物語る亀

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物語愛好者の雑文

映画『メアリと魔女の花』感想と考察 ジブリや宮崎駿を脱却した米林監督の決意宣言!

カエルくん(以下カエル)

「えー、先に言っておきますと、このブログはアニメ映画を多く論評しています。当然のようにジブリ映画は昨年の『レッドタートル』なども鑑賞していますが、比較的厳しい論調が多いということを念頭に置いていただきたいです

 

ブログ主(以下主)

「いや、誤解があるな。別にジブリだから厳しいってわけではないよ?」

 

カエル「でも下書きを書こうかな? としていた時、結構厳しい論調が並んでいたじゃない。まだ鑑賞もしていないのに、なんとなくこんな感じだろうな、ってことを並べたてて……」

主「その下書きは全て抹消したから。

 それに自分は宮崎駿アンチでもなければ、スタジオジブリアンチでもない。アニメファンとしてはジブリも宮崎駿も好きだし、尊敬しているよ。

 ただ『ポスト宮崎駿論争』というものが大ッッッッッッッッ嫌いなだけでさ。

 そんなことをぬかした奴は端から怒声を上げていきたい気分だよ

カエル「……新海誠監督が『ポスト宮崎駿』って言われた時に大否定したしねぇ」

 

主「アニメ映画が好きだからたくさん見ているし、語っているけれど、本当に傑作はたくさんある。日本のアニメのクオリティの高さは異常なほどで、毎年のように歴史に残る大傑作が次々と生まれている。

 だけどさ、それが売れているかと問われると、あんまりそうじゃない時もある。まあ、それはしょうがないよ。それが映画だし、興行ってものだからさ。気にくわないのは『ジブリっぽい』って言葉が否定的なニュアンスで使われる時でさ、そのジブリっぽいってなんだよ? ってこと!

 日本のアニメ界、特にアニメ映画界は宮崎駿の影響が強すぎる。それこそ、もう呪いのレベルなんだよ。その呪いのせいで余計な苦労をしているし、マスメディアは『ポスト宮崎駿』ばっかり報道するし……その人の個性もちゃんとあるんだよ! そっちを見てあげてよ!」

 

カエル「ジブリ作品なら比べられるのはしょうがないにしても、その他のアニメ映画が比べれられる必要もないしね。

 『ポスト高畑勲』や『ポスト富野由悠季』って話を聞いたこともないし」

主「別に実写映画でも同じでしょ? じゃあ誰が『ポスト黒澤明』なのよ? 『小津安二郎』の座には誰が座ったのよ? それは誰もいないでしょ?

 黒澤は黒澤だから撮れたし、小津は小津だから撮れた。

 他の人にできることじゃないし、やる必要もない。そんな当たり前のことが当たり前になっていないからいつも異議を唱えているわけだ。

 その意味では本作に対する期待値ってそんなに高くなかった。

 『また宮崎駿の幻影かぁ』って気分だったから」

カエル「じゃあそんな人が鑑賞後にどのような意見になったのか、感想記事のスタートです」

 

 

 

 

メアリと魔女の花 オリジナル・サウンドトラック

 

1 ネタバレなしの感想から

 

カエル「ではまずはネタバレなしの感想から始めるけれど……どうだった?」

主「まずはこちらのTweetをご覧ください。

 

 

 こちらは鑑賞前のTweetで、まあなんとなく予想はできるよなぁ、って意見です。

 次に鑑賞後のTweet」

 

 

カエル「きれいなまでの手のひら返し!

主「いやー、もう完全に期待を裏切られたね! もちろん良い意味で! 大絶賛の方向で!

 もちろんそれまでのジブリっぽさはたくさんあるし、それに対して否定的な意見は出てくるかもしれない。それはわからないでもないし、自分も納得するけれど……でも、今作はちょっと他の作品とは違うものがある。

 Tweetにもあるように2017年7月8日をもちまして『ポスト宮崎駿』『ポストジブリ』論争は終了にしましょう!」

カエル「え? じゃあ米林宏昌監督がついにその地位に?」

主「そんなわけないじゃん。米林監督の挑戦はこれからだよ。むしろ、まだまだ第1ラウンドが終わったばかりだから……新海誠監督と同じで、これからが本当の勝負。

 ただ本当の意味で第1歩ができたと思う。それまでの作品とは……雲泥の出来の差があるね」

 

