』はこの儀式によって成功し、1つの成長を描いています。
新しい自分との出会い、未来へ向かって走りだす久美子
山の上の演奏
次に語るのはこの映画の屈指の名シーンである、あがた祭りの演奏シーンです。
このシーンにおいて圧倒的なクオリティを示すことに成功した京アニは、本作の成功が約束されたようなものでしょう。もちろん、作画の丁寧さや音楽も素晴らしいですが、このシーンの演出もまた素晴らしい。
2人だけの世界に立った久美子と麗奈ですが、ここで重要なのは『空の星』と『地上の星』です。
本作の中で語られているように、街の光というのはまるで星のように光り輝いています。一方で、空の上の星はたった2つだけ……あれだけ明るい街だから当たり前のように思うかもしれませんが、アニメであれば満天の星空にすることも可能です。でも、本作はそうではない。
(当日の星空を参考にしたという話もあります)
これは本作が『モブが存在しない作品』であること、そして『久美子と麗奈の特別な物語』として再構成されていることが大きな要因です。
全員に個性があり、モブではない
地上の星と空の星
本作にはモブキャラというのは存在しません。
例え演奏メンバーでなくても、コンクールから外されたとしても重要なメンバーであることは変わりません。それを象徴するのが『地上の星』です。この日、あがた祭りにはたくさんの部員たちが出かけています。
その1人1人の人生や青春の輝き、それらの象徴となるのがたくさんの『星』こそが、この場面での『地上の星』の意味でしょう。
しかし、一方では空には2つの星しかありません。
これはいうまでもなく久美子と麗奈の星です。わざわざ高台に登り、たった2人だけで演奏をする。
麗奈の持つ孤独なまでの孤高な姿、それに寄り添い合う久美子。地上の星とは違う、特別でありたいという麗奈の願いが空に見事に輝いています。
それは孤独なことかもしれません。たくさんの光の中には入れない、辛いことかもしれません。麗奈の目指す『特別になりたい』というのはそういう意味です。
しかし、そこに寄り添う久美子の星……このシーンで流れる『愛を見つけた場所』のハーモニーと共に非常に美しく輝いています。
やはりこのシーンで流れた『愛を見つけた場所』は歌詞を考えても久美子と麗奈の本当の想い人があがた祭りにいることを揶揄していますし、また同じ夢を持つ同志と出会い特別な……それこそ『愛』と呼ぶべき関係性を築いたこともあるでしょう。
一方で葉月の描写を入れることによって、その愛が散ってしまった人……特別な才能を抱えていない人すらも包み込む、圧倒的な優しさに溢れていると感じるのは私だけででしょうか?
本作屈指の名場面の1つ、このシーンで一気に本作に惚れました
麗奈の戦い
そしてこの後、本作で最大の見せ場であるトランペットのソロを取り合う場面へと続きます。
ユーフォニアムという作品が非常に美しく、そして残酷な物語であるのは、このシーンがあるからです。中世古香織はそれまでトランペットのエースでしたが、特別な存在である麗奈によって、ソロを奪われてしまいます。
吉川優子が動いたこともあり、再挑戦できるというチャンスを与えられた時、彼女は誰よりもまっすぐに手をあげました。
そして吉川優子の『お願い』を聞いた麗奈は迷います。彼女は人の心がわからない冷血漢ではありません。むしろ、その逆で非常に情に篤い女であり、その『誰かを想う気持ち』に関してはわからないでもない。だからこそ迷います。
しかし、その直前まで迷っていたところに現れた久美子。ここで久美子は光の中に、麗奈は影の中にいます。
そして2人が会話を重ねていくことによって、麗奈は徐々に自分を取り戻していき、最後には光の中へと進みます。このシーンは睦言ともいうべきやり取りにドギマギしてしまいがちですが、光と影をうまく使い分けて演出されています。
光の中で笑う麗奈、光と影の演出が見事
そして本番へ
全ての集大成である本番がやってきました。ここでは序盤、声を出すこともできなかった部員たちが、音を合わせてもずれていたのにも関わらず、合奏ができるように成長していた姿がありました。
そうなると、もうやることは1つしかありません。
本番です。