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本作のヒロインのメアリー

小生意気でも可愛い女の子です

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

 

過去の米林監督作品と比べて

 

カエル「過去の米林作品と比べてどう違うの?」

主「過去の米林作品、つまり『借りぐらしのアリエッティ』と『思い出のマーニー』の2つの出来もまた賛否があるけれど、自分は『アリエッティ』が酷評『マーニー』は普通って評価かな。

 アリエッティは物語としてもダメだし、アニメの力も宮崎駿には遠く及ばないって評価。

 一方マーニーは悪くないけれど……まあ、地味だし、眠くなる作品だよね。好きか嫌いかでいうと……嫌いではないけれどさ」

 

カエル「あんまりパッとした印象はないかなぁ?」

主「マーニーってジブリっぽさとか語られるけれど、どちらかというと高畑勲の方に近いのかな? って印象だな。

 ただ高畑勲のあの芸術性というか、先生ぽさというか……教育的な態度とでもいうのかな? そんな要素が少しはあるけれど、だいぶ弱い。だからちょい中途半端だな。

 しなも絵柄が宮崎駿風だから、そのギャップにも色々と思うところがあって困惑するところもあるかもね

カエル「この2作品の最大の弱点って何?」

主「一言でいうとアニメの強みがあんまり発揮されていないところじゃないかな?

 この2作ともお話としては日常的なものであり、ドキドキのある冒険や魔法の世界というものはあんまりない。アリエッティはちょっとそういう要素もあるけれど、小さな世界の面白さってものがあんまり画面に出てこなかったんだよね。

 で、マーニーはもっと日常のお話だから……ミスリードさせるような工夫には満ちているけれど、アニメーションとして分かりやすい凄さはなかった」

 

カエル「よく言う『爆発やカーチェイスなどのアクションの魅力』だね」

主「派手な表現だからエンタメ映画にはいいよね。特にアニメーションって爆発や戦う描写、空を飛ぶ描写が派手な作品が評価されやすい傾向にある。

 宮崎駿作品って絶対にそれが入っているんだよ。戦い、爆発、空を飛ぶ快感、津波……そういった派手な絵面のゴタゴタする見せ場がある。それがないからこそ、エンタメとしては地味な映画になってしまったのが『マーニー』かな。

 で、その欠点を修正してきた。これは予告編であるからいっちゃうけれど、今作は空を飛んだり、魔法を使ったり派手なアクションが満載で……特にスタートの作画は唸るレベルで良い。

 それまでの欠点とされた描写を見事にカバーした作品に仕上がっているよ

 

思い出のマーニー [DVD]

 

キャストについて

 

カエル「今作の主演を務めるのはいつも通り芸能人声優になるね。

 特に主役の杉咲花ちゃんに関してだけど、この子は昨年の日本アカデミー賞で助演女優賞を受賞するなど、高い評価を受けている人だね。

 実は『思い出のマーニー』にも出演していて、見事主演を射止めたという意味でもシンデレラストーリーでもある」

主「でもなぁ、個人的には好きな女優さんではないんだよ

カエル「……まだ若い役者だし、もっとオブラートに包んだ方が……」

主「評価された『湯を沸かすほど熱い愛』の演技も好きじゃないし、最近だと『無限の住人』のヒロインだったけれど、そっちも微妙だったな。

 なんというか、演技が一辺倒なんだよね。いっつも怒ったような演技でさ、すぐ怒鳴るし……」

 

カエル「花ちゃんが主演だったことで、若干の心配もあったのね……」

主「だけど、本作の演技はなかなかいいよ!

 この子、こんな演技の幅があったんだって感心した! いつもの怒鳴り声とかメソメソした声だけじゃなくて、ちょっと高くて作った声だろうけれど可愛らしさの中に少女の小憎たらしさがあって!

 同世代の女優というと昨年の『君の名は。』の上白石萌音が柔らかい、声優でいうと茅野愛衣のようなふんわりとした声質だったのに対して、杉咲花の演技は悠木碧を連想した。特に『魔法少女まどかマギカ』の時の悠木碧だね。

 この子に対する評価を改めなくてはいけないなぁって、襟を正したよ。

 もちろん本職の声優と比べたらおや? ってなるシーンもあるけれど、全体的には合格点でしょう」

 

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本作の声優陣の2人

 

カエル「他の役者に関しては?」

主「基本的には全く気にならなかった。まず神木隆之介は独特の声質から生まれる演技が良かったし、彼だからこそ出せる味もあった。少年期の憎たらしさもできていたし、かっこいいシーンではきっちりと決めるし。

 そしてジブリ作品を代表する声優の1人である彼だからこそ、この作品は映えた部分もある。それは後述する」

カエル「大人の役者は当然良かったしね。そこまで気になる人はいないかなぁ」

 

主「天海祐希と小日向文世、あとは佐藤二朗も違和感なし。満島ひかりがちょっと怪しかったかな? でも作品をぶち壊すほどではない。

 大竹しのぶは大竹しのぶ感があったけれど、でもそれが役にもあっていたんじゃない? 渡辺えりはぴったりすぎてあのキャラクターが渡辺えりにしか見えなかったから、その意味では問題ありかも(笑)

 でもみんな良かったよ。元々芸能人声優にそこまで反感がないけれど、本作は全く問題なしでいいんじゃない?

 比較対象になりやすい本職の声優もいなかったし、作品世界観と一致していたよ」

 

以下ネタバレあり

 

 

 

2 ジブリ要素がいっぱい!

 

カエル「これは誰もが語るだろうけれど、本作はジブリを連想させるものに溢れているよね」

主「まずはこの題材自体が『魔女の宅急便』ぽいと思うだろうな。黒猫も重要な位置付けにあるし。

 それから出てくるロボットや雲の中にある魔法学校は『天空の城ラピュタ』を連想させるし、途中で出てくるトナカイ? だったり、深い森の描写は『もののけ姫』のヤックルだし。

 序盤の黒猫を追いかけて、というのは『耳をすませば』であったり『となりのトトロ』でもある。途中でぶら下がった豚の描写や美味しそうな料理や屋台の数々は『千と千尋の神隠し』だ。

 もちろんもっと多種多様なジブリ要素に溢れている。これは確実に偶然ではなく、絶対に意識しての作画だろう。

 つまり、今作は『スタジオジブリ』や『宮崎駿』のことをすごく意識しているのが伝わって来る」

 

カエル「上記の作品だと『耳をすませば』以外は全て宮崎駿作品だね」

主「でも魔法学校の描写とかは『コクリコ坂から』だよなって思ったんだよね。あの活気に溢れている学校と、ハチャメチャな部活動や学校生活のシーンが両者に共通している。コクリコ坂はちょっと賛否が割れるけれど、自分は好きは好きかなぁ。欠点も多いけれど、学校や部活動のシーンはすっごく好きだから、ここは見ていてワクワクしていた」

カエル「そう考えると本作は『宮崎駿』というよりは『スタジオジブリ』ぽいってことになるんだね」

主「そうだろうな。作画したアニメーターを見ると安藤雅司や常連の田中敦子などのジブリ感が強い人だったり、山下高明、橋本敬史などの有名アニメーターがたくさん居たんだよね。これは宮崎駿作品だけでなくて、ジブリ作品の多くに携わってきた人たちで。

 本作のアニメーターもオールスターと言ってもいいでしょう。近年のジブリや大ヒットアニメで中核を担っている人たちも多く参加しています」

 

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ジブリ作品のような水の表現も見事

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

1番重要な作品は?

 

カエル「じゃあさ、本作の中で……オマージュ元として1番影響を受けているなぁって作品は何? やっぱり『魔女の宅急便』だったりするの?」

主「いや、多分『天空の城ラピュタ』の方だろう。今作はラピュタの脚本を基にしていると思われる要素が多い。

 これを言われると非難されるかもしれないけれど、宮崎駿作品って脚本的にはそこまで褒められないものが多い。みんな大好きな『カリオストロの城』は細かい整合性が合っていない箇所があまりに多くてボロボロだし『風の谷のナウシカ』は続編も作る予定? だったからかちょっと中途半端な終わり方のように思う。

 『千と千尋の神隠し』なんて脚本構成からしたら破綻しているとしか思えないけれど、それでもどうにかカバーしちゃうのが宮崎駿の天才性なんだよ。

 その意味では『借りぐらしのアリエッテイ』がダメだったのは当たり前。あれは宮崎駿の脚本なんだけれど、その通りに作って名作、傑作に成立するには宮崎駿の作画パワーなどが重要だから」

 

カエル「ふ〜ん……でも、じゃあラピュタだと思うの?」

主「ラピュタは例外的に脚本が優れているんだよ。

 少年の冒険活劇というワクワク感もあるし、話の構成もうまくいっている。最大のピンチもあれば、助けてくれる人との出会いもあり、最後には対決も用意されている。脚本の教科書と言ってもいいレベルなんじゃないかな?