ここで注目をして欲しいのは、舞台の上に圧倒的な光が照らされているところ。これは当たり前のように見えるかもしれませんが、客席を含めて光を当たっているのは演奏中の彼ら、彼女達だけです。
つまり、本作の主役はこの吹奏楽の部員全員であるということです。だからこそ、演奏シーンはメインメンバーだけでなく、様々な人にもスポットライトを浴びせて、全員の演奏を描いています。
下手な映画や物語であれば、ここで客席の反応などを入れてしまいます。しかし、本作はそのようなものは一切ありません。あっても、そこに選ばれることのなかった葉月や夏妃のようなメンバーたち、そして梓などの吹奏楽関係者ばかりです。
本作が圧倒的に優れているのは、彼女たちの努力が何よりも絵と音によって表現されている。それだけで無限の説得力が生まれています。
これができている音楽映画は残念ながら多いわけではないと、私は考えています。
眩しいほどの光の中の演奏
4 氷菓とユーフォニアム
私が最も好きな京アニ作品は氷菓です。
なぜ急にこの話をしたのかというと、本作と氷菓は密接な関係性にあると考えているからです。
氷菓の文化祭編などがそうですがが、あの作品の主題は『持つ者と持たざる者の残酷な差』だと考えています。
詳しくはこちらで語っています。
主人公の捧太郎はもつ者の側にいるようですが、実は姉という上位互換の存在がいます。
しかし、そんな捧太郎に憧れる親友の里志の存在や、漫画の才能に悩む摩耶花がいて、そのコンプレックスや才能の壁というものが、作画の美しさと共に見事に表現された作品です。
本作もやはり目についたのは同じ部分でした。
持つ者としての高坂麗奈
持たざる者としての中世古香織
香織先輩のまっすぐな思い
才能の戦い
香織は滝先生によって、決定的な選択権を与えられます。
そこで彼女は自分で選択することができた。もちろん、ソロを吹きたいという気持ちは麗奈に劣るものではない、そのための努力を重ねてきた。だからこそ、この再挑戦のチャンスが与えられて、その決定権を委ねられた。
滝先生は冒頭でも語れているように、生徒の自主性を重んじます。それも全国大会へ行こうという目標が達成できるように導く、という注釈付きではありますが、ここは麗奈でなくても、香織であっても問題ないと判断したのかもしれません。
しかし、香織はこの申し出を拒否します。
自分たちで決めた『全国大会へ行こう』と目標を果たすために、そして圧倒的な才能の前に敗れ去ったことによって、自分との差をこれ以上なく痛感してしまいました。
本当はトラブルを嫌い、誰よりも優しくあった彼女が、優子の助けもあったとはいえ自ら挑み、掴み取ったチャンスを手放しました。
その努力ではどうしようもない才能の差というのは非常に残酷ながらも、それを理解した上で認められる強さ。この青春期の中において、それは得難い美しさでもあるのでしょう。
二人の対決というのは非常に熱く、持たざる者だからこそ簡単に諦めきれるものではなく、再オーデションがあるともわからない中で、誰かに評価されることもないソロパートを必死になって練習してきたのでしょう。
その熱意があったからこそ、吉川優子を動かし、再オーディションまでこぎつけた。やり方に賛否は当然あるだろうし、吉川がいかにも女子らしくてムカつくという意見も当然あってしかるべきでしょう。
だからこそ、そんな香織の努力に真正面から立ち向かい、本気で叩き潰しにいった麗奈に好感がもてます。
この2人を初めとする2年生も魅力あふれる
特に2期での活躍には涙しました
敗者の振る舞い方
主人公の黄前久美子はというと、彼女は決して才能あふれるタイプではないようですが、オーディションで選ばれるほどの実力は持つ者です。あの滝先生のことだから、年功序列などは一切関係なく選んでいるのは間違いありません。
中川夏紀の必死の努力とその実力を知りながらも、自分も譲りたくはないので勝負して勝つ。それが勝負であり吹奏楽なのだから仕方ないのですが、少しばかりの罪悪感がある。
敗れた中川夏紀はというと、それで腐るわけではなくみんなの演奏を裏で聴いて、新人や後輩たちとそれを分かち合える、この姿勢に私は青春を感じたし、涙すら浮かべてしまいました。