 で、本作もそれ踏襲しているのが本作。例えば冒頭で過去の戦いのシーンが描かれるけれど、これはラピュタも同じでしょ? 急に空の上の戦いから始まって、キーとなる人物が落ちていく……そこから物語は始まるわけだ」

カエル「その後に主人公の日常から始まって、そして冒険へ旅たつというのも同じかな?」

 

主「助けに行くために旅立つのも同じだし、その後1度戻るのも同じ。違いがあるとすればラピュタは失意の帰りだけれど、今作はハウス食品のCMに使われるような帰りだということかな?

 そこから雲の上に戻るのも同じ。

 で、ラストも同じだ。結局あれって『バルス』ってことだから」

カエル「ふ〜ん……じゃあ結構似ているんだね」

主「少なくとも脚本構成はラピュタを真似しているのは間違いないと思うな。ただ教科書になるほど上手いかと問われると……うーん、どうだろう?

 基本的な構造はラピュタだけど、あれほどの完成度はない。例えばラピュタなどは『行く』→『帰る』→『行く』→『帰る』だけど、本作はもう1回これを繰り返す。さすがに3回行って帰っては多すぎる。もう少しなんとかする余地はあっただろうし、穴はあるよ」

 

 

 

 

3 考察 本作のおける魔法とは?

 

カエル「では、ここからは考察パートに入ります。妄想交じりに本作が如何に優れているのか、その謎について迫っていきますよ!」

主「魔法少女アニメって古今東西たくさんあるけれど、その多くは『魔法からの脱却』『魔法と共に別の世界へ』という作品が多い。これは魔法という何でもできる力から脱却することにより、大人になるという道を選ぶという物語も多いからだ。

 有名なところでは『ひみつのアッコちゃん』『おジャ魔女どれみ』なんてそうだよね。これらは魔法からの脱却を描いているし、どれみなんてそれが主題だから。

 本作もその意味では魔法からの脱却ものだと言える」

 

カエル「では魔法って一体何か? という解釈は?」

主「今作に1番近いアニメって何だろう? と思うと、最近見たばっかりなこともあるけれど『リトルウィッチアカデミア』だと答える。

 この作品は深夜アニメだから知らない人も多いかもしれないけれど、魔法学校に通うアッコが才能がなくても大好きな魔女になるために頑張る! って話で……すっごく簡単に言うとね。子供から大人まで楽しめる、深夜アニメなのが勿体無い大傑作アニメに仕上がっている。

 だけどその裏では実はトンデモナイテーマを抱えていて、それが『アニメ業界に対する言及』なんだ。それについては過去の記事でたくさん書いているので、この記事を参照してほしい」

 

blog.monogatarukame.net

 

カエル「うん、まあリトルウィッチアカデミアはそうだったけれど……それが今作とどうつながるの?」

主「この作品を語るときは様々な語り口があるんだけど、そのどれもが重要な意味を持つものになる。そしてそれは宮崎駿、ジブリに対する言及になるわけだ

 

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トトロを連想させる猫の登場シーン

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

批評1 魔法=表現論説

 

カエル「まずは魔法と表現論の問題だね」

主「これは監督のインタビューで明かしているけれど、宮崎駿に挨拶に向かった時に『子供に見せるものを作るのであれば、その責任を持て』と言われたことを明かしている。これは如何にも宮崎駿らしい発言だ。

 宮崎駿の過去の発言を紐解くとわかるけれど、あの人って自分の作品であっても子供にたくさん見ることを嫌がるんだよ。

 『アニメは1年に1度だけ見せてください、毎月、毎週アニメを見せるなんてとんでもない!』と講演会などで語るのは有名な話だよ。

 これは色々な意味があって、押井守なんかは『宮さんはアニメが王様になってほしいだけだから』なんて言っている。 

 つまり、アニメというのはお祭りのハレの日のものであり、毎日見るようなものではないし、1年に1作作り上げるくらいでちょうどいいって考え方だ。それだけのクオリティを高めろって話でもあるね」

 

カエル「日本のアニメって手塚治虫以降の玉石混交の粗製乱造の中からわずかな試金石を見出して発展してきた、というのが歴史的事実としてあるからね……」

主「実はそれもジブリ、宮崎駿論としては重要だけどこの批評では置いておいて……

 つまり、魔法のような夢の世界ってのはどこまで行っても夢の世界である。そんな夢想の世界で遊ぶよりも、現実で竹馬に乗ったり、鬼ごっこして遊ぶ方が何倍も大切だってことだ。自然が大事だって意見なんだよ」

カエル「そこは宮崎駿らしいよね」

主「それを見事に受け継いだテーマでもあると言える。だから魔法によって変身されてしまった動物たちは自然のままに戻るし、物語からの脱却を描いているとも言えるわけだ」

 

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派手な魔法シーンはそれまでの米林監督に足りなかったもの

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

 

批評2 魔法=発展しすぎた技術説

 

カエル「これも強く感じたかなぁ。

 つまり、本作は東日本大震災以降の映画であるってことだよね?

主「そうだね。

 作中でも『扱いきれない技術』だとか『想定の範囲内だ』などのセリフがあった。これは何を連想させるかというと、やはり2011年の東日本大震災であり、それに伴う原発事故である。

 他にも『電気も魔法の1つなんだよ』って発言があったけれど、本作では魔法という技術であるけれども、その変身魔法というのは最も高位で扱いきれないものとして描いている。ある意味ではウランなどの核燃料から発電する、というのも変身と言えるかもしれない。

 そのような扱いきれない技術=原発として、アンチ原発映画としての側面も見せてきた

 

カエル「何が重要って自然主義だからということもあるけれど、宮崎駿やスタジオジブリは反原発主義者でもあるんだよね」

主「原発事故直後にソーラー発電を始めたり、原発に依存しない社会の形成をずっと訴えかけてきたからね。

 だけどこれは原発事故ばかりに焦点を当てているけれど、内容はそれだけではないかもしれない。もっと発展しすぎた技術……それこそ批評1と関連させると『面白すぎるアニメ映画』って、それはもう現実に帰すことができないんじゃないかな?

 この作品は『行って帰る物語』だから、帰るってすごく大事なんだよ。

 宮崎駿やジブリの技術が高すぎたからこそ、最初に述べたように日本中がジブリの呪いにかかってしまった……だからこそ、日本アニメ映画界はその幻影に今も苦しめられている、ということもでいる。

 高すぎる技術は問題があるという描写だろうね

 

 

 

 

4 本作はなぜここまでジブリオマージュが多かったのか?

 

批評3 メアリの正体

 

カエル「ではここからが本作を最も賞賛する理由であり、この記事の核心部分の批評となります」

主「ではなぜ本作がここまでスタジオジブリの過去作のオマージュが多かったのか? という話だけど、それが今作の最も重要な部分でもある。

 つまり、メアリというのは米林宏昌監督そのものなわけだ

カエル「……どういうこと?」

 

主「本作における魔法というのはつまり、スタジオジブリそのものであり、その力を使ったアニメーターということもできる。なぜ最高学年の授業が『姿を消す魔法』という素晴らしいけれど少し派手さの欠ける魔法なのか? ということを考えると、それはアニメーターという仕事がそうだからだよね。

 アニメーターって……こういうと反感を持たれるかもしれないけれど、おかしな表現者なんだよ。なぜならば、絵に個性を持たせてはいけないけれど、個性を出さなければいけないから

カエル「……え? 矛盾しているよ?」

主「だけどさ、描いた絵がキャラクターデザインや他の人の作画と全然違うものだったらそれはダメでしょ? そういう絵の個性はいらないの。その代わりの欲しいのは動きの個性。その人にしかできない動きをする、その個性が必要となる。