勝つ者がいれば負ける者がいて、持つ者がいれば持たざる者もいる。だが、敗れたから、持たざるからといって腐ってしまってはそこでお終いなわけで、そこからどうするかという部分が非常に大切なわけです。
基本的に私は敗者が好きなので、特に香織と夏紀には感情移入して観ていました。
プロならば話は変わりますが、アマチュアで一番大事なことは上手いよりも好きという気持ちです。
しかし、その気持ちが通用しないこともある。好きだというだけではどうにもならないことがある。
それを描いたこと、綺麗事にしなかったことが、私の心を激しく打った理由の1つです。
5 構造について
本作はかわいい女の子がたくさん出てくる萌えアニメではあるが、基本的には少年漫画と同じような構造になっています。
私は以前にも少年漫画と少女漫画における構造の違いを指摘したことがありますが、簡単に言えば少年漫画には明確な勝利条件があり、少女漫画には曖昧な目標があり、それに向かって物語は進行していきます。
古い記事でこちらも手直しが必要だなぁ……
最近の少年漫画はスタイリッシュな方向に物語を進行させており、あまり泥臭い作品というのはお目にかからなくなってきています。主人公も熱血系よりは、なろう系作品などのように、クールなキャラクターが人気なようですし、物語も努力を重ねて勝つというよりは才能で圧倒する作品が増えているような印象があります。
一昔前のような努力を重ねてという泥臭い作品は受けなくなっているのかもしれません。
だが、不思議なことに少女を主人公とした所謂萌え系作品には、こういった努力を重ねて勝利を泥臭く勝ち取っていくという作品が多いのです。
『ガールズ&パンツァー 』や『リトルウィッチアカデミア』もそうだし、私は見たことはほとんどないですが、話を聞く限りにおいては『プリキュアシリーズ』もそうでしょう。
これは良い、悪いの問題ではないのでしょうが、かわいい女の子が血反吐を吐いて努力するという姿に今の人たちは感動するようになっているようです。
(これが主人公や周囲が男だったら、私は好みであるがおそらく暑苦しくて売れはしないのでしょう)
ある種のギャップなのかもしれませんね。
最後に
本作は総集編映画です。確かに早足なところもあります。説明が多いと思う部分もあったり、難もないわけではありません。
しかし、おなじ物語を再構成した時に、本作は『久美子と麗奈の物語』として見事に成立していますし、私は1つの映画作品としてもかなりクオリティの高いものになっているように思いました。
本作のような作品が増えていけば『総集編映画』に対する印象も大きく変わるかもしれません。
強いて欠点をいうならばやはりラストの演奏シーンの途中で演奏がカットされて、他のキャラクターに視点が映ってしまうところでしょうか?
演奏時間や作画の面で所々カットしなければいけないですし、これが無茶振りのワガママなのですが、やはりカットしないで最後まで魅せてくれれば文句なしの2016年No,1の傑作だったかもしれません。
(少なくとも2016年の4月ではそう思っていました。
その後に異常なクオリティの映画たちが、ここまで出てくるとは全く思っていなかったのですし、2期においてこの無茶振りが達成されてしまうことは想像すらしていませんでした)
他の見せ場であるサンライズフェスティバル、祭りの演奏、オーディションがあまりにも素晴らしかったため、ラストは少しだけ惜しいと思ってしまったのも事実です。
しかし、それでもEDがテレビ版と編曲を変えたTUREの『DOEAM SOLISTER』だったのは非常に嬉しかったです。歌詞も作品にあっているし、どこか懐かしい、90年代や0年代初期を思わせてくれるアニソン感があってTUREは好きなアニソンシンガーの一人でもあります。
本作の魅力の引き出している重要なスタッフの1人でしょう。
総集編2期も非常に楽しみにしています。
(今回は過去のリテイク記事ということでいつもと違う形態にしてみましたが、これがなかなか書きづらいものでした……
どちらが好き、嫌いなどの感想もあれば、コメント欄などに残して頂けれると今後の参考になります)
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