 だから最高学年の授業は『姿を消す魔法』つまりクリエイターとしての個性を消す魔法なわけだ。

 メアリはそれができないわけだ。つまり、アニメーターとしての個性を捨てきれない代わりに、もっとすごいものを手に入れた存在ということになる

 

カエル「あ〜〜……じゃあもっとも初歩的な魔法とされた空を飛ぶ魔法って」

主「それこそ空を飛ぶ作画だよね。そのように派手な作画だ。

 空を飛ぶシーンはトンデモナイクオリティだったけれど、それだけの派手な動きができることがまず魔法使い=アニメーターに重要だよってこと。

 そしてこれはリトルウィッチアカデミアと全く同じことを語っている。偶然だろうけれどね」

 

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魔法学校はジブリの象徴

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

ピーターは何者か?

 

カエル「そうなると……本作における魔法学校ってつまり『スタジオジブリ』そのものなの?

主「まあ、そうなるだろうな。

 本作のラストの『なんでもできる究極の魔法』って何かというと、それは宮崎駿その人(もしくはスタジオジブリ)なんだよ。

 本作はそれこそポスト宮崎駿について語っている。

 じゃああの敵の2人は何者か? というと、それは米林監督の先輩アニメーターたち。昔はいい人だったのに、宮崎駿の幻影を追いすぎて無茶なことをしてしまっている、ずっとその幻影に縛られているということだね。

 ではピーターとは誰かというと……それはジブリにいたかつてのスタッフたちな訳だ。

 一番の見せ場において『俺をおいてさっさと行け!』って言うでしょ? あれって何かというと、メアリ=米林監督だとしたら一緒に作業していたアニメーターの仲間たちなんだよ。

 だから神木隆之介が演じていたわけだ。彼は過去のジブリ作品は絶対に欠かせない『ジブリ声優』の1人だったからね」

 

カエル「そしてメアリは地上に帰るわけでもなく、おそらくあの街の中の家に逃げ込むわけだ……」

主「それって米林監督の事情と同じなんだよね。この作品を作る時は西村Pと2人だけでスタジオを立ち上げるところから始まったと明かしている。

 魔法も失い、仲間もいない、箒もない……そんな本当に1人の状況下において再び歩き始めるわけだ。それこそあの絶望感というのはメアリを通して米林監督の思いである。

 だけど、やっぱりピーターは……昔の仲間は見捨てられないんだよ! 

 だからこそ、メアリ=米林監督はまた再びアニメ業界に舞い戻っていった」

 

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メアリとピーター

この2人の絆の深まり方が早すぎたかな?

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会
 
 
フラナガンについて
 
カエル「今作の中で特殊な役割を果たすのがこのフラナガンであるけれど……彼ってなんだったんだろうね?
 敵ではないじゃない? 魔法サイドの人間なのに、メアリに対する敵愾心ってものが全くなかった。
 だけど明確に味方というわけでもないんだよ。
 ただ、箒を持ってきて手入れをしてくれる、ある意味では都合のいいお助けキャラクターになっていたわけだけど……」
主「フラナガンってさ、なんだか既視感があったんだよね」
 
カエル「……? あれ、フラナガンみたいなジブリキャラクターっていたっけ?
 いるかもしれないけれど、なんだかパッとは思いつかないなぁ」 
主「いや、ジブリじゃなくて、東映動画(東映アニメーション)を代表する1作『長靴をはいた猫』の主人公であるペロにどことなく似ているんだよね。もちろん、ペロほど若々しくもないし、第一線を退いたというくらいに年老いてはいる風貌だったけれど」
 

長靴をはいた猫

 
カエル「『長靴をはいた猫』って、東映アニメーションのロゴにも使われるくらい代表的なキャラクターでもあって、ジブリでいうところのトトロなどに近いものがあるよね?」
主「そうだね。
 重要なのはここで既視感を覚えたのが『東映動画』ということだ。
 なぜ細田守が『ポスト宮崎駿』の地位にいたのか? と問われると、別にそれは大ヒットアニメを制作してきたからだけじゃない。もちろんそれもあるし、宮崎駿との因縁もあるけれど……細田守も宮崎駿と同じように東映出身なんだよね。そこでメアリにも参加している山下高明に師事して、ここまでキャリアを積んできた。
 つまり、宮崎駿と歩んできたキャリアが似ているわけ。だからポスト宮崎駿という名前もつけやすかった」
 
カエル「それがこの作品とどんな関係があるの?」
主「ジブリっぽい作画とかキャラクターデザインってよく言われるけれど、自分はそれってジブリの特権だったのか? というのが気になっていて……それこそ世界名作劇場にも出てくるようなキャラクターデザインじゃない?
 どちらかというと『東映動画』の流れを汲んでいるのが『ジブリっぽい』キャラや作画の正体だと思うわけよ。
 宮崎駿やジブリについて語る際には東映動画という存在は絶対に抜きにできない。 子供向け劇場アニメは東映アニメ祭りなどが作り上げた文化だからね」
 
カエル「ふむふむ……」
主「じゃあ、フラナガンはなぜ東映を代表する『長靴をはいた猫』に近いのか? というと、多分それは彼自体が東映動画(東映アニメーション)を象徴する存在だからだと思う。
 つまり魔法学校=ジブリであり、先生達=鈴木敏夫などであったとした場合、そことは距離をとっているけれど、敵でも味方でもない指導者のような存在。それが東映動画時代の伝説的な大クリエイターであるってことじゃないかな?
 より具体名を出すと……大塚康生さんとかね
 
カエル「宮崎駿の先輩で、アニメ界の神様が出てきちゃった……
主「もちろん大塚さんだけじゃないけれど、フラナガンという存在そのものが東映動画やジブリ以前から続く、いわば伝統をテーマとした物語が裏にあるんじゃないかな? 直接助けてくれるわけではないかもしれないけれど、目に見えない形などでメアリ=監督を助けてくれる存在、それがフラナガンの象徴ではないかな?」
 
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敵でも味方でもないフラナガン

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

 

5 呪いと戦うということ

 

カエル「あのラストの戦いは主がずっといってきた『宮崎駿の呪い』そのものシーンだったかもしれないね」

主「そうだね。もしかしたらあの敵役の2人は鈴木敏夫だということもできるかもしれない。宮崎駿を再び生み出そうとして、そして失敗してきた人たち。あの化け物に飲み込まれたピーターのような存在ってそれまでたくさん居たんだよ。

 それこそ細田守もそうだったし、宮崎吾朗もそうだったし、米林宏昌もそうだった。ある意味では『耳をすませば』の近藤監督もその被害者だったかもしれない。もっと形になっていない部分では……陰にはたくさん居たかもしれない。

 そんなピーターたちを……仲間たちを助け上げるんだ。そして『すべての魔法をリセットしてくれ』と叫ぶ。これはすなわち『宮崎駿、スタジオジブリの幻影からの脱却を!』と叫んだわけ。

 これはもう絶賛だよ!

 ポスト宮崎駿運動に、スタジオジブリの後継者とされていた張本人が叛旗を翻したんだよ!」

 

カエル「それだけ大きな思いを抱えていたんだね……」

主「世間のポスト宮崎駿に対する期待感はもう無茶ぶりだよ。マスメディアは2代目宮崎駿を作りたいのか? って思ったね。落語や歌舞伎、狂言などはそういう世界だけれどさ……

 野球もそうだけどさ、〇〇のダルビッシュとか、〇〇のイチローとかって言われるけれど、そんなポストダルビッシュ、ポストイチローの中で大成した人間は1人だっていないよ。それは断言できる」

カエル「……え? 大谷翔平とかって東北のダルビッシュって言われてなかった?」

主「でも今はもう大谷翔平じゃん。今時東北のダルビッシュって称する人はいるか? いないでしょ?

 みんなオリジナルの存在なんだよ! 

 本当に優れた人は、誰かの代わりになんかならずに自分で這い上がって出てくるものなんだよ! そんな当たり前のことがアニメ界ではずっと起こっていなかった。

 で、実際宮崎駿やスタジオジブリのようなアニメを作ると『パクリ』とか言われるわけだ。そんなのたまったものじゃない!

 だからこそ、それに叛旗を翻した米林宏昌監督の挑戦を自分は絶賛する。

 呪いと戦うんだよ

 

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セカオワの音楽について

 

カエル「本作はEDがSEKAI NO OWARIであることも話題の1つだよね。人気の割りに賛否が割れるグループで、それが一層メアリの賛否に拍車をかけているような気がするけれど……」

主「……セカオワ、あんまり悪く言いたくないんだよなぁ

カエル「え? 主が1番バカにしそうじゃない」

主「……ちょっと前まで好きだったんだよ。正確に言うと漢字時代の『世界の終わり』の頃は面白いバンドが出てきたなぁ、って思っていて、その時はこんな存在になるとは全く思っていなかった。初の武道館ライブも行くかどうか直前まで悩んでいたからね。用事があったから行かなかったけれど……」

 

カエル「……じゃあ、あんまり悪くは言えないね」

主「本作のテーマについて言及した音楽にも聞こえてくるんだよね。

 冒頭の『魔法はいつか解けると僕らは知っている』というのはもちろんメアリの世界のことだろうけれど、先ほどから述べているように魔法=ジブリや宮崎駿だと考えると、これもドンピシャなんだよ。それが自分の感動をさらに増していた。

 『虹がかかる空には 雨が降っていたんだ』というサビは虹という素晴らしい結果のためには雨が降る必要がある。それはジブリ解体後の試練だよね。だけどその雨が降ることによって草木は育ち、花は咲く。

 なんだか手垢がついたような表現かもしれないけれど、でも意味深じゃない?

 そして『虹がなくなっても 僕らは空を見上げる』ってのもさ、宮崎駿やジブリという虹がなくなっても……という意味にも受け取れるんだよ」

 

カエル「セカオワがどこまで意識して作ったかはわからないけれどね」

主「最後の方で『きっともう大丈夫』って歌うんだよね。

 これがさ、米林監督の最大のメッセージだとしたら……ジブリや宮崎駿がいなくてもやっていこうというメッセージあれば、泣けてこない?

カエル「……でもさ、この歌詞を書いたのがFukaseとSaoriと言うのがまた……ねぇ」

主「そうなんだよなぁ……変な想像が沸き立っちゃうんだよなぁ。

 でもいい曲だと思うよ。

 SEKAI NO OWARIってバンドの中にファンタジーを多く取り入れて、ある意味では音楽性にもそう言った物語性を含ませてファンタジーな存在として人気を集めている。

 だから彼らを起用するのは、ファンタジーアニメの復興という意味でも意義があるんじゃないかな?」

 

 

最後に

 

カエル「じゃあさ、米林監督の戦いはこれで終わったの?」

主「そんなわけないじゃん。ここから始まったの。

 本作は『スタジオジブリからの脱却』という意味では素晴らしい作品に仕上がったけれど、でも米林宏昌の味を出すことはできていない。まだまだ模倣の域を脱していないよ。だからここからが大変。

 むしろ、この絵柄も女の子を主人公にすることも諦めないとまた比較されて、宮崎駿の幻影に……呪いに縛られてしまうことになるかもしれない」

カエル「ふむふむ……」

 

主「だからこそ本当の戦いは次の作品以降だよ。それは『君の名は。』の新海誠も同じで、多分マスコミは大騒ぎするだろうけれど、これはまだまだ序章に過ぎないから。

 また一人注目しなければいけないアニメ監督が生まれたね」

カエル「エンドクレジットも感動的だったよね」

主「高畑勲、宮崎駿、鈴木敏夫の3人の名前もそうだけどさ、あの折ってしまった花に蝶が飛んできたのもじんわりきたんだよね。

 蝶って魂の象徴なんだよ。メアリ=米林監督がダメにしてしまったかもしれない花=作品にも、ジブリや高畑、宮崎などの影響はある。ジブリからの脱却は描いているけれど、それは決して足蹴にするものではないんだ。やっぱりその影響はある。

 だからさ、本当に米林監督を讃えるならば、2017年7月8日をもってポストジブリ、ポスト宮崎駿について語るのはやめようよ。

 冒頭に語ったのはそういう意味。これほどの作品に仕上げたんだからさ……」

カエル「……呪いからの解放かぁ」

 

 

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メアリと魔女の花 オリジナル・サウンドトラック

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新訳 メアリと魔女の花(角川つばさ文庫)

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  • 作者: メアリー・スチュアート,越前敏弥,中田有紀,YUME
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2017/06/15
  • メディア: Kindle版
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角川アニメ絵本 メアリと魔女の花

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The Art of メアリと魔女の花

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